公認心理師 2024-21

ロジャーズの必要十分条件に関する問題ですね。

その筋では基本中の基本と言えそうですが、その筋ではない方からすればどうでしょうか。

問21 C. R. Rogersが提唱したセラピーによるパーソナリティ変化の必要十分条件に含まれるものを1つ選べ。
① セラピストは、セラピスト自身の内的照合枠を理解している。
② セラピストとクライエントが、相互に共感的に理解し合っている。
③ セラピストは、クライエントとの関係の中で不一致状態にある。
④ セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験している。
⑤ セラピストは、クライエントと自分をできる限り同一視し、その経験をクライエントに伝えようとしている。

選択肢の解説

① セラピストは、セラピスト自身の内的照合枠を理解している。
② セラピストとクライエントが、相互に共感的に理解し合っている。
③ セラピストは、クライエントとの関係の中で不一致状態にある。
④ セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験している。
⑤ セラピストは、クライエントと自分をできる限り同一視し、その経験をクライエントに伝えようとしている。

「クライエント中心療法」出版の6年後の1957年に、ロジャーズは、これまでの諸論文におけるさまざまな考えを統合する形で、「治療上のパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」という論文を発表しました。

この論文は、それまでのロジャーズの考えを要約するものとしても、整理したものとして考えることができ、ロジャーズの諸論文の中でも重要なものの一つに数えられています。

この論文で、ロジャーズは、建設的なパーソナリティ変化が起こるためには、次のような条件が存在し、それがかなりの期間継続することが必要であるとし、以下の6つの条件を提示しています。

  1. 2人の人が心理的な接触をもっていること 。
  2. 第1の人(クライエントと呼ぶことにする)は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること 。
  3. 第2の人(セラピストと呼ぶことにする)は、その関係のなかで一致しており、統合していること。
  4. セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること 。
  5. セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること。
  6. 共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること。

ロジャーズは、この6条件以外の「他のいかなる条件も必要ではない。もしこれらの6つの条件が存在し、それがある期間継続するならば、それで十分である。建設的なパーソナリティ変化の過程が、そこに現われるだろう」としています。

上記を踏まえて、各選択肢の内容を検証していきましょう。

まず選択肢①についてですが、こちらは条件5の内容を誤った形にしてありますね。

選択肢①内にある「内部的照合枠」について言及しておきましょう。

ロジャーズは1951年、シカゴでの実践と研究の成果を「クライエント中心療法」として出版しており、ここでは、自己概念と生命体の体験の一致・不一致からパーソナリティの適応を捉えていますが、その基本的な視点として「内的照合枠(the internal frame of reference)」という概念が提出されています。

内的照合枠についてロジャーズは「カウンセラーが可能な限りにおいてクライエントの内的照合枠を身につけること、クライエントが自ら眺めているままにクライエント自身を知覚すること、そのようにしている間は外的照合枠にもとづく一切の知覚を排除しておくこと、そして、その感情を移入して理解したことをコミュニケートすること」と述べています。

ロジャーズは、クライエントがどのような精神病理なのか把握しようとすること、訴えの原因を推測することなど、いわばクライエントを客観的にないしは外側から理解しようとする意識の集中の仕方を「外的照合枠」によるクライエント理解と考えました。

それに対して、クライエントのいる場所から世界の見え方・自分自身の見え方をカウンセラーが共有しようとする活動を「内的照合枠」によるクライエント理解と呼び、カウンセリングプロセスでは、こちらに全精力を注ぎこむことをロジャーズは要求します。

この文脈からもわかる通り、大切なのは「セラピストの内的照合枠」を理解していることではなく(セラピストの内的照合枠を理解していても、それをクライエントに当てはめた瞬間、それは「外的照合枠」でクライエントを理解することになりますよね)、「クライエントの内的照合枠」を理解していることになります。

ですから、選択肢①の内容は「Rogersが提唱したセラピーによるパーソナリティ変化の必要十分条件」として不適切であると言えるわけですね。

上記の文脈でいくと、当然ですが、選択肢②の「セラピストとクライエントが、相互に共感的に理解し合っている」もおかしいことがわかるはずです。

重要なのは、セラピストが「クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること」になりますから、クライエントがセラピストに対して共感的理解をしていることは必要十分条件に含まれてはいません。

ですから、選択肢②の内容は「Rogersが提唱したセラピーによるパーソナリティ変化の必要十分条件」として不適切であると言えるわけですね。

続いて、選択肢③の「セラピストは、クライエントとの関係の中で不一致状態にある」ですが、こちらも条件2において「第1の人(クライエントと呼ぶことにする)は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること」とあります。

ですから、まず不一致の状態にあるのはクライエントであり、しかもそれはセラピストとの関係の中ではありません。

そのことは、条件3において「第2の人(セラピストと呼ぶことにする)は、その関係のなかで一致しており、統合していること」とある通り、セラピストとクライエントとの関係の中で、セラピストは一致していることが示されていますね。

よって、選択肢③の内容は「Rogersが提唱したセラピーによるパーソナリティ変化の必要十分条件」として不適切であると言えるわけですね。

一つ飛ばして、選択肢⑤の「セラピストは、クライエントと自分をできる限り同一視し、その経験をクライエントに伝えようとしている」についてですが、これは条件5の「セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること」をいじったものであると考えられます。

「クライエントと自分を同一視すること」と「クライエントの内的照合枠を共感的に理解すること」はまったく異なるものであることは言うまでもありませんね。

前者は、クライエントにセラピストが自身の内的照合枠を押し付けていることに他なりません。

そうではなくて、あくまでも「クライエントの内的照合枠」に対して、共感的理解を向け、それが伝わるように努力することが重要になるのです(後半の努力することが重要、というのは条件6の「共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること」のことを指しています。どんなに共感的理解や無条件の肯定的配慮があろうとも、クライエントに伝わらないと意味がないということです。自己満足はダメ)。

ですから、選択肢⑤の内容は「Rogersが提唱したセラピーによるパーソナリティ変化の必要十分条件」として不適切であると言えるわけですね。

さて、最後に選択肢④の「セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験している」ですが、こちらは条件4の「セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること」そのままの内容になっていますね。

ですから、選択肢④が「Rogersが提唱したセラピーによるパーソナリティ変化の必要十分条件」に含まれるものであると判断でき、こちらを選択することになります。

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