公認心理師 2022-92

Sullivanの関与しながらの観察に関する問題です。

バシッと「定義はこうです」と言えない概念ですから、解説がいつも難しいと感じますね。

問92 H. S. Sullivanの関与しながらの観察の説明として、最も適切なものを1つ選べ。
① 支援者と要支援者双方の相互作用の中で共有される治療構造のことである。
② 要支援者との関わりにおいて生じる、共感不全に注目した観察を基本とする。
③ 支援者は、要支援者との関係で生じる事態に巻き込まれざるを得ないという認識を前提とする。
④ 支援者が要支援者に対し、問題行動を修正する介入を行い、その効果を観察し分析することである。
⑤ 投影同一化によって要支援者から投げ込まれたものとして、支援者が自己の逆転移を観察することである。

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解答のポイント

サリヴァンの言う関与しながらの観察の記述を把握している。

選択肢の解説

① 支援者と要支援者双方の相互作用の中で共有される治療構造のことである。
② 要支援者との関わりにおいて生じる、共感不全に注目した観察を基本とする。
③ 支援者は、要支援者との関係で生じる事態に巻き込まれざるを得ないという認識を前提とする。

ここではサリヴァンの「精神医学的面接」から引用しつつ解説していくことにします。

「「精神医学とは科学的方法を適用する根拠を有する領域である」とみなされるようになって以来のことであるが、われわれは「精神医学のデータは関与的観察をとおしてのみ獲得できるものである」という結論に達した。…目下進行中の対人作戦に巻き込まれないわけには行かないのである。精神科医の主要観察用具はその「自己」である。その人格である。個人としての彼である。また、科学的検討に適合してデータとなりうるものは過程および過程の変化である。これらが生起するところは…観察者と被験者とのあいだに創造される場(situation)においてである」(p19)

「純粋に客観的データというものは精神医学にはない。さりとて主観的データとそのままで堂々と通用するものもない。素材を科学的に扱うためには力動態勢や過程や傾向性をベクトル的に加算して力積をつくらなければならない。力積の作成操作を推論という。推論があちこちに飛び、思いがけない形を見せるところに精神医学研究の困難もあり、実用に耐える精神医学的面接の難しさもある」(p19-20)

「精神科医は面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない。精神科医が面接への自らの関与に気づかずそれを意識しない程度がひどいほど、目の前で起こっていることに無知である度合いも大きくなる」(p41)

「“客観的”観察のようなものは存在しない。あるのは「関与的観察」だけであり、その場合はきみも関与の重要因子ではないか」(p141)

上記の内容から、選択肢③の「支援者は、要支援者との関係で生じる事態に巻き込まれざるを得ないという認識を前提とする」が正しい内容であることがわかると思います。

一方で、関与しながらの観察が治療構造のことを指しているわけではないことは、よくわかると思います(つまり、選択肢①は不適切)。

治療構造とは、心理療法の面接においてクライエントとセラピストの双方が、相互に受け入れる事を前提とした枠組みのことであり、代表的なのが時間・料金・場所などの外的な枠組みだったり、カウンセラーの限界などの内的な枠組みを指します。

一般に、日常生活に無数に張り巡らされているルールや制約、役割意識などの「枠組み」との間で不適応を起こしている人の場合、カウンセリングで設けられている「治療構造」の境目でいろんな問題を示すのが一般的です。

サリヴァンの関与しながらの観察は、こうした治療構造といった「枠組み」を指すのではなく、精神療法における「在ること」と「為すこと」の両次元に渡った面接者の仕事について述べた概念であると考えることができます。

また、選択肢②の「共感不全に着目した観察」という箇所も誤った表現であることがわかると思います。

「面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない」という前提に立つのであれば、クライエントの語る内容に共感すること(せずにはおれないこと)、共感が生じたことによってクライエントに与える影響、それによって変わるクライエントからのコミュニケーション、そういった刻々と変わる事柄に細やかに目を向けつつ関わっていくことが「関与しながらの観察」という現象ではないかと考えられます。

関与しながらの観察という概念は、一言で定義を述べることができない、そういう概念であるように思います。

サリヴァンの述べていることを俯瞰し、大枠としてのイメージを掴んでおくと良いかなと思います。

以上より、選択肢①、選択肢②は不適切と判断でき、選択肢③が適切と判断できます。

④ 支援者が要支援者に対し、問題行動を修正する介入を行い、その効果を観察し分析することである。

こちらの内容は「関与しながらの観察」ではなく、大枠としては行動療法の説明であると考えられます。

行動療法は、アイゼンクが「実験によって裏付けられた学習の諸原理に基づくすべての行動修正法」と定義したように、その方法論については独立した複数の起源を持っており、それらの方法は、その対象も時期も場所も理論的背景も異なるものです(スキナーは応用行動分析理論、アイゼンクやウォルピは新行動S-R理論など)。

その中でも応用行動分析は、実験的行動分析で見出された変数を人間の行動問題の分析と修正を目的として応用したものであり、スキナーの三項随伴性を通した分析、すなわち機能分析を用いた行動問題の分析が行われています。

こうした記述と本選択肢の内容は重なる面が大きいと言えますね。

よって、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ 投影同一化によって要支援者から投げ込まれたものとして、支援者が自己の逆転移を観察することである。

こちらは「関与しながらの観察」に関する内容ではなく、逆転移を活用した心理療法に関する記述になっていますね。

この辺を詳しく述べていきましょう。

境界例では、自分の不穏感情を自らの内に抱え込み、認識することが、その精神的脆弱性により困難であるため、「自分の不穏感情を外に投げ込む」とされています。

例えば、自分(=Aさん)が見捨てられるかもしれないという不穏を抱えてはいるけど、そのことを認識することができない人は、他者(=Bさん)に自分の「見捨てられる」という感情を投げ込み、相手が自分を「見捨てようとしている」と思い込むようになります(この部分を「投影」と表現します)。

また、人には「自分の内にあるストーリー通りになることを望む欲求」を有しています。

これはストーリーの善し悪しとは無関係です(つまり、悪いストーリーでもその通りになる方が「落ち着く」という感じのイメージでいてください)。

先の例でいうと、「Bが自分を見捨てようとしている」という投影によるストーリーが生じたならば、そのストーリーから外れたことが生じるのがまたAの心中に「世界を揺さぶるような不安」を生むのです。

つまり、「Bに見捨てられる」というストーリー通りになるのは「嫌だ」という気持ちはあるのですが、ストーリー通りにならないことは「より不安を喚起する」ということです。

この辺の機微は幸せな生活を送ってきた人には理解し難いようですが、そういう世界もあるのだと認識しておきましょう。

境界例では、こうした自分の内側に生じたストーリーを「現実にしよう」とする様々な言動が出てきます(現実にならないと、さらなる不安が生じるので)。

ですから、Bは見捨てる気などさらさらなかったにも関わらず、思わず「Aを見捨てたくなるような行動」をAが起こしてくる(Bが見捨てようとする感情を喚起しようとした)ということです。

つまり、元々はAの「見捨てられる」という不安をBに投げ込み(投影)、そこで生じた「Bが自分を見捨てようとしている」というストーリー通りに現実が運ぶように、実際にBが自分を見捨てたくなるような感情を引き出すための行動を取ったということです(こうした投げ込んだ感情を喚起させようとすることを「同一視」と呼びます)。

この投影+同一視ということで、一連のクライエントの心理力動によって生じる現象を「投影性同一視」と呼びます。

この「投影性同一視」という仕組みが解明されたことで、カウンセラーの「逆転移」の重要性が指摘されるようになりました。

まず転移とは、クライエントの過去体験(精神分析学では重要な他者との関係)が、カウンセリング場面に「持ち越される」ことを指しますが、逆転移とはカウンセラー側がクライエントに抱く種々の感情を指します。

そして、境界例の治療においては、カウンセラーが自身の感情体験に細やかになっておくことで、クライエントの内界に関する理解が進むということになります。

上記の通り、「投影性同一視」によって投げ込まれ、カウンセラーに生じる感情は「もともとはクライエントが感じていた」というのが理屈ですから、カウンセラーに生じている感情を理解することでクライエントの感情の把握に役立つという仕組みと言えます。

もともと逆転移は、治療関係を損ねるものとしてフロイトに認識されていましたが、こうした境界例の支援等において重要な意味を持つことがサールズらの指摘によって明確になったのです。

このように、投影性同一視によってクライエントから投げ込まれたものを、支援者が自身の逆転移を観察して支援に役立てていくというアプローチは、特に境界例(現在で言う、境界性パーソナリティ障害)への関わりの手法として古くから指摘されているものです。

関与しながらの観察において、こうした逆転移の認識も起こり得るものでしょうが、こうした逆転移の認識を指して「関与しながらの観察」と呼ぶわけではありませんね。

よって、選択肢⑤は不適切と判断できます。

1件のコメント

  1. 遊先生、
    いつもありがとうございます。分けにくいところをわかりやすく解説をしてくださり
    重ねて御礼申上げます。
    ところで、(ご存じかとは思いましたが)「現代思想」12月、臨時増刊号に中井久夫先生の特集が組まれたようです。
    12月は、楽しみがふえました。

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