グレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論に関する問題です。
不適切選択肢の概念は、家族療法の他学派の重要概念になりますから、こちらも併せて覚えておくと良いでしょう。
問94 G. Batesonの二重拘束理論に関連する概念として、最も適切なものを1つ選べ。
① 三角関係
② 両親連合
③ 世代間境界
④ ホメオスタシス
⑤ メタ・コミュニケーション
解答のポイント
家族療法の各学派における重要概念を理解している。
選択肢の解説
① 三角関係
ワシントン国立精神衛生研究所のBowenによる「多世代派」が提出されています(望遠鏡(ボーエン)で遠くまで見通している(多世代)ようなイメージ)。
この学派は、もともと統合失調症の家族研究をしたボーエンが、家族療法を体系化したもので、ボーエンの理論には以下の8つの基本概念があります(これらは、個人・核家族・多世代にわたる拡大家族・社会という次元で展開します)。
- 三角関係化:
2人で構成される感情システムが不安定で、第3者を引き込むことで安定を構成する。妻が夫の悪口を子どもに言う、など。 - 核家族の感情過程:
夫婦間で緊張がある時、家族システムの安定のため以下の方法を採る。
①感情遊離 ②夫婦衝突 ③配偶者の不適応 ④子の損傷 - 家族投影過程:
両親の自己分化レベルが子どもたちにも伝えられる過程。多くの場合、長子になる。 - 分化の尺度:
感情システム・知性システムの分化尺度(0~100で示される)。
低分化なほどストレスの影響を受けやすい。 - 多世代伝達過程:
家族投影過程の拡大版で、子から孫へ、孫からひ孫へと多世代に伝達。
伝達の過程で分化度は、子<親となる(統合失調症では8~10世代とした)。 - 感情的切断:
子が親との感情的結びつきを切り、親の感情的融合から身を守ること。 - 同胞での位置:
同胞の位置が、その個人の分化度に重要な影響を与える。
実際の位置のみでなく、機能的位置も重要。 - 社会的感情過程:
こうした家族システム理論が、社会システムにも該当する。
本選択肢の「三角関係」は、上記の1を指していると考えられます。
ボーエンによれば、二人で構成される感情システムは不安であり、そのような感情システムは第三者を引き込み、こうした三人で構成される人間関係のシステムが安定したシステムの最小単位だと考え、これを「三角関係」と呼びます。
三角関係が形成されると、緊張状態にあった元々の二者関係は緊張が和らぎ、融合関係にある二人は離れて、一人は第三者と融合関係を形成し、他は遊離状態になります。
結果、前者は新しい融合関係の中で、遊離した後者は緊張関係からの解放という形で不安の低減を経験するわけですね。
例えば、夫婦関係がうまく行かない場合も、子どもができ、妻が母親として子どもにつきっきりで、子も母親べったりの場合、夫婦の緊張関係は和らぎます(母子が融合関係、父が遊離になる)。
しかし、子どもが反抗するようになって母子関係(第二の融合関係)が緊張してくると、遊離していた者が再度融合関係に引き戻されることがあります(「お父さんに叱ってもらうよ!」みたいな使い方ですね)。
このように、中等度の緊張関係にある家族システムの三角関係は、融合度の高い一辺と、遊離関係である二辺で形成されることが多いとされています。
こうした多世代学派では、治療目標を構成員の個別化と自律性の促進に置いており、個人の「自己分化」と呼ばれる知性と情緒性の分化が達成されているか否かを重視します。
自己分化度が高いと、個人の個別性が確立され、他者との関係性もバランスの取れたものになるとされますが、それが低いと、過度に感情的(感情で巻き込んで融合的になっていく)or知性的(宿題やらなくて困るのは子ども自身ですから、みたいな感じ)になってしまいます。
また、多世代学派で特徴的なのがジェノグラムの活用で、「多世代」と呼ばれるのは、こうした家族の歴史を見ていく中で、世代を超えて受け継がれていくもの(=世代間伝達)があると見なすためです。
ちなみにジェノグラムとは上記のようなものですね(視覚的に把握するのに便利ですから、その場でさっと書けると役立ちますよ。線の書き方などで、関係性も反映させることが可能です)。
上記の通り、三角関係はボーエンが示した多世代学派の概念であると考えられます。
よって、選択肢①は不適切と判断できます。
② 両親連合
③ 世代間境界
これらは、ミニューチンをはじめとする構造学派家族療法の概念になります。
ミニューチンがスラム街などの貧困家庭のセラピーに従事したという事から、非言語的・実効的なアプローチを特色とし、拒食症に対するアプローチとして非常に評価が高いとされています。
構造学派と呼ばれるのは、彼らの治療スタイルを説明するときに、家族との関係(交流パターン)を線で表したり、家族間の境界線を重要視することからきています。
構造学派では、基本的に人はその属している上位システム(一般的には家族)と切っても切れない関係にあるとみます。
そこに産み落とされることによって、家族員間で円環的に作用する不断のやり取りが行われ、関係がシステム的に形成されます。
その関係が人を家族と結びつけるあり方を規定しているわけです。
従って、人に症状や問題があるならば、それはそのような在り方を包含して成り立っている家族の関係全体(これを「構造」と呼ぶ)の問題と見なすことができます。
症状があることによって、現在その家族システムは維持されており、また、現在の家族システムによって症状は維持されていると見なします。
よって、治療とは家族構造を症状なしでも成立するように変化させることであると、構造学派では見なします。
症状を有するとは、家族構造が、人が健康に生存していくために本来あるべき姿/許容の範囲(正常な家族)を逸脱しているとみることができます。
だから家族の現在の関係に介入して、実際上の関係を変え、人が個として健康に立ちゆく範囲に関係を収めることで、症状が解消すると考えるわけです。
構造学派では、家族はサブシステムに分化し、それぞれのサブシステム(個人、父母、夫妻、子、母子、父子、きょうだい、子ども同士、祖父母、祖父母と孫などなど)間に関係が作られ、それらの全体が家族構造を成すと考えます。
家族という密接なシステムでは無関係な関係はあり得ませんから、家族構造は常に家族全体として成り立ちます。
関係は「境界」「連合」「権力」の在り方などによって規定されます(この「境界」は、おそらく選択肢③の世代間境界のことを指していると思われる)。
この中でも「境界」は基本的な概念で、ある出来事に誰がどのように参加するかを規定するルールであり、「解離(遊離)」「絡み合い(もつれ)」に至る一連の軸上に位置されます。
サブシステムの間の境界が明瞭な家族は、いわゆる正常に機能している家族と理解される。
例えば、両親サブシステムと、その子どもによる家族のサブシステムの境界が明瞭である場合は、正常な状態であると考えます。
祖父母たちが過剰に息子夫婦に入り込もうとするなどは、その境界が明瞭でない証拠ですね。
健康な家族では境界線は明瞭でも、両サブシステムの間のコミュニケーションは断絶せず、十分に維持されていることが前提とされます。
境界の曖昧な家族はあらゆる問題に関して、すべての成員が引き込まれてしまい混乱が生じがちであり、このような状態を「絡み合い(もつれ)家族」と呼びます。
絡み合いでは、サブシステム間の境界が不明瞭で、一方の感情やコミュニケーションが容易に他に浸透するため、不安が共鳴するばかりで、症状解消に資するようなやり取りができなくなります。
逆に境界が極度に固い場合には、解離(遊離)家族とよばれ、家族は互いを支えあうことをしないとされています(祖父母とその息子家族がまったく関わり合いがない状態などですね)。
解離の状態では、一人の症状も他の関心を呼ばず、支え合いが起こらないです。
なお、「もつれ家族」では精神病圏の問題を生じさせやすく、「遊離家族」では非行系の問題が多いとされています(ギャンググループなどのように、家族システムの外でのつながりを求めるようになる)。
これらの中間にある広い範囲は、境界が明確で、サブシステム間の適度のやり取りがあり、かつ互いの独立性も保持されるような正常な範囲と見なされます。
なお、三者関係とは、二者の葛藤的な関係に第三者が巻き込まれることを指し、この関係が硬直化すれば、各メンバーの独立性が阻害されます。
さて、上記の「境界」の他にも、構造学派では非機能的な「連合」や「権力」に介入し、適切な家族構造の再構成を行っていきます。
「連合」とは、家族のメンバーが目的のために結びつくことを指し、問題のある家族では母子連合‐父親の孤立、母娘連合‐父息子連合‐夫婦の断絶、などがあります。
なお、「連合」と称する場合には敵対関係を含む場合を指しますが、敵対関係を含まない場合は「同盟」と呼びます。
選択肢②の「両親連合」が問題になる場合は、両親の連合を維持するために、子どもを悪者にしているというパターンがあり得ます。
他にも、子どもが病気になるときだけ夫婦が協力するなどの状況も、両親連合のために子どもが症状を呈していると見なすのが妥当ですね。
更に、「権力」とは家族内のヒエラルキーを指し、健全な家族には親と子の間に適切なヒエラルキーがあり、問題のある家族はそれが逆転していると考えます(構造学派では特に、親ではなく子どもが権力を握っている場合を問題にした。拒食症の子どもがいる場合は、子どもがヒエラルキーの最上位にいることが多いとされている)。
以上より、両親連合や世代間境界は構造学派の概念であると考えられます(境界は特にミニューチンが重視した概念です)。
よって、選択肢②および選択肢③は不適切と判断できます。
④ ホメオスタシス
さて、先述の構造学派も多世代学派も、システム論的家族療法の派閥になります。
順番は前後しますが、このシステム論に関する解説からしていきましょう。
システム的家族療法は、システムズ・アプローチ(対象とするシステムの目標を規定するすべての要因を抽出し、これらの相互作用の分析・検討によって、要因とその効果との関連を明らかにしようとするもの)に準拠して、家族関係を記述し、説明する家族療法を指します(理論モデルは、家族システム理論と呼ぶ)。
システムは、生物学者von Bertalanfyの「一般システム理論」によって広まった概念です。
フォン・ベルタランフィの一般システム理論の特徴は以下の通りとなります。
- ある要素は、更にある特徴によって小さく分けられるサブシステムより成り立っており、システムはより大きい階層システムのサブシステムである。
- システムは部分の集まりではなく、部分があるパターンによって組み合わせれてできた統合体であり、その独自性は境界によって維持されている。
- システムは、もの、エネルギー、情報をシステムの外の環境と交換するかしないかによって、開放システム・閉鎖システムに分けられる。
- 多くの場合、システム内の活動は未知であり、インプットとアウトプットのみが知覚できる。
- 生きた生物体は、本質的に開放システムであり、環境との間に無限に、もの、ことを交換し合うシステムである。
- 開放システムの世界では、原因と結果が直接的に結びつくような直線的因果律は成り立たず、すべてがすべての原因であって結果であるという、円環的因果律が成立する。
すなわち、システムの特徴は、全体性(全体は部分の総和ではない)、自己制御性(ホメオスタシスのように、逸脱を小さくしようとするネガティブ・フィードバック機構)、変換性(環境の変化に合わせて自身を変化させる働き。自己制御性と合わせて、大小の変化を含みシステム全体の安定を保つ)と言えます。
家族療法では、この考え方を援用して家族システム理論を唱えたわけです。
家族をシステムとして捉えていく場合、それは一組の諸要素や諸単位が、ある一定の関係または相互作用の関わりにある状態を指します。
どんなシステムでも一定の関係によって組織された諸要素から成り立っており、これを「組織性」と呼び、家族システム理論の重要な概念です。
これは以下のような捉え方をします。
- 全体性:諸要素から成るシステムは、全体は部分の総和以上の働きを示すものと捉える。また、一つの要素は、他の要素から独立には働き得ない。各単位や各要素は、他の単位や要素に依存し、制約を受ける。
- 境界:各システム及びそれを構成する各単位や要素には境界がある。境界は、空間的にも時間的にも存在する。諸要素の関係が、空間的にパターン化している場合には、物理的な境界がはっきりわかる。この考え方は選択肢③で示した、構造学派で特に重視する。
- 階層性:システムは階層性レベルに従って、各要素や単位が組織化している。ある男性であれば、家族システムの父親、夫婦システムの夫、会社システムの課長、町会システムの会計担当、PTAシステムの副会長といった具合に、各システムの単位とし、期待されている役割を行うことになる。
また、家族システムには安定した状態を維持するための「制御」の仕組みがあるとされています。
家族システムの持つ自己制御の仕組みは、フィードバック・ループによるものであり、これは2つの事象を単に原因と結果といった形で結び付けるのではなく、円環的に関係付け、家族システム論では「家族の問題は皆が互いに影響力を及ぼしあった結果で、いわば家族内人間関係全体が原因」と考えます。
つまり「家族療法では、原因と結果がまわりまわって出てきたもの」(円環的因果律)として捉え、何らかの問題行動や症状を示した特定の個人(これを家族療法では IP (identified patient:患者とみなされた人))の問題を、家族という脈絡の中で見ていきます。
特定の個人には責任はなく、家族システムの全体の人間関係のゆがみに由来すると捉えるわけです。
こうしたフィードバック・ループは、そのループのいかなる部分も増大し、円環的な事象も増大するポジティブ・フィードバック・ループ(ポジティブはプラスの意味とは限らない。思春期の子どもが家庭内暴力によって、家族システムの変化を要求するような場合を指す)と、ループ内の様々な事象に見られる逸脱を回復し、均衡を維持するネガティブ・フィードバック・ループ(ひきこもりの子どもが、家族関係の崩壊予防や現状維持に寄与している場合など)があります。
また、制御システムの一つとして、いつも内的状態を一定の安定した状態に維持するホメオスタシスをヒントとした、家族ホメオスタシス(生活体システムにも力動的な均衡作用がある)を前提とします。
家族の構成員の不適応や精神病理は、その構成員に原因があるとは考えず、家族システムの秩序維持である家族ホメオスタシスの作用やそれが歪んだせいだと考えます。
つまり、家族内コミュニケーションに悪循環が生じると、そのシステムの秩序維持(家族ホメオスタシス)作用への反発として、特定の家族に不適応や精神疾患が生じると考えるわけです。
こうした家族ホメオスタシスは、さまざまな学派の家族療法で前提とされていますが、戦略的家族療法では、家族ホメオスタシスによって治療の介入が無効化されることを防ぐために、セラピストからの介入が直接的になることを避け、間接的な指示を与えるようにしています。
これは、症状や問題の直接的な変化を要請するやり方では、家族が変化に対して家族ホメオスタシス(この場合、現状に保とうとする力動と言い換えてもいいでしょう。不健康な家族システムでは、問題や症状がある状態を維持しようとする)が機能することで、変化を無効化する危険性があります。
そのため、症状や問題に関わるコンテクストを変化させるという間接的指示を与えることが必要とされます。
また、指示の目的も、症状や問題を変化させるということに直接結びつかない別の目的性を持たせ、かつ、それらがセラピストからの「指示」に基づくものではなく、家族の本来備わっている変化への動機づけを増幅させるものとして理解されるようにすることが必要です。
こうした技術は「逆説的指示」によってなされることが多いもので、実践上も「逆説的指示」の方が、本来の目的を見通しづらくさせ、セラピストの指示によって変化したと思わせづらい効果があります。
具体的には、「親子でけんかをするようにした方がいい」「子どもの弱さや狡さを指摘するようなことを、気が付いたらしっかりと言ってください」などのようなアプローチは、私も良く用いますし、かなり効果があると実感しています(そういう指示が効果的な事例は確かにある)。
このようにホメオスタシスは、家族をシステムとして捉える場合の重要な概念ではありますが、ベイトソンのダブルバインド理論に含有されているものではありません。
よって、選択肢④は不適切と判断できます。
⑤ メタ・コミュニケーション
こちらがベイトソンの示した二重拘束理論(ダブルバインド理論)と関連する概念となります。
ここではベイトソンが示している「ダブルバインド状況を構成する必要条件」をまずは示しましょう。
なお、以下の記述はこちらの書籍からの引用になります。
- 二人あるいはそれ以上の人間の存在:この複数の人間の内、一人を「犠牲者」としてみることが、定義上必要である。その犠牲者にダブルバインドを課すのは母親とは限らない。母親だけでなく、他の家族成員との組み合わせでダブルバインドが成立する場合もある。
- 繰り返される経験:ダブルバインドは、犠牲者に繰り返し示されるテーマである。トラウマのように1回の経験が心の傷を与えるというものではなく、繰り返される経験によってダブルバインド構造に対する構えが習慣として形成される。
- 第一次の禁止命令:「これをすると、お前を罰する」もしくは「これをしないと、お前を罰する」といういずれかの形式を取ることになる。処罰の形として思い浮かぶのは、愛情の停止、憎しみや怒りの表示、最も過酷なケースとしては「お前はもうどうしようもない」ということを強度に表現する「見捨てられ」の経験が挙げられる。
- より抽象的なレベルで第一次の禁止命令と衝突する第二の禁止命令:これは第一の禁止命令と同じく、生存への脅威となる処罰またはその示唆を伴うものである。この命令の言語化は難しいが、その理由としては、①非言語的手段によって伝えられることが多い(ポーズ、ジェスチャー、声の調子、仕草、言葉の含意など)、②第二の禁止命令を言語化すると、第一の禁止命令と矛盾が生じる(翻訳しようとすると何が何やら訳が分からなくなる)、などが挙げられる。片方の親が第一を、もう片方が第二を担当することもあり、そうなれば事態はさらに複雑である。
- 犠牲者が関係の場から逃れるのを禁ずる第三次の禁止命令:形式的には、この禁止命令を独立で挙げることは不要かもしれない。なぜなら、第一および第二の禁止命令が強化されること自体に、生存の脅威が内包されており、また、幼児期にダブルバインドを引き入れられた者は、そもそも脱出の可能性を持たない。ただし、脱出を食い止められるための積極的な働きかけがなされるというケースも存在する。
- 犠牲者が自らの世界をダブルバインドのパターンによって知覚するようになってしまえば、以上の構成因子が完全にそろう必要もない。そうしたケースでは、ダブルバインド状況の任意の部分が現れるだけで、パニックが憤激が引き起こされることになる。
そして、こうした状況に置かれた結果、さまざまな反応が出ることになりますが、犠牲者が自己を防御するために取る方法は大きく3つ示されています。
まず1つ目が、あらゆる言葉の裏に自らの脅かす隠れた意味があるように思い込むケースであり、隠された意味に過度のこだわりを示し、誰にも騙されないという態度を取り、他人の言葉の裏の意味や、自分の周囲に起こる偶発的な出来事の背後に潜む意味を絶えず探し求め、その結果、猜疑心が強く他人を寄せ付けない人間になっていきます。
2つ目が、人が自分に言うことを、すべて字句通りに受け取るようになるケースであり、言葉とは裏腹な口調やジェスチャーがあったとしても、言葉の方に固執して、メタコミュニケーションのシグナルには全く意に介しません。
3つ目が、耳を塞ぐという方法であり、周りで何が起ころうとも、それを見ようとも聞こうともせず、固く身を閉ざして、周囲の反応を刺激することも必死になって避けようとするパターンであり、自分の関心を外部の世界から引き離し、自分の心の動きだけに集中する結果、一人殻に閉じこもるようになります。
ベイトソンは、それぞれを統合失調症の妄想型・破瓜型・緊張型に相当し、それぞれのやり方で自己防衛を図ると考えていました。
上記を読み、この理論において「メタ・コミュニケーション」が非常に重要な意味を持つと認識しているのがわかると思います。
そもそも「メタ・コミュニケーション」について、ベイトソンは上記の書籍で以下のように述べています。
コミュニケーションについてコミュニケーションする能力、自分自身や他の人間の意味ある行動についてコメントする能力は、社会的関わりに不可欠なものである。正常な会話では、「どういう意味?」「なんでそんなことしたの?」「からかっているんだろう?」といったメタ・レベルのメッセージが絶えず取り交わされる。相手が言葉の意図を正しく認識するためには、直接間接に相手の表現について何かを言うことができなくてはならない。このメタ・コミュニケーションのレベルを、統合失調症患者はうまく用いることができないようである。
コミュニケーションには様々な水準があるわけですが、言語化されているコミュニケーション以外にも様々なコミュニケーションがあり得るのはわかると思いますが、ダブルバインド理論においては、違う水準(メタレベル水準×メタレベルでない水準)でのメッセージに矛盾があるために、受け取り手は混乱するというのが、この理論の骨子なわけですね。
この違う水準でのコミュニケーションで矛盾があるために、受け取り手がどうすることもできない、どう判断していいかわからない、どういう風にするのが正解なのか見当がつかない、という状況を「拘束(バインド)」と表現しているわけです(もちろん、「二重(ダブル)」は、異なる水準の2つのコミュニケーションのことですね)。
以上より、メタ・コミュニケーションは、G. Batesonの二重拘束理論に関連する概念であると言えますね。
よって、選択肢⑤が適切と判断できます。