公認心理師 2023-54

ゲシュタルト療法の特徴に関する問題です。

「意味への意思」は初登場ですから、少し詳しく述べておきました。

問54 ゲシュタルト療法の特徴として、正しいものを2つ選べ。
① 今ここでの体験に注目させる。
② 個人の全体性への統合を目指す。
③ 人間の「意味への意思」を重視する。
④ M.Wertheimerによって創始された。
⑤ 恐怖症の治療に用いられることが多い。

解答のポイント

ゲシュタルト療法に関する基本的な理解を有する。

選択肢の解説

① 今ここでの体験に注目させる。
② 個人の全体性への統合を目指す。
④ M.Wertheimerによって創始された。
⑤ 恐怖症の治療に用いられることが多い。

ゲシュタルト療法は、医師のF.Perlsを中心に提唱された心理療法です。

ゲシュタルトとは形、全体、統合を意味する言葉であり、ゲシュタルト療法も統合を指向する人格への変容を目的としています。

人間を統合された一元論的(ホメオスタティック)な自己調節機能を持つ全体的存在として捉え、具体的技法が開発されています。

ゲシュタルト療法はゲシュタルト心理学の影響を受けており、ゲシュタルト心理学は知覚現象を説明する理論でしたが、後に学習や社会行動の研究にも影響を与えました。

ゲシュタルト療法の創始者であるPersは、人格の全体性について、ゲシュタルト心理学の「図」と「地」という用語で説明しました。

すなわち、感じられる「図」としての感情と、それまで無視されていた「地」としての人格が統合されることで、その人のゲシュタルト(全体性)が完成されるとしているのです。

パールズが理想としていた健康なパーソナリティは「今ここに生きる人間」ということですが、これは以下の通りの条件を備えています。

  1. 現在の瞬間ということを重視する。
  2. 自分自身も十分に意識している。
  3. 衝動や願望を重視できる。
  4. 自分自身の人生に責任を負う。
  5. 自分や世界と生きた接触を保つ。
  6. 怒りを表現できる。
  7. 自分に頼り、外的な基準に頼らない。
  8. その瞬間瞬間の状況に柔軟に対応する。
  9. 自分のすべての面を受容している。
  10. 幸福の追求それ自体を目的としない。

なお、ゲシュタルト療法を創始したのは上記の通りパールズですが、それに影響を与えたゲシュタルト心理学の創始者はWertheimerになります。

ゲシュタルト心理学については、過去に何度も出題がある(例えば「公認心理師 2021-4」など)のでそちらを参照にしてください。

この辺が選択肢④の正誤判断となりますね。

以下では、ゲシュタルト療法の基本概念について述べていきましょう。

まずは「ホメオスタシス」です。

ホメオスタシスとは、生命維持のために有機体が外界の変化に対応して、内界のバランスを保持しようとする生理的機能のことであり、例えば、体内の水分が不足すれば喉が渇く、というものを指します。

このホメオスタシスが精神的現象の中にも存在することを見出したのがパールズであり、不快な経験をすれば不快や怒りを覚えるなどが例となります。

ですから、不快や怒りであろうとも、それらを抑えたり、無視するのではなく、むしろ、取り上げたり、それと関わるようにする方が良いとされており、これを「コンタクト」と呼び、経験していることを言語的もしくは身体的に表出することを指します(「形」にする、という表現を使うこともある)。

続いての基本概念は「図と地」です。

図とは、意識の前面にあるもの、もしくは関心事であり、その背景にあるものを「地」と呼びます。

精神的に健康であれば、知覚されるものは1つで、2つが同時に知覚されないとゲシュタルト療法では考えます。

例えば、本も読みたいが買い物もしたいという場合、この2つの欲求を同時に満たすことは不可能なので、どちらの欲求が高次にあるのかを「図」として認知して、それを選ぶことが要請されるわけです。

買い物を「図」として、それを実行した場合、その欲求は解消されることになりますが、「図」にある欲求が解消されると、今度は次善の欲求が「地」から意識の前面に出てくることになります。

そして、今度は読書をするという「地」から「図」になったものを取り上げて、円滑に生活を進めることができ、これが人間の欲求という観点から見た「図地反転」になります。

この「図地反転」が起こらない場合もあり、例えば、失恋したときに「死にたい」となれば、失恋の経験が固着して「図」から消えないということになり、これでは失恋の一面しか捉えられていないということになります。

失恋の痛みや悔しさ、残念さなどが、自分にとってどのような意味があるのかという面について考えることができていないということですね。

この「自分にとってどのような意味があるのか」に気づくことができれば、すなわち、経験のもう一つの面を見ることができれば、人間はしたたかに生きることができるというわけであり、ゲシュタルト療法的にはこのことを「視野が広がる」と表現します。

そして、上記の「気づき」も基本概念の一つに挙げられます。

この「気づき」とは、意識性とも呼ばれますが、「今ここ」で「地」から「図」にのぼってくる意識の過程を指しています。

つまり、身体の内外で起こっていることを感じたり、意識することを指します。

ゲシュタルト療法では、先述の「ホメオスタシス」「図と地」の観点から、ゲシュタルト療法では無意識に封じ込めた自分のありのままの感情への「気づき」を重要視します。

自分でも気づいていない自分の感情に気づくことで、無意識に沈んでいた心からのサインに応え、固まっていた「図と地」の反転をスムーズに行えるようにしていくのです。

しかし、この気づきというのは、過去に遡ったり、未来に飛んでいったりして得ることはできず、過去も未来も「今ここ」で起こっているものとして体験することが重要であるとゲシュタルト療法では考えます。

そのため、ゲシュタルト療法では「今ここ」で関わる技法が創案されており、それは電話相談や危機介入に取り入れられています。

ゲシュタルト療法はグループで行われる場合もありますが、もちろん、個人療法の形態でも行われます。

その適用の範囲は、自ずとセラピストの技量と経験とに関係することが多く、適用例の報告を挙げていくと、神経症や心身症、失感情症、そしてうつ状態、ボーダーラインへとその範囲は広げられつつあるとされています。

ただ、特定の病理に特化した心理療法というわけではないので、クライエントの特徴とゲシュタルト療法の特徴(上記で挙げたような、ゲシュタルト療法の基本概念に沿った対応が合うか否かなど)が合致することが重要だろうと考えられます。

よって、選択肢⑤にあるような「恐怖症の治療に用いられることが多い」とは端的に言えず、むしろ「恐怖症の治療」ということであれば行動療法的なアプローチが第一選択となるべきでしょうね。

以上より、選択肢①および選択肢②が正しいと判断でき、選択肢④および選択肢⑤は誤りと判断できます。

③ 人間の「意味への意思」を重視する。

この選択肢はFranklが提唱したものになります。

フランクルはナチスのオーストリア併合によりユダヤ人であるという理由で逮捕され、アウシュビッツの強制収容所へ送られ、そこで両親、妻、子どもを失うという凄惨な体験をしました。

この極限状況での体験は、後に記された「夜と霧」の中に詳しく、彼の唱える実存分析の概念、特に人間を自由と責任のある存在として捉える視点に色濃く反映されています。

フランクルの立場は新ウィーン学派、または第三ウィーン学派と呼ばれ、フロイトの「快楽への意思」やアドラーの「力への意思」に対して、「意味への意思」を提唱することに見られるように、両者を止揚しようとする立場となります。

思想的な枠組みとしては、Schelerの実存哲学の影響を大きく受けています。

フランクルは人間を、①身体、②心、③精神という三つの次元を区別した上で、精神的次元を強調し、人間をこれら三つの次元の多様な統一体を成す、全体的な存在として捉えようとしています。

ここでは、人間は精神的実存として、心身に対して何らかの態度を取る自由を持ち、その自由に対する責任を持つものと見なされています。

このような精神的次元の強調はフランクルの特徴であり、その神経症の類型分類にもユニークな色合いを加えています。

中でもそれが際立つのが「精神因性神経症」という分類であり、これは心身の領域を超えた、精神の領域に属する実存性に関わるもので、実存的欲求不満や意味への意思の挫折といった「実存的虚無」状態に起因する神経症とされています。

これはリビドーやコンプレックスに単純に還元し尽くされるものではなく、精神的・実存的な領域に関わる独自の本質を持つものとされています。

フランクルによれば、人間はこのような「実存的虚無」状態に陥りがちなものであると同時に、病める心身有機体の現われとしての精神病や神経症に対する反抗力を持つものでもあります。

この反抗力に呼びかけ、病者の人生の意味や価値に対する態度を変換させ、治癒へと導こうとするのがフランクルの提唱したロゴテラピーです。

技法的には、不安などから目を逸らさずに、それに対して志向していく「逆説志向」や、人生に意味や価値を見出せるような物事に注意を向け、症状から解放されることを狙う「反省除去」などが中心となっており、これらは患者の心身や苦悩に対して精神の持つ超越性を指摘し、患者の態度の変換を目指すものです。

上記の通り、「意味への意思」はゲシュタルト療法の特徴ではありませんが、人間を全体的な存在を目指すという点で類似した考え方を有しているため、本選択肢が設けられたものと考えられます。

いずれにせよ、選択肢③は誤りと判断できます。

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