SCTの解釈に関する問題ですね。
ここまで具体的な問題は、臨床心理士試験でも出たことのは初めてだと記憶しています。
SCTに関する大まかな理解から入っていきましょう。
SCT反応
私はよく人から ― 何を考えているのか、よくわからないといわれる。
家の暮らし ― そんなに悪くない。
家の人は私を ― 心配していると思う。
私が得意になるのは ― オンラインゲームでいいところをみせられたときだ。
争い ― ごとはあまり好きではない。
私が知りたいのは ― 世の中の人はどうしてこんなに冷たいのかということだ。
私の父 ― 仕事をがんばっている。
私が嫌いなのは ― 人を踏みつけにして平気でいる人だ。
私の服 ― ダサイ。
人々 ― 何を考えているのかよくわからない。
私のできないことは ― たくさんある。
将来 ― どうなっているのか、まったくわからない。
もし私の母が ― 死んでしまったら、どうしていいかわからない。
私がひそかに ― 自慢しているのは、ゲームの腕前だ。
世の中 ― さっぱりわからない。
時々私は ― 生まれてこなかった方がよかったのかもと思うことがある。
私の不平は ― どうして私はこんなになってしまったのかということだ。
私の兄弟 ― しっかり世の中で生活している。
私の顔 ― 好きではない。
この反応の解釈として、妥当なものに○、妥当でないものに×をつけていく問題です。
なお、SCTは精研式の一部を抜粋したものですね。
SCTについて
SCTの大まかな説明はこちらで一度していますね。
ちなみに上記のリンクで説明しているのは、過去の臨床心理士試験で出題された内容になっております。
復習のため、ご確認ください。
以下に改めて概要を解説していきます。
文章完成法(Sentence Completion Test:SCT)は未完成の文章を提示して、自由に完成させるという課題を通じて、被験者の特性を知るという心理検査です。
SCTは一般的に、言語連想テストから派生してきたと考えられており、現在のように、SCTをパーソナリティの査定の道具として用いたのはPayne,A.F.(1938)やTendler,A.D.(1940)が最初とされています。
自由さ、簡便さこそがSCTの特徴であり、被験者の内的・外的状況に関する具体的情報を豊富に提供するというSCTの本質的に対する評価は大きいです。
事実、臨床領域では、テスト・バッテリーに組み込まれ、日常の心理査定には欠かせないものになっている。
言語という刺激を使う点で、投影法でありつつも無意識の比較的表層部分を広範に把握できるという特徴があります。
刺激文の長さにはいろいろなものがあるが、一般的に短文形式のものは反応の規定度が低く、多様な反応を出させやすく、逆に、長文形式のものは規定度が相対的に高くなって、反応を限定することになります。
また、刺激文の内容については、SCTそれぞれに異なっており、その使用目的、研究目的に応じて、刺激文を自由に作成、設定できることがSCTの特徴です。
SCTは個人施行も集団施行も可能だが、注意すべきこととして、①刺激文をみて頭に浮かんだことを、それに続けて自由に書くこと、②正解、不正解はないこと、③すぐ思いつかなければ後回しにしてよいこと、④時間の制限はないが、あまり長時間かからないようにすること、などの点を押さえた教示であれば問題ないとされます。
評価法をおおまかに分類すれば、一つは形式分析といわれるもので、例えば、反応の長さ、反応時間、文法的誤りなどを指標として使うものなどがこれに該当します。
もう一つの方法である内容分析が現在では一般的ですが、内容分析といっても全体を読んだ印象だけに頼るものから、あらかじめ設定しておいたカテゴリーに分類するものまで多様です。
臨床場面で使うSCTは、それぞれのテストの作成意図に沿った評価の枠組みがあるので、それに従えばいいでしょう。
たとえば、精研式のSCTは、パーソナリティ全体を概観することを目的としており、おおまかに、パーソナリティに関して、知的側面、情意的側面、指向的側面、力動的側面の4側面、その決定因として身体、家族、社会の3要因を設定してあります。
A.他人に対する一定の信頼感は持てている。
他者への信頼感に関しては社会的側面を評価する刺激文の一つである「一般的社会への態度」の刺激文が役立つものと思われます。
社会的側面の評価は、以下のような刺激文から被験者の職場・学校への態度、友人イメージ、一般的社会への態度を評価することになります。
- 職場・学校への態度を評価する刺激文:仕事、職場では、学校では
- 友人イメージを評価する刺激文:友だち、私が嫌いなのは、私が好きなのは、争い
- 一般的社会への態度を評価する刺激文:世の中、人々、私はよく、私はよく人から
B.基本的に自己イメージはあまりよくない。
自己概念の評価は情緒的側面の評価ともオーバーラップしてくるものであるが、過去の自己イメージ、現在の自己イメージ、自己の能力への態度を含むものです。
以下のような刺激文に対する反応から被験者の自己概念を評価します。
- 過去の自己イメージを評価する刺激文:子供の頃私は、今までは、私が思い出すのは、私が忘れられないのは
- 現在の自己イメージを評価する刺激文:ときどき私は、もし私が、調子のよい時、大部分の時間を、私の不平は、私の服
- 自己の能力への態度を評価する刺激文:私の頭脳、私が得意になるのは、私のできないことは、私が羨ましいのは、私が残念なのは、もう一度やり直せるなら
- 将来の自己イメージを評価する刺激文:私が知りたいことは、将来、年をとったとき
- 目標・価値観を評価する刺激文:私の野心、私がひそかに、私が努力しているのは、どうしても私は、金
以上を参考に問題の考察を行っていきましょう。
自己評価について、「時々私は ― 生まれてこなかった方がよかったのかもと思うことがある。」「私の服 ― ダサイ。」「私の顔 ― 好きではない。」など、自己や存在について否定的な感情が表出されており、自己イメージはあまり良くないという解釈が妥当と思われます。
よって、こちらの選択肢は〇と判断できます。
C.家族に肯定的なイメージを抱いていない。
被験者の父親への態度、母親への態度、同胞への態度、配偶者への態度、家族にどのように受け入れられ、支持されているかを以下にて評価します。
- 父親への態度を評価する刺激文:私の父、もし私の父が
- 母親への態度を評価する刺激文:私の母、もし私の母が
- 家族全体への態度を評価する刺激文:家の人は私を、家の人は、私の兄弟(姉妹)、家では、家の暮らし
以上を参考に問題の考察を行っていきましょう。
まず、家族成員については「私の父 ― 仕事をがんばっている。」「もし私の母が ― 死んでしまったら、どうしていいかわからない。」「私の兄弟 ― しっかり世の中で生活している。」などの肯定的イメージや依存的なニュアンスが述べられている。家族全体の態度として、「家の暮らし ― そんなに悪くない。」「家の人は私を ― 心配していると思う。」など肯定的なイメージが先行していますね。
よって、家族への肯定的イメージを抱いていないという解釈は根拠に乏しいと言えますから、本選択肢は×と判断できます。
D.潜在的にも顕在的にも攻撃性は強くない。
- 職場・学校への態度を評価する刺激文:仕事、職場では、学校では
- 友人イメージを評価する刺激文:友だち、私が嫌いなのは、私が好きなのは、争い
- 一般的社会への態度を評価する刺激文:世の中、人々、私はよく、私はよく人から