公認心理師 2019-146

問146は評価法に関する理解を問うております。
子どもたちの評価の仕方は、教育学の分野ではさまざま示されております。
教育学で示されている基本的な評価法について理解をしておくことが大切な問題ですね。

問146 14歳の男子A、中学2年生。Aは中学1年生のときに比べ、学習に対して積極的に取り組み、成績が全体的に上がった。1学期の成績評定は国語と社会が高く、数学と体育は他の教科と比べて低かった。Aは中学1年生のときは幅広い交友関係があったが、現在は特定の友人と親しくしている。何事に対しても真面目に取り組み、クラスメイトからも信頼されているが、自信がなく不安な様子もみられる。
Aについてのこれらの情報は、どのような評価に基づくか、最も適切なものを1つ選べ。
①診断的評価と相対評価
②縦断的個人内評価と相対評価
③診断的評価と横断的個人内評価
④診断的評価と縦断的個人内評価
⑤縦断的個人内評価と横断的個人内評価

本問で求められているのは、診断的評価、相対評価、個人内評価という評価法に関する理解ですね。
併せて、縦断的・横断的という考え方も知っておく必要があります。
縦断的・横断的に関しては心理学領域でもよく使われる表現ですから、比較的なじみのある方も多かっただろうと思います。

解答のポイント

診断的評価、相対評価、個人内評価などの評価法に関する理解があること。

選択肢の解説

①診断的評価と相対評価

まずは「診断的評価」と「相対評価」についての理解が大切になりますね。

診断的評価に関しては、2019-27内でBloomのマスタリー・ラーニングを解説する中で述べていますね(2019年度は教育学の領域からも結構出ていましたね)。
診断的評価は、学年・学期・単元などの開始時期に、現在までの習得レベルの確認や、次の学習に必要とされる知識・技能を備えているかどうかの判定を行うために実施されます
学習者が何を知っていて何を知らないか、その時点の学習者の能力を診断するために行われる評価のことです。
新しい学校・プログラムに入った学生を、レベル別にクラス分けするためのテストなどがそれにあたります。
教師は、学習者の能力がわかりますし、学習者も自分の強み・弱みを知ることができます。

こうした診断的評価は、指導前に教える側が学習者の状況を把握するために行うわけですから、本事例の評価の在り方(「中学1年生のときに比べ、学習に対して積極的に取り組み、成績が全体的に上がった」「1学期の成績評定は国語と社会が高く、数学と体育は他の教科に比べて低かった」「中学1年生のときは幅広い交友関係があったが、現在は特定の友人と親しくしている」「何事に対しても真面目に取り組み、クラスメイトからも信頼されているが、自信がなく不安な様子もみられる」)とは合致しないことがわかります

相対評価とは、集団の得点の平均値を基準にして、前か後かの相対的ポジションで評定をしようとする点に特徴を持ちます
相対評価法は、もともと心理測定の理論としてつくられた評定尺度を基礎にしており、評定の客観性を高めるという利点がある一方で、その教育の評価の方法としての妥当性をめぐって、疑問視する声も多い方法です。
例えば、何かしらの意図(例えば、英語の学力を上げようとする教育的意図)の働いていない大集団で初めて統計的有意味性をもつ相対評価理論を、意図が働いていて、かつ1つの学校、極端になると40人そこそこの小集団に適用することの誤り、仲間のミスで自分の得点が上がるという敵対的関係を子ども間に作り出すという非教育性、その得点分布曲線にみられる能力論上の一種の遺伝決定論的傾向の問題性などが、相対評価の問題として挙げられています。

事例では、A個人内での評価(1年生の時に比べて成績や対人関係の変化、1学期の成績評定を他の教科と比較して)に終始しており、同じ学齢集団の平均との比較で評価していないことがわかります
微妙に引っ掛かりやすいのが「1学期の成績評定は国語と社会が高く、数学と体育は他の教科と比べて低かった」という部分です。
あくまでも「他の教科と比べて」とあるので、Aの個人内評定になっていると見てよいでしょう(この「他の教科と比べて」が「国語と社会」に係っているかが怪しいところではありますが)。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

②縦断的個人内評価と相対評価

先述の通り、「相対評価」に関しては否定できることがわかります。
一方、「縦断的個人内評価」に関しても考えてみましょう。

まず「縦断的・横断的」という分け方の理解をしておくことが大切です。
例えば、「10歳から15歳の怒りに基づいた言動の度合い」を調査する際、対象者として10歳の集団と15歳の集団を選んで比較するというやり方と、対象者として10歳の集団を選んでその集団が15歳になった時点で再調査するというやり方が考えられますね。
前者のように、ある一つの時点での集団・対象を比較するようなやり方を「横断的研究」と呼びます。
一方、後者のように、同一の集団・対象について2つ以上の時点でデータをとって比較する方法を「縦断的研究」と呼びます
本選択肢にある「縦断的個人内評価」の「縦断的」とは、そういう同一の対象に対して時系列に沿って2つ以上の時点でデータを取っている場合を呼ぶことになります。

さらに「個人内評価」に関して理解しておくことが求められています。
先述した相対評価は、各個人の成績が母集団の得点分布の中でどのあたりに位置づけられるかで評価したものであり、いわゆる偏差値による評価のことなどを指します。
これに対して、個人内評価は、成績評価のやり方の一つで、個人の成績をクラスの他の子ども、子どもの出来や教師によって課された学習の到達目標など、子どもの外にあるいかなる尺度によっても図らない、純粋の本人の内でのみ成績を考えるという評価の手法を指します
その子どもの前日、先週、先月の出来に対して、どう変わったかだけを評価するもので、その性格から「進歩の評価」とも呼ばれています。
特に特別支援教育などでは、学習の基準や尺度は、その個人のみに焦点を当ててみるしか手段がなく、こうした評価が採られる場合が多いです。
不登校児の成績評価にもこうした視点の評価を加味することが重要になりますし、教育以外でもリハビリの評価などでもこうした視点が使われていると思われます。

さて、そうなると選択肢の「縦断的個人内評価」とは、同一の個人に対して時間軸に沿って2つ以上の時点のデータ同士を比べることによって得られる評価のことを指しているといえます
事例では、「中学1年生のときに比べ、学習に対して積極的に取り組み、成績が全体的に上がった」「1学期の成績評定は国語と社会が高く、数学と体育は他の教科に比べて低かった」「中学1年生のときは幅広い交友関係があったが、現在は特定の友人と親しくしている」「何事に対しても真面目に取り組み、クラスメイトからも信頼されているが、自信がなく不安な様子もみられる」という記述がなされています。
このうち「中学1年生のときに比べ、学習に対して積極的に取り組み、成績が全体的に上がった」「中学1年生のときは幅広い交友関係があったが、現在は特定の友人と親しくしている」という評価は、先述の「縦断的個人内評価」による評価であると考えられます

以上より、縦断的個人内評価は認められるものの、相対評価はなされていません。
よって、選択肢②は不適切と判断できます。

③診断的評価と横断的個人内評価

先述の通り、「診断的評価」に関しては否定できることがわかります。
一方、「横断的個人内評価」に関しても考えてみましょう。

先述の通り「横断的」とは、ある一つの時点での集団・対象を比較するようなやり方を指しています。
そして「横断的個人内評価」ですから、ある一つの時点でのAに関しての特徴同士を比較する評価法をしているか否かを問うているといえますね。
本事例の場合は、「1学期の成績評定は国語と社会が高く、数学と体育は他の教科に比べて低かった」「何事に対しても真面目に取り組み、クラスメイトからも信頼されているが、自信がなく不安な様子もみられる」という箇所が「横断的個人内評価」と見なすことができますね

以上より、横断的個人内評価は認められるものの、相対評価はなされていません。
よって、選択肢③は不適切と判断できます。

④診断的評価と縦断的個人内評価

先述の通り、「診断的評価」に関しては否定でき、「縦断的個人内評価」に関しては本事例で採用していることがわかります。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤縦断的個人内評価と横断的個人内評価

先述の通り、「縦断的個人内評価」および「横断的個人内評価」の両方を本事例では採用していることがわかります。
以上より、選択肢⑤が適切と判断できます。

1件のコメント

  1. いつもお世話になっております。

    選択肢③についておうかがいします。

    「横断的個人内評価は認められるものの、『診断的評価』に関しては否定でき」と言うとかと思いましたが、
    「横断的個人内評価は認められるものの、相対評価はなされていません。」とのことでした。
    選択肢は「③診断的評価と横断的個人内評価」ということで、「相対評価」と言う言葉が選択肢に含まれていません。

    どのように理解すればよいでしょうか。

    ご多忙のところ、すみません。

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