せいいっぱいの応援の言葉

試験まで残り1か月を切りましたね。
受験される方々にとっては、今が一番苦しい時期だろうと思います。
受験される方々、特にこの場を含めて関わりのある方々に対しては応援したい気持ちがあります。

こういった試験に臨む人に対して、私がどのような応援の言葉をかけるのかを考えたとき、とあるクライエントとのやり取りが思い出されます。
もう10年以上前の話であり、クライエントの悩みとは直接関係が無いエピソードですが、本質を歪めない程度に情報に修正を加えて述べていきましょう。

そのクライエントとのやり取りの中で、私の後輩たちがちかぢか臨床心理士資格試験を受験するという話題になりました。
その際、私が「教えている立場ですから、みんな受かってくれると良いなと思ってるんです」と話すと、そのクライエントは「先生、それはダメですよ」と言いました。

不思議に思い「なぜですか?」と問うと、クライエントの答えは以下の通りでした。
「受かりますように、という願い方は、その背後に落ちている人がいることになって、暗に人が落ちることを、つまりは人の不幸を願っているということになります。だから「受かりますように」ではなく「力が発揮できますように」と言った方が良いです」

これを聞いて、私はその通りだなと納得しました。
まず、暗に人の不幸を願うような言葉であるということについては、臨床に携わる者として敏感である必要があると思います。
背後に不幸になる人がいるような言葉を、これから臨床家になろうという人たちに、臨床家がかけるのは望ましいと言えないでしょう(試験に不合格になることが不幸であるかどうか、という議論は置いといて)。

こういう言葉や行為って日常に溢れています。
例えば、「それが問題だね」と言えば、クライエントの悩みを暗に否定的なもの、障害になっているものというメッセージになるでしょう(そのつもりがなかった、と言う人がいますが、言う側の「つもり」なんてどうでもよく、それがどのように相手に伝わるかが重要)。
これを「それがあなたの大切なテーマだね」と言い換えるだけで、ずいぶんニュアンスが違ってくるものです。
また行為としては、誰かと比較して褒めることは暗にその比較対象になった人を貶していることになりますし、数字で褒める(成績など)ことは暗に数字が落ちれば価値が無いというメッセージにもなるでしょう。

また「力が発揮できますように」という応援の仕方には、ある種の厳しさも含まれています。
それは、力を十二分に発揮しても届かなければ合格してはならないということです。

反論として「臨床力と知識にはそんなに関係が無いでしょう」という意見もあるでしょうが、私はそうは思いません。
もちろん、やり取りをする力というものは単に知識では測れないものだと思います。
しかし、知らないことでできない支援というのも、実はたくさんあるのです。

精神医学的なチェックリスト、リファー先の機関の社会的特徴、各種技法を理解することで適宜活用できること、などなど。
こういうことをしっかりと理解していなくても、臨床実践において明確な「失敗」として現れることは少ないものですし、そもそも当人に「失敗」と自覚されることもないのでSV等で指摘されない限りは気がつくこともありません。
しかし、この未熟さによって支援が「1週2週遅れる」「遠回りする」「単純な浪費」になることは往々にして見られるのです。

臨床において旨とすべきは「終わりよければすべてよし」ではなく「最初が肝心」です。
例えば、統合失調症の急性期においては、処置・支援が1時間遅れるだけでその後の1週間、1か月が変わってくるとされています。
私たちはそういう現場に携わる立場なのですから、「知らなかった」では済まされません(そのために資質向上の条項が公認心理師法にもあるのです。たぶん)。

もちろん、臨床心理士資格試験や公認心理師資格試験が、こうした支援において大切なことを問うているか否かはわかりません。
しかし、それらが多少含まれていることは間違いありませんし、その時点で「関係が無い」と判断している知識でも、研鑽を重ねていくことで経験と知識が繋がり、自分の枠組みを拡げてくれるものになることもあります。
というわけで、試験で問われている知識については、私はやはり備えておいてほしいものだと考えています。

話を戻します。
そういったわけで、私はそのクライエントの意見に納得し、それ以来、こういった試験に関して応援するときにはその方向性で言葉をかけるようにしています。

というわけで。
「皆さんのこれまでの努力や経験の積み重ねによって身についたものが、十分発揮できることを祈っています」

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