公認心理師 2023-67

事例の状況を説明する概念を選択する問題です。

ヤングケアラーとか貧困とかの社会問題と絡みながら起こってくるテーマという気がしますね。

問67 14歳の女子A、中学2年生。学校生活全般において無気力が目立ち、学業不振が継続している。担任教師Bが進路についてAに尋ねても、「よく分からない」と答える。Aの様子を心配したBが個別面談の時間を設定してAの話を聞いてみたところ、「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」、「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」と話した。
 AやAを取り巻く状況の説明として、最も適切なものを1つ選べ。
① 社会的孤立
② 相対的剥奪
③ 複雑性悲嘆
④ 社会的スティグマ
⑤ リアリティ・ショック

解答のポイント

選択肢の各概念を把握している。

選択肢の解説

② 相対的剥奪

本問で求められているのは「AやAを取り巻く状況の説明」になりますから、Aの語っている「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」、「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」という家庭状況や、その状況を受けての「学校生活全般において無気力が目立ち、学業不振が継続している」という在り様を説明する概念を選択することになります。

本選択肢の相対的剥奪とは「現在の状態と期待している状態の間のギャップ」のことを指します。

1982年にフランスの社会学者レイモン・ブードンが定式化したモデルです。

社会的機会がより平等になり、個々人の自己投資(典型的には教育投資)が社会的チャンスを増すという状態が生まれると、自己投資をする人の割合の伸びが、実際にチャンスを生かせる人の割合の伸びより上回ることが多く、その結果自己投資をしたにもかかわらず、投資を生かせない人々が多数生まれるため、社会的不満度の高い人々が増えるとされています。

要するに、成功した人、うまくいく人が増えてくると、「自分もそうなれるだろう」と思ったり動き出す人が増えるけど、その増加率に比べて実際に成功する人が増えるわけではないので、「周囲が持っていて、自分が持っていない」という形になりやすく、不満が起こりやすいわけですね。

また、ランシマンによる相対的剥奪の定義として、次の条件を満たすときに、ある人は対象Xに関して相対的に剥奪されていると捉えるとしています。

  1. その人はXを持っていない。
  2. その人は(過去の自分自身を含む)、他者が X を持っていると見なしている(実際には持っていないこともありうる)。
  3. その人はXを欲している。
  4. その人はXを持つことが可能だと思っている(対象となるX(地位や財)の所有が可能であると思っていなければ剥奪は生じない)。

なお、この自分と比較する他人を準拠集団と言います。

ランシマンは、この相対的剥奪については4類型挙げております。

この類型は、ランシマンが2つの軸を立てて考察しているところから自動的に導かれ、1つの軸は、行為者が所属している集団が全体社会のなかで占める位置に由来します。

彼の主要関心は社会階級にあるが、行為者Aの所属階級が全体社会のなかで「満足できる」ものかどうか、という軸です。

もう1つの軸は、Aの所属階級のなかでAが占める位置に関連しており、Aの集団内位置が「満足できる」ものかどうか、という軸になります。

満足不満足
 所属集団が社会全体に占める位置:
 大きい
タイプA:正統保守タイプC:集団連帯
 所属集団が社会全体に占める位置:
 小さい
タイプB:渇望奮闘、利己主義タイプD:不機嫌なる党

タイプAは、個人的には現行社会構造にも文句はないし自分の集団(=階級)内地位にも満足しているが、(恐らくは社会的正義感から)社会構造は変革したいと思っている「正統派」の場合であり、事実上、いずれの軸に関しても「満足している」のに、「相対的剥奪」を経験している「正統保守派」です。

タイプBは、所属集団には満足しているが集団内の位置には失望しています(そのために、あくせくとしている「渇望奮闘派」)。

後にランシマンはタイプBを「利己主義者:egoist」と命名しています。

タイプCは、労働者階級のなかのある種の人々に見られるように、所属階級には忠誠的だが階級としては相対的に剥奪されている「集団的連帯派」です(後にランシマンはタイプCを「友愛主義者:fraternalist」と命名している)。

タイプDは、所属集団の位置にも不満だし集団内位置にも不満を抱いている「不機嫌なる党派」になります。

ただ、この4類型論と先に見た定義との内的論理的関連性となると一向に明確ではないという批判もあります。

さて、こうした相対的剥奪の定式を事例に当てはめて考えてみましょう。

  1. Aは生活保護家庭であり、経済的な余裕を持っていない。
  2. Aは、同級生らが経済的な余裕を持っていると見なしている(だから塾にも行けるし、希望する進路に進むこともできる)。
  3. Aは同級生らと同じような経済的余裕を欲している。
  4. Aは経済的余裕を持つことが可能だと思っている(多くの人が得られている経済的余裕だからこそ、自分にそれが与えられるべきだと考えている)。

1~3まではわかりやすいと思いますが、4が少しわかりにくいかもしれませんね。

ただ、Aが無気力でやる気が出ない様子なのも、背景に「本来ならば自分も持ち得るはずのものが、持ち得ていない」ということがあるからであると考えられます。

同級生らが持っているものについて、Aが「これは自分はもともと持ち得ないものだ」と考えていれば、周囲との差を話題にした「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」という表現になることはあり得ません。

ですから、上記の4についてもAに当てはまると見て問題ないでしょう。

このように、Aが渇望しており、そして、それは本来自分が持ち得るものであると考えている、経済的余裕やそれに伴う将来への選択肢、塾などの教育機会などが得ることができておらず、それによって無気力な状態に陥っていると考えることができ、これを相対的剥奪という概念の文脈で説明することは可能です。

以上より、選択肢②が適切と判断できます。

① 社会的孤立

社会的孤立とは、人間が社会的に孤立するということであり、客観的に見て、その社会の中で居場所、社会的な安定性を持たない社会的集団について言われます。

たとえば、若者、寡婦、高齢者、独居生活者、学生、婚外子、マイノリティに属する外国人、失業者、リストラ退職者、AIDS、ハンセン病など社会の中で脇に追いやられがちな疾患を抱えている人たち、被差別集団に属する人たちなどですね。

また、内閣府のこちらのページの中では、社会的孤立を「家族や地域社会との交流が、客観的にみて著しく乏しい状態」と定義していますね。

Aの状態は、学校生活全般に無気力が目立ってはいるものの、学校に通えていることなどを踏まえれば「社会的孤立」とされるような状態ではないことがわかります。

「社会的孤立」という表現は、客観的に見たその人の状態を指している面が大きく、Aの内的な状態(他者が享受している様々なものを、自身が享受できていないことで無気力などの状態になっている)を表すものではないと考えるのが妥当ですね。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

③ 複雑性悲嘆

通常、死別の直後に感じるような激しい喪失体験が、一周忌を超えて遷延している場合、「病的な悲嘆」もしくは「複雑性悲嘆」とよばれ、心理学的・精神医学的援助の対象とするのが一般的で、様々な要因から喪のプロセスの営みに失敗した時、この状態に陥るとされています。

関連する要因としては以下のものが挙げられます(ウォーデン、2008)。

  • 亡くなったのは誰か:続柄、年齢など。
  • 愛着の性質:強さ、安定性、アンビバレンス、軋轢・葛藤、依存的関係。
  • どのように亡くなったか:場所と距離、予期の有無、暴力、防ぐことができた場合、不確実な死
  • パーソナリティに関する変数:年齢と性別、コーピングスタイル、愛着スタイル、認知スタイル、自我の強さ
  • 社会的変数:情緒的、社会的サポートの利用可能性、サポートへの満足、社会的役割への関与、宗教的資源など。
  • 連鎖的ストレス

こうした病的悲嘆・複雑性悲嘆に対してできることとしては、早期発見し予防につなげることが挙げられます。

Aの状態は喪失を発端とした複雑性悲嘆と見なすには、それに該当するような事例状況が見当たりませんね。

また、Aの学校生活全般においての無気力は、多くの人が享受しているものを享受できないでいることへの反応と見る方が妥当であり、複雑性悲嘆と見なすには状況的に無理がありますね。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

④ 社会的スティグマ

スティグマとは「ある特性が恥ずべき特性だということをもとに、個人が社会の一員として受けるべき尊敬が否定され、その社会から受け入れられない状態」のことを指し、Public stigma(社会的スティグマ)とSelf stigma(自己(セルフ)スティグマ)に分類できます。

このうちセルフスティグマとは、例えば、精神疾患を持つ人が、他の人から差別・偏⾒を受けていると感じたり経験したりすることで、差別を受ける予測が立ち、それが内在化されてしまったものを指します(差別体験→病気だから周りから避けられる、と思う→外出しない)。

差別されるのではないかという不安や恐れとしてスティグマは内面化され、セルフスティグマになっていくというわけですね。

セルフスティグマは、自尊感情、治療道守、回復、QOLなどに影響を及ぼしていると指摘されています。

こうしたセルフスティグマを軽減していくことが、本人の心理的健康や社会参加にとって重要になります。

スティグマを軽減していこうとする活動をアンチスティグマ活動と言いますが、その中でも特に、当事者自身やその家族が体験を語ることは周囲のスティグマやセルフスティグマ解消に効果があることが明らかにされています。

社会的スティグマとは、一般と異なるとされることから差別や偏見の対象として使われる属性、及びにそれに伴う負のイメージのことを指します。

社会的スティグマは特定の文化、人種、ジェンダー、知能、健康、障害、社会階級、また生活様式などと関連することが多いです。

この「社会的スティグマ」は、社会参加を困難にするばかりでなく、当事者及び当事者家族に「セルフスティグマ」を生じさせ、発病後あるいは再発後の精神科受診を遅らせ症状を悪化させる原因になります。

従って、社会的スティグマ及びセルフスティグマの両者を低減することができれば、受診行動なども容易になり、その結果医療による治療効果もさらにあがることが期待できます。

これらを踏まえて本事例を見てみると、Aの状態は社会の中にある「困窮家庭で育った子どもは、良い将来を得られない」という社会的スティグマを内在化している可能性(セルフスティグマ)というのは否定することはできません。

だからこそ、無気力になり、やる気が出ない心境になっているという捉え方もできますね。

しかしながら、そうなると「他の家との比較」というところを掬い上げることができないままになってしまいます。

Aの「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」という言葉に現れている、自分の状況と他者の状況を比較して述べているという在り様も含めて説明する概念として「社会的スティグマ」は合致しないと言えるでしょう。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ リアリティ・ショック

「リアリティショック(reality shock)」とは、その名の通り「現実に直面した際のショック」を意味しており、とくに新しい環境に身を置いた際に「実際の状況が思い描いていたものと違った」と感じた際のギャップに思い悩むことを指す言葉です。

アメリカの組織心理学者ヒューズによって提唱されています。

リアリティ・ショックは、組織行動論の研究領域の組織社会化論で取り上げられる現象ですが、組織社会化とは「新しいメンバーが、その組織あるいはグループの価値システムや規範、要求されている行動パターンを学び、適合していくプロセス」を指し、そこで取り上げられる初期適応課題がリアリティ・ショックだとされています。

リアリティ・ショックは「高い期待と実際の職務での失望させるような経験との衝突」とされ、未使用の潜在能力症候群を引き起こすと指摘されています。

そして、リアリティ・ショックによって引き起こされた未使用の潜在能力症候群は、新人の自己イメージや態度、大望やモチベーションの全てをネガティブな方向に大きく変化させてしてしまうとされています。

また、リアリティ・ショックはキャリア形成における発達課題の一つとされ、これが解決されない場合、①可能性の高い新人の辞職、②モチベーションの喪失と自己満足の学習、③キャリア初期に能力の不足している部分を発見し損なう、④キャリア後期に必要な価値観や態度と異なる価値観と態度の学習などといった否定的結果を招くことになると指摘されています。

こうしたリアリティ・ショックを生じさせる前提条件としては、以下のようなものが指摘されています。

  • 期待:期待が大きいか小さいかによって、出会う現実に対してショックを受けるかどうかが左右される。期待にも楽観的な期待以外に、厳しさへの期待という性質の期待もリアリティ・ショックを引き起こす要因となっている。
  • 過信:リアリティ・ショックの内容に関して自己に対する期待、自己に関するリアリティ・ショックなどが挙げられている。この自己に関する期待は、いわゆる、自分自身の能力や適性に対する過信があり、自己に関するリアリティ・ショックは、その過信が打ち砕かれた際に生じるものであると考えられる。
  • 覚悟:厳しい現実が待っていると覚悟していた個人が、予想以上の厳しい現実に遭遇した場合、あるいは、予想していた過酷な現実ではなく、拍子抜けするような現実に遭遇した場合にリアリティ・ショックを生じさせる要因となる。

このような様々な要因が絡み合ってリアリティ・ショックを生み出していると考えられています。

さて、ここでAの状況を見ていると、Aは新しい状況に身を置いたわけではありませんし、期待から外れるような現実に直面したという状況でもありません。

ずっと存在していた自身の状況に対して、周囲との差や、自身が持ち得ないことによって無力感などを生じさせていると見るのが適切でしょう。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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