公認心理師 2018追加-19

マルトリートメント(不適切な養育)について、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。

公認心理師2018-110にもマルトリートメントという言葉は出題されています。
1960年代に「虐待」という概念を、アメリカのケンプが広めました。
身体的虐待への関心が高まったことに加え、フェミニズム運動が活発になるにつれて性的虐待にも注目が集まるようになりました。

1980年代になると、マルトリートメント(mal(悪い)treatment(扱い))という、より生態学的な概念が提出され、日本では「不適切な養育」と訳されています。
子どもに対する大人の不適切な関わり全般を指す、虐待よりも広範な概念です。

すなわちマルトリートメントとは、いわゆる児童虐待と同時に、もっと日常的な不適切な関わり(人格を否定する言葉による「しつけ」など)も含む概念です。
福井大学の友田明美先生をはじめ、近年になって一般に広まってきている概念と言えますね。
先日出版された田中茂樹先生の「子どもがしあわせになることば」には、まさにマルトリートメントにならないようにするための関わりが細やかに述べられています。
大切なのは、その言葉の背景にある「人に対する敬意」「子どもの内的な成長力を信じる」という姿勢を内在化させていくことだと思います。

解答のポイント

マルトリートメント概念が広がった経緯について把握していること。
虐待の生じる要因について把握しておくとなお良い。

選択肢の解説

『①貧困との関連は乏しい』

公認心理師2018追加-36でも示しましたが、児童虐待と貧困の関連は大きいです。
貧困は、それにより精神的ゆとりが狭まり、子どもに対して適切な関わりができなくなるなどの間接要因になるだけに留まらず、健康保険の未加入・医療費の未払い等によって適切な治療を受けさせることができないなどネグレクトの直接要因になり得ます
貧困と虐待との関連は既に多く示されています。
貧困は親の自尊心を棄損する状況を生みやすいということもあり、それによって家族全体が孤立し、親の不穏感情が一番弱い家族成員に向けられるという仕組みを生じさせやすいです
以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

『②初めに養育者に反省を促す』

「そういうことをしてはいけない」という正論を言うは容易いですが、それで効果があれば我々のような立場の人間は不要なわけです。
我々は心理支援を行う立場なので、マルトリートメントを行うに至った養育者の事情にも目を向けることが大切です
親の過ちを指摘し反省を促すことによって、その親の自尊心が傷つけられ、支援のつながりが切れるだけでなく、更なる不穏感情を親に抱えさせることになりかねません
こういった論理の中で必ず出てくるのが「加害者はもともと被害者だった」というものです。
これはその通りなのですが、それを臨床上どのように活用するかは難しいところです。
なぜなら「私も同じようにされてきた」という論理は、どこか外罰的で自分の責任を自分で抱えない構えとも取れます(単純に「責任を取りなさい」というのも支援的な姿勢とは言えませんが)。
ですが、そもそも「虐待」よりも広範な「マルトリートメント」という概念は、その内容例を見れば、誰もがされた経験のあるはずです
「加害者が被害者だった」は一つの事実でしょうが、目の前の子どもに対してマルトリートメントを行うこととイコール関係に結ぶのは早計であり、その養育者自身の特徴を多角的に把握することが同時に必要です
積極的に「あなたも被害者だった」ということを喧伝することによって、人によっては自身の責任を過去に横流しする可能性もあります。
その点を考慮すると「加害者はもともと被害者だった」という論理は、養育者が子どもに対してそのように関わってしまう「苦しみを共有するため」に用いることはあっても、養育者が子どもにマルトリートメントを行う「理由」として用いるのは注意が必要だと思います
さて、「自分が同じようにされた人」であるほどに「そう簡単には反省できない」ということも生じやすいでしょう
ですが、こうした力動は一般に理解されず、正論によって諭される経験ばかりが養育者に多くなりがちです。
心理支援を行う人は、養育者の「そう簡単に反省できない」という心理的仕組みを理解し、その理解が養育者に伝わるよう努めることが大切です
セルマ・フレイバーグは「赤ちゃん部屋のおばけ」という概念を出していますが、そういう現象への理解もマルトリートメントを行う養育者の支援には求められます。
いずれにせよ、「反省」は健康度が高いか、長い心理的支援の末に生じる稀有な現象と捉えておいた方が良いように思います
心からのごめんなさいへ」という本がありますが、反省への長い道のりを実感させてくれます。
以上より、選択肢②は不適切と判断します。

『③子どもの脳の器質的問題は発生しない』

むしろマルトリートメントの問題は「子どもの脳に器質的な問題を発生させる」事実が明確に示されたことによって、大きく取り上げられるようになりました
友田明美先生の「子どもの脳を傷つける親たち」には、マルトリートメントの影響が脳のさまざまな領域で生じることをわかりやすく紹介しています。
より医学的な内容については「いやされない傷-児童虐待と傷ついていく脳」に示されています。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

『④養育者自身の自尊感情とは関係がない』

マルトリートメントをしている養育者の面接をしていて、「私は自分の子育てに絶対の自信を持っています」という人はいませんし、いたとしても自他へのこけおどしという意味合いが強いと思われます
すなわち彼らは、自らの行為の不適切さに気がついており「わかっているけど、止められない」という状態にあります。
こうした「自分で自分のことをコントロールできない」という在り方は、自尊感情を著しく棄損します
動作法などが心理的に良い影響をもたらす要因の一つとして「自体感」がありますが、これは「自分の身体を自分が動かしているという感覚」を指します。
マルトリートメントを行う養育者は、常に「自身への統制感の無さ」を抱いており、マルトリートメントをするほどに自尊感情は下がっていきますし、重症例ではその自尊感情の低下を覆い隠すように暴力をエスカレートさせるという形にもなります
また一般的に考えても、自尊感情が低い人ほど周囲との関係の中で不穏感情を生じさせやすいと思われます
自尊感情が低い人は、頭の中に「程度が低い自分」という自己認識があり、周囲の情報をその認識に沿って解釈しがちです
本来、解釈保留にすべき情報であっても「自分への否定的なメッセージ」として受け取ってしまいます(ひどい場合はプラスの情報でも、マイナスと捻じ曲げて解釈する)。
こうした状態では平穏でゆとりのある心理状態を維持するのは難しくなり、当然、不穏感情が高まりやすくなります
不穏感情をどのように表出するかは、その個人特性にもよりますが、一番力の弱い家族成員に向けられるということは大いにあり得るでしょう。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

『⑤多角的な視点でアセスメントする必要がある』

本問の他選択肢でも示された通り、マルトリートメントは貧困といった経済的環境、養育者自身の育てられ方、養育者の心的傾向などが要因となって生じることがわかります
実際に虐待でも、さまざまな要因からそのリスクを判定するようになっていますから、ある単一の要因によって帰せられる現象と捉えるのは誤りです(厚生労働省:要支援児童等(特定妊婦を含む)の情報提供に係る保健・医療・福祉・教育等の連携の一層の推進について)。
そのアセスメントによって、行い得るアプローチが変わってきます
経済状況が心配であれば、それを支援するような福祉的アプローチを厚くしますし、福祉の支援を受け取ることへの抵抗があるのであれば、そこにアプローチしていくことも併せて行います。
背景にDVといった家庭要因があると見立てられるならば、リスクアセスメントによっては福祉的措置を採る可能性も考えねばなりません。
多角的な視点でアセスメントすることには、採り得るアプローチを考えるために必要であるだけでなく、リスクアセスメントを行って子どもの命を守るという意味も大きいです。
以上より、選択肢⑤は適切と判断できます。

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