臨床心理士 心理学史:H3-1

問題1はWundtの仕事に関する問題です。
公認心理師でも繰り返し出題されていますね。

本問で問われている事柄

ここ問われているのは以下の2点です。

  1. ヴントが研究対象にしたものは何か?
  2. ヴントが採用した方法は何か?
これらについて理解しておくこと、そしてこれらのヴントへの批判を通して現代心理学の3大潮流が生まれたことを理解しておきましょう。

解答に必要な知識等

精神物理学で有名なフェヒナーは1860年に「精神物理学要綱」を出版しました。
同じ1860年にドイツで「民族心理学と言語学雑誌」が創刊され、ここには、人間は生まれながらにして社会的な存在で、精神を創造していく存在であると規定し、その観点から書かれた論文が掲載されていました。
ヴントはこれらの熱心な読者であり、そこで受けた影響もあり、彼が中心になって近代心理学を作り上げていくことになっていきます。
ヴントの業績は大きく以下のように分類できます。
  1. 実験という方法を用いた心理学の提案(内観法を用いた反応時間研究)。
  2. 1875年、ライプツィヒ大学の哲学教授として独立した心理学科目の整備を行う。
  3. 1879年、心理学実験室の開設(建物などが立ったわけじゃないので、イメージとしては心理学研究室(ゼミ)ができたという感じ)。
特に第1項は重要で、そこへの批判から様々な学派が生まれていきました。
ヴントは訓練された実験参加者に、自分自身の「意識」の内容を観察・報告させる「内観法」と呼ばれる方法を用いて、厳密に統制された状況下で「意識」の分析を行いました
これは厳密に統制された条件下での分析であり、意識の構成要素を純粋感覚と単純感情であるとし、それらの複合体として意識の成り立ちを説明しました。
これは自然科学の方法論を心理学に応用しようとしたものであり、実験的心理学の源流とも言えます。
そして、意識の構成要素は純粋感覚と単純感情であり、それらの複合体として意識の成り立ちを説明できると考えました。
すなわち、物質の成り立ち(分子や原子の複合体)と同様のことが心理の世界でも生じると考えたわけです。
特に、意識を対象としていること、その意識を要素に分けて考えることなどが批判の対象となっています。
これらの特徴に対して3大批判潮流がありました。
それが、精神分析、行動主義、ゲシュタルト心理学になります。
ちなみに、ティチェナーは自身の立場を「構成主義心理学」としました。
アメリカではティチェナーがヴントの代弁をすることが多かったため、構成主義に見られる「要素主義」をヴントの心理学と誤解しがちです。
ティチェナーは、意識を要素へ分解し、その要素が連合する法則を見出したり、要素の生理学的条件とを結びつけることが心理学の本質と考えました。
ティチェナーとヴントの違いは、意識の基本的要素を統合するかしないかであり、ティチェナーは統合することには関知しませんでした。
19世紀の中ごろに成立した心理学を「近代心理学」と呼び、主にヴントのもとで学んだ若い学者たちが心理学の領域を広げていきました。
19世紀後半のアメリカでは、ヴント以降のドイツ心理学は「新心理学」と呼ばれ、哲学的心理学とは区別されています。

結論

以上より、「ヴントは意識を心理学の研究対象とし、自分で自分の心を観察した。この方法を内観法という」ということになります。

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