公認心理師 2020-149

境界性人格に対する支援についての問題です。

精神分析学を背景とした理解が求められており、かなり昔からこうした場面への対応は示されています。

問149 17歳の女子A、高校2年生。Aは、自傷行為を主訴に公認心理師Bのもとを訪れ、カウンセリングが開始された。一度Aの自傷は収束したが、受験期になると再発した。AはBに「また自傷を始めたから失望しているんでしょう。カウンセリングを辞めたいって思ってるんでしょう」と言うことが増えた。BはAの自傷の再発に動揺していたが、その都度「そんなことないですよ」と笑顔で答え続けた。ある日、Aはひどく自傷した腕をBに見せて「カウンセリングを辞める。そう望んでいるんでしょう」と怒鳴った。

この後のBの対応として、最も適切なものを1つ選べ。

① 再発した原因はB自身の力量のなさであることを認め、Aに丁重に謝る。

② 自傷の悪化を防ぐために、Aの望みどおり、カウンセリングを中断する。

③ 再発に対するBの動揺を隠ぺいしたことがAを不穏にさせた可能性について考え、それをAに伝える。

④ 自傷の悪化を防ぐために、Bに責任転嫁をするのは誤りであるとAに伝え、A自身の問題に対する直面化を行う。

解答のポイント

境界性クライエントが示しやすいコミュニケーションの心理力動を理解していること。

選択肢の解説

③ 再発に対するBの動揺を隠ぺいしたことがAを不穏にさせた可能性について考え、それをAに伝える。

本問では、Aの言動がどのような心理力動によって生じているのかを正しく認識することから解説を始めることが重要なので、本選択肢の解説から入っていくことにします。

まず、Aの自傷は収まっていましたが、受験期という心的負担が生じる時期になると再度出現し始めています。

これ自体はよくある話ですし、仕方がないことですが、Aはそう思わなかったのだろうと推測できます。

重要なのは、この時にAにどのような感情が生じたのかを理解していることです。

この時にAには「見捨てられ不安」が生じたと捉えるのが適切です。

見捨てられ不安とは、マスターソンが指摘した境界例に見られる特徴であり、DSM-5にも記載がある感情ですね。

マスターソンの説明では、見捨てられ不安は母子関係の中で「(母親に)近づいたら褒美をもらう(RORU)」と「離れたら罰を受ける(WORU)」によって生じるとされています(正確には、生じるのは分裂機制で、このうちWORUが活性化した時の感情が見捨てられ不安)。

乳幼児は、自身の身体発達に伴い、外界へと手を伸ばしていきますが、こうした状況に置いて、重要な他者が上記のような対応を取ることで、その子の心理に「見捨てられ不安」が深く根ざすということです。

こうした見捨てられ不安の説明に関する是非はともかくとして、少なくともAに、こうした見捨てられることへの不安が生じているとまずは見立てられることが重要になります。

この見捨てられ不安は、公認心理師Bに対して生じていると見えますね(この辺の考え方については後述します)。

こうした見捨てられ不安は、実際には「Bが失望したに違いない」「失望されて、カウンセリングをやめたいと思っているに違いない」という形となってAの内に顕在化してきました。

この際、Bは自傷の再発に対する動揺を隠して「そんなことないですよ」と笑顔で答え続けました。

この対応は、明確に悪手と言えます。

この対応を悪手と判断できること、その判断の根拠を明確に提示できること、その根拠に従い心理支援者として適切な対応を取ることができること。

こうした諸点をクリアできてこそ、公認心理師が専門的な支援を行っているということであり、言い換えれば、それができなければ心理支援者として素人の枠を出ないということでもあります。

なぜこの対応が悪手なのか。

先述のように、Aの内に生じた不安は「自傷の再発」という出来事に即して生じたものではありますが、その根底には重要な他者との関係に基づく見捨てられ不安の存在があります。

つまり、Aの抱えている不安は、現実の「Bを失望させた」という不安と、過去の体験からくる「生存を危ぶまれるほどの見捨てられ不安」とが混在していると見なすことができます。

すなわち、現実的な不安と非現実的な不安が入り交じっているということですね(もちろん、これらは繋がっているので、クライエント自身には明確に分けて認識することは不可能です)。

こうした状況で大切なのは、Bが現実的な存在として機能することです。

Bが「Aの再発に際して感じた動揺」は、Aの自傷の再発と関連して生じた動揺であると言え、Aの「Bを失望させた」という不安と対応したものになります。

しかし、ここに手を加えないと、Aの内で「Bを失望させた」というそこそこ現実的な不安が、基底にある「見捨てられ不安」を引っ張り出してしまい、「Bに見捨てられてしまう」という強い認識へと変化してしまいます。

上記で「Bが現実的な存在として機能する」と表現しましたが、これを臨床実践的に述べれば「Aの自傷の再発に伴って生じたBの動揺を伝える」ということになります。

こうしたBの動揺は現実的なものですから、「Aの自傷の再発に際して生じた動揺を適切に伝えることができれば、Aの過去体験に基づく見捨てられ不安が活性化されにくくなる」ということですね。

非常に簡素化して述べると、Bが自身の動揺を伝えることで、Aの内で「Bがカウンセリングを止めたいと思っていると思っていたけど、再発によって生じたBの動揺を聞くと、動揺はしたけどカウンセリングを止めたいと思うほどのものではないんだな」ということを認識しやすくなります。

無論、上記のように認識してくれることは実践ではありませんが(そんなに甘くないということです)、少なくともクライエントの「現実的な不安(Bを失望させてしまった)」と「非現実的な不安(B(重要な他者)に見捨てられる)」がくっついてしまうのを止揚する効果があります。

このように、「Bの動揺」は、こうしたAの不安を非現実的なものに拡張することを防ぐ力を持つ、非常に現実感のある体験ですから、それをカウンセリングの中で活用することが心理支援者としての専門的技能と言えます。

こうした「カウンセリングでの体験」を伝えることと関連しそうな概念として、ロジャーズの3条件のひとつ「純粋性」があります。

私はロジャーズのいう「純粋性」をしっかりと体感できているとは言えませんが、私の認識では「自分の内に生じた認識に至る心理過程・思路まで把握し、それをクライエントに適切な形で伝えること」という感じです(伝えることまで含めない人も多いでしょうが、私は含めていますね。伝わらなきゃ意味がないので)。

この事例においてBは、心理支援者としてカウンセリングで生じた自身の体験(自傷の再発に際した動揺)を細やかに把握することが重要になります。

すなわち、「Aに期待をかけていたところがあった」「期待をかけていたのでがっかりした気持ちはある」「うまくいっていたと思っていたのにどうして」「受験のストレスを見落としていた」「周囲にうまく事例が改善していっていると思われていたのに」という風に、いわばBは自分の動揺について「因子分析」していくことが大切になるわけです。

こうした「因子分析」をその時々に行っておくことで、Bが自身の動揺をAに伝えるときに役立つのです。

事例では、Bが自分の動揺をひた隠しにしたために、Aの不安は基底にある見捨てられ不安とつながり、「Bが自分を見捨てようとしているに違いない」という強い認識になってしまったと見立てることができます。

ここでもう一つ解説が必要なことがあります。

それは、そうした見捨てられ不安が出てきたとしても、「なぜ、Aは激しく自傷をすることになったのか」という点に関してです。

ここには境界例に特徴的な「投影性同一視」という防衛機制が働いています。

境界例では、自分の不穏感情を自らの内に抱え込み、認識することが、その精神的脆弱性により困難であるため、「自分の不穏感情を外に投げ込む」とされています。

つまり、Aを見捨てる気などさらさらなかったBに対して、Aは自分の「見捨てられる」という感情を投げ込み、Bが自分を「見捨てようとしている」と思い込むようになります。

この部分を「投影」と表現します。

また、人には「自分の内にあるストーリー通りになることを望む欲求」を有しています。

これはストーリーの善し悪しとは無関係です(つまり、悪いストーリーでもその通りになる方が「落ち着く」という感じのイメージでいてください)。

本事例のように「Bが見捨てようとしている」という投影によるストーリーがAの内に生じたならば、そのストーリーから外れたことが生じるのがまた「世界を揺さぶるような不安」を生むのです。

つまり、「Bに見捨てられる」というストーリー通りになるのは「嫌だ」という気持ちはあるのですが、ストーリー通りにならないことは「より不安を喚起する」ということです。

この辺の機微は幸せな生活を送ってきた人には理解し難いようですが、そういう世界もあるのだと認識しておきましょう。

境界例では、こうした自分の内側に生じたストーリーを「現実にしよう」とする様々な言動が出てきます(現実にならないと、さらなる不安が生じるので)。

ですから、Bは動揺した程度でAを見捨てる気などさらさらなかったにも関わらず、思わず「Aを見捨てたくなるような行動」をAが起こした(Bに見捨てようとする感情を喚起しようとした)ということです。

つまり、元々はAの「見捨てられる」という不安をBに投げ込み(投影)、そこで生じた「Bが自分を見捨てようとしている」というストーリー通りに現実が運ぶように、実際にBが自分を見捨てたくなるような感情を引き出すための行動を取ったということです。

その行動が、本問の「A はひどく自傷した腕をBに見せて・・・怒鳴った」であり、こうした投げ込んだ感情を喚起させようとすることを「同一視」と呼びます。

この投影+同一視ということで、一連のクライエントの心理力動によって生じる現象を「投影性同一視」と呼びます。

この「投影性同一視」という仕組みが解明されたことで、カウンセラーの「逆転移」の重要性が指摘されるようになりました。

まず転移とは、クライエントの過去体験(精神分析学では重要な他者との関係)が、カウンセリング場面に「持ち越される」ことを指しますが、逆転移とはカウンセラー側がクライエントに抱く種々の感情を指します。

そして、境界例の治療においては、カウンセラーが自身の感情体験に細やかになっておくことで、クライエントの内界に関する理解が進むということになります。

上記の通り、「投影性同一視」によって投げ込まれ、カウンセラーに生じる感情は「もともとはクライエントが感じていた」というのが理屈ですから、カウンセラーに生じている感情を理解することでクライエントの感情の把握に役立つという仕組みと言えます。

もともと逆転移は、治療関係を損ねるものとしてフロイトに認識されていましたが、こうした境界例の支援等において重要な意味を持つことがサールズらの指摘によって明確になったのです。

以上が、本事例Aに生じていることの顛末となります。

よって、本選択肢の「再発に対するBの動揺を隠ぺいしたことがAを不穏にさせた可能性」は大いにあり得るわけですね。

そして「それをAに伝える」ことまでが「カウンセリング」になります。

こうした力動に気がついているにも関わらず、それを伝えないのは職務放棄と同じですね。

実践で大切なのは、この「伝え方」になります。

大枠はクライエントの理解度に合わせて、上記の内容を伝えることになります。

例えば…

「あなたの自傷行為が再び出てきて、びっくりした気持ち、残念な気持ち、自分にもっとできることは無かったのかという気持ち、あなたを心配する気持ち、受験という状況を見ていなかった自分に対するもっとちゃんとしろという気持ち、とかが出てきました」

「だけど、あなたにそれを見せなかったことで、あなたが私が感じている以上のこと、あなたを見捨てるつもりは私には無いのに、それが有るかのように思わせてしまったのではないかと考えたんです。それについてはどう思いますか?」

「もしかしたら、私の中に○%ぐらいあった「残念な気持ち」を感じ取ったあなたが、自分を見捨てようとしているという実感を引き出させたのかもしれない」

…といった感じでしょうか。

Bの動揺を因子分析して伝える際には、動揺の「割合」を数字化して伝えるというやり方もあって良いでしょう。

大切なのは、「クライエントの見捨てられるという認識にも、それなりの正しさがあること(上記では、Bの「残念な気持ち」がAの見捨てられ不安を引き出したという論理)」「クライエントの認識が狭いことは間違いないので、Bの複雑な心境を細やかに伝えることで、Aの「見捨てられる」という単一の認識から離れられることを狙う」ということだと私は考えています。

こうしたアプローチが、一連の流れから必要であるという見立てと、その見立てに従ってどのようなコミュニケーションを行っていくのかという対応が重要となりますね。

Aが示す「一見理解し難い言動」についての理解を与えるのが「心理学という学問」であり、特に精神分析学は大きな寄与をしています。

心理支援の専門家である以上、精神分析学をはじめとした「理解し難い言動」について理解を与えてくれる理路をしっかりと把握しておくことが望まれます。

以上より、選択肢③が適切と判断できます。

① 再発した原因はB自身の力量のなさであることを認め、Aに丁重に謝る。

本選択肢の「再発した原因はB自身の力量のなさである」ということは、Bの認識として有っても悪くはないものです。

しかし、明らかに受験という状況因によって変化していることを踏まえれば、この選択肢の認識は「自意識過剰」と言えます。

乱暴な言い方をすれば「クライエントに生じたことを、必要以上に自分の要因と考えすぎていませんか?それは思い上がりというものです」ということです。

私が上記のような認識に辛辣な評価をするのは、この認識は治療上有害だからです。

本選択肢のような認識の背景には、Bにカウンセラーとしての万能感があると見なすことができます。

「クライエントに生じていることに、必要以上に自分の要因を認識する」というのは、一見して誠実に見えますが、これは万能感です。

クライエントの支援に関しては、カウンセラーが及ぼした影響と、それ以外の要因によって生じた結果をクレバーに評価し、カウンセラーが及ぼした影響については真摯に向き合うことが前提です。

クライエントに起こったことに関して、適切な見立てができなければ、適切な支援や好ましい変化も生じません。

本事例では、選択肢③で示したように、動揺を伝えないことでAの混乱を招いたと見立てることができますが、その見立てを支援に活用できるようにクライエントに伝えていく過程が「カウンセリング」というものです。

必要以上にカウンセラーの問題を示すこと、すなわち本選択肢のように「再発した原因はB自身の力量のなさであることを認め、Aに丁重に謝る」ことで、クライエントが自らの問題を正しく認識する機会を失わせることになりかねません。

本来は、Aの見捨てられ不安、その不安が生じるような生育歴、そうしたAの心的外傷が支援の中核と言えるのに、本選択肢のような対応はまるで「Aに生じたことは、すべてBの対応によるもの」という認識であり、このような対応を取ることでクライエントの心理的課題の中核に触れることが困難になるのです。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

② 自傷の悪化を防ぐために、Aの望みどおり、カウンセリングを中断する。

本選択肢の対応は、Aの自傷がなぜ生じたかについて、適切な理解に基づいたものになっていません。

先述の通り、Aが「ひどく自傷した腕をBに見せて「カウンセリングを辞める。そう望んでいるんでしょう」と怒鳴った」のは、カウンセリングを中断しなかったからではありません。

Bの動揺を伝えないという対応によって、クライエントの現実的不安と見捨てられ不安がくっついてしまい、「Bに見捨てられる」という認識を強めたAが、それを現実化しようとした(投影性同一視)のです。

ですから、対応の基本としては「Aの「Bに見捨てられる」という誤った認識を強めない」ことが大切です。

本事例の状況でカウンセリングを中断するということは、「Bが見捨てようとしている」という、Aの見捨てられ不安を基盤とした認識を強めてしまう恐れがあります。

つまり、中断という選択をすることで、Aの見捨てられ不安に「現実的な根拠」を与えることになりますから、Aのこれからの対人関係に影響を及ぼしていく(これから出会う「信頼できる人」に対しても見捨てられるだろうという認識を持ちやすくなる)懸念があります。

本事例で大切なのは、安易に中断という選択を取るのではなく、Aの認識に至った心理力動を理解し、それに準じた対応を取ることです(具体的には選択肢③の対応になりますね)。

繰り返しますが、ここで中断を選択するということは「Bの非現実的な不安(見捨てられるという不安)」を「現実」にするということです。

言い換えれば、Aの内的なストーリー通りになってしまうという意味で、いわゆる「操作された」という結果ということです。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

④ 自傷の悪化を防ぐために、Bに責任転嫁をするのは誤りであるとAに伝え、A自身の問題に対する直面化を行う。

まず選択肢③の内容を読めば、本選択肢の「Bに責任転嫁をするのは誤りである」という認識は誤りなのがわかりますね。

自傷の悪化は、Bの動揺を伝えないという対応に起因する面が少なからずありますから、本選択肢の対応は「責任転嫁をしているのはお前だろ」と言われちゃいます。

「自傷の悪化を防ぐ」のであれば、繰り返しになりますが、Aの問題を正しく見立て、投影性同一視などの心理力動を把握し、それを念頭に置いた対応(選択肢③の対応が代表的なものですね)をしていくことが重要になります。

先述のように、「クライエントの支援に関しては、カウンセラーが及ぼした影響と、それ以外の要因によって生じた結果をクレバーに評価し、カウンセラーが及ぼした影響については真摯に向き合う」ことが心理支援の前提ですから、きちんとカウンセラーの対応(動揺を伝えない)によって、Aの自傷の悪化が生じたと認めることが重要です。

なお、本選択肢の後半にある「直面化」についても、きちんと理解しておくことが重要です。

マスターソンは、行動化(ここでは自傷行為の悪化)に限界設定を行い、かつそれが自己破壊的になっていることを伝えることを指して「直面化」としており、クライエントに見捨てられ不安を主観的に体験させ、言葉で表出できるように促します。

マスターソンによれば、この表出が可能になれば、精神内界に腫瘍のように居座っていた見捨てられ不安が流出し、クライエントは少しずつ個体化に向けて新しい空想と感情、関心、活動を示すようになるとしています。

つまり、選択肢③の対応こそが、まさに「直面化」というべきものであることがわかるはずです。

「カウンセラーが動揺を見せなかったことで、あなたの見捨てられ不安が活性化されたのではないか」という仮説を伝えるわけですからね。

本選択肢のような対応は「直面化」ではなく、単なる「いちゃもん」ですね。

こうした対応に問題はありますが、クライエントは「この人には力がない」と判断し去っていくだけですから、実はそれほど後遺症はありません。

困るのは「そこそこ適切なことを言うけど、外すことも多い」カウンセラーです。

こういうカウンセラーに、本事例のようなクライエントが合わさると、泥沼と表現されるような治療関係ができあがることもあるのです。

境界例の対応に限らず、カウンセリングにおいては適切な見立てを行う力が必須ですし、それと同じくらい「間違っていた時に修正できる力」も重要です。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

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