公認心理師 2021-81

心理療法の創始者を問う内容ですね。

THE・王道といった感じの問題ですから、落とさないようにしたいですね。

問81 A. Ellisが創始した心理療法として、最も適切なものを1つ選べ。
① 行動療法
② 精神分析療法
③ ゲシュタルト療法
④ 論理情動行動療法
⑤ クライエント中心療法

解答のポイント

各心理療法の創始者を把握している。

選択肢の解説

① 行動療法

多くの心理療法は創始者がいて、その創始者が「大病理理論(病気ってこういうものだよ、という考え方)」や「大人間理論(人間ってこういうものだよ、という考え方)」があり、それに基づいて治療論が展開されていきます。

行動療法の特異なところは、そうした大病理理論や大人間理論を持たないという点です。

ただし、行動療法にも小病理理論はあり、例えば、不安に基づく障害の技術に関しては「不安をどのように捉えるか」という点で行動療法独自の理論があるように見受けられますが、それは行動療法全体の基盤となるような「大理論」にはなっていません。

こういうところが行動療法を体系的に捉えることを困難にさせていると同時に、行動療法独自の価値を高めていると言えます。

行動療法は、それ以外の心理療法とは全く異なった出現の仕方をしながら心理療法の枠内に入ってきました。

上述のように、それぞれの心理療法には始祖がいて(精神分析はフロイト、ゲシュタルト療法はパールズ、クライエント中心療法はロジャーズという感じで)、その始祖の長年の臨床経験が理論化された病理理論に基づいた治療理論が展開されるのが一般的です。

行動療法は、アイゼンクが「実験によって裏付けられた学習の諸原理に基づくすべての行動修正法」と定義したように、その方法論については独立した複数の起源を持っており、それらの方法は、その対象も時期も場所も理論的背景も異なるものでした(スキナーは応用行動分析理論、アイゼンクやウォルピは新行動S-R理論など)。

そして、これらの方法論が寄り集まって「行動療法」という一つの体系を形作っていったのです(とは言え、歴史的には最初っから「一つにまとまる」となったわけではなく、まとまることへの抵抗もあったらしい)。

他にも行動療法には様々な定義がなされましたが、これらの定義で共通しているのは「行動療法を方法として定義している」ということであり、そういう意味では「行動療法とは方法の体系である」と見なすことができます。

その方法それぞれに創始者はいますが、彼らが「行動療法自体の創始者」とはなりません。

ですから、行動療法は「創始者を持たない心理療法」であり、その中にある方法論に多くの創始者を持つのが特徴ですね。

ここでは省きますが、いくつかの有名な方法の創始者に関してはそれぞれに把握しておくことが試験勉強的には求められますし、その辺は過去問でも出題があったと思います。

以上より、行動療法は、行動療法という大きな枠組みで見たときに創始者を持たない心理療法ですから、エリスは該当しないと言えます。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

② 精神分析療法

まずここでは、よく出題される現代心理学の源流についての説明から入りましょう。

ヴントは訓練された実験参加者に、自分自身の「意識」の内容を観察・報告させる「内観法」と呼ばれる方法を用いて、厳密に統制された状況下で「意識」の分析を行いました。

そしてこの点が多くの批判を呼び、そこから以下の3大潮流の流れが生まれました。

  • 意識に対して、行動を重視したのが行動主義心理学(これが選択肢①の始まり)。
  • 部分ではなく、全体性を重視したのがゲシュタルト心理学(これは選択肢③と思いきや違う)。
  • 意識ではなく、無意識を重視したのが精神分析学(これが本選択肢のお話)。

こうした流れで始まった精神分析学はFreudが祖であり、19世紀末から20世紀にかけて発展しました。

精神分析では、人間の精神活動において、意識よりも無意識の方が重要な役割を果たしていると考え、意識の分析では人間を理解することは不可能であると考えたわけです。

「当人には直接知られず、にもかかわらずその人の判断や行動を支配しているもの」、それが無意識であると考えたわけですね。

フロイトは臨床経験に基づき、単純な言い間違い、書き間違い、物忘れといった日常的な失錯行為から始めて、強迫神経症やヒステリーに至るまで、すべての心的な症状は、その背後に「無意識」の過程が潜在している、という仮説を示しました。

こうした主張は「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」という点でマルクスとも通じています。

フロイトが哲学の世界にも多大な影響を与えたとされているのも、この点と関連があります。

こうした「無意識」にあるものを「意識化」することによって、症状が改善していくというのが精神分析療法の基本的な考え方です。

この辺はよく「心理学外」の人から誤解されるポイントですが、精神分析において症状は「苦しい」から生じるのではなく、「苦しいことを忘れた」から生じるものと見なします(一応言っておきますと、古典的な捉え方の基本として)。

ですから、自覚的な「悩み」というのは、それが何かの置き換えでない限り(すなわち、現実的な悩みである場合)は精神分析の中心的な問題にはなり得ないのが一般的であり、精神分析学で蓄積されてきた多くの技法が活躍することは少ないでしょう。

こうしたアプローチの理解としては、「かつては有効だった「外界との折り合いをつける工夫」が、成長した今では時代錯誤的になってしまっているが、それが無意識のうちに発動してしまって不適切な事態となっている」と見なし、その内部文化を精神分析では「自由連想法」を用いて意識化を目指す、と考えておくと良いでしょう。

意識化の過程では、かつて身につけた無意識的な工夫を再検討し、必要性が共有できれば修正やリフォームを行っていくことになります(そして、それがまた無意識化して身につけていく)。

ちなみに、これは「精神分析の短期的な捉え方」になります。

精神分析では、上記のような「無意識を巡る作業プロセス全体」が習慣化していき、常に前意識水準でその習慣が常在させ続ける状態も目指します。

これはフロイトの「終わりある分析と終わりなき分析」という論文の骨子になりますね。

精神分析に関しては「何を述べることが、精神分析の中核を語ることか」がそもそも難しいものです(私自身も、今これを書いていて迷っています)。

上記を読んで、多くの専門家は不十分と感じることでしょう(私もそうです)。

ですが、あえて何が精神分析の中核であろうか、と考えたときに、やはり精神分析以外には存在しないものを挙げておくことが大切だと思っています。

それが上記で述べた「無意識」という考え方と、「自由連想法」という方法です。

他の理論の中で「無意識」という言葉が使われることはありますが、それはフロイトの述べている無意識の範囲を超えるものではないと考えてよいでしょうし、他の学派で自由連想法を行うことはありません。

とりあえず、ここではこの2つの特異性を述べて解説とすることにしましょう(本選択肢の解説で必要なのは、精神分析の創始者はエリスじゃないよ、というところだけなんですけどね)。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

③ ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法は、医師のF.Perlsを中心に提唱された心理療法です。

ゲシュタルトとは形、全体、統合を意味する言葉であり、ゲシュタルト療法も統合を指向する人格への変容を目的としています。

人間を統合された一元論的(ホメオスタティック)な自己調節機能を持つ全体的存在として捉え、具体的技法が開発されています。

ゲシュタルト療法の基本概念のひとつとして「ホメオスタシス」があります。

もともとホメオスタシスは、生命維持のために有機体が外界の変化に対応して、内界のバランスを保持しようとする生理的機能を指しますが、これが精神的現象の中にも存在すると考えたのがパールズでした。

不快な経験による怒りや悲しみは、精神的バランスを保つためのサインであるので、無視するのではなく、むしろ取り上げたり、関わることの方が良いとゲシュタルト療法では考えます。

そして、この取り上げることを「コンタクト」と呼んでいます。

もう一つのゲシュタルト療法の基本概念が「図と地」です。

意識に出ているのが「図」であり、その背景になって見えていないのが「地」であり、パールズは精神的に健康であれば知覚されるのは一つで、二つは同時に知覚されないと考えます。

二つが知覚されていたとしても、より高次な欲求を「図」と認知し、それを選ぶことが要請されます。

この「図」にある欲求が解消されると、今度は次善の欲求である「地」が前面に出てくるという「図地反転」が起こります。

目の前にある様々な感情等が、自分にとってどのような意味があるかに関する「気づき」を得ることができれば、すなわち経験のもう一つの面を見ることができれば(要は図地反転が起これば)、人間はしたたかに生きることができるとパールズは考え、これをゲシュタルト療法では「視野」が広がると表現されます。

「図と地」という概念は、よく精神分析の「意識と無意識」に該当すると説明されます。

なぜパールズがこの概念を取り入れたのかというと、もともと彼はフロイトに憧れていましたが、やり取りの中で幻滅したという出来事があったということでした。

この「似ているけど違う概念」を提唱するというところに、パールズのフロイトに対する複雑な感情が現れているように感じます。

上記では「気づき」が出てきましたが、これもゲシュタルト療法の基本概念の一つです。

「気づき」とは、意識性とも言われ、「今ここ」で「地」から「図」にのぼってくる意識の過程のことを指します。

つまり、身体の内外で起こっていることを感じたり、意識することを指します。

ゲシュタルト療法では、先述の「ホメオスタシス」「図と地」の観点から、ゲシュタルト療法では無意識に封じ込めた自分のありのままの感情への「気づき」を重要視します。

自分でも気づいていない自分の感情に気づくことで、無意識に沈んでいた心からのサインに応え、固まっていた「図と地」の反転をスムーズに行えるようにしていくのです。

しかし、この気づきというのは、過去に遡ったり、未来に飛んでいったりして得ることはできず、過去も未来も「今ここ」で起こっているものとして体験することが重要であるとゲシュタルト療法では考えます。

そのため、ゲシュタルト療法では「今ここ」で関わる技法が創案されており、それは電話相談や危機介入に取り入れられています。

ゲシュタルト療法が目指す統合を志向する人物像は、臨床的には、「今、ここ」での事故の欲求の何かが「図」として認知され、それにコンタクトもしくは関わることができている状態、すなわち欲求の図時斑点が円滑に言っている状態の中に見ることができるとされています。

この過程を促進させるような技法が、ゲシュタルト療法では数多く示されています。

Stevensが「気づき ゲシュタルト・セラピーの実習指導書(社会産業教育研究所)」という書籍の中で多くの技法を示していますから、参考したい方はそちらも見てください。

以上のように、ゲシュタルト療法はエリスが提唱した心理療法ではないことがわかりますね。

よって、選択肢③は不適切と判断できます。

④ 論理情動行動療法

論理情動行動療法は理性感情行動療法とも呼ばれ、1950年代の半ばごろからアメリカのA. Ellis(アルバート・エリス)によって提唱された心理療法です。

当初はRT(Rational Therapy:論理療法)と言っていましたが、誤解を生じさせやすかったので1960年代にRET(Rational Emotive Therapy:論理情動療法)に変え、更に1994年以降は内容を明確にするためにREBT(Rational Emotive Behavior Therapy:論理情動行動療法)に変更し、今日に至っています。

REBTは一言でいえば、心理療法に対する包括的な接近法であり、個人の持つ様々な問題を、認知や情緒、行動的な立場から積極的に解決をはかろうとする心理療法です。

その背景には、精神分析やクライエント中心療法、行動療法やゲシュタルト療法、集団心理療法、役割演技法、心理劇などの考え方が色濃く存在するが、特に認知的行動論や意味論、実存的人間性主義的な方向からの影響を強く受けていると考えられています(エリスは、カレン・ホーナイの研究所で精神分析のトレーニングを受けていましたが、1955年ごろに精神分析から離れて行動療法や一般意味論、実存主義などの影響を受けながらABCシェマという独自の理論を構築し、論理療法を創始した)。

上記でも少し出ましたが、エリスは論理情動行動療法と従来の心理療法の違いをABCDEを用いて極めて明快かつ論理的に説明しようとしています。

  • A:Activating event(出来事)
  • B:Belief(信念、固定観念)
  • C:Consequence(結果)

出来事(A)があって結果(C)があるのではなく、間に信念体系(B)による解釈をはさんで、結果(C)である、感情や行動の反応、すなわち、不安や怒り、不適応な行動が生じると考えます。

しかし、人は原因はBではなくAであると信じているので、諦めがちです。

この受け止め方に含まれている非論理的な信念をirrational Belief(iB)と呼び、それが論理的に非合理的であることを理解して粉砕することを目的として行われるのが論駁(D)になります。

D:Dispute(論駁)
E:Effect(効果)

論駁とは、要は論破すること、説得することです。

論駁によって、元々の非論理的信念に代わるより幸せに生きることのできる、合理的で理性的な(つまりRational)な信念(rational Belief:rB)をしっかりと身につけさせ、最終的には将来に似たような場面にぶつかっても、自分でiBを発見し、反論して正しいrBが導きさせるような自己コントロール力を養成します。

これが最後の効果(E)になるわけです。

多くの心理療法が情緒や行動に注目しながら認知的側面を結果として二次的に位置づける傾向がありましたが、REBTではむしろ認知や理性を真正面に据え、全体が人間の幸せを前提とした合理性、論理性で構造化されています。

自己治療的色彩があり、効率の良い積極的、指示的心理療法と言えます。

以上のように、論理情動行動療法はA. Ellisが創始した心理療法と言えます。

よって、選択肢④が適切と判断できます。

⑤ クライエント中心療法

クライエント中心療法は、1940年代にC.R.Rogers(カール・ロジャーズ)によって発展させられた人間の成長と変容に対する、たえず継続的に発展しつつあるアプローチです。

その中心的な仮説は、援助する人が真実さ、配慮、および深く感受性豊かな評価ないし理解を体験し、かつ伝え合いつつあるような関係の中で、どのような個人の成長する潜在力も解放される傾向があるということです。

クライエント中心療法において最も有名なのは、いわゆる3条件となります。

「クライエント中心療法」出版の6年後の1957年に、ロジャーズはこれまでの諸論文における様々な考えを統合する形で「治療上のパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」という論文を発表しました。

この論文は、ロジャーズの考えを要約するものとしても、整理したものとしても考えることができ、ロジャーズの論文の中でも重要なものの1つに数えられます。

この論文の中でロジャーズは、建設的なパーソナリティ変化が起こるためには、次のような条件が存在し、それがかなりの期間継続することが必要であるとし、以下の6つの条件を提示しました。

  1. 2人の人が心理的な接触をもっていること 。
  2. 第1の人(クライエントと呼ぶことにする)は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること 。
  3. 第2の人(セラピストと呼ぶことにする)は、その関係のなかで一致しており、統合していること。
  4. セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること 。
  5. セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること。
  6. 共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること。

ロジャーズは、この6条件以外の「他のいかなる条件も必要ではない。もしこれらの6つの条件が存在し、それがある期間継続するならば、それで十分である。建設的なパーソナリティ変化の過程が、そこに現われるだろう」としています。

ちなみに、クライエント中心療法は「非指示的」なアプローチとされています。

一方で、指示的なアプローチで知られるミルトン・エリクソンですが、ロジャーズはある講演の中で、自らに一番近いのはミルトン・エリクソンであるとしています。

この講演は上記の書籍に所収されています。

この本質としては「無意識に対する信頼」とされており、ロジャーズがクライエントの自己実現傾向を信頼しているように、ミルトン・エリクソンも人間の無意識の持つ力を信頼しており、その点が共通しており、そしてそれが臨床家にとって重要なことであるとも言えるでしょう。

以上より、クライエント中心療法はエリスが提唱した心理療法ではないことがわかりますね。

よって、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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