公認心理師 2022-89

ある実験結果から心理学概念を特定する問題です。

こういう問題は「その心理学概念に関する理解」が深くないと正解しづらいので、良い問題だなと感じますね。

問89 ある実験において、写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果が得られたとする。この結果を説明する心理学概念として、最も適切なものを1つ選べ。
① 傍観者効果
② 単純接触効果
③ ピグマリオン効果
④ 自己中心性バイアス
⑤ セルフ・ハンディキャッピング

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解答のポイント

社会心理学の各概念について理解している。

選択肢の解説

① 傍観者効果

1964年、キティ・ジェノヴィーズという若い女性が自身のアパートの外で襲われ、30分以上の抵抗虚しくついに殺害されました。

少なくとも38人の隣人が助けを求める彼女の叫びを聞いたが、誰も助けることはありませんでした。

アメリカ国民はこの事件に震え上がり、社会心理学者たちは、後に「傍観者効果」と呼ばれる原因を調べ始めました。

すなわち、傍観者効果とは、援助が必要とされる状況において、傍観者の存在によって援助行動が抑制されることを指します。

Latané&Darleyは、傍観者効果が生じる理由として、責任の分散(援助への責任が複数の傍観者に分散される。他の人が助けるでしょう、というもの)、社会的影響(誰も援助しないことを観察することで援助の必要性を低く見積もる。多元的無知と言い換えることもできる)、評価懸念(援助することで他者からネガティブに評価されることを気にして援助をためらう)の3つを指摘しています。

さて、この傍観者効果ですが「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果」とは関連性が感じられないことがわかると思います。

もしも関連性があるなら、傍観者効果が生じる理由の「責任の分散」「社会的影響」「評価懸念」のいずれかとのつながりを感じさせるはずですが、かすりもしていないですね。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

② 単純接触効果

単純接触効果とは、初めて接する新奇刺激に繰り返し接することにより、その対象に対する好意が上昇する現象を指します。

この現象は、見知らぬ人の顔写真やよく知らない言語の文字を用いた実験(アメリカ人にとっての漢字)において、何度も呈示した刺激の方がそうでない刺激よりも好まれることを示したZajanc(1968)以来、人物、商品、図形、音楽など広範な刺激において生じることが確認されています。

例えば、繰り返し耳にするコマーシャルに使われていた音楽をいつの間にか好きになったりするのは単純接触効果で説明ができますし(うちの子は、車で流れている音楽をいつの間にか好んで歌うようになっています)、広告をたくさん流す効果の一つに単純接触効果があるとされています。

また、閾下(見えた、聞こえたと感じられないほどの短時間)で刺激を呈示しても同様の現象が生じることも知られており、自分ではその刺激を以前観たことがあると意識できなくても、その刺激を好ましく感じるようになります。

現在では番組放送基準で禁止されているサブリミナル効果(意識と潜在意識の境界領域より下に刺激を与えることで表れるとされている効果のこと)との関連も理解しておくと良いでしょう(テレビの放送中に閾下刺激を入れることで、無自覚のうちに何かを好むようになるなどの操作は禁止されております)。

なお、単純接触効果には制約があり、嫌悪的な刺激でも何度も接していればそれを好きになるというわけではなく、もともと好きでも嫌いでもないような中庸な刺激に対して生じる現象であると認識しておくことが重要です。

また、すでに熟知している対象については生じにくいとされています。

単純接触効果のメカニズムの説明は複数存在していますが、基本的には、何度も接することで、その刺激に対する処理が容易くなることがカギであると考えられています。

このように経験される処理の容易さを「処理の流暢性」と呼び、処理が流暢だと感じられることで、その刺激に対して親近感を覚え、それが行為につながると考えられています(恋愛などで見られる、相手に対する「安心感」「落ち着き」の一因かもしれませんね。それがある局面では「退屈」となるのかもしれませんけど)。

また、繰り返し接した刺激については、好意が上昇するだけでなく、その刺激をよく知ったものだと誤判断することもあります。

人の名前を刺激として使用した実験では、有名人の名前ではない名前に繰り返し接すると、それを有名人の名前だと誤りやすくなることが知られています。

繰り返し接することで処理の流暢性が高まり、刺激に対して熟知感が生じるためと説明されています。

処理の流暢性に関しては、繰り返し接することだけではなく、刺激そのものが明瞭で見やすい、発音しやすいか否か、などの様々な方法によって高めることができます

さて、本問の「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果」ですが、これはまさに単純接触効果の説明になっていると考えられます。

「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み」というのは、本人が普段「鏡で見ている自分」に接することが多いために単純接触効果が生じてより好むようになっており、「その友人は同じ人の正像をより好む」については、「いつも見ているその人の姿」になるので単純接触効果が生じて好む結果となっているわけですね。

本問では「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果」という具体的なものが示されていますが、そこから単純接触効果という概念を連想できることが重要です。

こうした連想をしやすくするためには、普段から自身の身の回りで起こっている現象を「これは〇〇効果だな」と考える癖をつけておくと良いでしょう(あくまでも考える癖であって、話す癖ではないです。そんなことをわざわざ周りに話す必要はないですからね)。

ちなみに単純接触効果の実験では、アパートに住んでいる人の中で「ポストに近い部屋に住んでいる人は好かれやすい」というものがあります(ポストがアパートの出入り口にまとめられているタイプのアパートですね)。

私は大学時代アパートの一番近くの部屋に住んでおりましたが、単純接触効果が生じた(アパートの住民に好かれていたという感覚)という感じはなかったので、対人魅力は色々な要因が重なって生じるのだろうと勝手に納得しております。

いずれにせよ、選択肢②が適切と判断できます。

③ ピグマリオン効果

人は他人に対するいろいろな期待を持っていますが、それを意識するか否かに関わらず、この期待が成就されるように機能することをピグマリオン効果と呼ばれています(ちなみにピグマリオンという名前は、ギリシャ神話から取ったものです)。

Rosenthalらは、教師が児童・生徒に対してもっているいろいろな期待が、彼らの学習成績を左右することを実証しました。

1964年春に教育現場での実験として、サンフランシスコの小学校においてハーバード式突発性学習能力予測テストと名づけた普通の知能テストを行い、学級担任には、今後数ヶ月の間に成績が伸びてくる学習者を割り出すための検査であると説明しました。

しかし、実際のところ検査には何の意味もなく、実験施行者は、検査の結果と関係なく無作為に選ばれた児童の名簿を学級担任に見せて、この名簿に記載されている児童が、今後数ヶ月の間に成績が伸びる児童だと伝えました。

その後、学級担任は、児童の成績が向上するという期待を込めて、その児童らを見ていたが、確かに成績が向上していったとされています。

報告論文の主張では成績が向上した原因としては、学級担任が児童らに対して期待のこもった眼差しを向けたこと、児童らも期待されていることを意識するため成績が向上していったと主張されています。

Brophy&Goodのより客観的で綿密な教室観察と調査の結果、教師が高い期待を持つと、学力が高まることにつながる行動(例:正答への賞賛、つまづきに対する支援)が見られたとされています。

なお、教師が期待しないことによって学習者の成績が下がることはゴーレム効果と呼ばれています。

このように学習者に対して教師が持つ期待が、当該学習者の能力の向上につながるという現象を「ピグマリオン効果」と呼ぶわけですね(その特徴から「教師期待効果」とも呼ぶ)。

このピグマリオン効果ですが「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果」とは関連性が感じられないことがわかると思います。

本問の実験結果からは、「期待」や「成績の向上」という要素が見当たりませんね。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

余談ですが、こうした人が他者に向ける「意識・無意識の期待」というのは、非常に影響が大きいものです。

私はよくカウンセリングで、例えば、甘えの表出が改善につながると見立てた事例において、母親に対して「行動は変えなくてもいいので、「この子は甘えてくるかも」と思いながら過ごしてください。おそらく甘えてきた方がこの問題は改善が早いと思いますから、甘えてくることを期待して過ごしてください」と伝えます。

そうすると全く行動は変えていないにも関わらず、かなりの頻度で甘えの表出が見られます。

ポイントはいくつかあって…

  1. 行動は変えなくていいと伝えること:
    行動の変容は「これまでと異なる対応」なので、変化が大きすぎる場合がある。また、「行動を変えなくてもいい」と伝えることで、これまでの行動にケチをつける雰囲気が減る。
  2. 「〇〇してくるかも」と思うだけで良いと伝えること:
    こちらがピグマリオン効果に近い(ピグマリオンは教育場面に限定した概念なので違うけど)が、どちらかと言えば「自己成就的(自己実現性)予言」に近いかもしれない。「自己成就的予言」をカウンセリングにもっと活用すべきというのが私の意見である。
    思うだけで、実際にはクライエントに大きな変化が生じている。例えば、〇〇に対する認識が高まるなど(甘えの例で言えば、これまで見過ごしていた甘えの表現をキャッチできるようになる)。
  3. 暗示的に「〇〇は良い行動」という認識を刷り込むことができる:
    「〇〇は改善が期待できる行動なので、〇〇が出てきたらいいなと思いながら過ごしてください」という文体は、クライエントの無意識に「〇〇は良い行動」という認識を送り込む。こちらはミルトン・エリクソンの手法に近い。

…という感じでしょうか。

カウンセリングでは、一つの行動に複数の狙いを込めることが多く、それを一つひとつ意識できているとより効果が上がりやすいです。

④ 自己中心性バイアス

自己中心性バイアスは、自分の内部で起きている経験、自分の過去の体験、自分の視点から見た空間的位置、それに伴う注意やリソースの配分のあり方・量などのような、自分しか持ち得ない情報に強く規定された知覚や理解をしてしまうことを指します。

このバイアスがかかっていても、当人にはそのことに気づくことができず、他者もまた自分と同じ知覚や理解を行っているだろうと錯覚してしまう点で対人関係上の問題も生じさせる要因になり得ます。

具体的には「自分だけが知っている情報」に左右されて、他者の感情の強さを歪めて判断してしまう場合に自己中心性バイアスが問題になりやすいです。

何かの食い違いやトラブルが生じて、そのときに自分と相手の視点にズレがあったり、自分の知識とは違った考えを相手が持っていたということが分かって、早とちりに気づくという経験は誰にでもあることでしょう。

こうしてみると自己中心性バイアスはネガティブなことばかりに思えるかもしれませんが、他者を理解するときに、その端緒となる「取っ掛かり」は常に必要です。

理解が難しい状況になったときに、とりあえず手持ちの情報(自分の考えや感情)を前提としてその状況に対応しようとすることは、なにもおかしい点は無いと言えるでしょう。

自己中心性バイアスが問題になるのは、周囲とのずれが生じたときに、そのずれがトラブルにまで発展する前に修正できない状況と言えますね。

この自己中心性バイアスですが「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果」との関連性を考えてみましょう。

一応、「何を好むか」は自分が持っている情報と言えなくもないですけど、それをもって他者がもつ認識を誤って捉えているといった自己中心性バイアス現象が生じているとは見受けられませんね。

よって、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ セルフ・ハンディキャッピング

課題に取り組むとき、自己のイメージが脅かされる結果が予期される場合に、あらかじめ課題遂行を妨げる障害を自分に与えるような行動を取ったり、ハンディキャップがあることを主張する行為を「セルフ・ハンディキャッピング」と呼びます。

仮に課題遂行の結果が失敗に終わったとしても、失敗の原因を、自らの能力ではなくハンディキャップに帰属させるため、自らの評価を曖昧にすることができます。

一方で、仮に成功した場合には、障害があったにも関わらず望ましい結果が得られたと見なされ、自らの能力が割り増しされて帰属されます。

自らハンディキャップを作り出す「獲得的セルフ・ハンディキャッピング」(努力を抑制する等)と、自らにハンディキャップがあることを主張する「主張的セルフ・ハンディキャッピング」(準備不足を友人に嘆く。テスト前にしている人が多い)とに大別されます。

先日のミヤガワRADIOで触れましたし、近々公開される高坂先生のYouTubeチャンネルでもがっつり話しましたが、万能感のテーマがあると「万能的な自己イメージが崩れる刺激」から遠ざかろうとします。

この「遠ざかり方」の一つとしてセルフ・ハンディキャッピングがあり、自身を不利な状況に置くことで「現実の自分に触れない:万能的な自己イメージが崩れる刺激に触れない」ということが可能になります。

例えば、マークシート試験でわからない問題を白紙で出すことによって「自分は2択で迷っていたけど、正確に実力を把握したいから書かなかった」などのように、「本当はわかっていた自分」を演出することができますね。

この「万能的な自己イメージが崩れる刺激からの遠ざかり」は、その刺激に触れてしまうことで自我が揺さぶられるために生じる「回避」であると言え、その場での大混乱を避けるという意味では適応的ですが、その刺激がこれからの人生で頻発するようであれば長期的に不適応となっていくことが予見されますね。

支援者は、その辺の現実的な認識をもって、どうやって向き合ってもらうかを考えていくことが大切ですし、向き合い方のバリエーションを無数に持っておくことやその場でアイデアを出せることが重要になります。

なお、目の前の人が「万能的な自己イメージが崩れる刺激からの遠ざかっている」ということに気が付くためには、支援者自身が「万能的な自己イメージを持ち、そこから遠ざかりたい気持ちを抱えているという事実」に気が付いていることが大切だと思っています。

自分が自覚的に一生懸命やっていることがあると、「それをやっていない他者」に非常に敏感になります。

この特徴を使った認識には「自分が一生懸命やっていることをやっていない人を見ると腹が立つ」というリスクがありますから、その腹立たしさをコントロールすることも支援者に求められることの一つかもしれません。

いずれにせよ、このセルフ・ハンディキャッピングという現象は、本問の「写真に写った本人は左右反転の鏡像をより好み、その友人は同じ人の正像をより好むという結果」とは全く関連性がないことがわかると思います。

よって、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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