要素主義・行動主義・精神分析・ゲシュタルト心理学

現代の心理学は、ヴントの要素主義に対する批判が枝分かれして広がってきました。
意識に対して、行動を重視したのが行動主義心理学です。
部分ではなく、全体性を重視したのがゲシュタルト心理学です。
意識ではなく、無意識を重視したのが精神分析学です。

ヴントの仕事

精神物理学で有名なフェヒナーは1860年に「精神物理学要綱」を出版しました。
同じ1860年にドイツで「民族心理学と言語学雑誌」が創刊され、ここには、人間は生まれながらにして社会的な存在で、精神を創造していく存在であると規定し、その観点から書かれた論文が掲載されていました。

ヴントはこれらの熱心な読者であり、そこで受けた影響もあり、彼が中心になって近代心理学を作り上げていくことになっていきます。

ヴントの業績は大きく以下のように分類できます。

  1. 実験という方法を用いた心理学の提案(内観法を用いた反応時間研究)。
  2. 1875年、ライプツィヒ大学の哲学教授として独立した心理学科目の整備を行う。
  3. 1879年、心理学実験室の開設(建物などが立ったわけじゃないので、イメージとしては心理学研究室(ゼミ)ができたという感じ)。
特に第1項は重要で、そこへの批判から様々な学派が生まれていきました。

ヴントは訓練された実験参加者に、自分自身の「意識」の内容を観察・報告させる「内観法」と呼ばれる方法を用いて、厳密に統制された状況下で「意識」の分析を行いました。

これは厳密に統制された条件下での分析であり、意識の構成要素を純粋感覚と単純感情であるとし、それらの複合体として意識の成り立ちを説明しました。
これは自然科学の方法論を心理学に応用しようとしたものであり、実験的心理学の源流とも言えます。

そして、意識の構成要素は純粋感覚と単純感情であり、それらの複合体として意識の成り立ちを説明できると考えました。
すなわち、物質の成り立ち(分子や原子の複合体)と同様のことが心理の世界でも生じると考えたわけです。

特に、意識を対象としていること、その意識を要素に分けて考えることなどが批判の対象となっています。
これらの特徴に対して3大批判潮流がありました。
それが、精神分析、行動主義、ゲシュタルト心理学になります。

ちなみに、ティチェナーは自身の立場を「構成主義心理学」としました。

アメリカではティチェナーがヴントの代弁をすることが多かったため、構成主義に見られる「要素主義」をヴントの心理学と誤解しがちです。

ティチェナーは、意識を要素へ分解し、その要素が連合する法則を見出したり、要素の生理学的条件とを結びつけることが心理学の本質と考えました。
ティチェナーとヴントの違いは、意識の基本的要素を統合するかしないかであり、ティチェナーは統合することには関知しませんでした。

第1回と第2回のブループリントの表記が「構成主義」から「要素主義」に変更されているのも、この辺の差異を意識してのものかもしれないですね。

19世紀の中ごろに成立した心理学を「近代心理学」と呼び、主にヴントのもとで学んだ若い学者たちが心理学の領域を広げていきました。
19世紀後半のアメリカでは、ヴント以降のドイツ心理学は「新心理学」と呼ばれ、哲学的心理学とは区別されています。


【2018-79②、2018追加-5⑤】

3大批判潮流:精神分析


ヴントの心理学では、先述の通り意識を対象としていました。
これに対して、意識ではなく、無意識の重要性を指摘したのが精神分析です。
Freudが祖であり、19世紀末から20世紀にかけて発展しました。

人間の精神活動において、意識よりも無意識の方が重要な役割を果たしていると考え、意識の分析では人間を理解することは不可能であると考えたわけです。
「当人には直接知られず、にもかかわらずその人の判断や行動を支配しているもの」、それが無意識であると考えたわけですね。

フロイトは臨床経験に基づき、単純な言い間違い、書き間違い、物忘れといった日常的な失錯行為から始めて、強迫神経症やヒステリーに至るまで、すべての心的な症状は、その背後に「無意識」の過程が潜在している、という仮説を示しました。
こうした主張は「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」という点でマルクスとも通じています。
フロイトが哲学の世界にも多大な影響を与えたとされているのも、この点と関連があるのですが、それはまた別のお話ですね。

精神分析の詳しい内容は別枠でも述べていくことになると思います。

【2018追加-5③】

3大批判潮流:行動主義


意識は外部から観察することができない主観的な現象です。
シカゴ大学で博士号を取得したWatsonは、いわゆる「行動主義宣言」(行動主義者のみた心理学,1913)を行い、その立場を明確にしました。

行動主義の心理学では、意識ではなく、行動を研究対象とすべきとしました。
心理学が自然科学の一部門であるためには、外部から客観的に観察できる行動を対象とすべきと主張しました。

ワトソンの学習観はS-R連合理論と呼ばれます。
S-R連合理論では、学習の基本的単位は条件づけによって形成される刺激と反応の連合にほかならず、人間が行う高度な学習も、分析すれば刺激と反応の連合という要素に還元できると考えられました。

ワトソンが参考にしたのがPavlovの仕事です。
  • 行動主義の特徴である、刺激と反応の結びつき(S-R)に還元するという考え方は、古典的条件づけの研究によるところが大きい。
  • パブロフの研究は19世紀末からだが、広まったのはワトソンが1915年にアメリカ心理学会で行った「心理学における条件反射の位置」による部分が大きい。
  • ワトソンは更に踏み込んで、本能と呼ばれるもののほとんどが後天的に条件づけられた反応であると論じた:アルバート坊やの恐怖条件づけ。
こうした流れをもって、ワトソンは行動主義宣言を行ったわけですね。

このように、行動レベルの反応を測定したり、ヒト以外の動物も実験対象とした点が要素主義との大きな違いとも言えます。
より科学的であることを目指したとも言えるでしょう。

ワトソンの行動主義の主張は、その後、スキナーやハルに受け継がれ、主として北アメリカで発展していきました。

【2018-79③、2018追加-5①④】

3大批判潮流:ゲシュタルト心理学

要素主義、構成主義に異を唱えたのがゲシュタルト心理学です。
Wertheimer(ヴェルトハイマー)による「仮現運動」の発見(1912)がありますが、これは「人間は部分の総和であり、部分を再構成すれば人間になる」という考え方では生じないというのがゲシュタルト心理学の主張です。
仮現運動は実際は一定の時間間隔の点滅にすぎないのですが、それが「動いて見える」現象を指します。
人間が単なる部分の総和であるならば、これは単なる点滅現象としてしか映るはずがなく、それが「動いて見える」という実際には無い事態を捉えるということは、人間は部分の総和以上の何かを有していると考えたわけです。
その部分の総和以上の何か、を指して「全体性」という表現を用いています。

ヴェルトハイマーやケーラーらは、心理現象全体が持つ特性は構成要素に還元できず、1つのまとまりとしての全体をそのまま研究すべきと主張し、この1つのまとまりのことを形態(=ゲシュタルト)と呼ぶことから「ゲシュタルト心理学」と呼ばれています。

ゲシュタルト心理学は、以下のような概念とつながりがあります。
  • プレグナンツの原理:人間は物事を可能な限り簡潔に知覚する傾向がある。
  • ゲシュタルト要因(連続の要因・近接の要因・閉合の要因・類同の要因)。
  • それまでの知覚の考え方(恒常仮定)を否定し、恒常性の存在を示し、それは体制化された脳の機能と主張した。
  • ケーラーの洞察学習(1917)、レヴィンの集団力学へも影響を与えた。
こちらも併せて覚えておきましょう。
【2018-79①、2018追加-5②】

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