問120はカウンセラーが心理支援を続行できないときの対応に関する問題です。
クライエントとどのように別れるかは、クライエントとどのように出会うのか、というテーマと表裏一体です(河合隼雄先生の最後の講演が「初回面接について」であることが思い合わされます)。
問120 公認心理師がクライエントに対して心理的支援を続行できないときの対応として、最も適切なものを1つ選べ。
①急病のため、クライエントへの面接の代行を同僚に依頼した。
②画一的な対応を避けるため、不在時の対応マニュアルの作成への協力を控えた。
③産前・産後休業を取るにあたって、クライエントと今後の関わりについて相談した。
④職場の異動に伴い担当者が交代したことを新しい担当者がクライエントに説明した。
こちらの問題は「カウンセリングにおける別れ」に関する考察が多少必要ですね。
それは以下の解説で示すとして、私個人の経験から大切と思うことは「クライエントがカウンセラーに向けている信頼は、カウンセリングをしていたからといって把握できるものではない」ということです。
毎回雑談をしに来ていたり、何も問題が無いように見えたり、カウンセラーに対して特に信頼している様子を見せていなかったり。
そういうクライエントはたくさんおりますが、そういう「特にカウンセラーとの関係で支えられているように見えないクライエント」ほど、実は別れにおいてさまざまな心理的反応を示します。
「特にカウンセラーとの関係で支えられているように見えないクライエント」だからと言って、軽い調子で「別れ」を告げたり、問題ないだろうという態度で接することは厳に慎むべきです。
それ自体が取り返しのつかない傷つきを生むこともあるのです。
解答のポイント
カウンセリングにおける別れの作法を理解している。
選択肢の解説
①急病のため、クライエントへの面接の代行を同僚に依頼した。
カウンセラーの急病は仕方がないことですが、急に別のカウンセラーがカウンセリングを代行するということはあり得ません。
何らかの形でクライエントに事情を説明し、カウンセリングの再開等に関する見通しを伝えるということになります。
その説明の内容については、クライエントの病理や状態を加味しながらなされることになりますし、こうした説明を「同僚に依頼する」ことはあり得るでしょう。
言うまでもないことですが、カウンセリングはカウンセラーとクライエントの関係性によって進行・展開していくことが前提であり、だからこそ「カウンセラーなら誰でも良い」というわけではありません。
もちろん行動療法のように、その理論に「関係性」を組み込んでいない学派もあるにはあるのですが、だからと言って「昨日と違うカウンセラーだけど、やることは同じだから良いですよね」ということが通用しないことは誰にでも理解できると思います。
また、こうした関係性故に、例えば「心理検査を行うのは面接担当者以外が望ましい。関係性が結果に影響を与えてしまうため」といったことが生じるわけです。
ちなみに、カウンセラーの年齢や健康状態によっては、急病という事態を想定して話し合っておくことも大切になるでしょう。
こちらについては選択肢②でも述べてあります。
以上より、選択肢①は不適切と判断できます。
②画一的な対応を避けるため、不在時の対応マニュアルの作成への協力を控えた。
カウンセラーが不在の時にどのような対応を取るのか、ということについては組織の中である程度決められていることが大切です。
それがある程度「画一的」であり「マニュアル」のような形になっていることにも、心理支援上の意義があります。
人のこころに対する専門職であるが故に、「画一的」「マニュアル」を避ける方向の心理が働きがちですが、「画一的」「マニュアル」とは言い換えれば「安定して同じ対応を取ることができる」ということになります。
心理的な課題の一つとして「恒常性」というものがあります。
恒常性とは「いつも同じ」ということです。
恒常性に課題があるということは、対象が「いつも同じ」という感覚を持ちにくく、それ故に混乱したり、傷ついたり、試したりしてしまうことが生じます。
こうした恒常性の課題は、目の前のカウンセラーを通して、その背後にある組織や臨床心理学の世界にも向けられます。
いくらカウンセラーが安定していても、不在時の対応が曖昧だったり行き当たりばったりになってしまうと、組織や臨床心理学の世界への「安定している感じ」が薄れ、更なる不穏を招いたり、そうした「不安定感」がカウンセラーへと投影されて、治療関係の大きなつまづきとなってしまう可能性もあります。
こうした理由から、不在時の対応が「画一的」「マニュアル的」であることは何の問題もないと言えるでしょう。
こうした対応マニュアルはもともと組織として大枠があるとして、この大枠に沿って、個々のクライエントに合わせた対応をカウンセラーと話し合っておくことが重要です。
こうしたやり取り自体が「安定した対象」としてカウンセラーやその組織がいるための非特異的な工夫であり、実はこういうやりとりの集積がカウンセラーとクライエントの関係の安定感を高めてくれるのです。
また、カウンセラーが不在の時にどのような対応を組織として取るのかということ、そしてそれをクライエントが承知していることは、クライエントを平常時だけでなく非常時までも支援するということの示唆になるでしょう。
一般的にこういう事項については、担当者が決まった時点で自然な形で行われることがほとんどだと思います。
「何か急に連絡取りたいときは、こちらの電話にその旨お伝えください」「ただし、私の勤務日は○曜日と○曜日になっているので、お返事はその曜日になると思います」などとなるのかなと思いますが、機関の特徴によっていろいろ変化があるでしょうね。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。
③産前・産後休業を取るにあたって、クライエントと今後の関わりについて相談した。
カウンセラーが妊娠しているということ、そして産休を取るということについては、さまざまな思いをクライエントに生じさせるでしょう。
その思いはさまざまなレベルで生じるものであり、「今後の関わりについて相談」ということを現実的・具体的な内容だけと受け取らないことが大切です。
例えば、摂食障害者の場合、妊娠・出産を望めない身体状態である人もおり、そういうクライエントに対して「カウンセラーの妊娠」を伝えることで、複雑な心理状態になることが自明であると言えます。
また、産休や育休が満足に取れなかったり、そうした社会的立場になかった女性もいるでしょうから、そういうクライエントの場合には「産休を取る」ということ自体が、何らかの思いを喚起させる可能性もあります。
更に、産休を取るということは「クライエントよりも大切な人がいる」ということを暗に示すことになるでしょう(当然ではあるのですが)。
カウンセリングに、多少のファンタジーは付きものです。
カウンセラーを万能と見ていたり、自分を100%支援してくれるという幻想を抱く時期も、クライエントによっては生じますし、その場合には、クライエントは見捨てられたと感じることもあり得るでしょう。
単純に「カウンセラーと会えなくなる」ということに対する不安反応も考えられます。
クライエントにとってカウンセラーが支えになっているのであれば尚更ですね。
現実的な不安として、「これから私はどうなるのか」「今後の支援はどうなるのか」「また戻ってくるのか」「別の人が担当になるのか」といったこともあるでしょうし、別の担当者をつける場合でも、新たな人と会うという不安も自然に生じ得るものと言えるでしょう。
このような様々な水準で生じるクライエントの思いを汲みつつ「今後の関わりを相談」すること自体が、カウンセリングの一過程と言えるのです。
「去っていく人が目の前に居る」ということは、非常にアンビバレンスな状態です。
そのカウンセラーに感謝しているし、だからこそ送り出したいけど、見放されたように感じ、その怒りや、その奥にある寂しさなど、複雑な感情が生じます。
選択肢④でも示しますが、こういう事態でどのように対応するかはクライエントとの関係性や病理・状態などによって様々です。
距離を取って短期間の別れで終わらせるというのも臨床の知恵の一つといえるでしょう。
多くのカウンセリング場面では、こうした複雑な感情を「別れの作業」として扱っていくことが重要とされますし、事実その通りだと思います。
ただ上記でも示したように、非常にアンビバレンスな状態を招く「別れ」という事態に、どの程度耐え、そこで過ごすことができるかはクライエントによって分かれます。
カウンセラーはその事実を認識し、クライエントの見立てに沿って、「そのクライエントにとっての別れ」を共有しておくことが大切なのです。
以上より、選択肢③が適切と判断できます。
④職場の異動に伴い担当者が交代したことを新しい担当者がクライエントに説明した。
原則論で言えば、職場の異動が決まったら、カウンセリングの中で別れの作業を一定期間取るようにする必要があります。
もちろん、急病などではその暇がないことも少なくないでしょうけど、本選択肢のような「異動に伴う」という状況であれば、それがわかった時点でクライエントと選択肢③で示したようなアンビバレンスをやり取りするという時期を、カウンセリング過程の一つとして過ごすことになります。
冒頭で「原則論で言えば」としましたが、それはやはりクライエントの病態・状態および公認心理師が所属している場によって異なるということが多分にしてあり得るからです。
例えば、精神科デイケアの場合を考えてみましょう。
もちろん、精神科デイケアも社会復帰を積極的に促すようなデイケアもあれば、居場所・安全基地の一つとして機能することを重視したデイケアもあります。
社会復帰を促すようなデイケアであれば、社会の中にある「別れ」の小部分としてカウンセラーの「異動」をやり取りすることもあり得るでしょう。
しかし、もっと精神的機能が低下した状態の利用者が多い場合、その「別れ」を比較的短期間に設定し、「あえて触れないようにする」という状況を作ることも支援の方針としてあり得ると思います。
それほどまでに「別れ」は両価的なものなのです。
ただし、クライエントの状態如何にかかわらず「異動する」という事実、そのことは本人の口から告げることが重要です。
別れを本人以外から告げられるということは、クライエントをはじめとした心理支援で関わっている人たちに強い傷つきを生じさせます。
「直接言ってくれなかった」という事実をどう解釈するかはクライエントたち次第ですが、さまざまな傷つきを抱えているクライエントが、その事実をネガティブな方向で解釈することは十分に予測できることです(一番考えやすいのが、見捨てられた、という感じでしょうか)。
もちろん別れがつらいのはクライエントだけではありません。
カウンセラーもつらい。
私は多くのことからは逃げてよいと思っていますが、それでも「その事実を伝える」ということを避けてはいけないと思うのです。
場合によっては「別れを告げない」というやり方は、カウンセラー自身の万能感の誇示になってしまいます。
クライエントに自分との関係を「締めくくる」という機会を持たせないことで、ある意味クライエントにとって自分を「永遠」にしてしまうということです。
この状態になってしまっては、そのクライエントを次に支援する人が非常にやりづらくなりますし、長い目で見てそのクライエントのためになるとは思えません。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。