問141は社会構成主義的アプローチによる実践内容を選択する問題です。
実はこの問題、事例の内容を一切読まなくても「社会構成主義的立場からのアプローチを選ぶ」ということさえわかれば解ける問題です。
社会構成主義の問題は2018-117に続き、2年連続2回目ですね(これから甲子園風に言っていこうかな、と思い立ち)。
問141 19歳の男性A、大学1年生。Aは将来に希望が持てないと学生相談室に来室した。「目指していた大学は全て不合格だったので、一浪で不本意ながらこの大学に入学した。この大学を卒業しても、名の知れた企業には入れないし、就職できてもずっと平社員で結婚もできない。自分の将来に絶望している」と述べた。
Aに対する社会構成主義的立場からのアプローチとして、最も適切なものを1つ選べ。
①不本意な入学と挫折の心理について心理教育を行う。
②Aの将来への絶望について無知の姿勢で教えてもらう。
③Aの劣等感がどのように作り出されたのかを探索させる。
④学歴社会の弊害とエリート主義の社会的背景について説明する。
⑤Aの思考のパターンがどのように悲観的な感情を作り出すのかを指摘する。
社会構成主義では「現実は社会的過程、すなわち言語的な相互交流の過程の中に構築される」という考え方が基本です。
1980年代中ごろにGergenによって心理療法領域に提起され、その後、主に家族療法の領域で注目されるようになってきました。
オープンダイアローグなども社会構成主義を背景にしたアプローチですね。
これらの記載を中心にしつつ解説していきましょう。
解答のポイント
社会構成主義に基づいたアプローチの基本原則を把握していること。
選択肢の解説
②Aの将来への絶望について無知の姿勢で教えてもらう。
Andersonらは「人の行為は社会的な構成作業と対話を通して作り出される現実のなかで営まれる、という見方に現在のわれわれは立っている」とし、社会構成主義的立場に立ったアプローチについて示しています。
この見方では、人は他者とともに作り上げた物語的な現実によって自らの経験に意味とまとまりを与え、そうして構成された現実を通して自らの人生を理解し生きることになります。
こうした立場に関しては、次のような諸前提に基礎を置いています。
ちょっと長いですけど、Anderson&Goolishianの重要なまとめなので、しっかりと把握しておきましょう。
- 人が関与するシステムは、言葉を作り出し、同時に意味を作り出すシステムである。人が関わる全てのシステムは言語的なシステムであり、外部の「客観的」観察者よりも、そこに参与する人々によってもっとも的確に表現される。
治療的システムとはこのような言語的システムを指す。 - 意味と理解は人々の間で構成される。コミュニケーションによって初めて意味や理解に到達しそれらを入手する。
治療的システムとは、コミュニケーションが対話的な交流という形式を採ることが、特別に意義を持つシステムである。 - 治療システムは、「問題」をめぐる対話によって結びついたものである。このシステムが発展させていく言語や意味はそのシステムに固有のものであり、その組織に沿ったものであり、同時に「問題を解決しないことに関わる」ものである。
即ち、治療的システムとは、問題を編成し問題を解決しないシステムを指す。 - セラピーとは、治療的会話と呼ばれるもののなかで起こる言語的な出来事である。治療的会話は、対話を通じてのお互い同士の探索であり、相互交流のなかで、アイデアの交換を通じて今までとは異なる新しい意味を発展させ、問題を正面から「解決せずに解消する」方向へと向かう。
即ち、それは、治療システムを解消することであり、問題を編成し問題を解決せずに解消するシステムである。 - セラピストの役割は会話や対話を建築することであり、その専門性は対話の空間を押し広げ、対話を促進する点にある。
セラピストは治療的会話の参与観察者であり参与促進者である。 - セラピストは、会話的で治療的な質問を用いて、セラピーという芸術を実践する。
この達成のため、セラピストは、マニュアル的な質問や特定の回答を求める質問ではなく、「無知」の姿勢で質問するという専門性を発揮する。 - セラピーで扱われる問題は、我々の主体性や自由の感覚を損なうような形で表現された物語である。問題とは、自分で適切な行為ができそうもない事態に対して異議を唱えるものである。
それゆえ、問題は言葉の中に宿り、その意味が引き出されてくる物語の文脈に固有のものとなる。 - セラピーにおける変化とは、新しい物語を対話によって創造することであり、それゆえ、新たな主体となる機会を拡げることである。物語が変化をもたらす力を持つのは、人生の出来事を今までと異なる新しい意味の文脈へと関係づけるからである。
人は、他者との会話によって育まれる物語的アイデンティティのなかで、そして、それを通して生きる。自己は常に変化し続けており、それゆえ、治療者の技能とは、このプロセスに参加する能力を意味する。
このように、社会構成主義の立場では、その人のストーリーは常に変化し進化するものと考え、対話に基礎を置くことを重視しています。
このために必要なのが「無知」の姿勢であるとされています。
無知であるとは、ある理論体系に基づいて治療を行うことの対極に位置し、カウンセリングで生じる理解や解釈が、過去の経験や理論的に導かれた知識に制約されてはならないということになります。
無知の状態で「対話」することによって、カウンセリングは「その場でその人とともに」進行することになります。
クライエントに語りかけるのではなく、「クライエントと共に語り合う」という形式を通して、両者で新しい意味や現実、そして新しい物語を共同で開発することになります。
こうした「それまで語られてこなかった物語」を生じさせるような会話が、治療的会話とされています。
こうしたストーリーの変化と自己物語の変化が、対話の必然的産物としてもたらされるということです。
読んでいてわかると思いますが、社会構成主義的立場では、治療理論を持っているのではなく、安全な「対話」(ダイアローグ、ですね)を積み重ねる中で、クライエントの変化や改善が副産物として生じてくるという考え方をします。
無知の姿勢とは、こうした安全なダイアローグを実践するための前提となる姿勢であると言えますね。
以上より、選択肢の「Aの将来への絶望について無知の姿勢で教えてもらう」というアプローチは社会構成主義的立場によるものであると見なすことができます。
以上より、選択肢②が適切と判断できます。
①不本意な入学と挫折の心理について心理教育を行う。
「心理教育」という表現は、ある一定の「正しさ」に基づいて行われるものです。
本選択肢の場合、不本意な入学とそれに伴う挫折の心理について「理論的説明」を行うということになるのだろうと思います。
こうしたアプローチは社会構成主義の「対話を通じて意味を創造する」という考え方とは乖離したものであることがわかりますね。
もちろん、本問は「社会構成主義的立場に基づくアプローチを選択する」ことが課されているだけで、正答以外の選択肢のアプローチが適切かどうかを問うているものではありません。
どのアプローチにも有効なタイミングや対象、状況というものがあります。
ただ、本事例の状況で本選択肢のアプローチを行っても効果は薄いだろうと感じますね。
社会構成主義立場であるか否かによらず、もう少しクライエントの絶望感とともにいる姿勢をもっても良いのではないかと思います。
もちろん、このアプローチが適切か否かは問題の正誤判断と無関係のことですから、この段落で述べていることは試験問題の解説から離れた記述だと思っておいてくださいね。
以上より、選択肢①は不適切と判断できます。
③Aの劣等感がどのように作り出されたのかを探索させる。
社会構成主義に基づいたアプローチであれば、Aの劣等感に関する物語を「探索させる」のではなく、対話を通して「両者で創造する」ということになろうかと思います。
先述のように、社会構成主義では、クライエントに語りかけるのではなく、「クライエントと共に語り合う」という形式を通して、両者で新しい意味や現実、そして新しい物語を共同で開発することになります。
こうした「それまで語られてこなかった物語」を生じさせるような会話が、治療的会話とされています。
さて、本選択肢のようなアプローチは一般的によく見られるものですね。
事例内で語られていない「劣等感」という表現を入れ込んでいるのが、いかにも解釈的な選択肢だと感じますね。
もちろん、クライエントに劣等感があること、場合によってはその成り立ちに関してカウンセラーからの解釈が役立つこともあるでしょう。
事例の状況は定かではありませんが、事例のような表現をした直後に劣等感の背景の探索は性急すぎるという印象はありますね(繰り返しますが、このことは本選択肢の正誤判断とは無関係ですが)。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
④学歴社会の弊害とエリート主義の社会的背景について説明する。
こちらはクライエントの絶望感の背景にある(選択肢③の表現を使えば)劣等感に対して、こうした感情の前提には「学歴社会」「エリート主義」という信念が根付いているという解釈を行い、その説明をしていくというアプローチになるかと思います。
社会構成主義では、そうした物語がクライエントとの会話のなかで生じてくるとしており、本選択肢のようにカウンセラー側が解釈し設定し、それをクライエントに伝えるという形を採ることはありません。
本選択肢の対応は、臨床実践上から見ても「乱暴な解釈」(フロイトの言葉、ですね)となっているように思われます。
ありていに言えば「決めつけ」が過ぎますね。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。
⑤Aの思考のパターンがどのように悲観的な感情を作り出すのかを指摘する。
本選択肢の対応は、やや認知行動療法的なニュアンスがありますね(思考のパターンとか、悲観的な感情、という表現が)。
「Aの思考パターン」というテーマをクライエントとカウンセラーの間において話し合う、というスタイルに近いアプローチかなとも感じますが、「指摘する」という表現があるので、ある種のカウンセラーの考えを伝えていこうとしていると言えそうですね。
社会構成主義に基づいたアプローチであれば、Aの思考パターンに関する物語も、それによってどのような感情が作り出されるかに関しても対話を通して創造される事項であり、カウンセラー側が「悲観的な感情」と想定して関わるということはないと言えます。
本選択肢に限らずですが、クライエントの特徴をカウンセラーとクライエントの間において話し合うというイメージは、臨床実践上大切なものだと思います。
もちろん、それができるタイミングであるか、そういうアプローチに適合しそうなクライエントであるか、などはその都度見立てられることが大切です。
ただ、本選択肢の「指摘する」という関わりは、この事例状況にはそぐわない印象を受けますね(正誤判断とは関係がないけど)。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。