公認心理師 2020-21

 キットウッドのパーソンセンタード・ケアに関する問題です。

「パーソンセンタード」という表現から、ロジャーズのクライエント中心療法が浮かぶ人も多いでしょう。

パーソンセンタード・ケアはロジャーズの考え方に近く、援助的人間関係を大切にするという考え方が基底があります。

問21 T. Kitwoodの提唱した認知症に関するパーソンセンタード・ケアの考え方について、最も適切なものを1つ選べ。

① 問題行動を示したときは、効率的に管理しなければならない。

② ケアで重要なことは、介護者自身の不安や弱さなどは考慮せず、理性的に行うことである。

③ 認知症の治療薬が開発されるまで、専門家として認知症の人にできることはほとんどない。

④ 認知症は、第一の視点として、中枢神経系の病気としてよりも障害としてみるべきである。

⑤ ケアは、安全な環境を提供し、基本的ニーズを満たし、身体的ケアを与えることが中心になる。

解答のポイント

パーソンセンタード・ケアとそれ以前のケアとの考え方の違いについて理解していること。

選択肢の解説

① 問題行動を示したときは、効率的に管理しなければならない。

認知症のさまざまな問題に対して、薬物で鎮静化させたり管理を図ろうという考え方が、何十年も前から日本を含め、さまざまな国で支配的でした。

イギリスの老年心理学者であるトム・キットウッドは、1980年代にイギリスで蔓延していたこのような風潮に異議を唱え、言葉が表出できなくなったり、理解力が低下したりすること自体は脳の障害によるものだが、それから起きる焦燥や興奮、意欲低下などは脳の機能低下から直接起こっているのではなく、周囲との関係性や不快などが影響しているはずであると説きました。

そしてキットウッドは、認知症が軽度な間は本人のさまざまな不快感や人間関係に考慮するのに、重度化するとそれらがなくなったかのように対応するのは、脳の機能ばかりに関心を抱きすぎているのであり、そのような文化や背景こそが問題の根本にあると考えました。

キットウッドは、認知症者のどんな異常に見える行動にも何らかの理由があると見なすことが重要であると指摘しています。

例えば、以下のようなことが挙げられます。

  • 暴力や暴言には「子ども扱いされた怒り」「そのような扱いをしないでほしいという訴え」という意味があるのかもしれない。
  • 介護を拒否するのは「誰にも迷惑をかけたくない」「自分のことを自分でやりたいという性格」があるのかもしれない。
  • 徘徊には「体調が悪いのだけど、どこにどう訴えればよいのかわからない」という状態なのかもしれない。
このようにパーソンセンタード・ケアでは、その人の問題行動の背景にある欲求を踏まえて理解していこうとします。
そしてこの理解の基盤となるのが、他選択肢で述べる心理的ニーズとなります。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

② ケアで重要なことは、介護者自身の不安や弱さなどは考慮せず、理性的に行うことである。

本選択肢の内容は、パーソンセンタード・ケアが提唱される前の認知症ケアの文化に見られた考え方です。

これに対して、パーソンセンタード・ケアでは、介護者が自分の不安、感情、弱さなどを無視せず、これらを介護の重要な資源に変えていくという姿勢が大切になってきます。

つまり、従来の医学モデルで行われてきた介護施設や介護者中心の一方的な介護を再検討し、認知症患者の個性や人生、尊厳などとしっかり向き合うことで、「その人を中心とした最善のケア」を目指すのがパーソンセンタード・ケアということになります。

従来の考え方(old culture)において、介護者は組織に属し、指示に従うものであり、管理者にとって、彼らの心理的ニーズは大きな問題ではないとしていました。

対して、新しい考え方(new culture)、すなわちパーソンセンタード・ケアにおける介護者は、人格をもった人間であり、認知症の人の個性・人間性を尊重するのと同じように、介護者の個性・人間性を尊重すべきであるとしています。

介護者の怒り(相手が気難しかったり、感謝しない)、不快感(されたくないことをされたとき)、罪悪感(うまくできなかったとき)、孤独(自分の気持ちを誰もわかってくれないとき)、恐怖(どんな困難があるかわからないとき)、羨望(自分の周りは自分のような苦しい思いをせずにすんでいるとき)、絶望(良いことが起こらないことがわかったとき)などは、まったく自然で人間らしいものです。

このような気持ちになることは悪いことではなく、この気持ちにしがみついてしまったり、否定したり閉め出そうとすることは介護者にとって良くないことであるとパーソンセンタード・ケアでは考えます。

キットウッドが要求していること(認知症者の自発性や創造的な活動、人に尊重されているという感覚を伸ばすこと)はかなり大変で、想像力・創造力を必要とします。

この実践のためには、介護者の人間性が大いに関係してきます。

この人間性を育てたり維持するために、介護者は自分自身のネガティブな感情も含めて大切にすることが重要です。

パーソンセンタード・ケアで言うパーソンとは、認知症者だけでなく、スタッフや同僚、事務員、給食を運ぶ人、掃除をしてくれる人など、すべての人を指しており、自分の感情を大切にするということも認知症者同様に大切ということです。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

③ 認知症の治療薬が開発されるまで、専門家として認知症の人にできることはほとんどない。

認知症の薬物療法以外のものをまとめて「非薬物療法」と呼びます。

認知症に対する主な非薬物療法の種類と内容、特徴は以下の通りです。

  • 運動療法:認知症の1次・2次予防の有効性が確立されている。
  • 認知刺激療法:ルールや手順を理解できる軽度の認知症が対象。
  • 回想法:写真などを利用し、楽しかった経験などを話してもらう。成功の追体験なども。
  • 現実見当識訓練:日めくりカレンダーや時計を目のつくところに複数設置するなど。現在と過去の区別が困難な患者には向かない。
  • 光療法:日中1000~2000ルクスの明るさを確保する。夜間消灯後の睡眠誘発を促進する。
  • 音楽療法:活動的と受動的を組み合わせて施行する。BPSDの予防・治療の有効性がある。
  • アロマセラピー:植物由来の揮発性油を拡散・塗布する。
これらの非薬物療法については、中核症状やBPSDの改善だけでなく、発症予防への効果も期待されています。

また、これらの非薬物療法を実践する素地として重要になってくるのが、支援者が認知症患者のケアに臨む姿勢を系統立てて手法化した種々のアプローチです。

このアプローチに、パーソンセンタードケア、ユマニチュード、バリデーション療法などが含まれます。

これらは日常のケアの質を維持・向上させるために有用であり、これらが前提となってその患者に合う各非薬物療法が選択されていくわけです。

パーソンセンタード・ケアは、歴史的には、本選択肢のような考え方が支配的だった時代に、そうした考え方へのアンチテーゼとして示されたという経緯があります。

選択肢④にも示されていますが、パーソンセンタード・ケアの第一の視点として、認知症を中枢神経系の障害として見なす必要があります。

これは従来の考え方では「認知症は人格が進行的に破壊されていく中枢神経系の病気」と見なされていましたが、パーソンセンタード・ケアでは「認知症は病気ではなく障害であり、どのような症状を示すかはケアによって変わる」と考えます。

本選択肢の内容は、パーソンセンタード・ケアが提唱される前の考え方であり、パーソンセンタード・ケアのそれではないことがわかりますね。

よって、選択肢③は不適切と判断できます。

④ 認知症は、第一の視点として、中枢神経系の病気としてよりも障害としてみるべきである。

従来の文化(old culture)における認知症のイメージは、中枢神経の変性による壊滅的な疾患であって、人間性や個性も徐々に失われていくというものです。

このイメージは、認知症とは脳が傷害されて委縮したり、機能が悪くなったりする病気だから、自分のことや周りのこともわからなくなるということであり、今まで大人しくて良い人であっても、乱暴になったり、無暗に出ていって、目的もなく恥ずかしいような行動をするようになるという捉え方です。

特に医学では、末期になれば人格が崩壊し、人間性も失われると考える傾向が顕著でした。

パーソンセンタード・ケア(new culture)では、認知症は一見して無能力のように見えるが、その人に決定的に影響を与えているのは、クオリティ・オブ・ケア(介護の質)であると考えます。

キットウッドは、抗精神病薬の大量投与によって、実際以上に状態が悪化した例を挙げ、その人のニーズをくみ取ったケアを行うことで劇的に改善したことを示しています。

ここで重要なのは「病気」と「障害」の捉え方について、キットウッドがどのように考えていたかを理解することです。

キットウッドは、認知症は器質的な問題ではあるが、医学・生物学のモデルにおいて、認知症の臨床的状態像を過度に脳の神経病理に還元することを批判しました。

パーソンセンタード・ケア以前の風潮では、患者の問題行動は脳の神経病理の直接的な表現であり、理由や意味などはないと考えられていました。

これに対しキットウッドは、認知症の症状は第一に「障害」と見なすべきであり、どのような症状を示すかは、ケアによって左右されるという見方を示しました。

辞書的には、病気は「体の全部または一部が、生理状態の悪い変化をおこすこと」であり、障害は「正常な進行や活動の妨げとなるもの」です。

キットウッドの言いたかったことは、「病気」と表現すると悪い状態そのものを表していて、さまざまな脳以外が要因であるものまで、そこに集約するような思考が生まれやすくなってしまうということなのかもしれません。

「障害」と表現することで、妨げになっているものさえ理解し対処すれば、正常な活動が可能になる面が大いにあるということを伝えたかったのではないでしょうか。

この捉え方は、パーソンセンタード・ケアにおいて、認知症者の問題となる言動を引き起こす原因となる「5つの要素」にも反映されています。

これは「パーソンセンタード・ケアでは認知症をどのように捉えるのか」をまとめたもので、以下の通りです。

  1. 脳の障害:脳の障害は、認知症者の行動に最も影響を及ぼす要素である。
  2. 身体状態・健康状態:視力・聴力・内服薬の影響など。健康状態は、認知症の行動・心理状況に影響を及ぼすので、認知症患者の健康をよい状態に保つことを重視する。
  3. 本人が今まで辿ってきた生活歴や最近の出来事:その人が歩んできた人生によって物事の考え方や捉え方などが大きく異なり、パーソンセンタード・ケアでは、それらは認知症になっても変わらないと考える。
  4. 本人の性格や行動パターン:性格・こだわりなどを指す。同じ出来事であったとしても、その人の本来の性格傾向によっては対処方法が変わってくる。本来の性格や傾向を無視した関わりは混乱を引き起こし、症状を悪化させてしまう場合がある。
  5. 社会心理や周囲の人との関わり:これまでの人間関係の傾向など。

これら5つの視点から、認知症者が良い状態にあるか、よくない状態にあるかを判断し、認知症者の心理的ニーズにどう応えるかを考えていくことが大切になります。

このように、パーソンセンタード・ケアでは、第一の視点として認知症は「脳の障害」であるという捉え方をします。

そして、ここでの「障害」という言葉には、クオリティ・オブ・ケア(介護の質)によって変わり得る存在として認知症者を見なすという考え方が反映されています。

以上より、選択肢④が適切と判断できます。

⑤ ケアは、安全な環境を提供し、基本的ニーズを満たし、身体的ケアを与えることが中心になる。

キットウッドは、認知症が重症化しても存在するだろうとした、心理的ニーズと、それらが周囲から理解されず、無視された場合に起こってくることの例を示しました。

これは、一人の人間として尊重する「愛」を中心として以下の5つが示されています。

  1. アイデンティティ・自分らしさ(Identity):どんな字重症になっても、嫌いな肌触りや色合いの衣類を押し付けられたり、慣れ親しんだペースを妨げられれば怒ることがある。
  2. 愛着・結びつき(Attachment):重度になっても、持っていると安心な品や好みの人は存在し、それを求めようとしても無暗に止められれば、興奮という形で現れることがある。
  3. たずさわること(Occupation):重度になればなるほど、何かをしようとすることがあり、無理に止められると怒る場合がある。
  4. 共にあること(Inclusion):重度化しても、自分だけ別扱いに放置されたり、無視されれば、興奮という形で現れることがある。
  5. くつろぎ(Comfort):暑い、寒いなどの不快感や、身体的苦痛、騒音などを放置されれば、大声や怒声という形で現れることがある。

これは認知症の人だけでなく、すべての人がもつニーズでもあると言えますね。

パーソンセンタード・ケアにおいて心理的ニーズとは、認知症者が意識するしないに関わらず、心理的に求めていること、欲求ということになります。

キットウッドは、認知症者はこれらの心理的ニーズが満たされず、自分で抜け出すことができない霧の中にいるようだと表現しています。

支援者に求められるのは、認知症者の問題行動に対して即座に対処方法を考える前に「今、どんな心理的ニーズが満たされていなくてこうなっているのだろう」と考えることだとされています。

このようにパーソンセンタード・ケアでは、心理的ニーズを満たしていくことが大切であり、本選択肢にあるような「身体的ケア」を中核に持ってきている支援ではないことがわかります。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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