公認心理師 2020-89

知能検査の実施に関する問題です。

知能検査そのものに関してというよりも、それを実施する際に気を付けること、理解しておかねばならないこと、といった感じの内容になっていますね。

問89 知能検査の実施について、最も適切なものを1つ選べ。
① 検査者が十分に習熟していない検査を用いることを控えた。
② 被検査者に求められたため、検査用紙をコピーして渡した。
③ 客観的情報を収集するために、被検査者とのラポール形成を避けた。
④ 被検査者が検査に対する先入観や恐怖心を抱かないように、事前に検査について説明することを控えた。
⑤ 実施時間が2時間を超え、被検査者が疲れている様子であったが、そのまま続けて全ての検査項目を実施した。

解答のポイント

知能検査の手続き、実施方法、社会的なルールを把握している。

選択肢の解説

① 検査者が十分に習熟していない検査を用いることを控えた。

こちらは当然と言えば当然のことなのですが、きちんと「なぜ十分に習熟していない検査を用いることが不適切なことなのか?」を理解しておく必要があります。

最近の知能検査は特にですが、明確にマニュアルが作成されていますし、一見するとそれほど習熟していなくても実施することができるのでは、と思えます。

こうした視点に対して、明確にNoと言えるだけの力を持っておくことが重要です。

繰り返しますし当たり前の話ですが、決して感覚や直感で答えるのではなく、それらの感覚や直感の背景にある理路を言語化できるようにしておくことが勉強の上では重要です。

十分に習熟していない検査を行うことを控える必要がある理由の一つとして、被検査者の反応を適切に記録することができないという点が挙げられます。

例えば、何かを質問して被検査者に答えてもらうような課題の場合、被検査者の答えた内容が「正答」と判断できるか否か、得点化するような問題の場合は何点になるのか、といったことがしっかりと判断できる必要があります。

そして、被検査者の答えによっては、さらに質問を重ねる必要がある場合も考えねばならないので、それらに速やかに対応するには一定以上の習熟が必要になってきます。

もちろん、Questionを入れるポイントはマニュアル化もされていますが、判断が難しい答えもありますし、検査中にいちいちマニュアルを見直すことで検査時間が長くなり、疲労などが検査結果に影響することも考えねばならなくなります。

また、検査結果を適切に記録できていないと、間違いなく、解釈が被検査者の実態とずれた形で行われることになります。

「間違った記録から正しく解釈されれば、その結果は必ず間違ったものになる」というのは当たり前のことですね(間違った記録から間違った解釈をするのは素人の常ですが、まぐれ当たりはあったとしても、大概はクライエントに役立つ検査報告書は出来上がらないですね)。

この視点からも、適切に検査の記録を取ることができることは重要であり、そのためには一定以上の習熟が欠かせないということになります。

上記で少し解釈のことにも触れましたが、習熟が必要なもう一つの理由が解釈を適切に行うことが重要だからです。

ロールシャッハテストに関しては、適切に検査結果を記録するまでならば1年かからないと思いますが、臨床実践に役立つような解釈が書けるようになるまでは3年は少なくとも見なければならないだろうと思います(それも優秀な人が、毎日の臨床実践でロールシャッハに触れる機会があり、本人の学ぶ意欲も十分であるという状況で)。

ロールシャッハは特に習熟が必要とされている心理検査ですから単純に比較はできませんが、知能検査の解釈にもやはりそれなりの習熟が必要であると感じます。

特に知能検査の場合、それを行う理由によっては被検査者の人生が左右されることもあるので、その検査結果は「被検査者の実態」を現していると断言できるくらいのものである必要があります。

昔、とある機関で、田中ビネーの生活年齢と精神年齢を割るときに、分子と分母を間違えて割っており、本当は知的な問題があったのに「知的な問題なし」とされて数年経っていた事例を見たことがあります(本来ならば裁判ものですね)。

この件に関しても、単に「うっかりミス」で済ますことはできず、習熟している者ならば「検査時の被検査者の様子」と「解釈によって出てきた知能指数」に矛盾があることに気づき、そうしたミスを修正することができていただろうと思います。

このように、検査に習熟するということは、単に適切な解釈ができるだけでなく、検査状況で起こりうる様々な人為的なミスも修正する力を持つということなのです。

以上のように、検査者が知能検査を行うときに、その検査について習熟が十分でないなら、その使用を控えるのが倫理的に正しい対応と言えます。

もちろん、「特定の知能検査を使うことが義務付けられている」という状況もあるでしょうが(例えば、療育手帳を出すときに使用できる検査は、都道府県によって定められています)、そういった領域に進む可能性があるなら出来るだけ早く検査に触れ、多く学ぶような機会を持つことが大切ですね。

よって、選択肢①は適切と判断できます。

② 被検査者に求められたため、検査用紙をコピーして渡した。

本選択肢に関しては、まず実践上の問題について述べていきましょう。

検査用紙には、その検査項目が表記されていることが多く、また、どのような回答に対してQuestionを入れるのかなども細かに記載されているなど、かなり検査内容がわかるものになってしまいます。

そういったものを被検査者に渡すことによって、検査結果が被検査者の実態からずれたものになってしまうものになる可能性があり、それは長期的な観点から被検査者の利益に反することです。

「長期的な観点から」と述べたのは、被検査者が知能検査で良い点を取ると、その時はいい気分かもしれませんが、その検査結果をもとに行われる支援や措置が本人の実態にそぐわないものになってしまうという意味です。

昔、ある知能検査の検査状況に同席していた母親が(検査を受けていたのは子ども)、次回の知能検査の時に、その検査内容を「予習」させていたということがありました。

こういう行為に及ぶこと自体にそれなりの見立てができるのですが、そうした行為も被検査者の実態を歪めることになりますね(これは防ぎようがないのですが…)。

いずれにせよ、検査用紙のコピーに限らず、被検査者の実態とずれた結果が出る恐れのある行為は避けるのが支援者の倫理というものであると言えるでしょう。

最後に著作権の問題も考えねばなりません。

知能検査によっては著作権によって、コピーして専門家以外に渡すことが禁じられているものがあります。

専門家間で受検者の記録を伝達する場合に限り、記入済み記録用紙の複写が認められる場合が多いですね。

なお、WISC-Ⅳでは、専門家同士の研修のために複写する場合には、米国Pearson社または日本文化科学社の書面による承認を受ける必要があります。

このように、検査用紙をコピーして渡すという行為は、どれだけ相手が望んでいようとしてはいけない行為です。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

③ 客観的情報を収集するために、被検査者とのラポール形成を避けた。
④ 被検査者が検査に対する先入観や恐怖心を抱かないように、事前に検査について説明することを控えた。

知能検査を取るときに大切なことは、まず「被検査者の能力を過大にも過小にも評価せず、できる限りその実態に近い姿を検査結果が示すようにする」ということが挙げられるだろうと思います。

そして、そのために検査には様々な工夫がしてあります。

具体的には、標準的な実施手続きを守ることや、各検査項目の教示を定められたとおりにするということがあります。

知能検査は標準化の際に、特定の実施手続きや教示によって結果を得ているわけですから、それに沿った標準的な実施手続き・教示を行うことが重要になります。

そして、こうした標準的な実施手続き・教示の中に「被検査者とのラポール形成」は含まれているのです。

例えば、WISC-Ⅳでは「妥当な検査結果を得るためのポイント」として、以下の5点を挙げています。


  1. 検査用具の理解
  2. 標準的な実施手続きの遵守
  3. 標準的な実施時間
  4. 検査にふさわしい環境
  5. ラポールの形成と維持

上記の通り、ラポール形成と維持が妥当な検査結果を得るために必要なこととして挙げられています。

WISC-Ⅳに限らずですが、多くの心理検査では被検査者と一定のラポールを形成・維持したうえで標準化を行っています。

ですから、出てきた検査結果を適切に解釈するためにも、実際の検査状況でもラポール形成と維持に努めることが重要となります。

そうでなくても「被検査者の能力を過大にも過小にも評価せず、できる限りその実態に近い姿を検査結果が示すようにする」ためには、検査者と被検査者が一定の信用関係があることが大切になります。

被検査者が検査者に多少の安心感を抱けないと、検査結果が有意に悪く出てくることもあり得ます。

例えば、人見知りの子どもであれば、検査者に安心感を持つために少し時間をかけることも重要になるでしょうし、対人関係が快活な子どもであればそういった時間は短めでも大丈夫でしょう。

ただし、重要なのは「一定の信用関係程度のラポール形成と維持」で良いということです。

過剰なラポール形成は、特に子どもの場合、検査状況での態度が大きく変わる可能性、すなわち検査結果が過剰に良くなったり悪くなったりがあるので、それはそれで避けねばなりません。

この点は「カウンセリングの担当者と、検査の担当者は分けた方が良い」という古くからの定石を守っておくのが妥当でしょうね(それができない状況も多いでしょうから、その場合は「カウンセラーとクライエントという関係性」が、どの程度検査結果に影響するかを加味した解釈を行うことが重要です)。

また、そうしたラポール形成に重要なのが、検査前に検査に関する説明をしっかりと行うことです。

検査状況に限らず、「臨床に不意打ちはなし」と考えておくことが重要です。

また「自分にどういった目的で何がなされるのか」を知っておくのは、検査云々を超えた、クライエントという人間の権利ですし、それを守るのが支援者の倫理です。

もちろん、検査内容を教えるのは論外としても、どういった目的でどのような検査を行うかについては、被検査者の能力に応じて説明をする努力が不可欠です。

「何のためにこれを行っているのかわからない」「いきなり呼び出されて、何かさせられた」と被検査者が感じる状況では、被検査者の能力が検査結果に反映されない可能性も出てきます。

これは対象が子どもの場合、その保護者にも検査を実施する根拠を説明し、事前に同意を得ておくことが重要になりますね。

子どもであるほど、保護者の動機づけに左右される面がありますから、この点はしっかりと行っておく必要があります。

なお、勘違いする人がいるのですが、必ずしも「先入観や恐怖心を抱かないようにする」ことを一義的に目指さなくても良いということです。

もちろんそれは重要なことではあるのですが、上記のようにきちんと説明を行い、様々な手段を尽くしたうえでも被検査者の恐怖心が残ったままということもあります。

そうなれば「標準的な手続きを行った上での、その被検査者の状態」として検査を行うことになるでしょうし、解釈の際にそうした恐怖心も加味した解釈が重要になってきます(恐怖心によってどの検査項目が有意に下がりやすいかを知っておくことが重要ですね)。

このように、ラポール形成やそのための検査に関する説明は、知能検査(に限らずですが)を行う上で必要な手続きと言えますね。

以上より、選択肢③および選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ 実施時間が2時間を超え、被検査者が疲れている様子であったが、そのまま続けて全ての検査項目を実施した。

先述の通り、検査を実施するにあたっては「被検査者の能力を過大にも過小にも評価せず、できる限りその実態に近い姿を検査結果が示すようにする」ということが大切であり、それによって適切な支援を選択することがしやすくなります。

知能検査は1時間半~3時間程度かかるのが一般的ですから、被検査者によっては大きな負担になります。

大きな負担を抱えたまま検査を続行することで、実際の被検査者の能力よりも低く検査結果が出てしまえば、それに基づいた支援方針も被検査者の実態にそぐわないものになってしまいます。

検査自体は休憩を挟むことを前提にはしていませんから、被検査者に問題がなければ通しで実施するのが望ましいですが、疲労によって本来の力が見えなってしまっては本末転倒です。

トイレ休憩やちょっとした休息の時間を取ること、場合によっては2日に分けて実施するということも可能です。

もちろん、2日に分けると言っても、その2日のスペーシングが著しく長くならないようにすることは必要です。

知能検査は、一度実施してしまうと、次に同じ知能検査を実施できるようになるのは1年程度後になるのが一般的です(検査を実施した際の記憶が残っている段階で再び検査をするのは、結果に影響が出るため望ましくない)。

ですから、その一度の知能検査の機会を十分に活用できるように、被検査者の能力が発揮された結果を得ることに力を注ぐことが重要になります。

このように「被検査者が疲れている様子であった」のならば、休憩を挟むのは一般的な手順ですし、それが適切な結果を得るために必要な手続きと言えます。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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