食事中に食べている、食べ物以外のもの

とある友人夫婦の話です。
奥さんの方が知り合いだったので、その話からの連想を。

夫は母親(妻からすれば義母)と折り合いが悪い。
妻にとっては義母は悪い人ではないが、おせっかいのきらいがある。
義母の行動で困るのは作った惣菜を持参してくることだという。
なぜ困るのかというと、義母のもってきた惣菜を夫は手をつけず、結局は妻が「もったいない」ということで消費している(この夫婦はまだ若く、子どもはいない)。
その量もかなり多いとのこと。

あるとき、妻が夫の弁当の一品として、前日義母が持参した惣菜をこっそりと入れた。
しかし、夫はその一品以外は食べたが、その一品については「なんかおいしそうじゃなかったから」と言って食べなかったという。

この出来事について、本当にその一品がおいしく見えなかったという見方もできますが、夫が母親の作ったものに対して「何か嫌な感じ」を受けたという可能性もあるとは言えないでしょうか。
野生動物がどんなに喉が渇いていても、汚染された水を飲まないように(こんな言い方をすると、あまりにも母親が不憫だろうか)。

私がこのように思うのは、クライエントの中にも親の作った食事が食べられないという人は結構いて、私の印象では「親との葛藤を多少なりとも自覚できている人」に多いように感じるためです。
吉本隆明さん(吉本ばななのお父さん、と言った方がわかりやすいかな?)は、食事にはその食事を作った人のイメージが込められている、食べることはその人のイメージを食べることである、ということを述べられています(どの本だったか思い出せない…)。

きっとそういうことなのだろうと思います。
食事中に食べているのは食べ物だけに非ず。
その食べ物に込められたイメージごと食べているのです。
例えば、作り手のことを受け入れられないなら食べ物自体を受け付けず、作り手のイメージが「不安定」ならば食べ物の味も口に入れるまでわからないと感じる、などのように。

ついでに口にまつわることを列挙していきましょう。

ユング心理学において口は破壊と創造の両方にかかわります。
怪獣に飲み込まれるイメージは、子どもを飲み込んでしまう母親像を背景にしていることも多いとされています。

口の中にある歯は「物事を消化し、噛み砕くもの」であり、それが抜け落ちるということは、それまで自分のバックボーンとしていたもの(人生観とか)が抜け落ちるということを指しています。
夫の不貞行為に際し、妻が「歯が抜ける夢」を見ることが多いのは、そういう象徴的意味があるのかもしれない。

その他にも身近なところで言うと、学校の歯科検診で「はい、口を開けてー」と言っても開けられない子がおります。
そういう子どもは不定愁訴等で保健室を訪れる回数が多い傾向にあります。
口を開けるというのは、なんとなく自分の内部を見られるような感じがあり、それなりの安全保障感を有していることが求められるので、彼らにはその辺の未成熟さがあるのかもしれません。

「口を開けて人にじっと見られる」という体験をしてみれば、その感覚が何となくわかるのではないでしょうか。
日常的にそんな体験をすることはないのが普通ですけど。

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