臨床心理士 心理学史:H5-2

今回は心理学史に関する問題です。
ヴントの主張と、それ以降に生まれた精神分析学、ゲシュタルト心理学、行動主義の主張には違いがあります。
それについて問う内容となっています。
本問は公認心理師で出題された内容と非常にマッチしていると思います。

関連する公認心理師過去問は以下の通りです。
公認心理師 2018-79
公認心理師 2018追加-5
公認心理師 2019-3

さて問題は上記の通り、ヴントの要素主義と精神分析学、ゲシュタルト心理学、行動主義の主張の違いを問うものです。
実は解く上でのポイントはここにあります。
「ヴントの要素主義と精神分析学、ゲシュタルト心理学、行動主義の主張の違い」として適切なものを選択する必要があります。
つまり「精神分析学を表す言葉として適切でも、ヴントの要素主義との違いを示す者でなければ除外する」ということになります。
この点に注意しながら問題を解いていきましょう。

精神分析学

ここで設けられている選択肢は「欲動論」「無意識の重視」「分析法」になります。
まず「欲動論」ですが、フロイトは欲動を「身体内部に由来し精神のなかに到達する刺激の心的な表象」と述べています。
フロイトは欲動を「心的なものと身体的なものとの境界概念」と考え、心理学的な意識的体験としての「欲求need」や「欲望desire」と比較して生物学的な基盤を考慮した概念として用いる一方、「本能」よりは心理的な概念として用いています。
欲動は、自己保存欲動と性欲動(のちに生の欲動と死の欲動)とに二分されています。

欲動論は精神分析学の主要な概念ではありますが、これがヴントの要素主義との違いとして取り上げられることはありません。
欲動論の展開は、その前に「無意識の重視」という視点があってこそ成り立つものです。
要素主義が「意識を重視」したのに対して、フロイトは人間を動かしているのは意識的な何かではなく、無意識によるものと考え精神分析学を展開していきました。
その中で「欲動」という「人間を常に行動へと向ける無意識の衝動」を規定したわけです。

こうした無意識を理解するため、フロイトが重視したのが「夢」や「失錯行為」とされています。
また、「自由連想法」という方法を初期から重視していますね。
「内観」を用いる要素主義との大きな違いと言えるでしょう。
しかし、これらも「無意識の重視」という根本的な差異の上に展開されたものですから、ヴントの主張との違いとして挙げるのは適切ではありませんね。

以上より、適切なのは「無意識の重視」となります。

ゲシュタルト心理学

こちらで挙げられているのは「知覚の重視」「全体観」「現象学的方法」です。
北アメリカで行動主義が盛んになったころ、ドイツではヴェルトハイマーやケーラーらが心理現象の全体性を重視し、心を構成要素の集合と考えるヴントの構成主義を批判しました。

その根拠としてよく示されるのが「仮現運動」です。
これは2点がある一定のタイミングで継時点滅することで、2点が動いたように見える現象を指します。
要素主義の考え方からすると、人間にはこれらが単なる2点の点滅にしか見えないはずであり(要素主義では人間を部分の集合体と考えるから)、「動いて見える」と感じるのは(つまり、実際に生じてないことを感じるということは)部分を超えた全体性の存在を示しているとしました。

このようにゲシュタルト心理学では「知覚の重視」し、そこから人間の全体性を主張していると言えます。
しかし、ゲシュタルト心理学の主張の核は「人間の全体性」すなわち「全体観」にあり、知覚にまつわる種々の現象についてはその傍証として示されています。

ゲシュタルト心理学では、全体は部分より大きいことを強調し、いかなるものであれ、全体の属性は部分の個別的な分析から導き出すことはできないと考えます。
そのためゲシュタルト心理学では、連合心理学と、経験をばらばらの要素に分解する要素主義の断片的な分析手法に対する反発があり、ゲシュタルト心理学の研究は現象学的な手法を用いることになります。
現象学的方法は、直接的な心理経験をありのままに描写するというものであり、例えば、統合失調症の妄想の研究などでも活用されていました。

以上より、ここで挙げられている「知覚の重視」「全体観」「現象学的方法」は、すべてゲシュタルト心理学の中核的な概念と言えます。
しかし、あくまでも「ヴントの要素主義とゲシュタルト心理学の主張の違い」に焦点を当てて考えるならば「全体観」がそれになると言えるでしょう。

行動主義

ここで挙げられているのは「環境主義」「内観法の否定」「動物実験」です。
行動主義の提唱者ワトソンは心理学を自然科学の一分野と位置づけ、行動を通じて人の心理を解明しようとしました。
要素主義の考え方とは異なり、意識といった仮定に基づく概念は研究の対象としないというのがワトソンの考えです。

ヴントが対象とした「意識」は外部から観察できない主観的な現象です。
ワトソンはその点を批判し、心理学が科学になるためには外部から客観的に観察できる「行動」を研究対象とするべきと主張しました。
この考え方が行動主義の中心にあり、その後、スキナーやハルらに受け継がれていきました。
ここに行動主義と要素主義の決定的な違いがあると言って良いでしょう。

続いて「動物実験」の項目について考えてみましょう。
ワトソンは、1903年にシカゴ大学で「動物の訓練」という博士論文で心理学の博士号を取得します。
その後も機能心理学のエンジェルのもとで学びながら、自分が設立した動物心理学実験室で行動生物学の研究を行い、1908年からジョンズ・ホプキンズ大学で実験心理学・比較心理学の助教授となります。
行動主義を唱える前から「動物実験」に携わっていたことがわかりますね。

また、ワトソンは心理学の目的は行動の法則を定式化し、行動を予測し、それをコントロールすることであると論じ、行動の単位は刺激―反応の結合からなるとしました。
この考えは、イワン・パブロフの条件反射説にワトソンが影響を受けたためとされています。
パブロフの研究は動物(イヌ)の条件反射研究ですから、この辺が「動物実験」という用語が設定された所以かもしれません。

また、ワトソンはアルバート坊やの実験で、恐怖反応の条件づけについて示し、本能と言われているものも後天的に身についたものだと考えました。
このように、ワトソンは人の行動は遺伝ではなく環境の影響を受けるという「環境主義」を強く唱えています。
「健康な1ダースの乳児と、育てる事のできる適切な環境さえととのえば、才能、好み、適正、先祖、民族など遺伝的といわれるものとは関係なしに、医者、芸術家から、どろぼう、乞食まで様々な人間に育て上げることができる」というのはワトソンの有名な言葉でありますが、その極端なまでの行動主義的主張から非難を受け、ある時大学に罷免されてしまいます。
その後は知人の紹介で企業に勤めて市場調査の仕事をしたり、営業やコピーライター業務などをしたりして、広告代理店の平社員から副社長にまでなりました。

以上より、「内観法の否定」が正解であることがわかりますね。
あくまでもヴントの主張との違いで言えば、科学的でないという視点から「内観法による意識を対象としたやり方」に対して批判したということです。

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