公認心理師 2020-15

ケース・アドボカシーの意味について問う内容になっています。

単純な構造の問題ですが、それ故に知らないと解けない問題かもしれません。

ただ、アドボカシーの意味がわかっていれば、比較的解ける問題だったと思います。

問15 ケース・アドボカシーの説明として、正しいものを1つ選べ。

① 患者が、医療側の説明を理解し、同意し、選択すること

② 医療側が、患者に対して行おうとしている治療について十分な説明を行うこと

③ 障害のある子どもと障害のない子どもを分けずに、特別な教育的ニーズをもつ子どもを支援すること

④ ある個人や家族がサービスの利用に際して不利益を被らないように、法的に保障された権利を代弁・擁護すること

⑤ 障害者が社会の中で差別を受けることなく、権利の平等性を基盤にして、一般社会の中に正当に受け入れられていくこと

解答のポイント

医療や社会福祉における権利を保障する概念について理解していること。

選択肢の解説

① 患者が、医療側の説明を理解し、同意し、選択すること
② 医療側が、患者に対して行おうとしている治療について十分な説明を行うこと

本選択肢の内容は「インフォームド・コンセント」に関する説明になっています。

インフォームド・コンセントとは、「医師と患者との十分な情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念です。

日本医科大学の森田明夫先生が書いておられる「インフォームド・コンセントについて」がわかりやすかったので、こちらから引用しつつ述べていきます。

インフォームド・コンセントという言葉の歴史は浅く、日本では1990年に日本医師会の部会で「説明と同意」と翻訳され、医療法に「説明と同意」の義務が記載されるようになったのは1997年です。

実際には、十分な医行為や治験(研究)に対して説明の上で、理解をし、患者の自由意志によって同意をすることがインフォームド・コンセントであり、その主語は患者であることに気をつけねばなりません。

インフォームド・コンセントにおいて「主体は患者」が極めて重要であり、特に理解をすることと、自由な意思で決定してもらわないといけないことが要件となっています。

インフォームド・コンセントでは、医師が説明をし、同意を得ることが中心にされることが多いのですが、先述の通り、これは本質としては患者が主体の概念です。

医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(これがinformed:選択肢②の内容ですね)、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する(これがconsent:選択肢①の内容ですね)ことを指し、前半が医師側の責任であり、後半が患者の責任といえます。

図で示すと以下のようになります。

とは言え、医行為の医師法での解釈は「当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、または危害を及ぼすおそれのある行為」とされているので、患者と契約を結んだ上で進めないといけない危険な作業という認識です。

したがって、インフォームド・コンセントに際しては、以下のような説明内容が入っていることが必須とされています(過去の裁判の判例から)。

  1. 病名及び現症状とその原因
  2. この治療行為を採用する理由(有効性と合理的根拠)
  3. 治療行為の内容
  4. 治療行為の危険性。合併症の頻度
  5. 治療行為を行った場合の症状の改善の見込み
  6. 治療行為をしない場合の予後
  7. 他に取り得る治療方法の有無
  8. セカンドオピニオンを受ける可能性

こうした説明を受けたうえで、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならないということですね。

十分な理解を得て、判断する時間を持つためには、インフォームド・コンセントは十分な日程的余裕を持ってあらかじめ定められた日時に、わかりやすい絵やシェーマを用いた説明を加えて行うことが大切です。

以上より、選択肢①および選択肢②はインフォームド・コンセントの説明であると言えます。

各選択肢がインフォームド・コンセントの一側面を表しているという、やや凝った内容の作りになっていたということですね。

よって、選択肢①および選択肢②は誤りであると判断できます。

③ 障害のある子どもと障害のない子どもを分けずに、特別な教育的ニーズをもつ子どもを支援すること

本選択肢の内容は「インクルーシブ教育」に関する説明になっています。

文部科学省のホームページに詳しく載っているので、それを踏まえて解説していきましょう。

これは共生社会の構築に向けて重視されている考え方です。

誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会が「共生社会」とされています。

インクルーシブ教育とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的のもと、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が教育制度一般から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされています(障害者の権利に関する条約 第24条より)。

インクルーシブ教育システムでは、同じ場で共に学ぶことを追求すると共に、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その事典で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要とされています。

小中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要です。

こうしたインクルーシブ教育について考えたときに、思い出すのが「日本一自殺の少ない町」に関する研究です。

この町は、最後まで特別支援学級の導入に消極的だったという話があります。

その理由としては「他の生徒との間に多少の違いがあるからといって、その子を押し出して別枠の中に囲い込む行為に賛成できないだけだ。世の中は多様な個性をみつ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか」ということでした。

この背景には、「いろんな人がいてもよい」に留まらない「いろんな人がいた方がよい」というマインドの存在が考察されています。

こうした自分の枠組みに当てはまらないような存在を排除しないという考え方が、この町の自殺率の低さに現れていると言えるのかもしれませんね。

いずれにせよ、本選択肢の内容はインクルーシブ教育に関するものであると言えます。

以上より、選択肢③は誤りと判断できます。

④ ある個人や家族がサービスの利用に際して不利益を被らないように、法的に保障された権利を代弁・擁護すること

本選択肢の内容が「ケース・アドボカシー」に関する説明になっています。

まず、アドボカシーとは「擁護・代弁」「支持・表明」などの意味を持ち、同時に政治的、経済的、社会的なシステムや制度における決定に影響を与えることを目的とした、個人またはグループによる活動や運動を意味します。

単純化して表現すれば、この用語は権利擁護と訳され、利用者が自分の要求を表明できない場合に、援助者がそれを代弁する機能のことを指します。

アドボカシーは、個人や家族を対象にした「ケース・アドボカシー」と地域や集団を対象にした「クラス(コーズ)・アドボカシー」の2つに大別することができます。

「ケース・アドボカシー」とは、個人の権利を守るために、個別のクライエントを対象として行われるアドボカシー活動のことです。

その人が本来ならば受益できるサービスを、その権利を知らなかったり、知っていても公使が困難な状況にある人々に、適切な支援がなされるよう働きかけることが代表的なケース・アドボカシーだといえます。

このように、ケース・アドボカシーの目的はあくまでも個別の権利を尊重することなので、対象者の気持ちや要望を充分に理解した上で行われることが重要です。

これに対して、「クラス(コーズ)・アドボカシー」とは、同じ課題を抱えた当事者の代弁や制度の改善・開発を目指すことを指します。

特定の対象者に限定せず、地域全体の状況を改善すべく取り組むアドボカシー活動です。

社会制度に不備があったり、他の地域に比して著しく公的支援が弱い地域があったりする場合に、行政に制度や政策の改善を求めて働きかけるのがクラス・アドボカシーの代表的活動と言えます。

この活動は、同じような属性にある人々すべてにポジティブな影響を与えることになりますので「クラス」アドボカシーと表現するわけです。

他にも「セルフ・アドボカシー(当事者が自ら行動を起こし、権利を主張していくこと。自ら・代弁、とやや矛盾を感じる表現ですが)」「シチズン・アドボカシー(当事者を含む市民が主体となって、権利の抑圧を受けている市民を擁護する市民運動)」「リーガル・アドボカシー(弁護士など法的な訓練を受けた人が、クライエントの権利行使を援助したり、権利を擁護するために働きかける)」などがあります。

併せて覚えておきましょう。

以上より、本選択肢の内容は「ケース・アドボカシー」に関するものであると言えます。

よって、選択肢④が正しいと判断できます。

⑤ 障害者が社会の中で差別を受けることなく、権利の平等性を基盤にして、一般社会の中に正当に受け入れられていくこと

本選択肢の内容は「ノーマライゼーション(ノーマリゼーションとも読まれる)」に関する説明になっています。

ノーマリゼーションとは、全ての人が当然もっている通常の生活を送る権利をできる限り保障するという目標を一言で表したものであり、たとえ障害があっても、その人を平等な人として受け入れ、同時に、その人たちの生活条件を普通の生活条件と同じものにするよう努めるという理念を指します。

その目標は、障害のある人に障害のない人びとと同じチャンスと可能性を保障することです。

これはデンマークの知的障害者施設の親の会から起こってきた社会福祉の政策や実践の在り方を示す考え方です(提唱者はBank-Mikkelsem:バンク・ミケルセン)。

高齢者や障害者を施設を作ってその中でケアをするという社会ではなく、他の人々と同じように、あらゆる人々が共に生活し共に生き抜くような社会こそノーマルであるという考え方です。

この考え方により、社会福祉の対象者を施設に入所させて必要なサービスを行う施設ケアから、自宅で行う援助サービスである地域ケアの重視など、さまざまな動きが現れてきています。

このように、本選択肢の内容はケース・アドボカシーではなく、ノーマライゼーションに関する説明であると言えますね。

以上より、選択肢⑤は誤りと判断できます。

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