公認心理師 2019-22

問22はDSM-5のPTSDの診断基準を問う設問です。
PTSDに関しては、2018年に行われた2度の試験を踏まえたまとめを書いています。
こちらを把握しておくことで、除外できる選択肢もありましたね。
やはり過去問をしっかりやっておくことが大切です。

問22 DSM-5の心的外傷後ストレス障害〈PTSD〉について、正しいものを1つ選べ。
①児童虐待との関連は認められない。
②症状が1か月以上続いている必要がある。
③診断の必須項目として抑うつ症状がある。
④眼球運動による脱感作と再処理法〈EMDR〉の治療効果はない。
⑤心的外傷の原因となる出来事は文化的背景によって異なることはない。

PTSDに関する基本的な事項が問われています。
PTSDはDSMにおける黒船みたいなものです。
本来、DSMは原因論に踏み込まないという特徴がありました(それが操作的定義、ということの価値でもありますしね)。
ですが、PTSDに至っては明確に障害のきっかけとして出来事を基準に入れ込んでおります。
この辺が現場では難しいところなのですが。

解答のポイント

PTSDの診断基準を把握していること。
出来事基準に関する知見を深めておくこと。

選択肢の解説

①児童虐待との関連は認められない。

この点については、2018追加-117の選択肢⑤ですでに説明していますね。
まずはPTSDの出来事基準(基準A)について見てみましょう。

実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事への、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の形による曝露:

  1. 心的外傷的出来事を直接体験する。
  2. 他人に起こった出来事を直に目撃する。
  3. 近親者または親しい友人に起こった心的外傷的出来事を耳にする。家族または友人が実際に死んだ出来事または危うく死にそうだった出来事の場合、それは暴力的なものまたは偶発的なものでなくてはならない。
  4. 心的外傷的出来事の強い不快感をいだく細部に、繰り返しまたは極端に曝露される体験をする(例:遺体を収容する緊急対応要員、児童虐待の詳細に繰り返し曝露される警官)。

下線部にあるように「児童虐待の詳細に繰り返し曝露される警官」がPTSDの出来事基準として認められるわけですから、当然ながらその当事者である被虐待児が体験していることもPTSDと関連が深い出来事と見なすのが自然ですね
また最初の下線部の内容は性的虐待を基準として挙げているとも言えるでしょう。

また、DSM-5からは6歳以下の子どもに関するPTSDの基準が新たに設けられています。
そこに示されている出来事基準は以下の通りです。

  1. 心的外傷的出来事を直接体験する
  2. 他人、特に主な養育者に起こった出来事を直に目撃する。
  3. 親または養育者に起こった心的外傷的出来事を耳にする。

まず第1項が児童虐待等を前提としたものであり、第2項が母親がDVを受けている場面などを想定しています
ちなみに児童虐待のうち心理的虐待として「子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)」が挙げられております(厚生労働省のこちらのページより)。

このようにPTSDの基準の中には、児童虐待を想定している面が大きいことがわかります。
よって、選択肢①は誤りと判断できます。

②症状が1か月以上続いている必要がある。

DSM-5におけるPTSDの診断基準は2018-153で問われており、この際にまとめているのでご一読ください。
PTSDの症状の基準として、

  • B:侵入症状の存在
  • C:刺激の持続的回避
  • D:認知と気分の陰性の変化
  • E:覚醒度と反応性の著しい変化
となっております。
ちなみにA基準は出来事に関する基準となっています。
さて、PTSDと診断されるには「F.障害(基準B、C、DおよびE)の持続が1ヵ月以上」という要件が設けられています
1か月未満になると「急性ストレス障害」の適用の可否を確認していくことが求められますね
ちなみに急性ストレス障害とPTSDは、その問題の本質は大きくは変わりません。
ですが、その予後に違いがあります。
一般に心的外傷にまつわる反応は、その外傷的出来事からの期間が短いほど(つまりはPTSDよりも急性ストレス障害の方が)改善しやすいという傾向にあります。
PTSDには「遅延顕症型」という出来事から少なくとも6か月間診断基準を完全には満たしてない場合が設定されておりますが、そうした予後を判定する上では重要な項目だと思います。
よく急性ストレス障害の期間なのにPTSDと言われているような事例に出会いますが、これはそうした予後を判定するという点に関して無頓着になっていると言わざるを得ないと考えています。
いずれにしても、選択肢②はDSM-5におけるPTSDの基準として正しいと判断できます。

③診断の必須項目として抑うつ症状がある。

選択肢②でも述べたとおり診断基準B~Eが示されていますが、この中に抑うつという項目は設けられておりません
解説としてはこれで十分なのかもしれないのですが、一般にPTSD患者は抑うつを示すことが多いにも関わらず、なぜ抑うつという症状が基準の一つとして挙げられていないのかを考えてみましょう。
これに関しては以前の記事で一度述べていますが、再度この選択肢に合わせてまとめ直しましょう。

PTSDを起こすような出来事は、一応診断基準に従えば、その人の命を脅かすような出来事と言えます。
もちろんそこまでじゃなくても、その個人の同一性や尊厳といった内的なものが傷つけられた場合でも、いわゆる「こころの傷」は生じます。

その傷つきが深いほど、生体は「次同じことが起こりそうなときには、ちゃんと逃げられるようにしておこう」という形の反応を示します。
これは当然のことで、命や精神の危機になるような出来事なのに2回も3回も体験しないと反応できないようなのでは困るわけです。
すなわち、その人の命や精神の危機に関わる出来事に関しては「一発学習」が生じるようになっているということです。

重大な危機に際し、その危機にすぐに反応できるよう「一発学習」が生じることで、様々な合理的反応が生じます。
例えば、生体が何度もその場面を思い出すことで類似の場面にすぐに反応できるように慣れさせておく、危機場面と似たような状況ではパッと危機状態のときのことを思い返せるようになる、いつ危機場面が起こっても対処できるように覚醒度が上がる、危機的出来事について認識を深めるため知的な理解を進めようとする(ことによって否定的な信念が生じる)、できるだけ外へ出ないようにする…といったものです。
実は、こうした生体から見れば合理的な反応がそのままPTSDの症状として見なされているわけです。
Kannerの症状の意義の一つに「問題解決の企図」というものがありますが、これもまさに生体が問題解決をしようとした結果生じるものであるということですね。

レジリエンス研究で時折言われることですが、こうした生体の改善へのもがきが、実は症状として見なされていることはとても多いのです。
神田橋條治先生が、症状を対処行動で見ていくという視点を勧めているのもそう言った背景があるわけです。

さて、こうした危機状態への対処をいつでもできるように覚醒度を上げ、何度も自動的に復習しながら(フラッシュバック)過ごしていると、当然ですけど生理的に疲弊してきます。
そしてこの疲弊がピークに達したときに、抑うつといった問題が生じやすくなるわけです(先んじて集中困難や睡眠障害などが生じます)。

こうした流れで見ると、抑うつ症状はPTSDによって生じやすいものではありますが、PTSD由来のものではないことがわかります
また、ここまで生体が疲弊し抑うつ状態を呈するかどうかは、事例によってかなり異なるという面もあります。
よって、抑うつ症状はPTSDの基準として含まれていないと考えられるわけです。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

④眼球運動による脱感作と再処理法〈EMDR〉の治療効果はない。

EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)は、Shapiroが1981年に発表したPTSDの心理療法です。
EMDRでは、クライエントの眼球の動きをガイドするため、クライエントの目の前でセラピストは大きく交互に左右にリズミカルに指を往復させます。

Shapiroは、こうした両側性の刺激は直接脳を刺激し、自己治癒力や情報処理の正常化を促進するとしています。
トラウマを想起しているときの脳は、右脳の活性が優勢であり感情やイメージにあふれているが、トラウマを想起しながら目の前の指に注意を割くとワーキングメモリが阻害されるため、トラウマティックな出来事のことに巻き込まれ過ぎずに距離を取れるようになります
また、左脳と右脳を繋いでいる脳梁を通じて、言語化を司る左脳の活性化を行うため、トラウマ記憶やその感情に圧倒されずにトラウマ的な出来事を分析できるようになるともしています
EMDRは眼球運動に限らず、両手に振動するものを持ってもらうなどの方法もあります。

この点に関しては、2018追加-117の選択肢④ですでに問われておりますので、きちんと復習していれば特に困難さはなかったと思われます。
以上より、選択肢④は誤りと判断できます。

⑤心的外傷の原因となる出来事は文化的背景によって異なることはない。

その文化によって、そして宗教によっては、他の文化圏であれば何でもないような行動が、激しい侮辱にあたるということは少なくありません。
文化人類学者は未開の部族に入っていく際、そこの宗教がわかるとずいぶん気が楽だと言います。
何気ない行為が向こうさんの禁忌に触れたことになり、いきなり首に刃がきらめくこともあるわけです。

「文化依存症候群」という、各文化で特徴的な精神医学的問題も示されています。
アイヌの女性に多かった主に蛇に対する驚愕病の「イム」、東南アジアの神経衰弱に始まり錯乱し意識障害下における無差別殺人・うつ状態を経て自殺に終わる「アモック」、南中国の暑さの中で重ね着をして寒さに震えている「寒冷恐怖症」、日本の「キツネツキ」などです。
こうした文化依存症候群で恐怖反応を示す内容は様々であり、しかしその文化圏内でそれが恐怖を示されるのは、文化的・宗教的・思想的に固有な認識がそこにはあるためと思われます

もっと身近な例で言えば、敬虔なイスラム教徒に豚肉をそれと知らず食べさせた後に知らせれば非常に大きなショックになるでしょうし、猫好きの日本人が他国で猫を焼いたのを見たりすれば衝撃を感じることでしょう。
このように、文化的背景によっては外傷的となる出来事が異なるのは自然なことと考えられます

また、PTSDの認知モデルでは、外傷的出来事に関する否定的認知がPTSD発症および症状の持続に影響を及ぼすと言われています
この認知的評価には国民性や文化的な背景の違いなどが影響を及ぼすことが考えられます。
更に、近年のDSM-5の出来事基準の変化も、こうした各文化圏によるPTSD反応の違いも手伝ってのものと推察しますが、どうでしょうかね。

以上より、選択肢⑤は誤りと判断できます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です