Arnettが提唱した発達期に関する問題です。
正解自体よりも、それ以外の選択肢をどこから引っ張ってきているかを調べるのに骨が折れました。
問90 J. J. Arnettが提唱した発達期として、正しいものを1つ選べ。
① 若者期〈youth〉
② 超高齢期〈oldest-old〉
③ ポスト青年期〈post adolescence〉
④ 成人形成期〈emerging adulthood〉
⑤ 成人後期移行期〈late adult transition〉
関連する過去問
なし
解答のポイント
近年、提唱された発達概念や各学会の取り組みなどを把握している。
選択肢の解説
① 若者期〈youth〉
探しても「若者期」がパッとは出てこないのですが、東京大学のこちらのページに記載がありました。
こちらによるとユース期(思春期・青年期)は、生物の中で人間だけが持つ「自分が自分であるという意識=自我機能」が育まれる人間の一生の中で非常に大切な時期とされています。
そのためユース期は、何らかの原因で自我の成長が上手くいかず、自我機能が破綻して起こる精神疾患の発症が非常に多い時期でもあります。
精神的な健康を生涯にわたって保つためには、ユース期は非常に重要な時期になりますが、ユース期は子どもと大人のはざまの時期に当たるため、これまでの精神医学の歴史の中で特別に焦点を当てた研究や実践が行なわれてきませんでした。
また、ユース期は、からだ(生物学的変化)とこころ(心理的変化)と環境(社会的変化)が成長に伴って大きく変化する時期でもありますから、生物学的な要因だけでなく、心理的要因・社会的要因を含めて、一体的に研究・実践を行っていく必要があるとされています。
本選択肢の「若者期」が上記のような内容を指しているのか、それとも近年の研究者の知見で「若者期」という期間がある意味をもって新たに提示されたのか、現時点ではわかりません。
こちらの論文に「若者期」という表現はあるものの、1988年と古い論文ですし、おそらくこちらに述べられている「若者期」と本選択肢の「若者期」が同じであるか怪しいところです。
いずれにせよ、Arnettが示した概念に「若者期」が無いのは間違いありません。
よって、選択肢①は不適切と判断できます。
② 超高齢期〈oldest-old〉
「高齢者の定義と区分に関する、日本老年学会・日本老年医学会 高齢者に関する定義検討ワーキンググループからの提言(概要)」に、超高齢期という表記がありました。
日本を含む多くの国で、高齢者は暦年齢 65 歳以上と定義されていますが、この定義には医学的・生物学的に明確な根拠はありません。
日本においては、近年、個人差はあるものの、この高齢者の定義が現状に合わない状況が生じています。
高齢者、特に前期高齢者の人々は、まだまだ若く活動的な人が多く、高齢者扱いをすることに対する躊躇、されることに対する違和感は多くの人が感じるところです。
このようなことから、日本老年学会、日本老年医学会では、2013年に高齢者の定義を再検討する合同ワーキンググループを立ち上げ、高齢者の定義についていろいろな角度から議論されてきたとのことです。
近年の高齢者の心身の健康に関する種々のデータを検討した結果、現在の高齢者においては10~20年前と比較して加齢に伴う身体的機能変化の出現が5~10年遅延しており、「若返り」現象がみられています。
従来、高齢者とされてきた65歳以上の人でも、特に65~74歳の前期高齢者においては、心身の健康が保たれており、活発な社会活動が可能な人が大多数を占めています。
また、各種の意識調査の結果によりますと、社会一般においても65歳以上を高齢者とすることに否定的な意見が強くなっており、内閣府の調査でも、70歳以上あるいは75歳以上を高齢者と考える意見が多い結果となっています
これらを踏まえ、日本老年学会・日本老年医学会のワーキンググループは65歳以上の人を以下のように区分することを提言しています。
- 65~74歳:准高齢者‐准高齢期(pre-old)
- 75~89歳:高齢者‐高齢期(old)
- 90 歳~:超高齢者‐超高齢期(oldest-old、super-old)
超高齢者については、世界的な平均寿命の延伸にともない、平均寿命を超えた90歳以上とするのが妥当とされたようです。
こちらの論文も役立つでしょう。
超高齢期に注目した研究では、超高齢期には、心理的、身体的、社会的なさまざまな資源の喪失が顕著になるだけでなく学習能力の低下や、人生満足感やポジティブ感情が低下すると報告されています。
それらの結果を受けてバルデスらは、高齢期を「加齢に伴った喪失に対抗することが可能な前期高齢期に相当するサードエイジ(third age)」、超高齢期を「自分の意思、アイデンティティ、心理的な自立、自己統制感、誇りなどが喪失し、それらに対する回復力が低下するフォースエイジ(fourth age)」とに分類しました。
そして、フォースエイジは最終的には精神的に死んだ状態になる可能性が高く、超高齢期の人びとの尊厳の維持が今後の先進国が抱える大きな問題になると指摘しました。
つまり、超高齢期は、前期、後期高齢期と比較すると、幸福を維持するために利用できる資源の喪失が大きすぎるために、先に紹介した幸福感を維持するための仕組みが機能しないと考えたわけです。
一方、超高齢者や百寿者では精神的健康が低下しないという報告もあり、①幸福感が高い個人が長生きしやすいという可能性、②超高齢期以降にも幸福感を維持するための何らかの仕組みが存在している可能性、があります。
なお、Eriksonは、超高齢期の身体機能の低下や社会的ネットワークの縮小が大きな心理的危機をもたらすこと、その危機を乗り越えて心理的適応に至るためには、新たな心理的発達が必要と述べています。
そして、この第9段階の心理的発達の内容として老年的超越の可能性を指摘しており、超高齢期の危機を乗り越えるため、もしくは乗り越えた高齢者の状態像としての老年的超越を位置付けています。
老年的超越とは、現実に存在する物質世界から実際には存在しない精神世界への、世界に対する認識の加齢変化と定義されます。
変化は3側面で生じると想定されており、社会関係の側面では、社会常識に捉われなくなり、知恵を獲得します。
自己の側面では、若者にありがちな自己中心性や自尊心がよい意味で低下します。
そして、宇宙的意識の側面では、思考の中に時間や空間の壁がなくなり、意識が自由に過去や未来と行き来するようになるとされています。
このような変化に伴って幸福感が高くなると考えられている。
こうした年齢はいったけど若返っている的な話を聞くと、自分が高齢者になるころには何歳まで働かねばならないのだろうと陰鬱とした気持ちになってしまいます。
いずれにせよ、選択肢②は不適切と判断できます。
③ ポスト青年期〈post adolescence〉
かつての発達理論においては、青年期から成人期への短期間のスムーズな移行を想定してきており、それは従来の社会の中ではかなり適合的なものでした。
すなわち、ほとんどの若者は、学校教育終了とともに就職して経済的自立を果たし、その後まもなく結婚して子どもを設けるといった、「青年期」に次いで、経済的自立と結婚によって達成される「成人期」が来ると仮定しても不都合はなかったわけです。
しかし、現在になると若者の雇用状況の悪化やフリーター志向の高まり、晩婚化、成人した子に対する親の援助の一般化などにより、学校教育を終了してから経済的に自立して「結婚家族」を形成するまでの期間が長期化しています。
この傾向は、単に成人期への移行期間延長に留まらず、従来の「大人になること」の意味さえ不確かなものにしつつあるとされています。
本選択肢の「ポスト青年期」は、こうした青年期と成人期の間に出現した移行期を独自に把握するために策定された概念です。
ポスト青年期は宮本(2004)によって示された概念です。
上記の書籍によると、ポスト青年期とは1970年代以降「成人期への移行」が長期化したことによって誕生した新しいライフステージであり、著者はそれを「親への依存・半依存という特徴をもった段階」と捉えています。
ポスト青年期を世代間の依存という視点から捉え、その実態を明らかにしようとしているわけです(何かを調べるには、まず名前を付けてその現象が起こっている年齢や状況をピン止めするとやり易いですからね)。
詳しい内容は、こちらに載っているので読んでおくと役立つでしょう。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
④ 成人形成期〈emerging adulthood〉
Arnett(2000, 2015)は、自分の人生に責任を持とうとする主体を重視する考え方を持っており、青年期から成人期への移行は単なる青年期の延長ではなく新しい発達段階としての成人形成期(emerging adulthood)であると提案しました。
1960年代の20歳前後の若者は、結婚したり親になったりする、教育期間を終了して就職する等のように、比較的早い段階で重要な決断をするをしていました。
しかし、アーネットが成人形成期を提唱した時代は、まだ親になることはない、教育期間が継続している、転職を繰り返すなどのように、広く開かれた可能性と自由を経験する一方で、不確かさにもがく姿が多くなっていました。
このように現在の10代後半~20代後半は、親の統制下にあった青年期の延長とも、成人期への移行が済んでいる成人期初期とも異なる新しい段階であるとし、この段階を「成人形成期」と呼びました。
「成人形成期」は世界中で確認できる現象ですが、「成人形成期」の間に経験することは民族、文化、社会経済的文脈によって多様であり、「成人形成期」はある特徴を持ってはいるものの、その時期を通して多様な経路がある段階とみなすのが最も適切です。
アメリカにおける「成人形成期」の特徴として、①アイデンティティ探求、②不安定性、③自
己焦点化、④青年でも成人でもないという感覚、⑤可能性/楽観性、などがあり、これらは他の段階でも経験するが「成人形成期」でより顕著とされています。
すなわち、就職したり離職したり、実家を出たり戻ったり、恋人を変えたりすることが繰り返されながら、すなわち、仕事や恋愛でさまざまな選択肢を試し、答えを出そうとする中でアイデンティティの探求が行われます。
青年期の探求と違うのは、青年期のように学生といった立場で試行錯誤をするのではなく、実際に職業に就いて探求する点にあり、それにより成人期への移行が多様化し、自分なりのライフコースを多様な選択肢の中から柔軟に選び取る可能性が高まったされています。
アーネットは不安定であることのプラスの面を強調していますが、他の研究者の中にはマイナスの面を指摘しており、若い人が所属する社会階層がプラスかマイナスかを分けるとしています。
社会的な有利をもつ人にはプラスになるが、社会的な不利をもつ人は不安定な状況から抜け出すことができず、いつまでたっても大人になることができない可能性があるわけです。
以上のように、成人形成期はアーネットが提唱した発達期であると言えますね。
よって、選択肢④が適切と判断できます。
⑤ 成人後期移行期〈late adult transition〉
こちらの「移行期」は、おそらくLevinsonの「過渡期」を指していると考えられます(たぶん…。そのつもりで解説していきます)。
大人の発達について、生涯発達的視点から詳しく研究を進めたのがエール大学のLevinson,D.J.(1920-1994)です。
Levinsonは「大人であるとは、どういうことなのか」という問いに答えようとし、「大人も児童期や青年期と同じように、成人してからの生活も一定の順序をもって発達しているのか」という疑問を抱きました。
そして、この疑問に答えようとして1966年頃より研究計画をたて、1973年にいたるまで、研究グループを作って調査研究を行いました。
彼らの研究の特徴は色々あげることができますが、まずは今まで心理学において注目されなかった中年を取り上げたことが挙げられるでしょう。
次に研究グループとして、心理学、社会学、精神医学などの学際的研究を行うとともに、理論的にも異なる立場の人たちが協力し合ったこと、徹底して個人を対象として、個々人に対する面接による調査を重要視したことが挙げられます。
それまでの調査方法に対してLevinsonらは、あくまで個人に密着し、個人の生活の歴を共に探り出そうとするような方法を用いました。
彼はそれを「伝記的面接法」と呼んでいますが、その課題は「その人の個人史を作成すること」であり、「面接者と被面接者が協力し合って、この作業に取り組んだ」と述べています。
このような方法により、4つの職業につき10人ずつ、40人の対象者を設定して、徹底的な調査を行いました。
Levinsonは、上記の面接法を用いて実証的なライフサイクル研究を行った結果、生活構造(ある時期におけるその人の生活の基本パターンあるいは設計)の安定期と、それまでの生活構造を見直す過渡期が交互に現れると考えました。
人間のライフサイクルは4つの主な時代によって構成されており、各時代は約25年続き、いくらか重複を伴い、そのため新しい時代は前の時代が終わるのに伴い始まることを示唆しています。
Levinsonは始まりの典型的年齢、つまりある時代が通常始まる年齢を明らかにしています。
Levinsonのいう、時代の発達する連続とそれらの年齢的期間は、出生から22歳までが少年期(児童期)と青年期、17~45歳までが成年前期、40~65歳が中年期、60歳以上が老年期となっています。
Levinsonはまた4~5年の時代の間の過渡期を明らかにし、人が去っていく時代を終わらせ、次の時代を始めさせる期間を、境界領域として機能させています。
Levinsonの定めた過渡期は以下の通りです。
- 成人への過渡期:20歳~25歳
親、社会に守られて生きてきた環境から自分で道を切り開かなくてはならないという自覚が芽生える時期。 - 人生半ばへの過渡期:40歳~45歳
無限の可能性が開けていた20代と違い、様々な社会的制約を感じて「可能性が限定される」ように感じる時期。最重要なものとLevinsonは考えていた。いわゆる「中年の危機」になる。 - 老年への過渡期:60歳~65歳
3の老年への過渡期は「成人後期への移行期」ともされており、老年期へ向けての生活設計がなされる時期になります。
愛するものとの別れの必要が生じ、社会から葬られるのではないかという恐怖感と役割の喪失感から孤立化が進み、過去への引きこもりがしばしば発生する時期とされています。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。