公認心理師 2018追加-14

「関与しながらの観察」について、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。

「関与しながらの観察」については、公認心理師2018-44でも出題されていますね。
しっかりと過去問をやっておけば解けるタイプの問題でした。
試験勉強では、過去問を擦り切れるくらいやるのが大切だと個人的には思います。

またサリヴァンを繰り返し読んでいれば「サリヴァンはこんなこと言わないよね」というのも感覚的にわかります。
それはサリヴァンが好きな人の特権ということで。

解答のポイント

「精神医学的面接」の関与的観察に関する箇所を把握していること。

選択肢の解説

『①関与も観察もともに観察者だけが行うことである』

サリヴァンは以下のように述べています。
「すなわち、精神科医が一隅に身を隠しながら自分の感覚器を利用して他の人間の行為を認知することはできない。…科学的検討に適合してデータとなりうるものは過程および過程の変化である。これらが生起するところは被験者の個人の中にはない。観察者の内部でもない。観察者と被験者とのあいだに創造される場(situation)においてである」(精神医学的面接;p19)

上記の内容は、「精神医学という科学的方法を適用する根拠を有する領域」におけるデータの収集方法について述べた箇所です。
観察者だけが一方的に関与・観察を行うわけではないことが読み取れると思います。

また「“客観的”観察のようなものは存在しない。あるのは「関与的観察」だけであり、その場合はきみも関与の重要因子ではないか」(精神医学的面接;p141)という記述も見られます。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

『②H.S.Sullivanが提唱した実験的観察法に関する概念である』

サリヴァンは以下のように述べています。
「「精神医学とは科学的方法を適用する根拠を有する領域である」とみなされるようになって以来のことであるが、われわれは「精神医学のデータは関与的観察をとおしてのみ獲得できるものである」という結論に達した」(精神医学的面接;p19)
上記から、関与的観察はサリヴァンが提唱した概念だということがわかります。

一方で「実験的観察法」とは、観察対象を取り巻く状況を統制した中で、その行動を記録する方法を指します。
例えば、幼児と母親の相互作用をワンウェイミラーで観察するような方法ですね。
この方法の特徴は以下の通りです。

  • 研究者が興味を持つ行動を重点的に観察できること。
  • 環境変数を組織的に変化できるので、その関数として行動がどう変化するかを観察して、行動と環境の因果関係を把握できること。
  • 状況が統制されるに伴い、行動も不自然になることを考慮しなければならない。
以上より、サリヴァンの言っている方法論とは異なることがわかります。
サリヴァンは「目下進行中の対人作戦に巻き込まれないわけには行かないのである」(精神医学的面接;p19)と述べています。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

『③関与と観察は不可分のものであるため、観察者は中立的に参加しながら観察を行う』

中立性については公認心理師2018-44に同じような選択肢が出ていますね。
復習問題のようなものです。

サリヴァンの著作から引用していきます。
「精神科医は面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない。精神科医が面接への自らの関与に気づかずそれを意識しない程度がひどいほど、目の前で起こっていることに無知である度合いも大きくなる」(精神医学的面接;p41)

上記の引用からは、「中立的に参加しながら」というスタンスとはまったく異なる、関係の中に入っていくことの重要性を読み取ることができます

関連しそうなサリヴァンの言及として以下のようなものがあります。
「何を考えているのかの手がかりを全然示さない人、二人でどのようにしてゆくのが良いのかの鍵を全然与えてくれない人に面接を受けて、人生の大事な一面を検討されるとしたらどんなものだろうね?…要するにわれわれは(そんな能面のような人を相手としていたら)誰も自分の安全を感じないのである」(精神医学的面接;p142)
セラピストが何も示さないということは、非常に安全感を損ねると指摘しています。
(本来の中立性とは、そういった何を示さないこととは違うのですが…。詳しくは以前の解説をご覧ください)

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

『④観察者は現象に人為的な操作を加え、条件を統制したり関与したりしながら観察を行う』

同じ箇所の引用になりますが「精神科医は面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない。精神科医が面接への自らの関与に気づかずそれを意識しない程度がひどいほど、目の前で起こっていることに無知である度合いも大きくなる」(精神医学的面接;p41)とサリヴァンは述べています。
現象に人為的な操作を加えるのではなく、「事態のすべてに深く巻き込まれ」るのです。

サリヴァンも、セラピストの特性を多く示す必要はないとしています。
一方で、声の調子や身体のジェスチャーという信号を送っているとし、以下のように述べています。
ジェスチャーや信号は、現在進行中の問答に関する面接者の考えをあけひろげにみせるものではないかもしれないが、被面接者に対して「面接者が人間である」ことを示唆する役には立つわけで、それで十分患者の支えになる」(精神医学的面接;p142)

このことは、セラピストが意識的に条件を統制したり関与するという形での関わりではないことが読み取れますね。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

『⑤観察者は自身が1つの道具としての性質を持っており、自らの存在の影響を排除できない』

まず選択肢前半の「観察者は自身が1つの道具としての性質を持っており」という点について、サリヴァンは以下のように述べています。
精神科医の主要観察用具はその「自己」である。その人格である。個人としての彼である」(精神医学的面接;p19)

サリヴァンらしい表現ですが、観察者が道具としての性質を持っていること、と捉えられていることがわかります。
選択肢後半の「自らの存在の影響を排除できない」という点については、先述の「精神科医は面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない。精神科医が面接への自らの関与に気づかずそれを意識しない程度がひどいほど、目の前で起こっていることに無知である度合いも大きくなる」(精神医学的面接;p41)という箇所に記されています。

面接に自らが関与することが前提であり、その自覚がない場合は目の前の現象に対して無知であるも同然であると述べていますね。

以上より、選択肢⑤が適切と判断できます。

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