公認心理師 2022-2

スーパービジョンに関する問題です。

こちらも過去問の範囲を超える内容ではありませんね。

問2 心理支援におけるスーパービジョンについて、最も適切なものを1つ選べ。
① 最新の技法を習得することが主な目的である。
② スーパービジョンの対象にアセスメントは含まれない。
③ 異なる領域の専門家の間でクライエントの支援について話し合われる。
④ スーパーバイジーの心理的危機に対して、スーパーバイザーはセラピーを行う。
⑤ スーパーバイジーには、実践のありのままを伝える自己開示の姿勢が求められる。

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解答のポイント

スーパービジョンの目的や、バイザーの役割等を理解している。

選択肢の解説

① 最新の技法を習得することが主な目的である。
② スーパービジョンの対象にアセスメントは含まれない。

これらの選択肢については「スーパービジョンでは何をするのか?」に関する理解が必要ですね。

SVの定義としては「バイザーがバイジーに対して一対一で、臨床実践上のアセスメントと介入の具体的方法について、時間と構造を定めて、継続的に教育・訓練を行うこと」であり、具体的には、面接における技法や技術、ケースの概念化、専門職としての役割、バイジーの自己内的・対人的気づき、などを伸ばすことと言えます。

ちなみに、上記に「一対一で」とありますが、グループ・スーパービジョンもありますから「一対一」というのはスーパービジョンの条件とは言えません(とは言え、一対一が基本であるのは間違いありませんけどね)。

また、上記の書籍によると、大学院のころの(つまり、まだ資格を取る前の段階を想定)スーパービジョンでは、セラピストとしての基本的態度、インテーク面接の進め方、治療契約の結び方、心理アセスメントや目標設定の仕方、クライエントの感覚や知覚、思考や感情の推測(解釈)の仕方、今後のプロセスの大まかな予測、想定されるクリティカルなポイント、セッションごとの仮説の立て方や修正の仕方、プロセスの進歩や停滞のサイン、中断や終結に関する留意点を学ぶことになります。

一方、プロになってからのスーパービジョンでは、特定の技法の熟達、難しいクライエントへのアプローチの探求、職場やクライエントの状況に応じた対応の模索、セラピストの人格的成長や個人的問題の克服などが目標になることが多いです。

このようにスーパービジョンの主目的は「バイザーがバイジーに対して(一対一で)、臨床実践上のアセスメントと介入の具体的方法について、時間と構造を定めて、継続的に教育・訓練を行うこと」であると捉えてよいでしょう。

本当にざっくりと言えば「バイジーの臨床家としての成長を促す」と捉えても良いかなと思います。

もちろん、この中には選択肢①の「最新の技法を習得すること」も含まれることになるでしょうが、これが「主な目的である」と言われると誤りとなりますね。

ちょっと難しいのが、スーパーバイザーとバイジーとの契約を結ぶ際に「〇〇療法に関する技法を習得する(〇〇療法が最新の技法であるとしましょう)」ということはあり得るわけですが、それは「バイジーの成長を促す」という目的の範疇で行われていることであり、決して「スーパービジョンの主目的が「〇〇療法に関する技法を習得すること」である」ということにはなりません。

あくまでもスーパービジョンでは「バイザーの臨床家としての成長を促す」ということが中核に据えられると考えられます。

さて、続いて選択肢②の「アセスメント」についてですが、これは上記にある通りスーパービジョンで行われることの一つと言えるでしょう。

この「アセスメント」の中には、心理療法時の見立てだけでなく特定の心理検査に関する指導も含まれてきます。

「特定の心理検査に関する指導」がスーパービジョンに含まれることに違和感を持つ人もいるかもしれませんが、それは心理検査に関する理解が狭いと言えます。

特定の心理検査を深く理解することは、単にその検査に関する知見を深めるだけでなく、「その検査を用いていない時の見立ての力の向上」にも役立つのです。

臨床において、このようにある領域の熟達が、臨床全体の熟達へとつながることはよくあることですね。

以上より、選択肢①および選択肢②はスーパービジョンに関する記述として不適切と判断できます。

③ 異なる領域の専門家の間でクライエントの支援について話し合われる。

こちらについてはスーパービジョンの前提に関する理解が問われています。

まずスーパービジョンの目的については、既に他選択肢の解説で述べているわけですが、概ね臨床実践に関する事柄について学ぶ中でバイジーの成長を促していくわけですから、多くの場合、スーパーバイザーはバイジーと同じ領域の専門家ということになります。

わざわざ「多くの場合」という言葉を付したのは理由があります。

上記の書籍の中で神田橋先生は「どのような道であれ、専念し徹しきった先には個別を超えた普遍性が生まれる」とし、精神療法の「関わり」「伝える」というトレーニングにおいて他分野の師を持つ可能性を指摘しています。

ただし、精神療法の理論を教えてもらうにあたっては「精神療法の分野の人でなくてはならない」ともしていますから、臨床実践のトレーニングとしてのスーパービジョンと捉えれば、バイザーとバイジーは同じ分野の専門家同士であるというのが前提と言えるでしょう。

このように、スーパービジョンでは同じ領域の専門家間でクライエントの支援について話し合われるわけですが、本選択肢の「異なる領域の専門家の間で」という営みについても理解しておく必要があります。

本選択肢の内容は「コンサルテーション」について記したものであり、こちらは臨床心理士資格試験などでよくスーパービジョンと対比的に述べられています。

コンサルテーションの特徴としては以下の通りです。

  1. コンサルタントとコンサルティは平等な関係:SVでは上下関係がある
  2. コンサルタントは助言の段階に留まり、その助言をどのように活用するかはコンサルティ次第となる。すなわち、事例の状態への管理的責任を負うのはあくまでもコンサルティとなる:SVではバイザーが負うこともある(これは現在ではかなり限定的ではあり、基本としてSVでバイザーが責任を負うことはない。この点については公認心理師 2019-121でも述べています)
  3. コンサルテーションの時間や回数は、一般にその度毎に頼まれてという形態が多く、何回か継続する場合もその期間が決まっているのが普通:SVはそこまで明確ではない

どのようなタイプのコンサルテーションであっても、コンサルタントはコンサルティ(コンサルテーションを受ける人)の所属する組織の部外者であり、コンサルテーション活動はコンサルティの所属する現場に出向いて行われるのが一般的です。

この辺については、上記の書籍に詳しく載っていますね(古い本ですいません…。新しい本は読まないんですよ)。

以上より、選択肢③はスーパービジョンに関する記述として不適切と判断できます。

④ スーパーバイジーの心理的危機に対して、スーパーバイザーはセラピーを行う。

こちらについては、過去問で何度も出題されている内容ですね。

「スーパーバイザーはスーパーバイジーへの心理療法を行うべきではない→正しい:公認心理師 2019-121」や「スーパーバイジーが抱える個人的な問題に対して心理療法を用いて援助を行う→誤り:公認心理師 2018-46」などが既に示されています。

よって、本選択肢の「スーパーバイジーの心理的危機に対して、スーパーバイザーはセラピーを行う」というのも不適切であると言えます。

ここでは、この理由についてもう少し詳しく述べていきましょう。

まず、SVにおけるスーパーバイザーとバイジーは「教育する者とされる者」という上下関係がある仕組みになります。

これに対して本選択肢の「セラピーを行う」という関係性は、「教育する者とされる者」という関係性とは異なるものです。

すなわち「教育する者とされる者」という関係の中に、「治療関係」という異質なものを放り込むことは、いわゆる「多重関係」に該当することになります。

よく「多重関係」の例で出される「友人に対して心理療法を行う」というのは、友人関係に治療関係が混ざりこむわけですが、こういうことを避けねばならないのは、①もともとの友人関係が難しくなる、②治療関係が「友人関係」の存在によってうまくいかない、などが理由として挙げられます。

「教育する者とされる者」という関係の中に、「治療関係」が入ってくると、どうしても元々の上下関係が「治療関係」を阻害することになってしまい、却ってバイザーを傷つける結果となりかねません。

このような理由から、SVの中でバイジーが心理的危機に陥っていたとしても、バイザーの立場の人間が「セラピーを行う」のは不適切な行為であると言えます。

しかし、この選択肢を選びたくなってしまう人が一定数いるのは理解できます。

その理由を挙げておきましょう。

まず「スーパーバイジーの心理的危機に対して」という条件が付いていることです。

こういう条件が付いていると、どうしても「緊急時だし良いのではないか」と考えがちですが、それは「行われるセラピーが効果的である」という前提が保証されていて成り立つ考えです。

上述のように、バイザーとバイジーという関係性の中に治療関係が混ざり込むことで、一般的なセラピーで起こり得る様々な感情の交流が困難になる、具体的には「言いたいことが言えない(上下関係があり、評価関係でもあるから)」といったことが起こるために治療関係が適切に推移することが難しくなります。

ですから、そのセラピーが効果的であると予見できないにも関わらずセラピーを行うことは、不適切な行為であると言えるでしょう。

もちろん、そうした状況をものともせず効果的にセラピーを行える人もいるかもしれませんが、ここで述べるべきはそうした有能な指導者兼セラピストについてではなく、あくまでも一般論としてのSVに関する知識についてです。

よって、本選択肢のような「スーパーバイジーの心理的危機」に際しては、バイザーはセラピーを行うのではなく、他にセラピストを紹介したり、その他の手段(バイザーが大学院生であれば、担当教員に連絡する等)を取ることが望ましいわけです。

もう一つ、この選択肢が適切と考えやすい理由を解説していきます。

それは「セラピー」と「SVでバイザーがバイジーに対して行う情緒的な支え」を混同しているということです。

SVでは、バイザーはバイジーの過度な不安や緊張(現実的な不安や緊張はそのままで良いです)を解すために、多少の労いや承認を行うこともあり得ます。

初心のバイジーであればカウンセリングを行うことやその過程で起こることに関して、過度に反応してしまうこともあり得るので、それをコントロールし、カウンセリングにマイナスの影響が出ないようにすることもバイザーの活動としてはあり得ます。

こうした活動はあくまでも「SVの一環」すなわち「バイザーの教育の範疇で行う支え」であり、治療関係を生じさせる「セラピー」とは一線を画すものです。

これらを混同していると、本選択肢を選びたくなる誘惑に駆られるはずですので、お気をつけあそばせ。

以上のように、スーパーバイザーが心理的危機を迎えていようとも、バイザーはセラピーを行うのではなく、それ以外の適切な対応を取ることが求められるわけです。

よって、選択肢④はスーパービジョンに関する記述として不適切と判断できます。

⑤ スーパーバイジーには、実践のありのままを伝える自己開示の姿勢が求められる。

本選択肢と似ている過去問の選択肢として「スーパーバイザーは気づいたことをすべてスーパーバイジーに伝えることが基本である→誤り:公認心理師 2018追加-3」があり、こちらが誤りの理由は「バイジーの成長具合等に合わせて、きちんと吸収できることを伝えねばならない」となります。

本選択肢は、これとは逆の立場で述べられていますね。

バイジーの状態に合わせて言うことを調整するバイザーに対し、バイジーは実践のありのままを伝えることが求められます。

この理由について、主に2つの側面から述べていくことにしましょう。

まずはわかりやすい理由として「実践のありのままの述べてもらわなければ、指導のしようがない」ということです。

実践でしたこと、述べたこと、考えたこと、迷ったことなど、バイザーの体験をありのままに伝えてもらうことで、それをクライエントとの関係を踏まえて立体的に捉え直し、見立てていくという技術の伝達が不可能になります。

端的に言えば「誤った、もしくは、不十分なカウンセリング場面の情報では、適切な助言をすることが困難になる」というわけですね。

上記はわかりやすい理由でしたが、次に述べる方が重要です。

本選択肢には「自己開示の姿勢が求められる」とあります。

肝は「求められる」という部分であり、実は未熟なカウンセラーには「求められたからといってできるものではない」のです。

すなわち「正直な自己開示が求められ、それをしようとするができない「何か」があり、それがクライエントとのカウンセリング過程に影響を及ぼす」ということが起こるものなのです(この「何か」をある学派ではコンプレックスと称することがありますね)。

もう少し噛み砕いて言えば、①バイジーはカウンセリング過程を正直に伝えようとするが、無意識にそれを難しくさせている何かを有しており、②それによってカウンセリング過程のやり取りに微妙な影響が出て、③バイザーはSVの中でそれに気づき、適切な形でバイジーに返し、④バイザーはそのやり取りを通して、自分の内にある「何か」に気づく、すなわちバイザーが内的な成長を遂げる、という感じでしょうか。

こんな感じでSVではバイジーが成長するように促していくわけです(あくまで成長のパターンの一つですけどね)。

このように、SVにおいてバイジーには、実践のありのままを伝える自己開示の姿勢が求められることになります。

よって、選択肢⑤がスーパービジョンに関する記述として適切と判断できます。

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