公認心理師 2021-90

「親密な対人関係の説明原理」に該当する理論を選択する問題です。

社会的比較理論以外は、一度は出題されていますね。

問90 親密な対人関係の説明原理として、最も適切なものを1つ選べ。
① 社会的絆理論
② 社会的学習理論
③ 社会的交換理論
④ 社会的比較理論
⑤ 社会的アイデンティティ理論

解答のポイント

各理論がどういう事柄を説明しようとしているか理解している。

選択肢の解説

① 社会的絆理論

こちらについては「公認心理師 2019-98」「公認心理師 2020-141」で出題がありますね。

従来の非行理論が「なぜ彼ら(彼女ら)は非行や犯罪をおこすのか」という原因論から出発したことに対し、社会的絆理論では「人はどうして犯罪・非行を犯さないか」という問題設定から出発しています。

あえて単純化して言えば、人間は本来欲望のままに行動する存在であり、人間が犯罪・非行を犯さないのは、心理的な抑制、社会的統制がそれを抑止しているからと考えます。

その抑止が弱まったとき、犯罪・非行が生じると考えるわけです。

この枠組みの代表的な研究者はHirschであり、彼は個人と順法的な社会とを結ぶ社会的絆があり、これが弱められ、断ち切られた場合に非行が生じるとしています。

ハーシによれば、社会的絆には、家族や学校および友人などに対する「愛着」、クラブ活動や勉強などの合法的活動への「コミットメント」、合法的な成功をめざして行う進学などへの「インボルブメント(関与)」、ルールや規範などへの尊敬である「信念」があるとしています。

上記の「絆の要素」について具体的に延べていきましょう。

  • 愛着:Durkeimは「我々は社会的存在である分、それだけ道徳的存在でもある」と述べており、ハーシはこちらに対して「我々が社会の「規範を内面化」している程度に応じて道徳的存在でもある」と解釈しています。すなわち、社会の規範は社会の諸成員により共有されているはずで、だからこそ規範の侵犯は他者の願いや期待とは相反する形で行為することを意味します。もしも、他者の願いや期待に無頓着であるなら、それだけ規範に縛られないことになり、自由に逸脱することができると考えます。
    このような理路をもって、規範や両親あるいは超自我の内面化の本質は、他者に対する個人の愛着にあると社会的絆理論では捉えます。この他者への愛着は「個人的統制」の一側面でもあるが、社会的絆理論では愛着と非行の関連性を決定済みのものとして定義上の前提とはせず、愛着は他者への絆の中に位置づけるとしています。
  • コミットメント:人が法を侵犯したときのその結果に対する恐怖から、規則に従うことが多いものです。同調行動を取る際の、こうした合理的側面の要素を社会的絆理論では「コミットメント」「生活上の投資」と呼んでいます。人が逸脱行動をするかしないかを考えるときには必ず、逸脱がもたらすコスト、すなわちそうした社会の既存の枠組みに沿った行動を取ってきたこれまでの投資を失うかもしれないというリスクに、思いを巡らすだろうと考えます。
    つまり、社会的絆理論の立場からは、犯罪を犯そうという決断は相当に合理的になされるものであり、彼が直面しているリスクとコストを考えてさえいれば、決して非合理的な決断ではないはずである、と仮定しています。もちろん人は計算間違いをするものなので、社会的絆理論でも無知や計算違いとして逸脱行動を説明することは可能です。
  • 巻き込み:日常にありふれている様々な活動に巻き込まれたり没頭するということは、社会的絆理論の重要な一面を構成しています。これはすなわち、人は社会の既存の枠組みに沿った事柄に忙殺されている限り、逸脱行動にふける暇など無いという仮定を導きます。日常的な活動に巻き込まれている人は、約束やら締切りやらに追われ、仕事や計画その他諸々のことに忙しすぎて、逸脱をする機会に滅多にお目にかかれないと考えます。日常のありきたりの活動に忙しいほど、それだけ逸脱行動について思いを巡らすことさえないわけで、ましてやその思いを実行に移すことなど全くできないわけです。
    多くの非行防止プログラムでは、このような考え方に基づいてレクリエーション施設の重要性が強調されたり、また高校中退者の問題に多大の関心が集まったり、さらには少年たちをトラブルの元から引き離しておくためには兵役に就かせるべきだ、といった提案がなされたりするわけです。こうした日常的ないろいろの活動へと巻き込むことは、非行を防止する上で大変大きいとみるこうした考え方は、わかりやすく説得力があります。青年たちの余暇から生じる一群の価値観が、結局彼らを非行に導いていくということですね。
  • 規範観念:社会的絆理論では、ある社会や集団には広く行き渡った価値体系というものが存在し、そしてその規範が破られることを仮定しています。仮に逸脱者が既存の社会とは異なる価値体系に準拠していると考える場合、非行という文脈に限って言えば、社会的絆理論にとって説明するべきことは何もないということになります。
    つまり、社会的絆理論が説明しようとする問いは「自分が信じている規則は人はどうして犯すのだろうか」であって、「何が善なる行動であり好ましい行動であるかについての規範観念が、なぜ異なってくるか」についてではないということです。すなわち社会的絆理論では、逸脱者に関して、現に犯しつつあるその規則を作った集団の中で社会化されてきたと仮定するのです。

これらの絆はいずれもインフォーマルなものであり、ハーシはこのようなインフォーマルな社会統制メカニズムの重要性を説きました。

社会的絆理論をはじめとした社会的統制理論は「非行が湧き出る理論」であると考えられ、安定低成長期における少年の行動に許容的な風潮、少年をつなぎ止める社会的な絆の弱体化など、ある意味でアノミー化(伝統的な規範が失われた状態)した社会の中で、少年たちは自己存在確認の非行や人間に内在する悪心が発揮されやすくなったと捉えられています。

日本における安定低成長期の非行を説明する理論であるとされ、非行対策としては、社会秩序の再構築と少年を取り巻く絆と統制力の回復、個人の自制力、道徳心の育成が必要とされました。

このように社会的絆理論は、親密な対人関係の説明原理ではなく、「人はどうして犯罪・非行を犯さないか」という問題設定から出発した理論であり、その理由として人との絆(およびその要素)を挙げたわけです。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

② 社会的学習理論

「社会的学習」自体は多義的用語であり、一般的には社会的な状況を通じて、慣習、規範、態度、行動、価値観などを習得していく過程を、学習の観点から捉えた概念です。

心理学研究で、他の個体を介した行動の習得に初めて目を向けたのは、ミラーとダラードであり、同様の動因をもっている二者(既に学習を終えたリーダーに相当するネズミと、それに追従するネズミ)がいる状況で、追従するネズミがリーダーの行動を手掛かりに、一致した行動を取り、報酬が繰り返し与えられることで、学習が成立することを実証しています。

これを模倣学習と呼びますが、これは実際に行動を起こして直接的に強化を受けるというものでした。

これに対してバンデューラは、実行を伴わず、たとえ直接的な報酬がなくても、他者の行動とその結果を観察しただけで学習が成立するという観察学習の考え方を提示し、社会的学習理論を提唱しました。

社会的学習理論では観察学習は注意、保持、運動再生、動機づけの4つの過程で構成されています。

  1. 注意過程:
    観察学習が成立するには、まずモデルの行動やその特徴に注意を向けることが大切。
  2. 保持過程:
    注意過程によって得られた情報は、後の行動に反映させるまで保持することが必要。
  3. 運動再生過程:
    保持された情報を使って実際に行動する過程。
    ちなみに1~3までが、新しい行動を獲得する過程である。
  4. 動機づけ過程:
    その後の行動に反映されるかどうかはこの動機づけ過程による。

動機づけは主に外的強化、代理強化、自己強化の3つがあります。

外的強化とは、その行動が適切に行える状況(外的環境)によって強化される場合を指します

代理強化とは、モデルが何らかの強化を受けていることを観察している場合を指し、「強化の期待」がこちらでは重要となります。また、自己強化とは、自分自身で行動に強化を与える場合を指します。

観察学習は、大人が人形を攻撃する場面を見せて、その後の大人への対応(報酬を与えられる、怒られる)によって群を分け、子どもがどのような行動を取ったか、という研究内容が有名ですね。

バンデューラは、この研究を通して、怒られた群の模倣行動が少なくなることが説明できないこと、必ずしも強化は必要ないが「強化の期待」が重要であることを明らかにしています。

このように、社会的学習理論は、人は他者を観察し模倣することによっても新しい行動を獲得できるとする、学習過程と社会的行動における理論であり、親密な対人関係の説明原理として示されたものではないことがわかりますね。

よって、選択肢②は不適切と判断できます。

③ 社会的交換理論

社会的な相互依存関係における重要なポイントは、価値を持つ何か(食物、情報、時間、エネルギーなどの資源)をやり取りすることで、お互いにとってより良い状態を作り出そうとすることです。

例えば、漁師と農民がそれぞれ魚と米をやり取りするとしたら、やり取りしない場合よりも双方にとって良い結果が生まれますよね。

このように「社会的な相互依存関係の本質は、資源のやり取りにある」と考える発想を社会的交換理論と呼びます。

すなわち、社会的交換理論とは、人々の社会行動を交換という観点から分析・理解しようとする理論的立場であり、様々な対人相互作用のやりとりを経済交換になぞらえて理解するものです。

その一方、経済交換とは異なり社会的に交換される資源は、有形の財だけでなく、愛情、尊敬、情報などの無形の資源も含んでいるとされます(これはFoa&Foa(1974)によって示されている)。

このような多様な資源の交換による人々の満足の程度(効用)は、経済交換の場合と同様、費用と便益の差によって決定されると考えられており、人々は交換を通じて満足度を最大化しようとすると仮定されています。

社会的交換理論は、人類学、社会学など様々な社会科学の領域にまたがって発展してきましたが(例えば、レヴィ=ストロースは、それまで「贈与」と論じられていた部分を「交換」と定義し直すなど)、社会心理学ではThibout&Kelleyの理論がよく知られています。

ティボー&ケリーは、対人関係の本質は相互作用にあるとして、二者間の社会的相互作用の分析を行い、相互作用の結果を報酬とコストの観点から理論化しています。

「報酬」とは他者と相互作用を行った結果として生ずる満足や喜びを指し、「コスト」とは二者間の相互作用を抑制する要因を指します。

ここでは、交換を有形の価値の交換としてではなく、むしろ一つの行動パターンとして解釈しており、交渉や取引などの社会心理学の研究にも大きな影響を与えています。

また、ホーマンズは、社会行動を最低二者の間でなされる有形、無形の報酬あるいはコストとなる活動の交換と捉え、社会行動の基本形態の分析を行いました。

彼によると、交換の始まりには、価値・成功への期待が含まれており、個人や相互の利益を目的とした交換が行われているとしました。

すなわち、経済学のアナロジーから、報酬とコストの差を利潤と考え、交換関係にある二者は、相互のコストに見合った報酬と期待すると考えました(この期待が破られたときに、怒りが生じるとされています)。

この考えは、心理学における交換理論の原典とされ、衡平理論にも影響を与えています。

このほかにも社会学の立場であるBlauは、交換過程とその歪みとしての権力や官僚制の問題について分析を行っています。

彼は、交換とは返される報酬を期待して行われる供与行為であるとし(つまり、交換は同等の価値があるもの同士で交換される)、交換にはバランスを保つ互酬性があると考えました(この時、返すべきものの価値が劣っている場合は、服従という形でバランスが保たれるとした)。

ブラウは、社会構造を理解するためには、個人や集団の関係を支配している社会的交換と社会諸過程についての視点が不可欠と考えています。

このように、社会的交換理論に基づく研究の例としては、交換における返報性規範の役割や、交換される資源の性質、交換ネットワークの構造とそこから発生する権力などに着目した研究が挙げられます。

このように、「社会的な相互依存関係の本質は資源の交換にある」という前提にもとづく理論が社会的交換理論であり、この理論から対人関係における関係の魅力と関係の維持および崩壊を説明するモデルが以下の通りいくつか示されています。

  • 衡平モデル:対人関係ではお互いにコスト(例えば、会うために出かける)を払って報酬(例えば、笑顔)を得る。人は自分の報酬やコストと相手の報酬とコストを比較し、衡平かどうかを判断する。自分の報酬が多く得であれば罪悪感や負い目を感じ、自分のコストが極めて大きく損をしている状態であれば怒りを感じる。つまり、報酬が多すぎてもコストが多すぎても負の感情を経験することになる。損得のバランスが取れているカップルが、最も幸福を感じて関係が持続するとされている。
  • 投資モデル:このモデルでは利己的な人間を想定し、人は現在の関係における報酬とコストを測り、利益が大きければ満足すると仮定する。しかし、関係を継続しようとする意図(関与)は満足の高さだけに依存するのではなく、それまでの関係にどれほど投資してきたか、そして他に魅力的な代替関係が存在するかも併せて考慮する。投資モデルでは、これまでつぎ込んだ投資が大きい場合には、満足が低くても関与度は大きくなると予測される。
  • 互恵モデル:どの社会においても、好意に対しては好意で返すという互恵性が存在し、恋愛関係もこの互恵性によって説明できる。快活で暖かな人はそれだけで十分魅力的だが、加えてそのような人の傍らにいると良い気分を味わえる。うなづいてくれる、賛成してくれる、外見の良さなどは、一種の報酬のように働き、満たされた気分になる。そのようないい気分やそこから生まれてくる笑顔やくつろいだ姿勢などは、相手にとってもいい気分を醸成する報酬となり、相互好意が促進される。

社会心理学において対人魅力は大きな研究分野の一つですが、「個人の魅力」ではなく「関係の魅力」という側面から、親密な人間関係を説明しようとした理論が、社会的交換理論ということになるわけですね。

以上のように、社会的交換理論は、本問の「親密な対人関係の説明原理」であることがわかると思います。

もちろん「親密な対人関係の説明原理」ですから、その親密さが失われる、崩壊するという状況も含めて説明する理論になっています。

その親密さが失われる、関係の崩壊に目を向けて「親密な対人関係の説明原理」ではないと見なさないように気をつけましょう。

よって、選択肢③が適切と判断できます。

④ 社会的比較理論

社会的影響に関する考え方に「規範的影響」と「情報的影響」があります。

グループの規範に基づく社会的影響のことを、ドイッチとジェラードは「規範的影響」と呼んでおり、規範とは集団内で適切とされる行動や態度の基準のことを指します。

規範的影響は、基本的に賞罰を背景とした社会的影響であり、賞罰の中身は社会的承認や非難から、物理的報酬や暴力に至るまで様々な内容が考えられます。

こうした規範的影響が賞罰に基づく影響であるのに対し、「情報的影響」は他者の行動の情報化に基づく影響です。

社会的比較理論は、こうした他者の行動の情報化に基づく社会的影響に関する理論の一つです。

社会的比較理論は、フェスティンガーが提唱した自己評価に関する理論です。

人は基本的に、自らの態度や能力を正確に評価したいと動機づけられており、客観的基準による評価が望めない場合、周囲の他者と自分を比較して自己評価するとされています。

その比較対象は、一般的に類似他者が選択されます。

もし自他の、あるいは多くの人々の間で一致が見られるようであれば、人はそうした認識の妥当性について確信を持つようになります。

こうした社会的確認のプロセスは「合意による妥当化」と呼ばれています。

後の研究により、社会的比較は態度や意見だけでなく様々な領域で生じ、意識的にだけではなく非意識的にも生じ、嫉妬などの常道喚起に係わることがわかっています。

従来、社会的比較の基底動機として、正確な自己評価への志向性(自己査定動機)が仮定されていましたが、肯定的自己評価を志向する自己高揚、自らの改善を志向する自己向上の動機も係わることが明らかにされています。

そのため、比較他者の選択が変わることもあります。

具体的には、自分よりも能力が低い他者と下方比較することで自己高揚を実現したり、逆に自分より能力の高い他者と上方比較することで、自己向上につながる情報収集をしたりするとされています。

以上のように、社会的比較理論とは、親密な対人関係の説明原理ではなく、情報的影響による自己評価に関する理論の一つと言えます。

よって、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ 社会的アイデンティティ理論

本選択肢に関しては「公認心理師 2020-87」および「公認心理師 2021-11」で解説していますね。

社会的アイデンティティ理論は、集団間葛藤の生起過程を説明するため、Tajfel&Turnerによって提唱された理論です。

人がもつ自己概念のうち、特定の集団や社会的カテゴリーに所属しているという認知と、それに伴う正負の評価・感情が複合したものを「社会的アイデンティティ」と呼びます。

人は一般に明確な自己同一性(アイデンティティ)を確立し、他者との比較を通して望ましい自己評価を行うように動機づけられていると考え、これは社会的アイデンティティでも同様です。

ところが、内集団(人種、性別、職業などの社会的カテゴリーも含む)における自己の所属性が強く意識される場面では、内集団・外集団間の境界を明確にし、前者を後者よりも高く評価することによって、この動機を満たすことができます。

それは、一般に人には自己評価高揚の動機づけがあり、自己と強く同一視する内集団が存在する状況では、集団間社会的比較に基づく内集団評価の高揚が起こるためとされています。

こうした正の社会的アイデンティティの希求という過程によって、集団間社会的比較過程が集団間の差別や内集団びいきを引き起こし、集団間の偏見・葛藤へと至ると説明されています。

さらにターナーは自己カテゴリー化理論を提唱し、自己と内集団の同一視という過程について、より認知的な観点から体系的説明を試みています。

また、低地位集団などに付与される負の社会的アイデンティティや、他の内集団成員の行為に対して経験する集合的罪悪感などについても、集団同一視の役割が明らかにされています。

社会的アイデンティティ理論は、集団間行動を個人内の認知的・動機的概念(ここではアイデンティティ)によってとらえた点が特徴的で、集団間の実際的利害の対立といった構造的要因によって説明を試みた他の理論と対比をなしています。

上記の通り、社会的アイデンティティ理論は、親密な対人関係の説明原理ではなく、むしろ、差別や内集団びいきといった社会的排斥の原因を説明した理論であると言えますね(この点は「公認心理師 2020-87」の正誤判断のポイントだったわけですから、ほぼ同じ問題が出たと言っても良いわけです)。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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