公認心理師 2018-44

サリヴァンの「関与しながらの観察」概念についての設問です。
日本には中井久夫先生のおかげで、非常に優れた日本語でサリヴァンを読める幸せがあります。
そこからの引用を中心に解説していきましょう。

解説のポイント

サリヴァンの関与的観察について把握している。
(理解している、という表現は何かおこがましい感じがしましたので「把握」としました)

「関与しながらの観察」概念

以下はサリヴァンの訳書から引用していきます。
下線部は私の責任で付けています。
「「精神医学とは科学的方法を適用する根拠を有する領域である」とみなされるようになって以来のことであるが、われわれは「精神医学のデータは関与的観察をとおしてのみ獲得できるものである」という結論に達した。…目下進行中の対人作戦に巻き込まれないわけには行かないのである。精神科医の主要観察用具はその「自己」である。その人格である。個人としての彼である。また、科学的検討に適合してデータとなりうるものは過程および過程の変化である。これらが生起するところは…観察者と被験者とのあいだに創造される場(situation)においてである」(精神医学的面接;p19)
この内容は『②他者の行動を理解するには、面接に参加している自己を道具として利用する必要がある』という記述に合致していると思われ、最も適切と考えられる。

それ以外の選択肢について

『①治療面接では、感情に流されず客観性及び中立性を維持することが重要である』

こちらの内容は、「中立性」に対する誤った認識と思われます。
神田橋先生は以下のように述べられております。
「巷間流布している「中立性」の概念はしばしば、「一直線」「不変」「不動」「不感症」のニュアンスを負わされてしまい、百害と一理ある程度のものになっている」(精神療法面接のコツ;p158)
中立性とは決して「感情に流されない」姿ではないということですね
サリヴァンの言を引用すると以下の通りです。
精神科医は面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない。精神科医が面接への自らの関与に気づかずそれを意識しない程度がひどいほど、目の前で起こっていることに無知である度合いも大きくなる」(精神医学的面接;p41)
以上の内容からも、選択肢①の内容が誤りであることがわかります。

『③面接外のクライエントの行動に関する情報も、面接中に得られる情報と同様に重要である』

この選択肢の内容は、上記の「関与的観察」の説明からは大きく外れており、誤りであると分かります。
サリヴァンの言で関係しそうなところを引用します。
「精神医学は対人関係を研究する学である。対人関係は対人の場においてしか生じない。…対人の場とは二人の人間が互いに関わり合っている場合をいうのであって、この関わり合いを統合と言っている」(精神医学的面接;p80)
この指摘からも選択肢③の内容が不適切であることが分かります。
またサリヴァンは必要のない質問をすることを厳に禁止しています。
「些細なこと、どうでもよいこと、精神科医を楽しませるための優雅なお世辞、前に聞いたことの繰り返しなどは、話し続ける気を失くさせる技術の腕を振るってもよい」(同;p57)
「精神科医は、技法上は質問する必要のないことを尋ねて自分の好奇心を満足させないようにあらかじめ用心しておきなさい」(同;p58)

『④クライエントとのコミュニケーションを正しく理解するためには、現象のみに目を向けるべきである』

ここでの「現象」をどう定義するかで判断が変わってきますが、現象学などの定義は採用せず、単純に「人間の知覚できる全ての物事。人間界・自然界に形として現れるもの」と捉えておきます。
これを踏まえ、サリヴァンの引用をしておきます。
純粋に客観的データというものは精神医学にはない。さりとて主観的データとそのままで堂々と通用するものもない。素材を科学的に扱うためには力動態勢や過程や傾向性をベクトル的に加算して力積をつくらなければならない。力積の作成操作を推論という。推論があちこちに飛び、思いがけない形を見せるところに精神医学研究の困難もあり、実用に耐える精神医学的面接の難しさもある」(精神医学的面接;p19-20)
以上の内容を踏まえると、選択肢④の内容も誤りと分かります。
ここまで読んでいただければわかるように、本設問はサリヴァンの「精神医学的面接」の内容を把握しているか否かを問われているような印象です。
一つの選択肢に一つの書籍というのは、なかなか大きいものを求められていますね。

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