コールバーグの道徳性発達理論に関する問題ですね。
コールバーグに関しては、解説でちょっと触れている以外は公認心理師試験では初出、臨床心理士試験では過去に出題がありますね。
問91 L. Kohlbergの道徳性の発達理論において、「近所のおばあさんは、いつもお菓子をくれるから良い人である」という判断に該当する発達段階として、適切なものを1つ選べ。
① 法と秩序の志向性
② 社会的契約の志向性
③ 罰と服従への志向性
④ 対人的同調への志向性
⑤ 報酬と取引への志向性
解答のポイント
コールバーグの道徳性の発達理論を把握している。
選択肢の解説
① 法と秩序の志向性
② 社会的契約の志向性
③ 罰と服従への志向性
④ 対人的同調への志向性
⑤ 報酬と取引への志向性
コールバーグに関しては、以前簡単にまとめていますから、こちらを引用しつつ解説しましょう。
まずは、コールバーグの道徳性の発達に関する基本的理解を述べておきましょう。
コールバーグはピアジェの認知発達研究の影響を受けて道徳性の発達を研究しました。
コールバーグにとって、人間は能動的・合理的な存在であり、人間は外界を自分なりに一貫したものとして能動的・主体的に認知し、構成化していきます(この「人間は能動的・合理的な存在」というところがピアジェっぽいです)。
道徳的な「正しさの枠組み」も、有機体と外界との相互作用の中で変化し、構成化され、それに基づき道徳的判断もなされます。
コールバーグが示す道徳性の発達とは、その理解の変化の過程であり、基本的には合理的・能動的過程と理解されます。
認知発達理論による構成化は、内外に概念的葛藤や矛盾のない均衡化へと向かうという前提に立ち、自分なりの理解に不均衡が生じれば、均衡を図ろうとします(認知的に不協和が起こるというイメージでいいでしょう)。
構成化・均衡化していく過程は、その有機体が持つ均衡化の傾向と構成化される外界の特徴に規定されるとされ、外界が普遍的構造を備えている場合には、認知発達過程も普遍性を備えます。
コールバーグは、社会環境にも普遍的構造があり、道徳性発達段階も普遍的であるとしている(つまり、道徳性の発達には、ある程度の共通した段階があると見なしているということ)。
コールバーグは、こうした道徳性の発達段階の検証のために、以下の重病の妻のために高貴薬を盗むことの是非をたずねる「ハインツのジレンマ」課題などを用いました。
ハインツの妻 X が特殊ながんにかかっており、いまにも死にそうな状況に置かれている。Xの担当医は、ハインツに対して、Xが助かるには薬屋Yが発見し、製造・販売している薬を飲む以外助かる方法はないと説明した。その薬は、10万円の製造費に対して、100万円で販売している。ハインツは、妻を助けようと親戚や知人などからお金を集めたが、半額しか集めることはできなかった。そこでハインツは、Yに事情を説明し、安く売ってくれるか、まずは半額を支払い残りはその後にしてもらおうと交渉した。しかし、Yは、「私が薬を発見した。私は、それを売って儲けるつもりだ」と言い、取り合ってくれなかった。そこで、悩んだハインツは、薬を盗もうと薬屋に忍び込んだ。
コールバーグは、こうした「ハインツのジレンマ」課題などを用いて人間の道徳的判断に注目し、その判断によって以下の3水準6段階からなる独自の道徳発達理論を構築しました。
【第1水準 前慣習的水準:道徳的価値は外的・物理的な結果や力にある水準を指す】
●第1段階:罪と服従への志向
罰の回避と力への絶対的服従と行為の結果が重要な意味を持つ段階で、「警察に捕まらないならば、それはOKである」という考え方。罰を避け、自己中心的な視点から権威者に服従することが「正しい行為」とされる。この段階では、盲目的に権威者に服従すること自体に価値があるとされ、罰や権威に支えられた道徳的秩序の尊重によって、権威者への服従という志向が価値づけられているわけではない。
そこで、薬を盗まないことによってXを死なせた場合には、死なせたことについて責められて刑務所にいられてしまうから薬を盗むべきであるとか、薬を盗むことは正しい行為でなく警察に捕まって罰を与えられてしまうから盗むべきではない、という理由づけを行う段階とされる。
この段階では、罰や権威によって支えられて背後に存在している道徳的秩序を尊重することによって、それらが価値づけられるのではない(その場合は第4段階である)。
●第2段階:道具主義的相対主義への志向
この段階における「正しい行為」とは、自分自身の欲求や利害、あるいは他人の欲求や利害をみたす手段であるとされる。人間関係は取引の場のようにみられている。具体的な物・行為の交換に際して、「公正」であることが問題とされはするが、それは単に物理的な相互の有用性という点から考えられてのことである。個人間の対等な交換や各人が等しく利益を受けることが公平とされる段階である。
公平、相互性、平等な分配という要素は含まれているが、それらは常に、物質的で実用主義的に解釈される。相互性は「君が僕の背中をかいてくれれば、僕も君の背中をかいてあげる」といったものであり、忠誠、感謝、公正といった事柄ではない。
【第2水準 慣習的水準:単に社会的な秩序に従うといった態度ではなく、それ自体への価値を捉えて正当なものとして維持していこうという態度が現れる。道徳的価値は良い・正しい役割を遂行することであるという水準を指す】
●第3段階:対人的同調 あるいは 「よい子」への志向
善い行為とは、他を喜ばせたり、助けたりすることであり、他者から肯定されるようなことである。多数派の行動あるいは「自然な(普通の)」行為という習慣化されたイメージに自分を同調させる。行為は、しばしばその意図の善し悪しによって判断される。「彼は善いことを意図している」ということがまず重要なことになる。「善良であること」によって是認を受ける。
ハインツのジレンマにおいては、薬を盗むかどうかは家族など周囲の人にとってその行為が「よい人」とされるかどうかに関わる。
●第4段階:「法と秩序」の維持への志向
正しい行為とは、社会的権威や定められた規則を尊重しそれに従うこと、すでにある社会秩序を秩序そのもののために維持することである(人を護ることは、財産を守ることよりも大事だ)。道徳的秩序によって価値づけられなかった第1段階に対して、第4段階では「正しい行為」とは社会システムと社会秩序を維持するために、自分の同意した義務を果たし社会へ貢献していくこととされることで既にある社会秩序の背後にある道徳的秩序を尊重しようとする態度が見られる。
この段階では、人間の生命は尊く生命を救うという義務に従って薬を盗むべきであるとか、法は社会秩序の維持にとって重要であり各個人で法を破ることがよしとされるのは、社会秩序に反するから盗むべきではないとされる。
【第3水準 脱慣習的水準:自己の原則を維持することに道徳的価値をおく水準】
●第5段階:社会契約的遵法への志向
ここでは、規則は、固定的なものでも権威によって押し付けられるものでもなく、そもそも自分たちのためにある、変更可能なものとして理解される。
この段階では、生命に関する権利は財産権よりも基本的な価値を有する権利である社会契約による普遍的なものであるから薬を盗むべき、あるいは法が社会的合意に基づくものであって法が基本的人権の保護を目的としている場合には従うべきであるから盗むべきではない、と判断される。
●第6段階:普遍的な倫理的原理への志向
正しい行為とは良心の原理(倫理的原則)に則り、法を超えて行為することができる。
正しさは、論理的包括性、普遍性、一貫性に訴えて、自分自身で選択した「倫理的原理」に従う良心によって定められる。それらの倫理的原理は、抽象的であり、倫理的である。
より普遍的な道徳的志向とコールバーグが考える人格の尊重という原理を意識する第6段階では、(ハインツのような立場に置かれた状況では)誰においても生命を救うべきという道徳的義務があり、薬を盗む行為は法的には間違っているが道徳的には正しく、すべての理性的な人々によって同意される道徳律に基づく場合にのみ法は正当化される、と表現される。
まず各選択肢が示す段階ですが、選択肢①の「法と秩序の志向性」は第4段階、選択肢②の「社会的契約の志向性」は第5段階、選択肢③の「罰と服従への志向性」は第1段階、選択肢④の「対人的同調への志向性」は第3段階、選択肢⑤の「報酬と取引への志向性」は第2段階と考えられます。
選択肢⑤の段階表現(報酬と取引への志向性)だけ、私が理解している「道具主義的相対主義への志向」という表現と異なっていますが、「報酬と取引」という表現から第2段階であると見なすのが最も自然ですね(原著を読んでいないので「報酬と取引」という表現になっているかはわかりませんが、間違いないでしょう)。
さて、問題文の「近所のおばあさんは、いつもお菓子をくれるから良い人である」という判断に該当する発達段階は上記のいずれかを考えてみましょう。
これは「「正しい行為」とは、自分自身の欲求や利害、あるいは他人の欲求や利害をみたす手段である」「人間関係は取引の場として見られる」という道徳性を持っている第2段階であると見なすのが妥当でしょう。
以上より、選択肢①~選択肢④は「近所のおばあさんは、いつもお菓子をくれるから良い人である」という判断に該当する発達段階として不適切と判断できます。
また、選択肢⑤が「近所のおばあさんは、いつもお菓子をくれるから良い人である」という判断に該当する発達段階として適切と判断できます。