暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象について選択する問題です。
あまり事例の内容を見なくても解ける内容になっていますね。
問145 24歳の女性A。同居している男性Bから繰り返し暴力を受けている。ある日、怪我をしているAを心配して友人が問い詰めたところ、Bから日常的に暴力を受けていると語ったため、Bとの関係を解消し、家を出るように勧めた。一時は、「関係を解消しようかな」と言っていたAであったが、結局Bとの関係を解消することはなく、再び暴力を受けることになった。その後も周囲が関係の解消や相談機関への相談を勧めたことで、一時家を離れることもあったが結局はBの元に戻り、暴力を受けることを繰り返している。
このように暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象を説明するものとして、最も適切なものを1つ選べ。
① バウンダリー
② ハネムーン期
③ 複雑性PTSD
④ サバイバーズ・ギルト
⑤ トラウマティック・ボンディング
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解答のポイント
PTSDやDVなどで生じる特殊な心理状態に関する概念を把握している。
選択肢の解説
① バウンダリー
バウンダリーとは「境界線」を意味する言葉です。
個人間だけでなく、国家間や家庭間などに引く必要がある、物理的・心理的な「境界線」のことを指しており、この境界線が曖昧なとき、依存や孤立など人間関係の中でさまざまなトラブルが起きやすくなるとされています。
簡単に言えば、自分にとって「OK」なことと、「NG」なことを分ける時の線引きです。
こうしたバウンダリーを尊重し合える関係(端的に言えば、嫌なことを嫌と言い合える関係)が「対等な関係」とされており、関係が対等でない場合に、バウンダリーを無理矢理乗り越えてDVや性暴力が起こりやすいと言われています。
バウンダリーという概念は、どちらかというと「自分を中心とした境界線」であるように感じます。
もちろん、それも大切なのですが、そうした境界線について「私はこれ以上超えられたくないから、それを超えるのはご法度」という風潮があるのは、やや心配になることもあります。
特に、そうした境界線を作っている段階の子どもが、そう易々とバウンダリーを主張してしまうと、当然ながら「嫌だからやらないで」ということになっていきます。
そして、成熟した大人ではなく、未熟な子どもが示す「嫌だ」というのは長期展望が伴っていないことが多いので、予防接種のような「必要だけど嫌なこと」に対しても発動されてしまうことが多いのが懸念です。
バウンダリーに限らずですが、あらゆる概念・価値観は使う人の成熟度によって、その様相を180度変えてしまうことがありますから、注意が必要ですね。
とは言え、大人同士のやり取りの基本的なマナーとしては「相手のバウンダリーを侵さない」というのは言えることでしょうね。
上記の通り、バウンダリーとは「相手と自分との間にある、物理的・心理的な境界線」のことを指していますから、本事例の「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象」ではないことがわかります。
もちろん、バウンダリーが侵襲されるときにDVが生じやすいというのも頷けますから、関連概念として覚えておくことが重要ですね。
以上より、選択肢①は不適切と判断できます。
② ハネムーン期
「ハネムーン期」という表現自体は、色々な概念で用いられています。
本事例と関連するだろう「ハネムーン期」と言えば、やはりDVのサイクル論で用いられるものであろうと考えられます。
すなわち、DVにはサイクルがあり、①蓄積期:言葉の荒さや軽い暴力が見られる時期、②爆発期:怒りのコントロールができず、パートナーに大きなけがを負わせるような暴力を振るう、③ハネムーン期:パートナーを大切にする時期、というものです。
すなわち、蓄積期とは、次の爆発期に向かって内面にストレスを溜めている期間で、些細なことで暴力が起こる危険があります。
男性が自分の身の回りの状況や、女性をコントーロルしたい、支配下に置いておきたい、という願望が満たされない事にたいしてストレスを溜めている時期になります。
穏やかだった安定期の後にささいな事で怒るようになったり、ピリピリと神経質になってくる期間です。
爆発期になると、蓄積期に溜め込んだストレスの限界がきて、突然に暴力を振るい始めます。
多くは突発的なので予測する事は困難で、暴力の衝動を抑制できなくなっているので大変危険です。
女性の態度や行動、自分の身の回りの状況が自分の思い通りにならないストレスを発散している期間であり、女性に対して様々な暴力を駆使して自分の思い通りに行動するように強要している期間です。
そして、これからも自分の思い通りにコントロールしやすいようにと恐怖心や無力感を植えつける期間でもあります。
ハネムーン期は、暴力によってストレスが発散された状態で、比較的に安定した精神状態の為、安定期とも呼ばれています。
また、ストレスが発散された事により、急に優しくなってプレゼントなどを買ってきたり「二度と暴力は振るわない」と約束したり「俺が悪かった」などと泣いて謝罪したりするので蜜月=Honey Moon=ハネムーン期とも呼ばれています。
そして次の暴力に向かってストレスを溜め込んでいく蓄積期に移行していきます(これがエンドレスに続く)。
ちなみに、こうしたDVの背景には、権力欲求すなわち他者を自分の思い通りにしたいという欲求が存在しており、それが好き勝手に暴れまわる結果が上記のような言動として現われてきます。
この辺の心理的変化を、上記の「いじめの政治学」では綿密に表現していますから、いじめ以外の問題を考える上でもおススメです。
上記以外にも、異文化適応や災害時の心理の中にも「ハネムーン期」という表現は使われています。
「異文化適応など」でも述べていますから、良かったら一読ください。
さて、本事例で求められているのは「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象」ですが、ハネムーン期は「暴力によってストレスが発散された状態で、比較的に安定した精神状態の時期」を指します。
先述の通り、ハネムーン期を含めたDVのサイクルは、他者を支配するという狡猾な仕組みとなっており、その意味では「被害者を縛る」という面はあります。
しかし、「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象」を直接的に示す用語ではありませんから、ハネムーン期は該当しませんね。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。
③ 複雑性PTSD
複雑性PTSDは最も一般的には、逃れることが困難もしくは不可能な状況で、長期間/反復的に、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事に曝露された後に出現するとされています(例:拷問、奴隷、集団虐殺、長期間の家庭内暴力、反復的な小児期の性的虐待・身体的虐待)。
複雑性PTSDの診断基準をまとめると以下の通りです。
診断に必須の特徴: 極度の脅威や恐怖を伴い、逃れることが難しいか不可能と感じられる、強烈かつ長期間にわたる、または反復的な出来事に曝露された既往がある。
次の3つの心的外傷後ストレス障害の中核要素を体験している。
- 心的外傷となった体験後の再体験
- 心的外傷となった出来事の再体験を引き起こしそうなものの入念な回避
- 現在でも大きな脅威が存在しているかのような持続的な知覚。驚愕反応の亢進でなく減弱がみられる場合がある
- 感情のコントロールに関する重度で広汎な問題。ささいなストレス因への情動的反応性の亢進、暴力的な(情動と行動面の)爆発、無謀なまたは自己破壊的な行動、ストレス下での解離性症状、情動の麻痺、特に楽しみやポジティブな情動を体験できないこと。
- 自分は取るに足らない、打ち負かされた、または価値がないという持続的な思い込み。これには、ストレス因に関する、深く広汎な恥辱感、罪責感、または挫折感が伴う
- 人間関係を維持し、他の人を親密に感じることへの持続的な困難。人との関わりや対人交流の場を常に避ける、軽蔑する、またはほとんど関心を示さない。
- 障害は、個人生活、家族生活、社会生活、学業、職業あるいは他の重要な機能領域において有意な機能障害をもたらしている。
つまり、複雑性PTSDの診断は単回性のPTSDの診断に加えて、感情の調節異常、否定的自己像、対人関係の障害を有していることが示されており、これらは自己組織化の障害として概念化されています。
このように、複雑性PTSDは心的外傷体験の繰り返しや長期間にわたる曝露によって生じる心理的不調状態全体を指す表現になります。
詳しい反応等は上記の通りであり、本問で求められている「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象」を指す表現ではないことがわかります。
もちろん、「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける」ことによって、複雑性PTSDが生じることはあり得るでしょうが、端的に結びつけることはできませんね。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
④ サバイバーズ・ギルト
サバイバーズギルトは、自分以外の人間が悲惨な道筋を辿ったのに自分はまぬがれているという事実が、当人にとって大きな心理的な負担になることを指します。
大規模災害などで、自分の周囲で人が亡くなった体験をしている人が経験しやすい心理的反応であり、支援者はこうした特殊な心理的反応を知っておくことが求められます。
よく被災者に対して「死んだ〇〇の分も生きて」という表現があろうかと思います。
おそらく話し手は「あなたの大切な人は死んでしまったけど、あなたの中で生き続けている」というメッセージを込めて言っている部分もあるのでしょうが、その人の人生はその人だけのものであり、死んだ人の分まで背負う必要はありません。
このようなサバイバーズギルトを活性させる言い方を「優しさに包んで」提供することで、受け手は優しさに包まれているものの中身も「善い」ものとして受け入れてしまいます。
支援者になる人は、自身の言葉が「どういうイメージを運ぶか」を理解し、使うことが重要です。
心理支援は、そのやり方によってはクライエントを容易に悪化させることができますから、そのことを肝に銘じて関わることが求められます。
さて、本事例で求められているのは「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象」ですが、サバイバーズギルトは「自分だけが生き残ってしまったという罪悪感」のことを指します。
もちろん、そうした罪悪感がどういう行動に発展するかは、状況次第で色々あり得るでしょうが、あくまでも「罪悪感」のことを指すのがサバイバーズギルトという概念であり、暴力被害の状況に居続けるという状況を端的に指すものではありません。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。
⑤ トラウマティック・ボンディング
トラウマティック・ボンディングとは、「トラウマが起きている関係性の中で構築されるつながり」を意味する概念です。
トラウマのある関係の中で発生してしまう「相手と離れたくない」と感じてしまう特殊な心理状態を指しており、ストックホルム症候群の説明として示されてもいますね。
DV関係のような暴力などのトラウマティックな状況に置かれ続けることで、加害者を慕うような感情が出てくることが指摘されています。
これに関しては様々な方向性から説明がなされていますが、私が考える理路を述べておきましょう。
人間は生理的早産で生まれてきます。
これは人間が食物連鎖の頂点に立っているということを意味しますが、それ故に「別種からの侵襲を防ぐこと」よりも「同種に気に入られること」が重要となります。
同種に気に入られなければ、文字通り生きていくことができませんから、同種から見捨てられることが強い恐怖を生じさせることは当然のことと言えます。
たとえば、児童虐待があっても子どもがなかなかその事実を口にしないのは、加害者から見捨てられることで、文字通り生きていくことが難しくなってしまうという恐怖心があるためだと捉えることができます。
客観的にはその場に居る方が命が危なくても、当人の主観ではその場から離れることが死を招くと本能的に感じているわけです。
虐待は親子で生じるということもあり、目の前の加害者に縋り付く・同調する、という状態が強く生じると考えられます。
ただし、もちろん、成長してくれば目の前の人に縋り付かなくても生きていけることを「知的には」理解できますし、事実加害者から離れることも可能でしょう。
しかし、ストックホルム症候群を生じさせるなどの「目の前の人が自分の生き死にを自由にできる」という状況に長時間曝されることは、こうした「目の前の人から見捨てられることで生きていけない」という根源的な恐怖を喚起されます。
目の前の同種(加害者)から見捨てられないように、加害者に好意を持ち、協力したり、守るように振る舞うなどの言動が見られるようになります。
メディアにおいては、被害者が犯人と心理的なつながりを築くことについて「好意をもつ心理状態」と解釈して表現しているものが多いですが、個人的にはそれだけで説明可能だとは思っていません。
もちろん、そういう面もあるのでしょうけど、少なくとも虐待状況で生じるような親への同調などは、それだけで説明できるものとは思えないのです。
そういったわかりやすい生存戦略ではなく、もっと本能的な何か、という印象があります(あくまでも印象にすぎませんけどね)。
さて、長くなりましたが、DVや虐待、その他の極限状況においてトラウマティック・ボンディングは生じることがあるとされています。
このように、トラウマティック・ボンディングは、本事例で求められている「暴力の被害者が、被害を受ける関係の中に留まり続ける現象」に該当することがわかりますね。
DVによって視野狭窄を起こさせ「目の前の人に見捨てられると生きていけない」という根源的な恐怖を引き起こすことが、トラウマティック・ボンディングのような不合理な状況へのしがみつきを生じさせるのではないかと考えられます(この辺については、いろんな視点での説明が他にも可能だろうと思います)。
以上より、選択肢⑤が適切と判断できます。