Wordenの悲嘆セラピーに関する問題です。
ウォーデンの課題モデルに関する大枠の理解が問われていますね。
問117 複雑性悲嘆に対するJ. W. Wordenの悲嘆セラピーの原則や手続として、誤っているものを1つ選べ。
① 故人の記憶を蘇らせる。
② 悲しむのをやめたらどうなるかを一緒に考える。
③ 喪失を決定的な事実と認識することがないように援助する。
④ 故人に対するアンビバレントな感情を探索することを援助する。
⑤ 大切な人がいない状況での新たな生活を設計することを援助する。
解答のポイント
Wordenの悲嘆セラピーに関する概要を把握している。
選択肢の解説
① 故人の記憶を蘇らせる。
② 悲しむのをやめたらどうなるかを一緒に考える。
④ 故人に対するアンビバレントな感情を探索することを援助する。
⑤ 大切な人がいない状況での新たな生活を設計することを援助する。
通常、死別の直後に感じるような激しい喪失体験が、一周忌を超えて遷延している場合、「病的な悲嘆」もしくは「複雑性悲嘆」とよばれ、心理学的・精神医学的援助の対象とするのが一般的で、様々な要因から喪のプロセスの営みに失敗した時、この状態に陥るとされています。
関連する要因としては以下のものが挙げられます(ウォーデン、2008)。
- 亡くなったのは誰か:続柄、年齢など。
- 愛着の性質:強さ、安定性、アンビバレンス、軋轢・葛藤、依存的関係。
- どのように亡くなったか:場所と距離、予期の有無、暴力、防ぐことができた場合、不確実な死
- パーソナリティに関する変数:年齢と性別、コーピングスタイル、愛着スタイル、認知スタイル、自我の強さ
- 社会的変数:情緒的、社会的サポートの利用可能性、サポートへの満足、社会的役割への関与、宗教的資源など。
- 連鎖的ストレス
こうした病的悲嘆・複雑性悲嘆に対してできることとしては、早期発見し予防につなげることが挙げられます。
グリーフ(悲嘆)のプロセスは、これまでにいくつか示されています。
代表的なものとして挙げられるのは、段階モデル(キューブラー=ロスの理論など)というグリーフプロセスにはいくつかの段階があり、時間の経過に伴って人はグリーフから回復していくという見解です。
こうした段階モデルでは、死別を体験した人は、ある段階を経てグリーフプロセスを辿り、受動的にグリーフから回復するということが強調されていました。
これに対してリンデマンが提唱した「課題」という考え方では、死別を体験した人が死別から生活を再生していくプロセスにおいて、いくつか取り組むべき「課題」があるという捉え方をします(リンデマンがグリーフワークという言葉を生み出した。リンデマンは、故人との絆を解放すること(課題1)、故人のいない環境に適応すること(課題2)、新しい人間関係を構築すること(課題3)を提示した)。
こうした背景もあり、ウィリアム・ウォーデンは、「段階モデル」に代わるアプローチとして「課題モデル」を提唱しました。
先述の通り、段階モデルでは受動的にグリーフから回復すると捉えるのに対し、ウォーデンは死別を体験した人が「主体的」に課題に取り組む必要があることを指摘し、以下の4つの課題を提示しました。
タスクⅠ:喪失の現実を容認する。
- 死が現実であり、故人はもう戻らないと認識するタスク
- 喪失の認識は理性と感情の双方でされなければいけない
- 死の容認は難しく、死が予見されていた場合でも死を認めるのが難しい場合がある。
- 故人を探し求めたり、故人がまだ生きているかのように振る舞う、故人との関係を過小に評価するなどの表現が見受けれられることがあるが、最終的に故人の不在を認識する必要がある葬儀や命日の行事などは死の容認を助ける。
タスクⅡ:グリーフの苦痛を経験する。
- 痛みの強さやどう経験されるかは人それぞれ。
- 近しい者が亡くなった時に痛みを全く経験しないのは不可能。
- 酒や薬、故人を理想化する、引っ越しする、故人を思い出すことを避ける新しい(恋愛)関係を早々に作るなどで痛みを押さえつけようとすることがあるが、いくら上手に押さえつけても痛みの回避は心身の病などとして帰って来たり、別の喪失の時にぶり返す。
タスクⅢ:新しい環境に適応する。
- 故人の役割や関係性によって適応しなければならない内容が違う。
- 故人の役割を認識するとともに二次的喪失の内容に気が付く。
- 故人の役割を代行できるまでには時間がかかり、辛抱強さも必要とされる。
- 人生に対して多少コントロール感が多少戻ってくる。
タスクⅣ:気持ちの中で故人を位置付けし直し、日常生活を続ける。
- 多くの人にとって一番難しいタスクである
- 故人は忘れられたり、記憶をかき消してしまったわけではなく、遺された者の一部となったのである。
- 人生に喜びを再び感じ始める
- 故人を「あきらめた」のではなく故人に見合った場所(遺族が生き続けるという事を可能にする場所)を感情の中に見つける
- 過去のアタッチメントに執着しているとこのタスクを完結するのは難しい。喪失があまりに辛いので、もう人を愛さない、と決心する事もある。
- 遺族は昔通りではありえないし、今後も昔通りになることはあり得ない。
これらを踏まえて、各選択肢の内容を見ていきましょう。
まず選択肢①の「故人の記憶を蘇らせる」ですが、こちらは上記の様々なタスク(課題)と絡む事項と考えられます。
この「蘇らせる」という表現に違和感を覚える人もいるでしょうが(主体的に取り組まねばならないのに、「蘇らせる」というのは矛盾があるように感じちゃいますよね)、こうした表現になるのはウォーデンの考え方が「段階モデル」ではなく「課題モデル」であるということと関連するでしょう。
取り組まねばならない「課題」なので、避けることなく体験できるようにしていくことが重要であると見なしていると思われます。
故人の記憶を蘇らせることが「喪失の現実を容認する」道筋となることもあるでしょうし、「グリーフの苦痛を経験する」ことにもなり得るでしょう。
また、「気持ちの中で故人を位置付けし直し、日常生活を続ける」ためにも故人の記憶とコンタクトすることが重要な場面も考えられます。
いずれにせよ、故人がいないこと、その苦痛を経験すること、故人がいない人生を歩むこと、それらの基盤に「故人との記憶との関わり」が重要になってくると考えられます。
選択肢②の「悲しむのをやめたらどうなるかを一緒に考える」については、「グリーフの苦痛を経験する」に反することと考えてはいけません。
むしろ、悲しみを十分に経験し、悲しみに暮れている環境とは別の「新しい環境に適応する」というタスク、そしてその先にある「気持ちの中で故人を位置付けし直し、日常生活を続ける」につながる手続であろうと考えられます。
喪失の時点で縫い留められていた時間が動き出し、失った人がもたらしていた意味を感じ、個人の世界観の問い直しが迫られ、喪失の意味を探ろうとするための問いとして本選択肢の手続きがあると言えます。
選択肢④の「故人に対するアンビバレントな感情を探索することを援助する」に関しては、まさに「グリーフの苦痛を経験する」というタスクと関連すると考えられます。
複雑性悲嘆を招くような故人というのは、あっさりとした関係ではないと考えるのが自然です。
親やきょうだい、配偶者のような「密接な他者」であることが多く、そうした対象に対する思いは常にアンビバレントな感情を含むものになります。
そうした「密接な他者」が亡くなることで、未消化なままのアンビバレントな感情が持って行き場のない状態で顕在化(疼きだすというイメージでしょうか)することになります。
こうしたアンビバレントな感情を探索し、それを何らかの形で自身の内に軟着陸させる過程は「グリーフの苦痛を経験する」というタスクになるでしょうし、その結果が「気持ちの中で故人を位置付けし直し、日常生活を続ける」というタスクにもつながるでしょう。
選択肢⑤の「大切な人がいない状況での新たな生活を設計することを援助する」は、「気持ちの中で故人を位置付けし直し、日常生活を続ける」というタスクを指していると考えられます。
故人がいないことを受け容れ、その上で新たな生活を設計することは、困難ではありますが重要なタスクになります。
これが可能になる背景には、故人が遺された人の人生史の一部に組み込まれ、内的には共に生きていくという形が必要だろうと思います(あくまでも理想ではありますが)。
故人の外的不在と内的存在が両立しているような、そんな心持に至る手助けとして「大切な人がいない状況での新たな生活を設計することを援助する」ということがあり得るわけです。
以上より、選択肢①、選択肢②、選択肢④および選択肢⑤は正しいと判断でき、除外することになります。
③ 喪失を決定的な事実と認識することがないように援助する。
こちらの選択肢内容は「喪失の現実を容認する」というタスクと反していることがわかります。
ウォーデンの「グリーフの課題モデル」においては、喪失の現実を受け容れることが課題として設定されており、その中でウォーデンは死の現実を否定したり回避したい気持ちになるが、その現実をきちんと受けとめ、その意味を理解することが必要であるとしています。
よって、選択肢③が誤りと判断でき、こちらを選択することになります。