公認心理師 2023-70

事例の再非行を説明する理論を選択する問題です。

あくまでも「再非行」を説明するのに当てはまりそうな理論を選ぶわけですね(元々の非行ではなく)。

問70 15歳の男子A、中学3年生。売却目的でゲームソフトの万引きを繰り返した件で逮捕され、少年鑑別所に収容となった。家庭裁判所の審判では保護観察の決定を受けた。その後、中学校に登校したが、同級生たちから、「鑑別所帰り」と避けられ、親や教師からは、「悪いことをしていないか」と疑われていた。保護観察となって3か月後、Aは万引きで逮捕された。
 Aの再非行を説明する理論として、最も適切なものを1つ選べ。
① A. K. Cohen の非行下位文化理論
② D. Matza の漂流理論
③ E. H. Sutherland の分化的接触理論
④ H. S. Becker のラベリング理論
⑤ T. Hirschi の社会的絆理論

解答のポイント

各非行理論について把握している。

選択肢の解説

⑤ T. Hirschi の社会的絆理論

まずは、いくつかの犯罪理論をまとめて表にしておきましょう。

これを踏まえて、解説に入っていきます。

本選択肢は「社会的統制理論」という枠組みに含まれる理論です。

従来の非行理論が「なぜ彼ら(彼女ら)は非行や犯罪をおこすのか」という原因論から出発したことに対し、この理論枠(その一つとして社会的絆理論がある)では「人はどうして犯罪・非行を犯さないか」という問題設定から出発しています。

あえて単純化して言えば、人間は本来欲望のままに行動する存在であり、人間が犯罪・非行を犯さないのは、心理的な抑制、社会的統制がそれを抑止しているからと考えます。

その抑止が弱まったとき、犯罪・非行が生じると考えるわけです。

この枠組みの代表的な研究者はHirschであり、彼は個人と順法的な社会とを結ぶ社会的絆があり、これが弱められ、断ち切られた場合に非行が生じるとしています。

ハーシによれば、社会的絆には、家族や学校および友人などに対する「愛着」、クラブ活動や勉強などの合法的活動への「コミットメント」、合法的な成功をめざして行う進学などへの「インボルブメント(関与)」、ルールや規範などへの尊敬である「信念」があるとしています。

これらの絆はいずれもインフォーマルなものであり、ハーシはこのようなインフォーマルな社会統制メカニズムの重要性を説きました。

社会的絆理論をはじめとした社会的統制理論は「非行が湧き出る理論」であると考えられ、安定低成長期における少年の行動に許容的な風潮、少年をつなぎ止める社会的な絆の弱体化など、ある意味でアノミー化(伝統的な規範が失われた状態)した社会の中で、少年たちは自己存在確認の非行や人間に内在する悪心が発揮されやすくなったと捉えられています。

日本における安定低成長期(犯罪の第3の波の時期)の非行を説明する理論であるとされ、非行対策としては、社会秩序の再構築と少年を取り巻く絆と統制力の回復、個人の自制力、道徳心の育成が必要とされました。

ここで本事例を見てみると、非行の内容は「売却目的でゲームソフトの万引きを繰り返した件で逮捕され、少年鑑別所に収容となった。家庭裁判所の審判では保護観察の決定を受けた」ということになります。

ただポイントになるのが「Aの再非行を説明する理論はどれか?」ということですから、事例中の「その後、中学校に登校したが、同級生たちから、「鑑別所帰り」と避けられ、親や教師からは、「悪いことをしていないか」と疑われていた。保護観察となって3か月後、Aは万引きで逮捕された」という箇所と絡む理論を選択することが重要になります。

社会的絆理論における絆の薄さ(家族や学校および友人などに対する「愛着」)が見受けられはしますが、ここだけで再非行と見なすのはちょっと弱い気がしますね。

もっと「その後、中学校に登校したが、同級生たちから、「鑑別所帰り」と避けられ、親や教師からは、「悪いことをしていないか」と疑われていた」という箇所を説明する理論を探してみる方が良いと思うので、本選択肢はいったん不適切として読み進めていきましょう。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

① A. K. Cohen の非行下位文化理論

こちらは「社会的緊張理論」という枠組みに含まれる理論です(こうした枠組みに関してはHirschが1969年に示しました)。

この枠組みでは、「社会の内部に心理的な緊張、不満をもたらすような圧力が存在し、これが人々の犯罪・非行に走らせるように動機づけている」と考える理論であり、このような圧力は特定の階層に強く働くので、社会構造との関連で犯罪・非行の発生過程を説明するのに有効な理論です。

すなわち、社会的緊張理論の枠組みに属する理論は「非行が押し出される理論」と言え、日本においては戦後の社会混乱における貧困と家庭の不安定を原因と考え、戦後混乱期の第1の波を説明する理論としては有効と言えました(日本の戦後の非行には3つの波があり、第1の波は戦後の混乱期に見いだされた。他の波は他選択肢の解説で述べます)。

よって、この時期の非行対策は、困窮による不満の除去を目標とする福祉的な対策が強調されていました。

この立場は、Maertonの「アノミー論」が代表的で、Cohenの「サブカルチャー理論」、Cloward&Ohlinの「分化的機会接触理論」がここに含まれます。

コーエンのサブカルチャー理論は、非行の文化が標準的な中流階層の文化と異なるために、非行少年は逸脱者とみなされると考える立場であり、これと同じ流れを汲む選択肢①の「非行下位文化理論」では「労働者地区特有の非行少年の特徴を、非功利性、破壊趣味、否定主義、集団的自律性などに見いだし」、これらの非行は「中産階級本位の競走的社会に対する、欲求不満の裏返しとしての一種の自己主張」であると捉えた理論です。

なお、この理論においては、上位文化では「犯罪をしなくても生きていける」ため、犯罪率は低くなるという見解を示します。

本選択肢の理論は「その後、中学校に登校したが、同級生たちから、「鑑別所帰り」と避けられ、親や教師からは、「悪いことをしていないか」と疑われていた」という箇所によって再非行が起こったと説明するものになっていませんね。

文化階層間の社会内部の圧力が存在して…という理論ですから、本事例ではそうした階層間の差が明確に示されていません。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

③ E. H. Sutherland の分化的接触理論
④ H. S. Becker のラベリング理論

これらは「文化的逸脱理論」という枠組みに含まれる理論です。

ある下位文化が社会全体の主流をなす文化から逸脱している場合、すなわち、非行下位文化が存在する場合、その下位文化の中で社会化された個人は、下位文化の規範や行動を学習・同調し、それが犯罪や非行になるという考え方です。

代表的な理論がSutherlandの「分化的接触理論」で、この理論では、犯罪行動は、他の人々との相互作用を通じて学習されるものであり、その学習は親密な私的集団の中で行われると考えます。

特に犯罪文化と接触し、非犯罪文化と隔絶したとき、犯罪文化と同化するとしています。

この理論においてサザランドは、犯罪行動は人々が犯罪的文化に接触する中で学習され、通常者と分離することで生じるものであるとし、犯罪を人格の歪み、情動障害の所産とみるそれまでの見方を批判しました。

分化的接触理論では、頻度、持続期間、強度、優先順位という4つのキーワードが重視されており、個人が犯罪や逸脱行動に走るかどうかは、それらに触れる頻度や期間、関り合い (強度・優先順位)の深さが強く関係します。

すなわち、犯罪を肯定する文化と、それを否定する文化がせめぎ合う環境において、犯罪を肯定する文化を、否定する文化よりもより早く、より強く、より長く学んだ者が犯罪者になると考えるわけです。

つまり、犯罪行動とは先天的要因によって決定されるのではなく、後天的に取得されると考える理論になります。

従来の理論(非行下位文化理論など)では犯罪行動は下層階層に多いと思われがちでしたが、サザランドの分化的接触理論に基づけば、上流中流階層の人々の中にもこのような犯罪文化は存在し、さまざまな犯罪行動(たとえば贈収賄や偽りの申告など)が行われているとして、これを「ホワイト・カラー犯罪」とサザランドは呼びました。

ただ、上流中流階層の人々は、自己の犯罪的行動が発見されるのをうまく逃れる術を知っているので「犯罪行動は下層に多い」ように見えるだけであるとサザランドは述べています。

こうした文化的逸脱理論は、言わば「非行を引き出す理論」であり、日本においては高度成長期に、その発展から取り残された者の世の中に対する怒りのエネルギーとして、それを犯罪・非行として引き出す非行文化の存在を重視しました。

日本の戦後の非行において第2の波である高度成長期の非行を説明できる理論と見なされており、非行対策としては差別の除去と非行文化の除去が中心課題となります。

同じく「文化的逸脱理論」という枠組みに含まれる理論として、Beckerの「ラベリング理論」が挙げられます(どちらかというと、文化的逸脱理論と社会的統制理論の間にあるようなイメージが正しいです)。

ラベリング理論は、逸脱行動を単なる社会病理現象として扱ってきたアプローチとは一線を画し、逸脱というのは、行為者の内的な属性ではなく、周囲からのラベリング(レッテル貼り)によって生み出されるものだ、と捉えるものです。

この理論において社会集団は「これを犯せば逸脱となるような規則」を設け、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを張る事で逸脱を生み出すとし、すなわち、逸脱が先にあるのではなく、レッテル貼りが逸脱を生み出すと考えます。

つまり、これまでの議論が「逸脱行為がまず存在して、それを人びとが逸脱として認識する」という手順だったのに対して、ラベリング理論では「人々がある行為を逸脱と認識するから、逸脱になる。「逸脱者」というレッテル貼りが「逸脱者」を生み出す」と見なしているわけですね。

ベッカーは個人の内的な性質(動機、性格、精神病理)によって逸脱行為を説明してきた学問的常識に対して、逸脱を貼り付ける社会制度とラベリングされる側との相互作用として説明したのです。

事例では犯罪文化に触れているような記述は見られないので、選択肢③の分化的接触理論には該当しないことがわかります。

対して、「その後、中学校に登校したが、同級生たちから、「鑑別所帰り」と避けられ、親や教師からは、「悪いことをしていないか」と疑われていた」というのはラベリング(レッテル)をしていることが再非行を促していると言えますから、ラベリング理論が該当すると考えるのが妥当ですね。

以上より、選択肢③は不適切と判断でき、選択肢④は適切と判断できます。

② D. Matza の漂流理論

非行理論の古典に位置づけられるMatzaの漂流理論(ドリフト理論とも呼ばれる)は、Sykesとの共著論文である「中和化の技術」論を基礎にして、非行・犯罪に関する実証主義的研究への批判として展開されたものです。

マッツァは、少年たちが先行原因によって常に非行を行う存在であるとか、必然的に成人犯罪者になると考えることに批判的であり、非行少年の多くが朝から晩まで非行行動をしているわけでなく、ほとんどの時間は遵法的な行動をしていること、ある年齢になると特に外部から強制されなくとも非行から引退することなどから「彼ら(彼女ら)が非行を行なっている状態は一種の通過儀礼として遵法と違法の境界を漂流していると捉えるべき」だと考えました。

この理論によると、ほとんどの非行少年は合法的な文化を肯定しておりますが、一方で彼らの自由意思により非行を繰り返したとしても、いずれは更生して自らの意志で合法的・遵法的な文化に帰着するとしています。

要するに、非行少年はつねに非合法的な文化に没入しているのではなく、非合法的な文化と合法的な文化のあいだを漂流していると考えるのがドリフト理論になります(本人らに善悪の区別はついているということになりますね)。

先述のように、理論の基礎となっているのは、マッツァがサイクスとともに1957年に提唱した「中和の技術」であり、これによると非行少年は以下の5つの技術を用いて、非行へ向かったことを正当化するとしています。

  1. 責任の否定:自分はある環境に巻き込まれたのであって、自分には責任がないとする。
    「友達に誘われてやっただけ」
    「家族がケンカをしていて面白くなかった」
  2. 加害の否定:これは遊びやふざけであるので、たいしたことではないとする。
    「万引はしたが、店はこのくらいの損失をはじめから計算に入れているんだから問題ない」
  3. 被害者の否定:この攻撃は受けて当然のものであって、相手にこそ責任があるとする。
    「あいつがえこひいきするから殴ったんだ」
    「強制性交の被害者は、実は男を誘ったんだ」
  4. 非難者への非難:こうした行為を非難する者も問題含みであり、非難する資格はないとする。
    「自分はネコババしたけど、警察官がこの前窃盗したじゃないか」
  5. より高度な忠誠心への訴え:忠誠を誓うべき秩序や大義が荒らされているのだから、見逃せないとする。
    「空港を占拠したのは、外国からの侵略を防ぐためである」

ドリフト理論においては、これらの技術によって非行の事実を中和することで、合法的な文化に戻ることが可能となると捉えられます。

本事例は「非合法的な文化と合法的な文化のあいだを漂流している」と見られる状況は確認できませんし、Aが中和の技術を使っているような表現も見当たりません。

よって、選択肢②は不適切と判断できます。

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