コンサルテーション

今回はコンサルテーションという大きな概念について解説していきます。
定義だけ示すのは簡単なのですが、それでは問題を解くには不十分です。
問題を適切に解いていくには、対人関係上のお作法としてのコンサルテーションを理解しておくことが大切です。

コンサルテーションとは、コミュニティ・アプローチの文脈の心理的支援であり、対人援助に携わる多職種(他職種?)に対して、臨床心理学の視点から提案や助言などを行うことを意味しています。
医療なら医師や看護師と、教育なら教員と、福祉なら施設職員と、と言った感じですね。
定義のみならこれで済みますが、それでは学びにならないですね。

ただ実践上、コンサルテーションという表現は、単に連携を指す言葉としても用いられることが多いです。
単なる情報共有とコンサルテーションの線引きって難しいですし、そこまで厳密に言い分けるような必要性もないだろうと思います。

ここではコミュニティ・アプローチにおけるコンサルテーションも、臨床実践における多様なコンサルテーションもがばっと括るようなイメージで説明していきます。
現時点で思いつくこと、あまり教科書等には載ってなさそうなこと、実践で活用できそうなことを中心に挙げていきます。
追加していくかもしれません。

過去問と関連があるコンサルテーションの要点

ここでは過去問を参照にしつつ、コンサルテーションにおいて大切なことを挙げていこうと思います。

公認心理師法におけるコンサルテーション

こちらについては公認心理師法第2条第3号に「心理に関する支援を要する者の関係者に対し、その相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うこと」とあります。
これがコンサルテーションのことを指していると言えるでしょう。
公認心理師2018追加-47などに、これを問う内容が出題されています。

また別に「連携等」という条項も設けていますね。
公認心理師法第42条です。
連携をせねばならない、そして医師の指示に従わねばならない、という内容です。

コンサルティの力を棄損しない

コミュニティ・アプローチにおいて、助言を行う側がコンサルタント、助言を受ける側がコンサルティと表現します。
臨床心理士試験では、よくSVと比較されながら語られることも多いです。

コミュニティ・アプローチにおけるコンサルテーションでは…

  1. コンサルタントとコンサルティは平等な関係(SVでは上下関係がある)。
  2. コンサルタントは助言の段階に留まり、その助言をどのように活用するかはコンサルティ次第となる。すなわち、事例の状態への管理的責任を負うのはあくまでもコンサルティとなる(SVではヴァイザーが負うこともある)。
  3. コンサルテーションの時間や回数は、一般にその度毎に頼まれてという形態が多く、何回か継続する場合もその期間が決まっているのが普通(SVはそこまで明確ではない)。

…などの特徴があります。
こちらはコンサルテーションの基本的理解ともなるので、しっかりと把握しておきましょう。

公認心理師2018-123は学校における教職員へのコンサルテーションに含まれるものを選択する問題ですが、それに該当しないのは「④困難な問題に直面している教職員に代わる保護者などとの面談の実施」になります。

解説では、その論拠となるものを引っ張ってきていますが、こちらはコンサルテーションという原理からも誤りになります。
もちろん「困難な問題に直面している教職員に代わる保護者などとの面談」は行われることがあるでしょうし、それ自体は保護者面接になるのでコンサルテーションの枠組みと異なると捉えるのが自然です。

しかし、それだけでなくコンサルテーションという営みは「コンサルティが自分で解決できるように助言し、導くこと」であるという前提を把握しておくことが大切になります。
この場合、教職員が自分で解決できるように助言することがコンサルテーションになるわけです。

実はこういう考え方をしづらい人たちが少なからず存在します。
自覚・無自覚に関わらず、自分の力を誇示したい、自分の専門性を強調したい、認めてもらいたいという感覚があると、「コンサルティが自分で解決できるように」という枠組みを頭ではわかっていても、まったく実態が伴わないということになりかねません。

コンサルティに代わって何かを行うというやり方は、かなり慎重に行う必要があります。
その状況に持っていくやり方が未熟であればあるほど、コンサルティは「自分がダメだからだ」という思いを強めてしまうかもしれません。
つまり、本来コンサルティの力を強化する営みであるコンサルテーションが、コンサルティの力を棄損してしまうということになりかねません。

コンサルテーションにおいて、コンサルタントに直接的な責任はありません。
しかし、コンサルタントは助言を任せられる立場であり、間接的とはいえクライエントに関わるわけですから、それに見合う成熟を備えていることが大切になりますね。

一次予防、二次予防、三次予防という概念

公衆衛生では、予防はその目的から第一次予防、第二次予防、第三次予防の3つのレベルに分けて考えられています。
この考えを精神医療の分野に取り入れたのがCaplan(1964)です。

第一次予防とはある一定の集団において、あらゆる種類の精神障害の発生を未然に防ぐこと、すなわち、その集団における精神障害の発生率を低下させることを言います。
この集団とは、地域社会全体のこともあるし、一定の年齢のすべての人々という場合もあるし、ある特定の精神障害に脆弱な集団でもあり得ます。
とにかく、それらの人々に対して障害が発生する以前に何らかの働きかけを行って、その発生を防ぐことが第一次予防です。

第二次予防の目的は、早期発見と早期治療によって精神障害の罹患期間を短縮し、慢性化を防ぐことです。
第二次予防プログラムの実施において重要なのは、明確な症状を呈していない人々や援助を求めない人々を如何にして早期に発見するかということです。
その方法は、その問題の質や集団によって異なってくるでしょう。

第三次予防は、長期の入院生活や精神障害自体によって、生活上何らかの不都合を感じている人を減らすこと、すなわち入院経験のある障害者や自宅療養中の障害者が地域社会の中で効果的に機能できるよう復帰させることを目的としています。
よって、その対象は障害に陥ってそのご回復したか現在回復しつつある人を対象にし、そういう対象にリハビリテーションを援助することが第三次予防にあたります。

公認心理師2018-98などでは、これを学校に応用した石隈先生の知見が出題されています。
基本は上記の内容で間違いないので、こちらを覚えておくことで、応用編が出ても対応しやすいかなと思います。

他機関の特性を把握していること

例えば、コンサルテーションの中で他機関をリファーすることが必要と判断されることもありますし、事例検討会の中で他機関と関わっていく上でも、各機関の特性を把握していることが求められます。
児童福祉法関連の機関は18歳未満だと受け付けてくれないことも多いなど、知っておかないとクライエントを遠回りさせてしまう結果にもなりかねません。

公認心理師2018追加-143はそういう力が求められている問題となっています。
特に福祉機関は多様なので、その専門とする問題も把握しておきたいところです。

甘い見立てをしない

公認心理師2018追加-65などがその例ですが、虐待事例へのコンサルテーションで「母親に連絡をとる」という選択肢が設けられています。
これは誤りになります。
なぜなら、DVや虐待という暴力の場では、非常に狭い対人関係(専門的に言えば、二者関係)の中で、狭い思考の中で判断することになりやすく、攻撃者に迎合するという心理等が働きやすくなるという事情があるためです。

コンサルテーションにおいて、こうした暴力が生じる場に関する共通見解を把握しておくことなどの諸々の心理現象の構造把握は前提とし、その上で「甘い見立てをしない」ということが大切です。
「甘い見立てをしない」とは、希望的観測で動くことをしないということです。
希望とリスクをバランスよく見る力、と言い換えても良いでしょう。

上記の虐待事例の場合、母親に連絡をとることで改善する例もあるでしょうが、悪化するリスクもはらんでいます。
リスクを重く見過ぎるのも問題でしょうが、リスクマネジメントが求められる世の中になっていますから、支援者を守る上でもリスクの把握は大切です。

時にはクライエントにとっても「甘い見立てをしない」ということが大切になります。
心理的問題の特性として「正確に問題を把握しないと改善しにくい」というものがあります。
例えば、本当はクライエントの内的な問題を、外的な要因に帰属している場合、どれほど対応しても良くならないのは当たり前のことと言えますね(そう単純化もできないという意見もあるでしょうが)。
こういう時に「様々な可能性をきちんと見ておきたい」「原因を特定することであなたの人生の重要な時間を浪費してしまう可能性を恐れている」と伝えて、クライエントが考えている以外の可能性を示唆しておくことも対応としてあり得るでしょう。
これも「甘い見立てをしない」ということだと思います(原因を特定するというのは、心理的負担が少なくなるという意味で楽な行為ですから)。

見立てを保留できる力を持つ

曖昧さに耐えることができる、と言い換えても良いでしょう。
公認心理師2018-69のように、その時点では特定の疾患や問題に帰することができない状態というものがあります。
情報不足だったり、複数の問題をまたいでいる現象も考えられます。

そんな時には「見立てを保留にできること」が大切です。
ただし、見立てを保留にしたとしても、複数の可能性は把握できているはずです。
となれば、対応はその複数の可能性を大きくカバーできるようなものが選択されることになりますね。

当然、複数の可能性をカバーするような対応は、たいていの場合、普遍的・一般的・没個性的なものになりがちですが、それ故に安全度は高くなるとも言えます。
そういう対応をとる中で、クライエントの問題が少しずつ細やかに見えてくれば、次なる対応をとりやすくなってくるはずですね。

その時点では見立てを限定できないはずなのに、何か特定の問題に集約させようとするのは、曖昧な状況に対する耐性の低さ、自他へのこけおどし、といったカウンセラーの心理的課題を背景にしていることが多いものです。
「見立てを保留にできる」というのは、臨床実践を行う上でかなり重要な力の一つであると認識しておきましょう。

ただし、「本来なら特定の問題に集約できるのに、それを見極める力が無い」ということもあり得ます。
そうならないように、日々の情報収集と経験の集積が大切になりますね。

コンサルテーション実践に関する私見

ここでは、私が個人的に行っていること、大切だと思うことを述べていきます。

機関間や職務間の情報の均質化

コンサルテーションによって情報を共有することの価値は、支援者間で情報の均質化を図ることにあると思っています。
これは機関をまたぐような場合では意識されることも多いでしょう。
しかし、本当に「情報の均質化」が求められるのは、機関内でのコンサルテーション場面だと思います。

例えば、学校における管理職-学年主任-担任-教育相談担当-養護教諭といったつながりがある中で、各人の情報の濃度がバラバラだと、事例の展開があった時に「聞いてないよ」ということが生じかねません。
これは上の立場からすればあまり面白くない状況ですし、ネガティブな展開だと「どうして報告しなかったんだ」ということにもなりかねません(管理職からすれば当然です。責任を取る立場なのですから)。

また、支援者といえど成熟した人ばかりではありません。
「自分に情報が伝わっていなかった」ということだけでへそを曲げ、支援への意欲を減退させるような人も残念ですが見受けられます。

カウンセラーが潤滑油に喩えられることがあるのは、こうした事態を事前に避けるように動く仕事だからです。
各レベルに事前に話を通しておき、事例の流れを細やかに報告し、考えられる可能性などを共有しておくことが大切です。

カウンセラーの仕事のうち、こういう影の作業が実は多くを占めるのです。
イチローには「ファインプレーにならないファインプレー」が沢山あります。
第一歩が他の選手よりも早いので、他の選手なら「ファインプレーでしか捕れないような打球」をファインプレーにすることなく捕ることができるのです。
カウンセラーの仕事も同じで、日々の細やかな仕事の繰り返しが、実はクライエントの大崩や組織の安定性を保っているのです。

こういうカウンセラーは目立つ仕事をしません。
中井久夫先生も順調な養生例においては、格段目ざましいことが起こっていないために「症例報告」が難しいという問題があると述べておられます(養生を念頭に置いた精神科治療より)。
その代わり、周囲から「この人がいるとなんか安心する」「なぜか職場が明るくなる」と評価されることが多くなります。
多職種からのこういう評価が、実は有能なカウンセラーの評価だと思います。

さて、これらを踏まえた上で、どういった具体的実践を行うかを考えてみましょう。
私は、学校であれば「管理職」「担任」「教育相談担当」という3者に対して、同様の内容を3回情報共有するようにしています。
そこを押さえておけば、かなり情報の均質化を図ることが可能です。

もちろん、学校によってキーパーソンとなる立場は変わってくるでしょうが管理職は欠かせません。
よく「忙しそうだから遠慮してしまって」という人がおりますが、「どんなに忙しくても、その合間を縫っても欲しい情報」が我々から供給されると考えた方がよいです。
管理職の先生方は現場で働いていたわけですから、情報共有およびその均質化の重要性を肌で感じておられます。

また医療や福祉などでは共有の対象は変わるでしょうが、組織として情報を伝えておくことが必要な人というのはわかると思います。
こうした情報共有を複数行うという姿勢は、一見して時間をかける行為に見えますが、これをしておくことで後々の不毛に消耗される時間が減るという効果があります。
また、複数回情報共有を行うことで、それまで見えていなかった可能性がカウンセラーの思考に芽生えることも期待できます。

守秘義務との関連

コンサルテーションではクライエントの情報を話すことになるでしょう。
法的にも、支援にあたる専門家間で情報をやり取りすることは問題ないとされていますが、それも線引きが実は難しいものです。
例えば、スクールカウンセリングで得たクライエントの話の内容を、教職員に許可なく話してよいかと問われればNoになります。

ですが、私個人としてはそれほどコンサルテーション場面で守秘義務を意識したことはありません。
それはクライエントの情報を話すことにためらいが無い、ということではないですよ。

コンサルテーション場面でクライエントについて語る場合、その語る内容は「クライエントが面接内で話したこと」ではなく「その話を受けてカウンセラーが考えている見立て」になりますね。
もちろん、この2つは繋がっていることもあるでしょう。
しかし、コンサルテーションで共有するのは面接で語られたことから出発するだけではありません。

それまでの事例に関する客観的事実群や、それぞれの場面におけるクライエントの振舞いといった面接外の情報からクライエントの見立てを構築することも可能です。
また面接の中の話でも「非専門家が見ても価値を感じなくても専門家が見たら重要な情報」というのもあります。
そういう情報は共有の許可を取りやすいという特徴があるので用いやすいです。

実はそういう「非専門家が見ても価値を感じなくても専門家が見たら重要な情報」が、クライエントを見立てていく上ではすこぶる重要なのです。
こうした非特異的な事柄から専門的知見をもって見立てを構築できることが、コンサルテーション実践において欠かせない力だと思います。

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