公認心理師 2024-77

DV被害者への対応に関する問題です。

行政的なことは一切述べず、DVという支配の仕組みから解説を述べました。

問77 33歳の女性A、会社員。夫Bと二人暮らし。Aは、最近3か月の間に仕事上のミスが多発したため、Aの上司から社内の心理相談室を紹介され、公認心理師Cが面接を行った。Aとの面接中、CはAの二の腕に内出血の痕跡があることに気が付いたため、Aに確認を行った。Aによると、Bは飲酒して帰宅した際に機嫌が悪いとAを激しく殴ることがある。その傾向は3か月前から酷くなり、Aは、Bのことを考えて仕事に集中できないことがある。今回もBに腕を強くつかまれたという。AはBを恐れており、「ここで話したことは絶対にBに言わないでほしい」と言う。
 現時点におけるCの対応として、適切なものを2つ選べ。
① Aに仕事のミスを減らす方法を助言する。
② AがBに暴力をやめるように伝える方法を一緒に考える。
③ Aからの話であることは伝えずに、Bに事情や考えを確認する。
④ Aに対して、暴力や支配を受けていることへの気づきを積極的に促す。
⑤ Aと、警察や行政に援助を依頼することや通報することについて話し合う。

選択肢の解説

① Aに仕事のミスを減らす方法を助言する。
② AがBに暴力をやめるように伝える方法を一緒に考える。
③ Aからの話であることは伝えずに、Bに事情や考えを確認する。

本事例は、クライエントがDVを受けており、それに対してどのように対応していくかということが問われています。

ここで挙げられている選択肢は、DVの対応としては誤りになりますが、その理由を述べていきましょう。

まず選択肢①の「Aに仕事のミスを減らす方法を助言する」については、本質的な問題(DV)を棚上げしてしまっていますし、改善の見込みは少ないでしょう。

こうした対応をする最も大きな問題は、クライエントに対して「支援を求めても、本当に苦しいところには関わってもらえない」と暗に伝えてしまうことです。

「AはBを恐れており、「ここで話したことは絶対にBに言わないでほしい」と言う」という記述から、DVには手を出せない、この問題については触れない方が良いと考えるのは誤りです。

クライエントはDVという支配の手法に絡めとられているだけであり、カウンセラーがDVの問題に触れないということは、「何をしても無駄だ」というメッセージを送り続けているであろうDV加害者に手助けをしてしまうようなものです。

支援者として、このDVという問題に何とか関わり、できることをクライエントとともに考えていくという姿勢自体が、クライエントの主体性を取り戻し、DVから脱却するために大切なアプローチと言えます。

さて、続いての選択肢②の「AがBに暴力をやめるように伝える方法を一緒に考える」や選択肢③の「Aからの話であることは伝えずに、Bに事情や考えを確認する」はDVという問題の仕組みについての無理解が招く対応と言えます。

一見すると、選択肢②はあり得る対応のように思えるかもしれませんが、こうした試みは失敗に終わることでしょう。

DVは権力欲によって生じています。

権力欲とは「思い通りにならないはずのものを思い通りにしたい」「他者を支配したい」という欲求であり、お釈迦様は「権力の欲を去れ」と説いていますし、精神科医の中井久夫先生は権力欲をいじめの根っこにあるものとしています。

権力欲の快感は「思い通りにならないはずのものを思い通りにすること」にありますから、例えば、子どもを叱るときに「子どもが言ったとおりになった」ということに快感を覚える人は、それは子どものためを思って叱っているのではなく支配しているに過ぎません(叱るという行為が子どものために機能するか否かはここで左右される)。

人間の社会生活において「思い通りにならない」ものの代表は「人間」そのものです。

DV加害者は、その社会生活において他者・所属している組織・自身の現実の立ち位置など、多くの不満を内心は抱えておりますが、その不満は彼らにとって常駐的なものですので「それ」と認識できておりません(だから、自らの権力欲を「愛情」とか「お前のため」などとラベリングし、本当にそのように思い込んでいる)。

こうした日々の権力欲の不満が、身近なパートナーに向くことでDVは顕現してきます。

権力欲は、他者を孤立させ、無力化し、自分に従属させることで一時の満足を得ますが、権力欲には真の満足はありませんから、無制限に追及してしまうことになります。

人間には多くの欲がありますが、そうした欲が権力欲の手段と成り下がると大きな問題になっていきます。

例えば、性欲が相手を支配する手段となる場合があり、この場合、性欲自体の純粋な快楽は失われ、相手の気持ちに構わず自らの欲望を受け入れさせることが真の目的となってしまいます。

これは暴力も同じで、暴力それ自体が目的なのではなく、それによって相手を服従させること、思い通りの姿にすることが目的なのです。

結局、根本にある権力欲については、彼らの多くは普段の生活において慢性的な不満を抱えているので、どれほど相手を従わせようと終わりはなく、更なる渇きを生むだけであり、そのうち、相手が「自分が思った瞬間に、そのように行動していないこと」に不満を覚えるようになり、こうなると常に相手の一挙手一投足に不満を覚える形になるのは想像しやすいでしょう。

なお、こうした権力欲を手懐けられていないDV加害者は、根っこの部分で、自らの権力欲が社会の中で認められないことを理解しており、そういう意味では権威主義的で、世間から指差されることを過度の恐れている人たちです。

ですから、社会生活の中では「このように振る舞えば、自分は世間から指さされることはない」という対人関係のパターンを身につけているため、仕事上はスムーズな対人関係を築けている場合もあり(ただし、プライドが傷つく場面を避けるので、仕事が長続きしない等の傾向は見られる。または、上に立つと非常に厄介な人間になる)、それが外面の良さや「普段は優しい」といった姿として認識されます。

そして、その「普段は優しい」というあり様と、DV加害者であるという相反する姿が、被害者の混乱を生み、その混乱が支配のしやすさ(権力欲の行使)に都合が良いので、彼らの二面性を強化する形になってしまうのです。

さて、ここまでDV加害者の心理について簡単に述べましたが、こうした特徴を踏まえて、改めて挙げられている選択肢を見ていきましょう。

選択肢②の「AがBに暴力をやめるように伝える方法を一緒に考える」については、彼らは暴力を手段としてクライエントを支配しようとしているわけですから、加害者の権力欲という根っこの部分にアプローチせねば改善することはありません。

DVは本質として加害者の権力欲から生じているものであり、「伝え方の工夫」で何とかなる問題ではありませんし、こうした「努力の方向を間違えている助言」を行うことで、クライエントに更なる無力感を味わわせ、それが「何をしても無駄」という諦観を生み、加害者の支配のしやすさに拍車をかけるリスクまであるのです。

繰り返し述べたいのは、DVが行われるのは決して被害者の言動に起因するのではなく、徹頭徹尾、加害者側の「権力欲を手懐けるという幼少のころから行うべき課題をクリアしていない」という未熟性によって生じるものであるという事実です。

このことは被害者に繰り返し伝え、現状が自らの責任で生じているのではないこと、DVという問題は加害者側の心理的未熟さに原因があることを共有できると良いでしょう(もちろん、支配の円環に飲まれてしまっている被害者が、このことを理解するのは大変困難なことではあるけど)。

続いて、選択肢③の「Aからの話であることは伝えずに、Bに事情や考えを確認する」ですが、これは更なる被害を生む可能性があるのであり得ない対応と言えます。

剝き出しの権力欲に従いクライエントを暴力で支配してきた加害者にとって、「Aからの話であることは伝えずに、Bに事情や考えを確認する」というのは支配してきたクライエントからの反抗であると認識されます。

なお「Aからの話であることは伝えずに」というのは通用しません。

先述の通り、彼らは根っこの部分で「自分の欲求が社会の中では認められないこと」「それが明るみに出ること」を過剰に恐れています。

ですから、「Aからの話であることは伝えずに」事を行ったとしても、彼らの疑心暗鬼は容易にクライエントの密告を認識させることでしょう。

支配してきた存在から反抗されれば、生じるのは更なる支配になります。

要するにそれまで行われてきた暴力が苛烈になり、現状を悪化させるリスクを増大させていくことになります。

ですから、ここで挙げられた選択肢の対応はいただけません。

以上より、選択肢①、選択肢②および選択肢③は不適切と判断できます。

④ Aに対して、暴力や支配を受けていることへの気づきを積極的に促す。
⑤ Aと、警察や行政に援助を依頼することや通報することについて話し合う。

さて、上記ではDVの背後にある権力欲とその特徴、発露の仕方について簡単に述べました。

被害者側の心理で言うと、彼らは自らが権力欲のはけ口にされており、支配されているという自覚が薄い場合が多いです。

加害者が語る「これは愛情だ」「お前のためにやっている」というラベリングを受け入れていることが多く、それ自体が支配の現われでもありますが、被害者は「自らが支配されてしまっている」という事実を受け入れたくないという思いも抱えていることが多く、加害者が自らのためにやっているというストーリーの方が心地良いという捉え方もあります。

いずれにせよ、彼らが権力欲の仕組みから抜け出すことは、一度はまってしまうとなかなか難しくはあるのですが、やはり、自らが支配されていること、権力欲のはけ口にされていることへの気づきを促し、そこから脱却していくという流れを作っていくことが支援全体の目標になります。

私はこうした権力欲の仕組みを子どもの頃から伝え、当人たちが「今、自分は支配されているのかも」「権力欲のはけ口にされている」という自覚をもてるようにしていくことが重要だと考えていますし、実際にいじめの予防の話をするときには、こうした「いじめの奥にある権力欲の存在」と「権力欲を手懐けられていないことの未熟性」を伝え、いじめの加害者になる人間が「未熟な存在」として認識され、そこにこそ支援が必要であるという捉え方を多くの人ができるようにしています。

つまり、権力欲の仕組みを知り、自らがその権力欲に巻き込まれているという認識を得ることが大事だと思っているわけですが、それは即ち、選択肢④の「Aに対して、暴力や支配を受けていることへの気づきを積極的に促す」ということに他なりません。

もちろんこうした試みは、DV被害を受ける前の人なら容易でも、DV被害の渦中にある人はそう簡単ではありませんが、そのための手段を講じていくというのが支援というものです。

そのための一つの手段として、選択肢⑤の「Aと、警察や行政に援助を依頼することや通報することについて話し合う」はとても大切なものと言えます。

なぜなら、支配されている人の回復は、支配からの脱却、すなわち、主体性を取り戻すことにあると言えるからです。

クライエントが自らの意思で、主体的に助けを求めるというあり様自体が、実は他者からの支配を退け、DVという仕組みからの脱却を意味するのです。

ですから、「Aと、警察や行政に援助を依頼することや通報することについて話し合う」ということにクライエントがすぐには同意しなくても、このことについて話し合う時間を多く取ることによって、クライエントの主体性の回復を促していると言えます。

なので、カウンセラーの姿勢としては「援助の依頼や通報をしましょう」という実際の行動を促すというよりも(もちろん、それも大切ではあるが)、この話題を継続することで、いつの間にかクライエントの主体性が回復し、自身がDV状況におかれていることへの違和感を育て、支配の円環から脱することを目指しているのだと意識しておくと良いでしょう。

以上より、選択肢④および選択肢⑤が適切と判断できます。

余談ですが、私はこうした権力欲を向けられたときには、すたこらさっさとその人から距離を取るようにしています。

その人がどんなに自分にとって利益をもたらす人物であってもです。

権力欲を向けられ、失うものはお金に変えられない価値があるからです。

もちろん、仕事の関係などによってその人と離れられないことも少なくないので、難しい話ではありますが。

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