学びの起動は「自分は未熟だ」という不全感から

こんばんは。

4月も後半に入り、公認心理師試験まで107日、臨床心理士試験まで175日らしいですね。
公認心理師試験まで残り3か月とちょっとまで迫ってきました。
さて、職業柄あちこちで講演をするのですが、そこで「学びの源泉は自分が未熟だという不全感です」と話します。
こちらは「学校に行きたくない君へ」の中の内田樹先生が書かれている箇所からの引用です。
他の箇所では「自分の未熟さに苦しんでいる人間だけが導き手(メンター)に出会うことができます。その出会いによってこれまでの価値感・世界観がいったんリセットされて、ブレイクスルーが起こる。学びはそうやって起動するのです」と述べておられます。
江戸時代の寺子屋で、子どもたちに漢詩の写経をさせていましたが、なぜそのような年齢に合わないことを行っていたのか。
内田先生は、それは「君たちにはまだまだ知らないことがあるんだよ」ということを実感してもらうためだったのではないか、とどこかで書いておられました。
もっと身近な例で言えば、知らない単語を調べるときに昔から「辞書でひきなさい」と言われたものでした。
今は何でもスマホで調べることができますが、これでは「わからないという不全感」を保持しておく時間に大きな差があることは明白です。
もちろん、どちらで調べても答えはわかるでしょう。
しかし、その便利さによって学びに必要な「わからないという不全感」を感じる機会は減ってしまい、学びの意欲が減じ、全体としては学びは衰退するかもしれません。
さて、なぜこんなことを書いたのか。
試験問題の解説を行うということは、もしかしたらブログを読まれた皆さんの「わからないという不全感」を奪うことになる恐れがあります。
「あぁ、そういうことね」という理解なき納得により、実際の試験では役立たない勉強になってしまう。
それをいつも懸念しています。
と言っても、どこから手を付けてよいかわからない、という状態では不全感が強すぎてわからないという感覚を感じにくくなってしまいます。
雑誌に書いてある単語を抜き出して、その読者に意味を問うたら、実はほとんどわかっていなかったという研究があります。
これは「わからないという不全感」に麻痺を起した状態と言えますね。
この状態では、同じく学びの意欲は湧いてきません。
要は試験問題の解説という情報があろうがなかろうが、プラスもマイナスもあるということです。
「情報は結局使う者次第」ということですね。
試験問題に臨み、しっかり自分なりの考え(なぜ○と判断したのか、など)をもって答え、その上で当方ブログを参考の一助として学びを深めてもらえればと思います。
そんなことを思ったために夜中にだらだらと書いてしまいました。
ひさしぶりに目覚ましをかけずに寝ましょう。
おやすみなさい。

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