公認心理師 2023-53

人間性アプローチに関係が深い人物を選択する問題です。

心理学史に登場する重要人物について、概要を理解しておくことが求められています。

問53 人間性アプローチに関係が深い人物として、正しいものを2つ選べ。
① A.H.Maslow
② A.T.Beck
③ C.R.Rogers
④ H.Kohut
⑤ J.Wolpe

解答のポイント

各心理療法学派の代表的な人物を把握している。

選択肢の解説

① A. H. Maslow
③ C. R. Rogers

まず本問の前提である「人間性心理学」とは、主体性・創造性・自己実現といった人間の肯定的側面を強調した心理学の潮流であり、ヒューマニスティック心理学とも呼ばれます。

提唱者であるマズローは、精神分析を第一勢力、行動主義を第二勢力、人間性心理学を第三勢力と位置づけました。

代表的な人間性心理学者には、前述のマズローの他、カール・ロジャーズ、ゲシュタルト療法家のフレデリック・パールズなどがおり、また、ロロ・メイや個人心理学の創始者アルフレッド・アドラーをこれに加える向きもあります。

本問の解説では、各人の略歴を述べることで解説としていきます(それぞれの打ち出した理論や技法の解説は別の過去問を参照にしてください)。

マズローはニューヨークに生まれ、ウィスコンシン大学のハーロウのもとでアカゲザルの研究を行い、1930年に卒業し、1931年に同大学で修士号、1934年に同じく博士号を取得しています。

コロンビア大学のソーンダイクのもとで助手を務めた後に、ブルックリン大学講師、助教授に着任、ブランダイス大学教授、アメリカ心理学会会長を歴任しました。

フロム、コフカ、ウェルトハイマー、アドラー、ミードなどニューヨークを拠点とする研究者との交流に刺激され、研究対象は動物の欲求から人間の欲求、人間の健康的な側面への変化しました。

人間の欲求は、①生理的欲求、②安全欲求、③所属と愛情欲求、④自尊欲求、⑤自己実現欲求より成るとし、欠乏により生じる低次の欲求が満たされ、はじめて最終段階である自己実現の欲求が生じるという欲求階層説を提唱したことで知られます。

人間を健康で肯定的な感情と動機を持つ存在として捉え、行動主義とも精神分析とも異なる第三勢力としての「人間性心理学」を提唱し(主著に「人間性の心理学」があります)、ロジャーズと共に主導しました。

行動主義では、人間は外的刺激などの環境要因の影響を受けるものという比較的シンプルな図式で捉えており、精神分析では、人間は無意識に支配されているといった面を強調していました。

こうしたアプローチの研究により、刺激に対する人間の反応のあり方や、精神疾患・異常心理などについての理解は深まりましたが、人間がより健康に生き、成長していくためには何が必要なのかといったことを探求していくにはこれらは不十分でした。

そこでマズローは人間性心理学を提唱し、自らこれを第三勢力の心理学と呼んだわけです。

続いてロジャーズですが、精神分析の指示的療法を批判して、個人の内面や自発性が促進される非指示的療法、後の人間中心療法を創始し、個人の自由な選択と決定、また成熟への可能性を最大に発揮しつつ生きる自己実現を提唱しました。

先述のマズローの提案によって、1958年に二つの会合がデトロイトで開催され、集まったのはヒューマニスティックな観点をめざす専門家の学会創設に関心をもつ心理学者たちで、自己概念、自己実現、創造性、人間の生成、個性などで、その結果は一つの連動:第3の勢力である人間性心理学となったわけです。

1964年には、最初の招待者を含む拡大会議が催され、その中には、オルポート、ブーゲンタル、ビューラー、マレイ、ロジャーズ、マズロー、ムスタカス、メイらがおり、彼らはその後何十年もの間、この運動の推進に多大の貢献を重ねた指導者であり続けました。

以上より、選択肢①および選択肢③は正しいと判断できます。

② A. T. Beck

ロードアイランド州生まれの精神科医です。

ベックは最初は神経学を専攻していましたが、レジデントとして精神科臨床に携わるうちに精神分析に傾倒していきました。

エリスの論理療法にも影響を受け、さらに臨床知見を積み重ねていき、ベックは多くのうつ病患者を診ていく中で、うつ病患者には特有の認知のあり方があることに気づきました。

うつ病のクライエントは、非適応的なものの見方や考え方をしがちであり、認知の歪みが見られることが多いのですが、クライエント自身はそうした認知が非適応的であるとは気づいていないことも多いものです。

ベックは、こうした認知の歪みを修正していくことが精神疾患の治療につながると考え、認知療法を提唱しました。

ベックは結果的に精神分析から離れましたが、精神分析を必ずしも否定しているわけではなく、認知療法は精神分析の発展形と考えていたようです。

ベック抑うつ性尺度にもその名が残っています。

主著は「認知療法」や「うつ病の認知療法」などであり、1994年に設立されたNPOのベック認知行動療法研究所の名誉会長でもあります。

以上より、選択肢②は誤りと判断できます。

④ H. Kohut

ハインツ・コフートは1913年にウィーンで生まれました。

彼は伝統的教育の最善のものを受けて、1948年にはシカゴ精神分析研究所を卒業し、すぐに研究所の教育スタッフに加わり、トレーニング・アナリストを務めました。

やがて彼の指導性が学会の注目されるところとなり、合衆国精神分析協会の会長を務め、その後、国際精神分析協会の副会長を務めています。

彼は修正、シカゴ精神分析研究所に留まり、臨床・教育の指導を続けました。

1972年より、シンシナティ大学の客員教授(精神分析学)を務め、1973年に名誉理学博士号を授与されています。

彼は当初、正統精神分析を徹底する態度であったし、アンナ・フロイト、ハインツ・ハルトマンらをはじめとする精神分析学派の重鎮たちの評価も非常に高いものでした。

しかし、コフートが独自の思想を築き始めるに従って、彼の発想の展開についてゆけないものが多く現れ、反対や批判が強くなっていきました。

その一方で、彼の思想は着実に受け容れられ、コフート学派を形成し、自らの学会と独自の業績を積み上げ、今日にいたっています。

彼の理論は膨大なので多くは述べませんが、自己愛の病理的な側面ばかりではなく、健全な側面についての研究を展開する中で、人間の自己が誕生直後から双極構造(誇大的自己-理想化された親のイマーゴ)にあることを明らかにしました。

そして各々の極に対して、それぞれ「鏡映自己対象」と「理想化された自己対象」が対応して、その間の健全なやり取りの中で、安定した自己が成長するとともに、健全な自己愛が育まれ、自尊心や共感、熱意、創造性が成長していくとしました。

このように、コフートは当初は精神分析学に依拠しており、その後は独自の自己心理学という学派を展開していった人物となります。

以上より、選択肢④は誤りと判断できます。

⑤ J. Wolpe

ジョセフ・ウォルピは、南アフリカ連邦のヨハネスブルグに生まれた精神科医です。

第二次世界大戦の最中の1944年、ウォルピは軍医としてイギリス軍に従軍したが、ウォルピはその戦場で残酷な戦いや砲撃のショック、死の恐怖、殺傷の罪悪感で「神経症症状(麻痺・けいれん・激しい恐怖・大量発汗・睡眠障害・心因性の失語や失明)」を発症した兵士たちを多く見ることになる。

これらの戦争のトラウマによって発症する神経症を当時は「戦争神経症」と呼び、ウォルピは戦争神経症の診察と治療を経験する中で、フロイトの精神分析の効果に疑問を持つようになり、より確固とした効果と理論を持つ心理療法を追い求めることになります。

その結果、1960年代に兵士の戦争神経症を治療する方法を探しながら、パヴロフやハルの影響下で動物の実験神経症を治すことに成功しました。

やがて行動療法の代表的技法である系統的脱感作法を解発した行動療法のパイオニアであり、主著として「逆制止による心理療法」や「行動療法の実際」があります。

以上より、選択肢⑤は誤りと判断できます。

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