臨床心理士 SCT:H21-26

SCTの解釈に関する問題ですね。
ここまで具体的な問題は、臨床心理士試験でも出たことのは初めてだと記憶しています。
SCTに関する大まかな理解から入っていきましょう。

SCT反応
私はよく人から ― 何を考えているのか、よくわからないといわれる。
家の暮らし ― そんなに悪くない。
家の人は私を ― 心配していると思う。
私が得意になるのは ― オンラインゲームでいいところをみせられたときだ。
争い ― ごとはあまり好きではない。
私が知りたいのは ― 世の中の人はどうしてこんなに冷たいのかということだ。
私の父 ― 仕事をがんばっている。
私が嫌いなのは ― 人を踏みつけにして平気でいる人だ。
私の服 ― ダサイ。
人々 ― 何を考えているのかよくわからない。
私のできないことは ― たくさんある。
将来 ― どうなっているのか、まったくわからない。
もし私の母が ― 死んでしまったら、どうしていいかわからない。
私がひそかに ― 自慢しているのは、ゲームの腕前だ。
世の中 ― さっぱりわからない。
時々私は ― 生まれてこなかった方がよかったのかもと思うことがある。
私の不平は ― どうして私はこんなになってしまったのかということだ。
私の兄弟 ― しっかり世の中で生活している。
私の顔 ― 好きではない。

この反応の解釈として、妥当なものに○、妥当でないものに×をつけていく問題です。
なお、SCTは精研式の一部を抜粋したものですね。

SCTについて

SCTの大まかな説明はこちらで一度していますね。
ちなみに上記のリンクで説明しているのは、過去の臨床心理士試験で出題された内容になっております。
復習のため、ご確認ください。
以下に改めて概要を解説していきます。

文章完成法(Sentence Completion Test:SCT)は未完成の文章を提示して、自由に完成させるという課題を通じて、被験者の特性を知るという心理検査です。
SCTは一般的に、言語連想テストから派生してきたと考えられており、現在のように、SCTをパーソナリティの査定の道具として用いたのはPayne,A.F.(1938)やTendler,A.D.(1940)が最初とされています。

自由さ、簡便さこそがSCTの特徴であり、被験者の内的・外的状況に関する具体的情報を豊富に提供するというSCTの本質的に対する評価は大きいです。
事実、臨床領域では、テスト・バッテリーに組み込まれ、日常の心理査定には欠かせないものになっている。
言語という刺激を使う点で、投影法でありつつも無意識の比較的表層部分を広範に把握できるという特徴があります。

刺激文の長さにはいろいろなものがあるが、一般的に短文形式のものは反応の規定度が低く、多様な反応を出させやすく、逆に、長文形式のものは規定度が相対的に高くなって、反応を限定することになります。
また、刺激文の内容については、SCTそれぞれに異なっており、その使用目的、研究目的に応じて、刺激文を自由に作成、設定できることがSCTの特徴です。

SCTは個人施行も集団施行も可能だが、注意すべきこととして、①刺激文をみて頭に浮かんだことを、それに続けて自由に書くこと、②正解、不正解はないこと、③すぐ思いつかなければ後回しにしてよいこと、④時間の制限はないが、あまり長時間かからないようにすること、などの点を押さえた教示であれば問題ないとされます。

評価法をおおまかに分類すれば、一つは形式分析といわれるもので、例えば、反応の長さ、反応時間、文法的誤りなどを指標として使うものなどがこれに該当します。
もう一つの方法である内容分析が現在では一般的ですが、内容分析といっても全体を読んだ印象だけに頼るものから、あらかじめ設定しておいたカテゴリーに分類するものまで多様です。

臨床場面で使うSCTは、それぞれのテストの作成意図に沿った評価の枠組みがあるので、それに従えばいいでしょう。
たとえば、精研式のSCTは、パーソナリティ全体を概観することを目的としており、おおまかに、パーソナリティに関して、知的側面、情意的側面、指向的側面、力動的側面の4側面、その決定因として身体、家族、社会の3要因を設定してあります。

A.他人に対する一定の信頼感は持てている。

他者への信頼感に関しては社会的側面を評価する刺激文の一つである「一般的社会への態度」の刺激文が役立つものと思われます。
社会的側面の評価は、以下のような刺激文から被験者の職場・学校への態度、友人イメージ、一般的社会への態度を評価することになります。

  • 職場・学校への態度を評価する刺激文:仕事、職場では、学校では
  • 友人イメージを評価する刺激文:友だち、私が嫌いなのは、私が好きなのは、争い
  • 一般的社会への態度を評価する刺激文:世の中人々、私はよく、私はよく人から
職場・学校への態度では職場・学校内での自分の評価への不満の有無、対人関係の不調和や疎外感の有無を評価します。
友人関係を含む対人交流では交流の範囲と親密さの程度、社会的ひきこもりの有無、被害的・挑戦的な記述内容の有無を評価します。
この場合、身近な友人に対しては肯定的な評価をしているのに対し、一般的社会や近隣の対人関係には疎外感や否定的評価をする場合もあり、このような葛藤的内容があれば明記する必要があります。
以上を参考に問題の考察を行っていきましょう。
「人々 ― 何を考えているのかよくわからない。」
「世の中 ― さっぱりわからない。」
「私が嫌いなのは ― 人を踏みつけにして平気でいる人だ。」
「私はよく人から ― 何を考えているのか、よくわからないといわれる。」
こうした記述から推測するに、他者に対して不透明なイメージや悪意をもった関わりをするものというニュアンスで記述されているように見受けられますね。
よって、他人に対する一定の信頼感は持てているという解釈の根拠は乏しいと言えますから、こちらの選択肢は×と判断できるでしょう。

B.基本的に自己イメージはあまりよくない。

自己概念の評価は情緒的側面の評価ともオーバーラップしてくるものであるが、過去の自己イメージ、現在の自己イメージ、自己の能力への態度を含むものです。
以下のような刺激文に対する反応から被験者の自己概念を評価します。

  • 過去の自己イメージを評価する刺激文:子供の頃私は、今までは、私が思い出すのは、私が忘れられないのは
  • 現在の自己イメージを評価する刺激文:ときどき私は、もし私が、調子のよい時、大部分の時間を、私の不平は、私の服
  • 自己の能力への態度を評価する刺激文:私の頭脳、私が得意になるのは私のできないことは、私が羨ましいのは、私が残念なのは、もう一度やり直せるなら
健常人では過去と現在の自己が連続したものとして肯定的な自己概念が示されるのが一般的です。
これに対して、抑うつ感、自責感、厭世的感情が強い場合には自己の過小評価や自己否定的な感情が示され、自己概念は否定的なものになりやすいとされていますね。
現状への不満足感から過去が過度に理想化されることも多いです。
また、将来の自己イメージ、目標・価値観の評価を含む指向的側面については、被験者がどのような価値観をもち、目標をどのように具体的・現実的なものとして設定しているかを評価するものです。
以下のような刺激文に対する反応から被験者の将来の自己イメージに対しては、肯定的に評価が示されているか、将来への不安の有無と内容を評価します。
  • 将来の自己イメージを評価する刺激文:私が知りたいことは、将来、年をとったとき
  • 目標・価値観を評価する刺激文:私の野心、私がひそかに、私が努力しているのは、どうしても私は、金
指向性に関してはその内容から、具体的・現実的な指向性が示されるのか、空想水準であるか漠然とした願望が示されるのか、悲観的・否定的で願望も認められないのかを評価します。
また、価値観は仕事、円満な家庭、趣味や社会活動、健康や身体の安全など被験者それぞれで異なるものであり、具体的に記述し、複数の価値観の間の葛藤があればそれも記述しておくべきです。
こちらは参考程度に押さえておきましょうね。

以上を参考に問題の考察を行っていきましょう。
自己評価について、「時々私は ― 生まれてこなかった方がよかったのかもと思うことがある。」「私の服 ― ダサイ。」「私の顔 ― 好きではない。」など、自己や存在について否定的な感情が表出されており、自己イメージはあまり良くないという解釈が妥当と思われます。
よって、こちらの選択肢は〇と判断できます。

C.家族に肯定的なイメージを抱いていない。

被験者の父親への態度、母親への態度、同胞への態度、配偶者への態度、家族にどのように受け入れられ、支持されているかを以下にて評価します。

  • 父親への態度を評価する刺激文:私の父、もし私の父が
  • 母親への態度を評価する刺激文:私の母、もし私の母が
  • 家族全体への態度を評価する刺激文:家の人は私を、家の人は、私の兄弟(姉妹)、家では、家の暮らし
もちろん、個々の家族成員への態度に差がある場合もあり、そのような場合には家族成員の誰にどのような態度を示しているかを明記する必要があります。
また、異なる刺激文で肯定的評価と否定的評価が示され、葛藤的・両価的な態度が示される場合にも具体的内容を明記することが必要です。

以上を参考に問題の考察を行っていきましょう。
まず、家族成員については「私の父 ― 仕事をがんばっている。」「もし私の母が ― 死んでしまったら、どうしていいかわからない。」「私の兄弟 ― しっかり世の中で生活している。」などの肯定的イメージや依存的なニュアンスが述べられている。家族全体の態度として、「家の暮らし ― そんなに悪くない。」「家の人は私を ― 心配していると思う。」など肯定的なイメージが先行していますね。
よって、家族への肯定的イメージを抱いていないという解釈は根拠に乏しいと言えますから、本選択肢は×と判断できます。

D.潜在的にも顕在的にも攻撃性は強くない。

攻撃性に関しては、主として「社会的側面を評価する刺激文(選択肢A)」にて考察していきます。
  • 職場・学校への態度を評価する刺激文:仕事、職場では、学校では
  • 友人イメージを評価する刺激文:友だち、私が嫌いなのは、私が好きなのは、争い
  • 一般的社会への態度を評価する刺激文:世の中人々、私はよく、私はよく人から
「争い ― ごとはあまり好きではない。」という記述から、攻撃性の薄さがうかがえますね。
しかし、「私が嫌いなのは ― 人を踏みつけにして平気でいる人だ。」「私が知りたいのは ― 世の中の人はどうしてこんなに冷たいのかということだ。」という正義の雰囲気で怒りが表明されています。
先にふれたようにSCTは顕在的な側面が強く現れる検査です。
そういった意味で「争い ― ごとはあまり好きではない。」というのは被験者の表面的な意識レベルでの認識だろうと言えますね。
一方、「私が嫌いなのは ― 人を踏みつけにして平気でいる人だ。」「私が知りたいのは ― 世の中の人はどうしてこんなに冷たいのかということだ。」という怒りがやや形をかえて表現されていることから、被験者は自身の攻撃性を社会・制度などに「正義」という認識で表現する可能性のある人物と推察できます。
以上より、顕在的には攻撃的な感情は表出されていませんが、社会に対する怒りという形で潜在的に怒りを秘めているのが見て取れます。
もちろん臨床実践では、社会に対する怒りが何らかの個人体験による感情が置き換えられているということも少なくありません。
「欲求不満は、つまるところ「甘え」への欲求不満である」は中井久夫先生の言葉です。
その不満が幼少期からの様々な体験に導かれて生じているという認識は、臨床をする上で持っておくことが大切でしょう(だからと言って、常に幼少期からの体験を引っ張り出すというのも適切ではないのですが)。
いずれにせよ、上記より本選択肢は×と判断できますね。

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