公認心理師 2022-51

よく出題されがちな多重関係に関する問題です。

それぞれの選択肢から連想できることを述べておきました。

問51 公認心理師としての実践において倫理的に問題とされる多重関係に該当するものを2つ選べ。
① 適度に自分の経験を開示する。
② クライエントから母親のイメージの投影を受ける。
③ 心理職の同僚間で相互にコンサルテーションを行う。
④ 終結を記念してクライエントとレストランで会食を行う。
⑤ 税理士であるクライエントに確定申告を手伝ってもらう。

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解答のポイント

多重関係の意味と実例を理解している。

選択肢の解説

④ 終結を記念してクライエントとレストランで会食を行う。
⑤ 税理士であるクライエントに確定申告を手伝ってもらう。

まず多重関係についておさらいをしておきましょう。

多重関係とは「専門家としての役割と別の役割を、意図的かつ明確に同時にあるいは継続的に持ち続けること」を指します。

具体的には「クライエントと恋愛関係を持つ、性的関係を結ぶ」「ゼミの学生のカウンセリングを行う」「職務上の部下の家族をカウンセリングする」などの状況を指します。

家族間、友人間のカウンセリングも好ましいとされていませんね。

多重関係を避けるべきとされているのは、治療関係以外の関係性が治療関係に影響を与えることを防ぐためです。

外科医でも家族はなかなか切れるものではないと聞きますが、カウンセリングでも家族のカウンセリングが難しいのは少し想像すればわかると思います。

不登校児の親御さんに助言はできても、その助言と同じことを不登校になったわが子に実践できるかと問われれば、なかなか困難と感じる人も多いのではないでしょうか。

併せて、過去の記事にある「多重関係」も読んでおいてくださいね。

さて、まず選択肢④の「終結を記念してクライエントとレストランで会食を行う」ですが、意外とこれが難しいと感じる人もいるかもしれません。

おそらくあり得る理屈が「終結しているからカウンセラー‐クライエントという関係は終わっているから、食事に行っても大丈夫である」というものだと思いますが、これは間違いです。

上記の考え方はカウンセリングというものを単なる「契約」に過ぎないと考えているから生じる誤りです。

心理臨床の枠組みで言えば、いったん結んだカウンセラー‐クライエント関係は永続的に続き得るもの、その可能性を考慮しておくことが重要になります。

フロイトが「終わりある分析と終わりなき分析」で述べている通り、終結に関してはさまざまな捉え方があります(こちらのサイトがわかりやすいと思います)。

根本としては「終結とは何ぞや」というテーマに関する各臨床家の思索が重要になってくるんですが、実践的な範囲でも「いったんカウンセリングが終結になったクライエントが再び来談する」という事態はかなりあり得ることであるのはわかると思います(病院などにいると10年前に一度来院した患者がふらっと再来院するなんてことはザラにあります。だからカルテの保存期間は定められているより長い方が良いと思います)。

再び来談したクライエントが、①元々の心理的課題について相談するのか、②新たな問題について相談するのかはわかりませんが、一度カウンセリングの中で問題の改善や自身の成長を感じているクライエントならば②の可能性が、カウンセリングを受けたことのない人よりも高いことは理解できると思います。

特に、いったん何かしらのテーマについて終結まで至ったカウンセラーに対して、それなりの信頼を抱くのは自然なことであり、新たな課題に出会ったときにそのカウンセラーに再び会おうとするのは当たり前と言えば当たり前です(これを「依存している」と表現するのは現実を見ていなさすぎです)。

いずれにせよ、いったん終結したからと言って「その後一切のカウンセリング関係が生じないという保証はない」わけですから、そういった未来の可能性も含めて自身の立ち居振る舞いを決めていくことが大切です。

先に「カウンセリングを契約に過ぎない考えていない」という表現について、ビジネスにおける契約云々は「契約が終われば、元のフラットな関係になる」というイメージだと思いますが、カウンセリングにおける契約関係はそれが終わったとしても「元のフラットな関係になるのではなく、「元々カウンセラー-クライエント関係だった」という関係性が追加される」ことになりますから絶対に「元のフラットな関係=お互いがカウンセラーでもクライエントでもなかった関係」に戻ることはないのです。

ですから、本選択肢の「終結を記念してクライエントとレストランで会食を行う」という行為は、終結=関係性の解消=元のフラットな関係、という誤った認識によるものであると言わざるを得ないわけです。

続いて、選択肢⑤の「税理士であるクライエントに確定申告を手伝ってもらう」ですが、こちらはもっとわかりやすいですね。

「カウンセラー-クライエント」という関係に、「税理士-確定申告を依頼する人」という関係を重ねるわけですから、わかりやすい多重関係になります。

「ショーシャンクの空に」という映画で、刑務所の看守が元銀行員で囚人でもある主人公に確定申告等を頼んでいましたが、あれはわかりやすい多重関係であり、本選択肢と全く同じ行為であると言えます。

更に、こうした「税理士であるクライエントに確定申告を手伝ってもらう」という行為は、①クライエントにサービスをしてもらう可能性、②カウンセラー側の陰性感情の現われ、である可能性があります。

①については、クライエントの中に「いつもお世話になっているし、お代は安くしておきます」ということが生じる可能性があるということであり、これは利益供与を受けるということになりますから、明確な倫理違反になります(多重関係の時点で倫理違反ですけどね)。

②は臨床という視点ではもっと問題で、カウンセリングがうまく進んでいないと感じているカウンセラーがその罪悪感を解消するために、「確定申告を依頼する」という体でクライエントに金銭を返還しているという捉え方もできるわけです。

このように多重関係を結ぶこと、または結ぼうとする意欲には、倫理的だけでなく臨床的にも様々な問題が孕んでいるわけですね。

以上より、選択肢④および選択肢⑤は多重関係に該当するものと判断できます。

① 適度に自分の経験を開示する。

まずは「カウンセラーがクライエントに自己開示をする害」について述べておきましょう。

選択肢②でも解説するように、カウンセリング、特に精神分析において「転移」という過去の重要な他者への感情をカウンセラーに向けてくる現象は、治療上大切なものであると見なされています。

アレキサンダーの修正情動体験は、そうした転移感情をカウンセラーとクライエントの関係の中で新たな形で体験し直させることを介して修正しようとする方法であり、転移を前提とした支援法と言えます。

このように精神分析において転移現象をどう扱うかが非常に重要になってくるわけですが(そしてこの考え方は精神分析の枠組みを超えて多くの学派に共有されていると思います)、転移が適切に表現されるために大切なことが「カウンセラーが鏡になること」であるとフロイトは述べています。

カウンセラーはクライエントの内面を正確に映し出すスクリーンにならなければならないという考え方は精神分析に古くからあるもので、その後いろいろ修正はあるのですがそれはさて置き、この「鏡になる」「スクリーンになる」ということで目指しているのは、クライエントの内面を正確に映し出すものになるためと言えます。

転移現象も「クライエントの内面にあるもの」の代表と言え、この鏡・スクリーンがまっさらでないことで、その表現されるものが正確ではなくなるという論理があるわけです。

この鏡・スクリーンが正確でなくなるということを実践上で表現すると、クライエントがカウンセラーに関する個人的な情報を多く有しているほど、その鏡・スクリーンはまっさらではなくなるとされています。

これは転移現象において最も顕著に現れることですが、クライエントにとってカウンセラーが多少なりとも「正体不明」であるからこそ、カウンセラーが「どんな感情を向けてきても、それはあり得ることだ」と思える、つまり転移現象が生じやすくなるわけです。

ですから、カウンセラーが自己開示を行うことは、こうした治療に不可欠な転移が生じにくくなるという点で問題であると古くからされており、慎むべきこととして捉えられていたという経緯があります。

しかし、上記の考え方も時代と共に変化・修正されてきました。

その内容は様々ですが、ここでは一般に言われている(と思われる)考えを挙げておきましょう。

まずは「自己開示をしないと言っているが、そんなことは不可能である」という捉え方があります。

例えば、カウンセラーが何に頷き・頷かないのか、どういう服装をしているのか、どういう話し方をするのかなど、ほとんど無意識的に行っている事柄がありますね。

こうしたものも「自己開示の一種である」と見なすことができ、そうなると「自己開示をしない」というテーゼ自体が不可能なものであると見なされるようになってきています。

私はこの考え方に概ね賛成であり、ですから「カウンセラーの意思に関わらず自己開示が生じてしまうのであれば、その自己開示自体を治療に活かすようにするべきである」と考えています。

では「効果的な自己開示とは何か」という疑問が出てくるわけですが、こちらはかなりクライエントによって異なります。

私は「クライエントによって違うよね」をコメンターの逃げ口上の一つだと考えているので、一例を挙げておきましょう。

  • ある不登校の母親。不登校の子どもに勉強させること、夕方以降の登校で担任に1時間程度の勉強を教えてもらっていることについて尋ねる。その答えは以下の通り。
  • 「うちの嫁さんが揚げ物をしている時に、揚げあがる間にストレッチをしている。でもあれは効果がないんです。過去に20キロのダイエットに成功した私からすると、そんな単発的なやり方で痩せることはありません」
  • 「それは勉強も同じで家庭や僅かな学校での勉強で、毎日5時間~6時間授業を受けている生徒たちに追いつけるものではありません(ごく稀にいるけど、それは例外)。でも、だからと言って今やっていることが無意味ということでもないんです」
  • 「本人が勉強することで、わずかでも「学校に行っている人たちと同じことをしている」という状況を作ることが大切で、これが本人と学校とのつながりになることもあります。それに学力が向上しなくても、本人が勉強という方法で「学校に戻ろうとする努力」をしていることを認めたり喜ぶことはあっていいと思います。逆に勉強して点数が上がることを期待したり、喜んではダメですね」

こんな感じで伝えることがあるわけですが、上記で私の過去のダイエット歴や家庭で起こっていることを伝えていますね。

それは単に伝えているのではなく、本当に伝えたいことを伝わりやすくするために、そしてクライエントが受け入れやすくするために述べているわけです。

具体的には「うちの嫁さんのストレッチはムダなんです」と伝えると、多くのクライエントは笑ってくれますし、家族療法の技法にもあるように、笑いというのは「本来ならば受け容れがたいことを、するっとクライエントに受け容れさせる力」があります。

こちらは一例ですが、各人が自身の個人情報を単に曝すのではなく、「適度に自分の経験を開示する」つまり、常に支援に役立つ形で自身の経験等を開示することが重要になってくるわけです。

この「支援に役立つ」という前提がなく「自分の経験を開示する」のは、専門家としての行いではありませんからするべきではないと考えています。

もちろん、自己開示を行うことによって「カウンセラーに親しみを感じる」「話しやすくなる」ということもあり得ますが、この効果を狙うのであれば「それが狙えるうえに、そっちの方が支援に役立つ」という見立てがあることが前提になりますね。

つまり、自身の経験を語ることはリスクもありますが、それが治療的に活用される場合もあるので、後者の治療的に活用されるということを本選択肢では「適度に」と表現しているわけです。

「適度に」ってつければ何でも許されるわけじゃないし、資格試験的に言えばこういう言葉をつけると正誤判断が知識に関係なくできてしまうので如何なものでしょうかと感じます。

いずれにせよ、選択肢①は多重関係の説明になっていないと判断できます。

② クライエントから母親のイメージの投影を受ける。

こちらはカウンセリングで生じる「転移」に関する内容となっています。

転移とは、簡単に言えば過去からの持ち越しであり、厳密には精神が幼児期に対抗した際に生じる感情体験であり、実践上はそれをカウンセラーに向けたときに「転移」と認識されます。

多くの場合、重要な他者(主に両親)との関係で未解決だった感情体験が、カウンセラーとの関係の中で想起されることになります。

注意せねばならないのは、クライエントのカウンセラーに対する思考・感情のすべてが転移であるわけではないということです。

カウンセリングでは基本的にカウンセラーが個人的な話はしませんが、だからと言って全然何も知らないということはあり得ず(選択肢①のようにカウンセラーの自己開示が常にマイナスになるわけではない。なので、選択肢①と本選択肢は一緒に解説しても良かった)、特にカウンセリングの回を重ねるごとに、クライエントはカウンセラーの人柄についてかなり正確な知識を掴むことになります。

従って、クライエントのカウンセラーに関する思考感情の中には、現実の事実に基づいた判断も多少の差はあれ含まれていると見なさなければなりません。

これと同時に幼児期の体験、すなわち幼児期に自分と交渉をもった人々に対して抱いていた思考感情が、カウンセラーに対する関係の中に反映してくるわけで、これを「転移」と呼ぶのです。

フロイトは当初、この「転移」を治療を阻害するものと認識していましたが、その後、転移を通して治療を行うことの重要性に気づくようになりました。

すなわち、カウンセリングの中で展開される転移感情を、カウンセラーとのやり取りを通して意識化すること(つまり、この感情は「母親へのものだった」と認識すること)によって、心理的問題の改善につながると考えたわけです。

場合によっては、その転移感情をカウンセラーとのやり取りの中で消化していくということもあり得るでしょう。

いずれにせよ、転移という現象自体はカウンセリングで生じるものと見なされており、これにどう関わるかで心理支援の効果の出方に影響があると言えます。

よって、選択肢②は多重関係の説明になっていないと判断できます。

③ 心理職の同僚間で相互にコンサルテーションを行う。

こちらは「多重関係」というよりも「秘密保持義務」のテーマになりそうな内容だと思います。

同僚間で相互にコンサルテーションを行うによって、クライエントとカウンセラーの間に「カウンセラー-クライエント関係」以外の関係性が入ってくることはありませんから、本選択肢の内容は多重関係について述べたものではありませんね。

先述のように、むしろ気を付けるべきなのは「秘密保持義務」に違反していないか否かです。

特定のクライエントの個人情報を開示しつつのコンサルテーションであれば、心理職の同僚間であれクライエントの許可は得ておくことが求められます。

なお、この「心理職の同僚」があるクライエントの支援に共に関わっている(例えば、病院のデイケアで共に関わる機会がある人とか)なら、秘密保持義務の例外状況に該当しますから問題はありませんね。

もちろん、本問では秘密保持義務違反か否かという判断を求められていませんし、それ故にその判断に必要となる情報まで提示されていませんから、秘密保持義務に関しての話はここまでになります。

いずれにせよ、心理職の同僚間で相互にコンサルテーションを行うというのは多重関係に該当しません。

よって、選択肢③は多重関係の説明になっていないと判断できます。

1件のコメント

  1. 遊様
    いつも御世話になります。試験勉強のための勉強から、遊様の解説を読ませて頂くにつれその奥深さ、に感嘆してるところです。この問題も解説を拝読させて頂き、「終わりなき、、、」も、これまでと全く違って、(私の中での位置づけが)見えてきました。ありがとうございます。やはりほかの方の視点、考え方というのは、勉強になります。
    今後とも、よろしくお願い申し上げます。

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