事例の状況を踏まえ、コンサルテーションで最も適切な対応を選択する問題です。
正答は選びやすいでしょうが、傾聴や心理学用語の機能など、思索を深めておかねばならない事項が入っていますね。
問139 27歳の男性A、中学校教師。Aは、スクールカウンセラーBに、担任をしているクラスの生徒Cのことで相談を持ちかけた。Aによると、Cは、授業中にAに対してあからさまに反抗的な態度をとるという。それにより、授業を中断しなければならない場面が何度もあった。他の生徒の不満も高まってきており、学級運営に支障を来し始めている。Aによると、Cの行動の原因については全く見当がつかず、疲弊感ばかりが増している状態であるとのこと。
BのAへのコンサルテーションにおける対応として、最も適切なものを1つ選べ。
① 具体的な行動は提案しない。
② 具体的かつ詳細な質問を行う。
③ 心理学用語を用いて説明する。
④ なるべく早く解決策を提案する。
⑤ Aの気持ちを長期間繰り返し傾聴する。
解答のポイント
事例の状況で最も必要な対応が理解できている。
選択肢の解説
① 具体的な行動は提案しない。
④ なるべく早く解決策を提案する。
⑤ Aの気持ちを長期間繰り返し傾聴する。
この事例の問題は「Aによると、Cは、授業中にAに対してあからさまに反抗的な態度をとるという。それにより、授業を中断しなければならない場面が何度もあった。他の生徒の不満も高まってきており、学級運営に支障を来し始めている。Aによると、Cの行動の原因については全く見当がつかず、疲弊感ばかりが増している状態であるとのこと」ということになります。
まとめて言えば「原因が皆目見当がつかない状況で、実際の学級運営に支障を来たし、疲労感が増大している」ということになります。
こうした状況で必要な対応について考えていくことが重要ですね。
ここではまず不適切な選択肢の対応を述べ、その不適切たる理由を挙げていきましょう。
まず選択肢④の「なるべく早く解決策を提案する」というのは、「原因が皆目見当がつかない状況」でできることではありません。
こういう対応をしてしまう人に共通しているのは「保留ができない」ということです(その奥には、無力感に耐えられないという場合もありそうな気がしています)。
現時点では「なぜCが問題となる行動を示しているのか」がわからない状態であり、この段階で解決策を提案するというのは、「少ない情報の中で」「不確かな仮説に基づいて」「具体的な解決策を提案する」ということになるはずです。
臨床において、それを基盤に具体的な方針を定めるほどの仮説を立てるのは「3つ以上の事象がある一つの可能性を指し示しているとき」に限定しておくのが良いと思っています。
本事例のような状況での「解決策の提案」は、不確かな情報の上に論理を積み上げるという、非常に不安定な対応になることが目に見えていますね。
こういう状況では、「現状では解決策を提案できない」という「保留の決断」をし、ただし、いつまでも保留はできないという状況も理解した上で、この状況から動き出せるような対応を取っていくことが求められます。
「この状況から動き出せるような対応」に関しては他の選択肢の解説に回すことにしましょう。
いずれにせよ、選択肢④については不適切と判断できます。
上記の解説を踏まえれば、選択肢①の「具体的な行動は提案しない」というのは正しいように感じますが、それは間違いです。
選択肢④のような「解決策の提案」は無茶な話ですが、選択肢①のような「具体的な行動の提案」は見通しを持ったうえで行うことが重要になります。
なぜなら、本事例の支援対象であるA(担任)は「Cの行動の原因については全く見当がつかず、疲弊感ばかりが増している状態である」とされています。
こういう状態で維持すれば、Aの抑うつ等の問題を引き起こす可能性もありますし、何かしらCに対する理解のきっかけを与えるようなアプローチが重要になります。
ですから、Cの行動の原因について理解を促すような、何かしらの行動(行動理論的に言えば刺激)を与えて、それに対する反応を見て、Cの行動の背景に何があるのかに関する見立てを行っていくことが重要になります。
どういう状況でCが反抗的な態度をとるのか聴取し、何かしらの可能性を考え、その可能性を確かめるような関わりをAに助言するというのが一般的な方針ですが、いくつかの仮説を先にAに伝えておくとより理解が深まる場合もあります。
私がよく伝えるのが「恥や劣等感を「感じてしまいそうな状況」からの逃避の可能性」や「「思い通りにならないのはおかしい」という万能感に基づいた信念によって生じている不快感である可能性」ですね。
特に後者に関しては、本人が「思い通りにならない」のは、学校に居る限り慢性的に生じ得る感覚ですから、Cの「反抗」の原因が具体的な刺激に基づいていない場合も考えねばなりません。
言うなれば「生きる前提となっている価値観が、社会で生きていくことを念頭に置いたものになっていないこと」が問題になっている事例が、ここ数年、急激に増えています。
この辺については蛇足ですが、現場で働いている人の一助になれば幸いです。
さて、いずれにしても選択肢①の「具体的な行動は提案しない」というのは、不適切な対応であると判断できます。
そして、選択肢⑤の「Aの気持ちを長期間繰り返し傾聴する」というのは2つの観点から不適切と言えそうです。
まず1つは、本問で問われているのは「BのAへのコンサルテーションにおける対応」なわけですね。
コンサルテーションとは、異なる専門性をもつ複数の者が、援助対象である問題状況について検討し、よりよい援助の在り方について話し合うプロセスを指します。
コンサルテーションの中で、コンサルティ(援助される側:本事例におけるA)にコンサルタント(援助する側:本事例におけるB)が共感的・傾聴的に接するということはありえることの一つではありますが、やはり事例(C)への対応について話題にすることがコンサルテーションの中心的な役割と言えます。
ですから、本選択肢の対応はコンサルテーションの基本的な枠組みから、やや外れた対応と見なすことができるわけです(完全に外れているとは言えないのが難しいところですが)。
そして、もう1つが「長期間繰り返し傾聴する」ということの是非ですね。
よく「ずっと話を聴いていても変化しない」と語る人がいますが、これは間違いです。
傾聴をすることの価値を、私なりの理解ですが述べておきましょう(ロジャーズの理論は頭に入れた上でのお話です、もちろんですけどね)。
まず、人が他の人の身になるということは、本質的に不可能です。
ですが、私たちの仕事の一つは「そこにできるだけ近づく努力をすること」であり、こういう努力をし続けた上で「傾聴」することになります。
こうした努力のもとで行われる「傾聴」は、概ねクライエントの心的世界に沿ったものになりますが、「人が他人の身になるのは不可能」という前提がある以上、そこに「ごくごく僅かなズレ」が生じることになります。
人は「大きなズレ」であればその関係を捨て置いて終わりですが、「ごくごく僅かなズレ」だとそのズレが気になり、そのズレを刺激にして様々な反応を示します(赤ちゃんとかでも、まさにそういう反応をしますよね)。
例えば、そのズレを修正しようとするやり取りがクライエントのもがきとしてカウンセリング過程に顕在化することで、関係性を揺さぶり、崩壊し、再構築するという流れを生じさせ、クライエントの変化を促すことがあり得ます。
すなわち「きちんと傾聴すれば、クライエントは変わる」というのが本質であり、傾聴で変わらないと言っている人は傾聴ができていないと考えるべきであり、傾聴側に問題があるような言い方は外罰的で控えるべきと思います。
では「傾聴によって変化するはず」なのに、本選択肢が不適切なのはなぜかを考えていきましょう。
その理由の一つとして、コンサルティであるAが「何に悩んでいいのか分かっていない」という状況であることが挙げられると思います。
「傾聴の使いどころ」という技術的な言い方はしたくありませんが、本事例のように「Cの行動の原因については全く見当がつかず」という状態であれば、Aは何が問題かわかっていないわけです。
クライエントが問題をそれなりに理解し、それについて悩んでいる時ほど、傾聴という現象はその人の変化や改善を促すものとして機能しやすいように感じます(本事例で言えば、Aの何かしらの行動がCの問題を生んでいると理解され、それに悩むAに対しては傾聴という現象が非常にサポーティブに機能すると思われる)。
本選択肢では、そうした前提条件が整っていないにも関わらず、その対応を「長期間繰り返し」行うとなっている点が不適切であると言えそうです。
このように、選択肢⑤は不適切と判断できます。
② 具体的かつ詳細な質問を行う。
先述の通り、本事例のコンサルティであるAは「Cの行動の原因については全く見当がつかず、疲弊感ばかりが増している状態」であり、実際に学級運営という現実的なところにも支障が出てきている状態ですね。
となれば、問題となっているCの行動に何かしらの論理を見つけ、そこにアプローチするような関わりが重要になってきます。
他選択肢で述べた通り、現段階ではその「Cの行動に関する何かしらの論理」が見つけられていませんから、この段階で明確な方針を立てるのは困難です。
ですから、本事例においてはコンサルティAに対して、具体的かつ詳細な質問を行い、「Cの行動に関する何かしらの論理」を見つけていこうとする関わりが第一選択になるはずですね。
Aは「Cの行動の原因については全く見当がつかず」という状態ではありますが、それでもちょっとしたことから見立てが拓ける場合もあります。
そうした「多くの非専門家が目を向けないような小さな情報」から、何かしらの論理を見出し、そこから見立てと対応を展開できるのが、我々のような専門家の力の見せどころなわけです(別に人に見せるための力ではないけど)。
必ずCの普段の言動の中に、問題となる行動を引き起こしているヒントがあるはずであり、それをきっかけとしてAが具体的にどのように関わればよいかを見立てていくこともできます。
もちろん、この時には学校の様子だけでなく、保護者がどのような人か、例えば、保護者会で保護者にCの状況を伝えたときにどのような反応を示したのか、などを聞いていくことも大切になります。
こうした「問題を伝えられたときの保護者の反応」は、子どもの問題を見立てるにあたってこの上なく重要な情報になりますから、必ず聞き取りしておきたいところです。
ちなみに家庭の問題が大きい場合の「子どもの問題を伝えられたときの保護者の反応」は、①外罰的な物言い(子どもを庇うために、学校の対応や他の生徒の問題にすり替える)に終始する、②無関心や自己責任論を持ち出す、などがあります。
①の場合で「暴力的・抑制的な父親+子どもを庇う母親」という組み合わせが見えたとき、学級崩壊を招く子どものパターンが出やすくなると知っておきましょう(この仕組みの説明は長くなるので割愛)。
②の場合は、保護者は「子どもの問題に責任を感じる」という機能を切り離して生活してきたので、子どもは自分の問題を「自分の心の内だけで」抱えてきたという歴史があり、多くの場合は不穏感情に脆弱な人格になりがちです(幼いころからの、不穏感情を共に抱え、ならしていくという不断の関わりによって、不穏感情を抱える力は向上する面が大きい)。
心理支援の専門家は、上記をはじめとした多くの見立てのヒントを内に持っておき、時にはそれを伝えていくことが重要になります。
こうした多くの見立てのヒントに基づいて、選択肢②の「具体的かつ詳細な質問」を行っていくことで、Cの行動の背景にある要因を見極めることを目指していくわけですね。
以上より、選択肢②がBのAへのコンサルテーションにおける対応として、最も適切と判断できます。
③ 心理学用語を用いて説明する。
本選択肢に関しては「公認心理師 2019-49」でも出題がありますね。
連携を行う場合、多職種の人たちにとって公認心理師の専門語は馴染みが薄いものです。
医療系であれば、精神医学的用語を共通語として用いることができますが、教育・福祉などでは共通語は少なくなりがちです。
土居先生は「専門語と日常語との間の風通しをよくしておくことが絶対に必要」(臨床精神医学の方法 p32)としていますが、連携において専門語を日常語に変換して説明する能力は不可欠なものといえます。
複雑な心理現象を説明する場合、多くの人に馴染みがある例を示しつつクライエントの心理構造の理解につながるような伝え方をする必要があります。
そして、こうした専門語を日常語に変換するという行為は、専門語に対する深い理解があって初めて可能になります。
言い換えれば、専門用語に関する深い理解がある人ほど、専門用語を使う必要がないということですね。
時々、専門用語を振りかざす人がおりますが、これは自他へのこけおどしと思っておきましょう。
あるフランス語専門の先生の話ですが「頭のいいフランス人の話なら聞くことができる。頭がいいから、こちらがどの程度の理解度か考えながら言葉を選んで伝えてくれるから聞き取りやすい。頭が悪いと、それができないから何言ってるかわからない」ということでした。
これは心理職が他職種に専門用語を使う場面でも言えることかもしれないですね。
相手の理解度や領域に合わせて、きちんと伝わるような表現を用いるのは、専門職というよりも人としてのマナーであり、それ自体がクライエントの支援につながるわけですから、きちんとやりたいところですね。
なお、こうした「専門用語」を伝えることの治療的利用も理解しておくことが重要です。
クライエントによっては、自身がある状態にあり「自分に何が起こっているのか」「どうして自分だけが人と違うのか」「どうして自分はこんなに苦しいのか」などといった疑問を長く抱えている場合があります。
こうした事例に対して「〇〇という概念があってね」という風に説明をすると、それまでクライエントが抱えていたモヤモヤした体験を「収納する箱」として概念が機能するようになり、ある種の爽快感、収まり感を体験し、それが一時の安定につながることがあります。
こうした現象は自己規定する概念があることで、それまでモヤモヤ・フワフワしていた自己がしゃっきりするという効果があるのでしょう。
発達障害やLGBTQ、HSP・HSCなどの概念には、こうした治療的活用法があることを知っておくことが大切ですね。
ただし、概念の治療的活用は、かなり慎重に行う必要があります。
なぜなら、その概念がクライエントを表現する「概念ではない場合」にも、一時の安定をもたらすことがあり、そしてそれは後になっての書き換えが困難なものです。
つまり、未熟な支援者が、未熟な見立てのもとで概念を提示し、クライエントがその概念を受け取ることで一時の安定を得てしまうと、「その概念では説明できない問題」が起こって見立ての修正が迫られたときに、その修正が入りにくくなるという問題があるのです。
こうした現象は、発達障害、PTSD、HSP、アダルトチルドレンなどの概念で非常に生じやすいように感じます。
支援者は、自身の実力を控えめに捉えつつ、見立てを洗練させておく以外の予防法は無いと思います。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。