公認心理師 2021-36

Griceの会話の公理に関する問題です。

語用論に関連する理論ですから、きっちりブループリントの範疇の問題と言えますね。

問36 H.P.Griceの会話の公理〈maxims of conversation〉に該当しないものを1つ選べ。
① 根拠があることを話す。
② 場の雰囲気に配慮する。
③ 過不足なく情報を伝える。
④ その時の話題に関連したことを言う。
⑤ 曖昧な表現を避け、分かりやすく情報を伝える。

解答のポイント

Griceの会話の公理を把握している。

選択肢の解説

① 根拠があることを話す。
③ 過不足なく情報を伝える。
④ その時の話題に関連したことを言う。
⑤ 曖昧な表現を避け、分かりやすく情報を伝える。

哲学者であり言語学者でもあるポール・グライス(Paul Grice,1913-1988)は、自身の論文「論理と会話」の中で、「協調の原理(Cooperative Principle)」について述べました。

会話を協調的な行為とし、会話者が期待される原理を定式化することが出来るとして、会話の段階・目的・方向を踏まえ、主題に適った発言をするべきであるとしました。

これを「協調の原理」と呼び、この会話の原理を4つの公理(Maxim)に分類したのが、本問の主題となっている「会話の公理」になります。

なお、こちらは言語学の中でも、発話の意味を扱う「語用論」の分野で使われる言葉になりますね(しっかりとブループリントの範疇の問題ということになります)。

語用論については「言語に関する心理学:生成文法、認知的制約、記号論など」の中で軽く触れていますので、こちらをご参照ください

会話の公理(公準と表現することもある)は、提唱者グライスの名を取って、グライスの公理(公準)とも呼ばれています。

人の会話には、協調性の原理を基盤として、従うべき4つの公理(通常、皆が従う会話上のルールや原則)があるとしたもので、以下の通りになります。

  1. 量の公理:必要かつ過不足の無い情報量を与える。
  2. 質の公理:嘘を言わない。正しいと信じる情報を述べる。
  3. 関係性の公理:当面の話題に関連する発話をし、会話に一貫性を保つ。
  4. 様式の公理:曖昧ではなく、簡潔に、順序よく述べる。

この「協調の原理」の4つの公理の遵守は会話の基本と捉えられ、普段の会話では、何か・誰かについて配慮したり、口止めされていたり、意図的にこの原理が遵守されない場合があります。

また、話癖があったり、基準が違ったり、意図的でなくこの原理が遵守されない場合もあり、もしかしたら、この辺のしがらみの無さや会話の技術の卓越がカウンセラーに求められることであり、こうした会話の中で治療が進行するという面はあるのだろうと思います。

話し手の言葉がこの原理から離れる場合、聞き手に混乱を招くと考えられ、具体的にはこれらの公理に違反した会話に対して聞き手は話し手の「通常の会話とは異なる特別な意図」などを推定するようになると考えられています(あれってもしかしてこういう意味があったのかしら?みたいな感じですね)。

なお、こうしたグライスの公理に対する批判として、チョムスキーは、言語を何らかの目的を達成する為の手段と考える道具的分析は不適当なものと考えていました(彼は、言語は本質的に思考を表現するための体系であるという伝統的見解に同意していたので)。

チョムスキーに関しては、「公認心理師 2020-11」などに詳しく解説していますから、グライスとの理論的立場の違いにも意識しつつ読んでみてください。

さて、ついでなので各公理に関する連想を述べておきましょう。

まず「量の公理」ですが、かつてからカウンセリング領域においては「クライエントよりも話す量が少ない方が良い」とされていました。

事実、それが当てはまる状況は多いですし、それを支持する研究結果もかつてから示されてきていますね。

ただ、こちらについては私は以下の理由で判断保留にしてあります。

  • クライエントの状況によってかなり異なる:例えば、クライエントが示している問題が「自らの子どもの不登校」であれば、多少なりとも助言的になることが自然です。また、クライエントが思春期であれば、クライエントから話し出すのを待つというスタイルだと圧迫感を与えることも少なくありません。当然ながら、クライエントに合わせてカウンセラーの会話量も調整するべきと考えています。
  • カウンセラーが話さないことで中断になっているケースも多く見受けられる:これは実践でやっているとたくさん出会います。もちろん、中断になったからダメというわけではなく、クライエントによっては「まだカウンセリングの場に訪れる段階ではない」ということもあり得るでしょう。ですが、明らかに「これはきちんと情報を提供したり、カウンセラーとしての意見を伝えることで改善に導くことができたであろう事例」に対して、それがなされずにいるという状況も見受けられます。

「カウンセラーの発言が多くならない方が良い」というのは、ロジャーズ理論が日本に輸入される際の誤った認識であろうと私は考えています。

ただ、臨床実践全般の印象としては「クライエントの発言量と同量以上にはならない方が良い」というのは感じています(それ以上なら、ちょっとカウンセラーが喋りすぎですね)。

私はどちらかといえばお喋り好きなので、他のカウンセラーよりも話す量が多い方ですから、この点に関しては気を付ける必要があると常々思っています。

質の公理に関しては、嘘を言わないのは当然としても、正しいと信じる情報を述べるということが重要に感じます。

そして「正しいと信じていること」であると同時に、話し手が「これはどうしても伝えねばならない」という熱量をもって話しているとき、一種の迫力が出ますし、これは語りの真偽に関わらず、聞き手に「これは聞くに値する話だ」という感覚を抱かせることができます。

人間の心理に関する理論は、自然科学の領域から見れば「仮説」の域を出ないというのが私の意見ですから(要は、絶対的な正しさを持たせられないからこそ)、人間の心理の在り様について伝えるときには、「自分が正しいと思うこと」「そして、目の前のクライエントにこれはどうしても伝えておかねばならない」という熱量を以って伝えていく力が重要だと考えています。

もちろん、その伝えていた内容が後から修正されたならば、そのことを率直に伝え、時には謝罪することも大切でしょうね。

関係性の公理については、別の視点を私は持っています。

「当面の話題に関連する発話をし、会話に一貫性を保つ」とありますが、一貫性にさまざまあり、例えば、一見して地続きに見えない話題であっても、意識の水面下ではつながっているということがあり得るわけです。

具体的には、「カウンセラーがクライエントに自分の理屈を熱っぽく語った」という状況の後に、クライエントが「そういえば、むかし親から嫌いなものを無理やり口に押し込まれたんですよね」と話したとします。

言葉上のやり取りではつながっていないように見えても、クライエントの言葉の裏に「カウンセラーから嫌なもの(手前勝手な理屈)を押し付けられた(≒親から嫌いなものを押し込まれた)」という無意識でのつながりが認められる可能性がありますよね。

すなわち、カウンセラーにとって「会話の一貫性」とは、こうした意識下の動きも含めてを指すのであり、表面的な言葉のやり取りや一貫性のみを指すのではありません。

むかし、事例検討会である学生が、クライエントの話した内容に「〇〇について」などのようにラベリングを付けて発表していた時に、「言葉を表面的に捉えて「〇〇」という意味とラベリングしてしまうと、無意識にあるクライエントの言いたいことに気づけなくなる」とコメントしたことがありますが、そういうことですね。

様式の公理(曖昧ではなく、簡潔に、順序よく述べる)は、カウンセラーにとってはある程度求められる技術でしょう。

特にコンサルテーション場面では、こうした技術が欠かせませんね。

ただし、クライエントが語る言葉が「曖昧ではなく、簡潔に、順序よく述べる」ということが、一概に良いこととは限りません。

なぜなら、人が「心のままに語る」というのは、その心の在り様を反映することになるので、葛藤や矛盾があり、ごちゃごちゃした感じになります。

ただ、クライエントが「心のままに語る」ことをしていれば、そうした「曖昧ではなく、簡潔に、順序よく述べる」ということができていない言説であろうとも、「気持ちは伝わる」「言いたいことは何となくわかる」という感じをこちらに与えるものです。

カウンセラーも、例えば、クライエントが自死を選ぶか否かの瀬戸際のやり取りを迫られたとき、カウンセラーは冷静ではいられず、進退窮まった状態の中で、筋道を立てられず、何かしらを訴えることになるでしょう。

こういう時の言葉は決まって「曖昧ではなく、簡潔に、順序よく述べる」とはいかないものですね。

さて、上記の通り、選択肢①(根拠があることを話す)は質の公理、選択肢③(過不足なく情報を伝える)は量の公理、選択肢④(その時の話題に関連したことを言う)は関係性の公理、選択肢⑤(曖昧な表現を避け、分かりやすく情報を伝える)は様式の公理となります。

以上より、選択肢①、選択肢③、選択肢④および選択肢⑤は、Griceの会話の公理に該当しますから、除外することになります。

② 場の雰囲気に配慮する。

上記の通り、こちらはGriceの会話の公理に含まれていないことがわかりますね。

一方で、こちらが何かしらの理論の切れ端である可能性も考えられるのですが、そちらについては見つけることができていません。

ただ単に、それっぽい選択肢を混ぜ込んだだけの可能性もあるので、現時点では何とも言えませんね。

よって、本選択肢はGriceの会話の公理に該当しませんので、こちらを選択することになります。

さて、本選択肢の内容は、おそらく多くの人が大切だと考えていることだろうと思いますが、私はその意見には与しません。

それは、私がコミュニケーション力(いわゆるコミュ力ですね)を以下のように考えているからです。

真に社会で役立つ「コミュ力」とは、私は「自分とは意見が異なる人とも一緒にいられる力」だと考えています。

自分の思いが通らないときに、相手を切り捨てたり非難したり無かったことにしてしまうのではなく、折り合いをつけてやり取りを維持していくことが社会で生き抜くために必要な「コミュ力」だと思うのです。

ちなみに「折り合いをつける」ときには、互いに譲り合うということですから、互いにちょっとイヤな気持ちになるのが自然です。

ですから、本当に「コミュ力」がある人は、こうしたイヤな気持ちを上手に自分の内に抱えておく力がある人とも言えそうですし、折り合いがつくまでの間、どっちつかずの状態に耐えるだけの心の肺活量がある人とも言えるでしょう。

このように考えると、例えば、ひきこもりの人やゲーム依存の人が、多くの人と通信しながらゲーム対戦している状況が、実は「コミュニケーションになっていない」ことがわかります。

なぜなら、彼らはあくまでも「ゲーム」という共通のツールという土台の上でやり取りをしているわけであり、これは先の「共通点が無くてもやり取りできる」という考えの逆になりますよね。

もちろん、深く関わっていけば互いの異同点について気づいていくものですが、多くの場合はそこまでたどり着くこともないように見受けられます。

こうしたコミュ力の見解に対して、本選択肢の「場の雰囲気に配慮する」というのは、その場の空気を読んだ上で、それに合わせるというニュアンスを含んでいますね。

それは時には迎合という状況を生みますし、「その場」がもしも大きな過ちを犯していたならば(例えば、いじめの場であるなど)、取り返しのつかない事態にもなりかねません。

むしろ、こうした場でこそ「自分とは違う考えを抱く人たち」に対して、「自分の考え」を伝えていける人こそ、本当の意味でコミュニケーションの力がある人だと思うのです(背景に胆力も必要ですね)。

ただし、最近の社会では「迎合」する人の方が圧倒的に昇進しやすい傾向にありますから、その辺あしからず。

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