公認心理師 2018-114

フォーカシング指向心理療法の基本的な考え方や技法について、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。
この「基本的な考え方や技法」についてを前提としつつ解いていくことが重要です。

心理療法では、それぞれの学派でクロスオーバーしているところも少なからずありますから、その心理療法の核となる理論などをきちんとつかんでおくことが重要です。

フォーカシング自体は、以下のステップで表されることが多い「技法」です。

  1. 空間をつくる
  2. フェルトセンス
  3. 取っ手を掴む
  4. 共鳴させる
  5. 尋ねる
  6. 共感する
繰り返しますが、フォーカシングは「技法」です。
「技法」とは、「誰でもが身につけることができるもの」という意味であり、これがフォーカシング指向心理療法において重要なポイントです。
後述しますが、フォーカシングは体験に触れるための練習ステップであり、体験に触れた話し方をするほどにカウンセリングの成功率が高まるとされています。
これを見出したジェンドリンが、「体験に触れた話し方をする方がカウンセリングの成功率が高いなら、体験に触れた話し方をできるように練習してもらおう」と考え出した技術がフォーカシングということです。
よってフォーカシングは「練習でき」「誰でも身につけることが可能」な「技術」であることに、大きな価値があります。
こうしたことを下地としながら、各選択肢の検証を行っていきます。

解答のポイント

フォーカシング指向心理療法が何を重視した療法であるかを把握していること。
特に他の心理療法との弁別が可能であること。

選択肢の解説

『①過去から現在までの体験の積み重ねを共同作業の中で丁寧に検討する』

ロジャーズが行っていたカウンセリングの成功・失敗事例の比較研究にジェンドリンが参加しました。
この研究では「より深い話をする群の方が成功率が高い」「過去の体験を語る群の方が成功率が高い」などの仮説が立てられていましたが、いずれも該当しませんでした。

研究に参加したジェンドリンが注目したのが、クライエントの「話し方」です。
この研究では、クライエントの話の「内容」は成功率に関係が無く、むしろクライエントがどのような「話し方」をするのかが重要とされました。

すなわち、過去から現在までに関する「今ここ」での体験に触れながら語ることが重要と言えます。
「あの時どうだったか」ではなく、「あの時のことを思い出して、どう感じるか」が重要なわけです。

選択肢①の内容もしないわけではないでしょうが、フォーカシング指向心理療法の「基本的な考え方」には該当しないと言えます。
「過去から現在までの体験の積み重ねを共同作業の中で丁寧に検討する」ということ自体は、他の心理療法、例えば力動的心理療法の中でも行われることと考えられます。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

『②情動体験をより深く十分に感じることによって変化することを目指す』

フォーカシングでは、フェルトセンスを生き生きと感じながら身体に問いかけていくうちに、ある概念を当てはめたときにぴったりとした感じがあり、緊張低下を伴う開ける瞬間があります。
これを「フェルトシフト」と呼び、今まで気づかなかったことが思い浮かんだり、気がかりなことに対する考え方が変化することが多いとされています。

こうした「気づき」がフォーカシングでは重要とされており、選択肢②の「情動体験をより深く十分に感じることによって変化することを目指す」というのとは少しニュアンスが異なることがわかります。

選択肢②の内容は、精神分析などの「洞察」に似ているように感じます。
精神分析では「知的な洞察」ではなく「情緒的で直接的な洞察」が重視されており、これが「情緒体験をより深く十分に感じること」と近いように思えます。

また精神分析にとどまらず、「情動体験をより深く十分に感じること」は他の心理療法でも重視されていることです。
あくまでもフォーカシング指向心理療法の「基本的な考え方や技法」という枠組みで捉えると、本選択肢は不適切と判断できます。

よって、選択肢②は不適切と言えます。

『③問題や状況について、本人が既に分かっている気づきを更に深めるように質問を重ねていく』

ジェンドリンの師ロジャーズは自己理論の中で、「体験」とは「感覚的および内臓的な経験」であり「絶え間なく変化している」と述べるに留まっており、それ以上具体的には述べていませんでした。
ジェンドリンは、クライエントの内面に直接触れる技術として体験過程に注目し、その技術自体を「フォーカシング」と呼びます。
ジェンドリンのアプローチを「体験過程療法」と呼びますが、「フォーカシング指向心理療法」もほぼ同義として扱われます。

ジェンドリンは体験過程を以下のように分析しました。

  1. 感じる過程(feeling)である。体験過程は感じられる(felt)ものであって、思考されたり、知られたり、言語によって表現されたりするようなものではない
  2. 体験過程とは、人が今この瞬間において、今、ここで感じることである。
  3. 体験過程は、それが何であるかはわからなくても、「この感じ」とか「あの気持ち」などと名前を付けて呼ぶことができるリアルなものである。
  4. 体験過程を手がかりとして、人は自分が感じていることを概念化して理解することができる。人はある気持ちを感じたとき、その感じに照合し、大雑把にある概念に当てはめて表現してみる。…人は体験過程を照合して、それを概念化しようと試み、次第に適切に概念化できるようになる。
  5. 体験過程は豊かな意味を含んでいる。何となく何かを感じていても、その感じにぴったりする概念を見出せることは少ない。…体験過程には多くの複雑な意味が潜んでいる
  6. 体験過程は、フロイトのいう「無意識」と葉違う。体験過程ははっきりと意識できるものだからである。また、ロジャースの言う「否認」とも違う。体験過程ははっきりと感じられるもので、否認されたり無視されたりしているわけでもないからである。
上記の1が、いわゆる「フェルトセンス」について述べたものになります。
フェルトセンスについては、よく「暗々裡」などと表現されるように、まだ言語化もされておらず、なんとなくの「感じ」の状態です。
5でも示されている通り、「豊かな意味」を含んでいるけれども、それが何なのかわからない、というものであり、選択肢③にあるような「本人が既に分かっている気づき」という類のものではありません。
よって、選択肢③は不適切と言えます。

『④クライエントが自身の身体に起こる、まだ言葉にならない意味の感覚に注意を向けるよう援助する』

選択肢③の解説の中で、本選択肢後半の「まだ言葉にならない意味の感覚に注意を向けるよう援助する」という点が適切であることはわかると思います。
まだ言葉にならない=暗々裡な感覚に注意を向けることで、そこに含まれた豊かな意味について気づくよう援助していくわけです。

本選択肢前半の「クライエントが自身の身体に起こる」という記述も正しいと言えます。
よく例に出されるのが、「お腹がすいたという感覚に注意を向けることで、自分が何を食べたかったのかに気づけるようになる」というものです。

選択肢の内容は主にフェルトセンスについての説明になっています。
フェルトセンスは「意味を含んだ曖昧な身体感覚」とされることが多く、身体の感覚を取っ掛かりとしてフォーカシングに入っていく場合がほとんどです。
senseという言葉を使っているのも、身体の感覚的な意味を指しています。

「思い出したくても思い出せない」「喉まで出かかっている」などの感覚が例として使われることも多いですね。
あの身体の感じがフェルトセンスとされています。

以上より、選択肢④が最も適切といえます。

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