公認心理師 2020-136

家庭環境の在り様について、該当する概念を選択する問題です。

私は正解の概念については恥ずかしながら知りませんでしたが、それ以外の選択肢に関しては心理学で語られやすい概念であったと思います。

「正解がわかる」「不正解がわかる」の両方向から検討できると試験には強くなりますね。

問136  1歳の女児 A。Aは離婚した母親 Bと共に、Bの実家で祖父母や叔母と住んでいる。実家の敷地内には、伯父夫婦やいとこが住んでいる家もある。昼過ぎから深夜にかけて仕事に出ているBに代わり、祖父母や叔母がときどき農作業の手を休めて、Aの世話をしている。いとこたちが学校や幼稚園から帰宅すると、Aは年長のいとこに見守られ、ときには抱っこされながら、夕食までの時間を過ごしている。
 Aに対する養育の解釈として、最も適切なものを1つ選べ。
① クーイング
② コーチング
③ マザリーズ
④ ミラーリング
⑤ アロマザリング

解答のポイント

事例の状況を表現する概念を同定できる。

Winnicottの母子関係の概念、乳児の発達に関する概念を理解していると解きやすい。

選択肢の解説

① クーイング

乳児の発声は啼泣(赤子がぎゃーと泣くやつ)で始まりますが、生後1~2か月くらいから啼泣以外の発声が出てきます。

「アーアー」「クークー」といった単音節のシンプルな発声で、これを「クーイング(cooing)」といいます。

啼泣が不快への反応なのに対し、こちらは心地よいときに出てくる発声です。

クーイングは、自然に生じる生理的な発声であって、対人的な意味や役割は持ち合わせていないと考えられています。

乳児は一人でもクーイングをするし、重い聴覚障害児でも行います。

しかし、多くの大人はこのクーイングに対し、無意味な発声とは捉えず、子どもからのおしゃべり、語りかけと捉えて、喜んで返事したり声をかけるなどの応答的な関わりを行います。

そうするうちにクーイングは、「ダァーダァー」「バブバブ」といったより複雑な音節からなる発声へと変わっていき、これが「バブリング(babbling:喃語)」と呼ばれる赤ちゃんしゃべりの始まりになります(大体、生後6か月ころ)。

重要なのは、クーイングは自然発生的な生理現象なのに対し、バブリングはそうではないということです。

クーイングを子どもからの語りかけと受け取り、周りがそれに言葉を返すことによって、はじめてバブリングは生じるようになります。

その証拠に、重い聴覚障害児には、このバブリングが生じないとされています(周りが応答していても聞こえていないから)。

クーイングに対して、それを意味ある発声と捉えて周囲が言葉をかけるというのは、双方向的なやり取り、つまりコミュニケーションの始まりであり、きたるべき音声言語獲得の土台がここにあるとされています。

なお、この際伝えあっているのは「意味」ではなく「情動」になります。

乳児と養育者の親密な交流を通して、両者の「情動」が溶け合うように共有される体験になります。

これをSternは「情動調律」と名付けています。

人間の情動は、個体によって生じるだけではなく、他者との共有によって生じるという面がかなりあるということを知っておくことが大切です。

こうしたクーイングの説明は、本事例の状況を指し示しているとは言えませんね。

クーイングは生後1~2か月、バブリングが生後6か月くらいと把握していれば、1歳の女児の本事例には該当しないことがわかります(1歳は有意味音声言語の出始めですね)。

つまり、事例の中身を読まなくても、冒頭の「1歳の女児A」という部分を読めば、おそらくこの選択肢は除外できるだろうと想定しつつ読み進めることができるわけですね。

以上より、選択肢①は不適切となります。

② コーチング

コーチは「馬車」を語源とし、その役割は「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」であったことから派生して、コーチングは「人の目標達成を支援する」という意味で使われています。

日本初のコーチ養成機関としてコーチングを体系的かつ体験的に学ぶ「コーチ・トレーニング・ プログラム」の提供を始めたコーチ・エィは、コーチングを「目標達成に必要な知識、スキル、ツールが何であるかを棚卸しし、それをテーラーメイド(個別対応)で備えさせるプロセスである」と定義しています。

つまり、コーチングとは「自発的行動を促進するコミュニケーション」であり、「新しい気づきをもたらす」「視点を増やす」「考え方や行動の選択肢を増やす」「目標達成に必要な行動を促進する」ための効果的な対話を作り出します。

重要なのは、コーチがこれらを先導したり強制したりするのではなく、相手が主体性を持ちながらそれを実現するところにあります。

コーチングは、「インタラクティブ(双方向)」「オンゴーイング(現在進行形)」「テーラーメイド(個別対応)」で行われることを原則としています。

未来志向的なアプローチであり、相手が未来に向けて行動を起こす、あるいは行動を変えるというのが、コーチングの成果を測るひとつの指標となります。

コーチングは、ビジネス場面におけるコミュニケーション・スキルの一つとして定着していますね。

このように、コーチングの概念は、本事例の状況を指し示しているとは言えませんね。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

③ マザリーズ

乳幼児に話しかけるとき、私たち大人は、意識するしないにかかわらず、声が高くなり、抑揚をつけた、ゆったりとした独特の韻律で話します。

このような、私たちが意識するしないにかかわらず、自然と口を突いて出る乳幼児向けの話し方を「マザリーズ」と呼びます。

ほぼすべての言語圏や文化圏で耳にすることができ、老若男女を問わずマザリーズを使うことから、ヒト共通のメカニズムがあると考えられています。

乳幼児もマザリーズを好んで聞くので、マザリーズによる言葉の獲得や情動の発達への影響に注目した研究が続けられています。

赤子に対して「この子は何を訴えているのだろう」と考え、いろいろ試行錯誤をして赤子の訴えに応えようとしますが、このような乳児の世話を「マザリング」といいます。

このマザリングでもたらされると考えられているのは以下の3つです。

  1. 能動的な力の感覚:泣くたびに養育者によって不快が取り除かれる。この体験の積み重ねによって、不快に強いられて反射的・生理的に泣くという受け身の反応だった啼泣が、不快を取り除くための啼泣、養育者への能動的な働きかけの色を帯びる。これは、能動性の芽生えであり、能動的な力の感覚、私たちが普段使う言葉で言えば「自信」の萌芽となる。
  2. 護られている感覚:泣けば不快が取り除かれる、泣けば護られる体験の繰り返しから、周りから護られていて、世界への「安心」の感覚が身体レベルで根付く。エリクソンの「基本的信頼」と呼んだものに該当すると思われる。人間がいろいろな困難はあっても、周りの世界や自分自身を何とか信じて生き抜いていける最初の土台となる。
  3. 身体感覚の分化:身体的な世話を通して、身体感覚の分化が進んでくる。

このように見てみると、マザリーズはマザリングの一部なのではないかとも思います。

マザリーズは特に声掛けに関しての概念と言えそうですね。

こうしたマザリーズの説明は、本事例の状況を指し示しているとは言えませんね。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

④ ミラーリング

「ミラーリング」という概念は2つの領域で使われます。

1つはWinncottの「ミラーリング」概念で、これは、多くの母親が日常的に行っている乳児に対する関わりについて説明したものであり、母親が共感的な調子合わせをする時に、幼児の表情・身体の姿勢・動き方・お喋り・他の音などを直感的にまねる行動のことを指します。

Sternは、直観的なまねに加え、養育者が乳児の行動に現れる情動を察し、情動状態を模倣する情動調律としての役割、すなわち乳児と同じ知覚様式内での働きかけとしての乳児への模倣や焦点付け行動と定義しています。

おそらく、本問の方向性を考えると、おそらく本選択肢の「ミラーリング」はこちらの概念のことを指していると思われます。

もう1つはKohutが示した、三つの自己対象概念のひとつである「鏡自己対象」の機能を形容する用語としての「ミラーリング」です。

誇大な自己が出てきたとき、それに対して母親が共感とともにそれを映し返したり響き返したりできること、母親が肯定的な反応を返してあげることで、より現実的で成熟した向上心へと変化が起こるとコフートはしています。

これを「鏡自己-対象」関係と呼び、子どもの「なんでもできる自分」というような誇大な自己を受け入れ、それを褒めてくれる母親との関係を指します。

誇大な自己がしっかりと成熟すれば、これが「中核自己」における「野心の極」を形成するとされています。

こうした自己の認知や承認、誇大性・顕示性の受容や鏡映など、子どもの発達における養育者あるいは治療における治療者の態度として重要と考えられる自己支持的な態度を「ミラーリング」と表現します。

以上のように、ミラーリングには複数の概念がありますが、そのいずれもが本事例の状況を指し示しているとは言えませんね。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ アロマザリング

アロマザリング (allomothering)とは、母親以外(allo-)による養育行動(mothering)のことを指します。

具体的には、父親、祖父母、姉や兄などの身内から、ご近所、お母さん仲間、さらには保育園、幼稚園の子育ての専門家、ベビーシッターなどが子育てを分担することで、母親が子育てを一人で担うことの負荷を緩和し、育児を楽しめることに貢献すると考えられる。

人間以外の動物の養育行動に関しても使われる概念です。

この概念は、母親が孤立した子育てにならないように、多くの人が子育てに参与する大切さを表現するときに使われることが多いように感じます。

こうした社会が子どもを育てるという考え方は昔からありましたが、男女共同参画社会の発展をうけて、アロマザリングの効用が見直されています。

アロマザリングに関して、「子どもが複数の人と愛着を形成できるプラスの側面がある」という考えがあるようですが、私はこの意見に与することはできません。

伝統的な愛着理論が必ずしも正しいとは一概に言えませんが、実践で多くの人に育てられている人には出会いますが、どれほど一緒に過ごした時間が短くても「母親」は別次元の存在であることを感じます。

やはり元々「一心同体」であったということによる理屈を超えた感覚があるようで、どうしても父親ではないように思うのです(私も一人の父親ですから、悲しい話ですが)。

これは私の教え子の修士論文ですが、家の間取りの心理的影響を調べる研究で「これまで住んでいた家の間取りを描いてください」と教示しました(家の間取りの心理的影響は、主に少年司法の領域でかつて研究が見られましたね)。

対象が大学生だったので、複数の居住地があった人もいますが「思いついた間取りでお願いします」としました。

研究対象者の中に、母親と過ごした期間が人生で僅かしかないという人がいたのですが、この人たちは「母親と過ごした僅かな期間、住んでいた家の間取り」を描いたのです(その期間前後の居住地は異なるにも関わらず)。

痛ましいまでに、子どもにとって母親の影響というのは大きいのではないでしょうか(この論文、学会誌に投稿したらどこかが採択してくれると思うんですけどね)。

こうした経験や、私自身の臨床実践の体験を顧みても「多くの人が子育てに参与したから、子どもが複数の人と愛着を形成できる」と単純な認識は不可能です(そもそも、子どもの心理発達の経過を知っていれば、まずは特定の対象との関わりが重要なのは明白ではあるのですが)。

こうした愛着云々の考え方はともかくとして、母親が孤立して不穏状態になることは間違いなく良いこととは言えませんからアロマザリングは大切ですね。

ただし、Winnicottが「母親の原初的没頭(全身全霊を傾けて、生まれたての乳児の要望を感じ取り、それに対応しようとする心の状態)」と述べているように、こうした母子の一体となる時期が必要であることもまた事実ですから、何でもかんでも「他の人に助けてもらうことが良いのだ」と単純に考えない程度の複雑さを支援者は持ち合わせたいところです。

さて、事例の状況を見てみると「昼過ぎから深夜にかけて仕事に出ているBに代わり、祖父母や叔母がときどき農作業の手を休めて、Aの世話をしている。いとこたちが学校や幼稚園から帰宅すると、Aは年長のいとこに見守られ、ときには抱っこされながら、夕食までの時間を過ごしている」とあり、これはアロマザリングの状況であると言えますね。

以上より、選択肢⑤が適切と判断できます。

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