統合失調症の特徴的な症状を選択する問題です。
いろんな症候が示されているので、それぞれを示す代表的な疾患を知っておく必要があります。
問104 統合失調症の特徴的な症状として、最も適切なものを1つ選べ。
① 抑えがたい睡眠欲求が1日に何度も起こる。
② 自分の考えが周囲に伝わって知られていると感じる。
③ 毎回同じ道順を辿るなど、習慣への頑ななこだわりがある。
④ 暴力の被害に遭った場面が自分の意思に反して思い出される。
⑤ 不合理であると理解しているにもかかわらず、打ち消すことができない思考が反復的に浮かぶ。
解答のポイント
各症候が生じる代表的な疾患が理解できている。
選択肢の解説
① 抑えがたい睡眠欲求が1日に何度も起こる。
こちらの症候が生じる代表的な疾患は、ナルコレプシーであると考えられます。
ナルコレプシーは、睡眠発作、情動脱力発作、入眠時幻覚、睡眠麻痺を四主徴とする一つの疾患単位です。
主徴についてそれぞれ述べていきましょう。
ナルコレプシーの最も基本的な症状は日中反復する居眠りがほとんど毎日数年間にもわたって続くことです。
これは睡眠発作と呼ばれ、昼間何回も眠気に襲われ、実際に数十分も眠り込んでしまう発作性病状です。
通常は10~20分くらい眠ると目が覚めてサッパリすることが特徴的で、1時間を超えることは稀です。
しかし、いったん目が覚めて2~3時間もすると再び眠気が襲ってきます。
このとき意識的に緊張したり、身体を動かしたりすることによりある程度眠気を押さえることは可能だが、毎日続く眠気ですからずっと我慢し続けることは不可能でしょう。
睡眠発作は会議中であるとか、正常者でも眠気の起こりやすいときに見られることが多いが、歩行中などにも起こり得る点で正常者の眠気とは質的に異なると考えられます。
なお、睡眠発作は強い覚醒刺激を与えると覚醒させ得るものです。
本選択肢の内容は、この睡眠発作について記述しているものと思われます。
情動脱力発作とは、笑ったり驚いたりなどの主に陽性の強い情動の変化に伴って起こる全身の脱力です。
この発作の持続はごく短時間であるが、骨格筋の脱力のほか顔面筋の脱力もあり、転倒したり机にうつぶせになったりすることもあります。
通常、脱力は瞬間的ですぐに回復するので、周囲の人にあまり気づかれずに済むことが多いが、突然顔の力に締まりがなくなり、ろれつが回らなくなったり、しゃがみこんで床に崩れ折れてしまったりすることもあります。
情動脱力発作中でも意識は保たれており、周囲の状況はよく記憶されています。
ときには情動脱力発作が続けざまに起こり、数分から30分間くらい脱力状態が持続することがあり、脱力重積状態と呼ばれます。
入眠時幻覚とは、入眠後まもなく体験される幻覚で、通常の夢に似るが夢よりも生々しく、現実感のある体験です。
入眠時レム睡眠期に一致します。
夜間睡眠時のみならず、昼間の睡眠時や睡眠発作時にも体験されます。
多くの場合、不安恐怖感のある幻覚で、何か怖いものが襲い掛かってきたり、のしかかられて苦しむといった内容のものが多く、強い現実感と恐怖感を伴う幻視、幻触、身体運動感覚、ときに幻聴が見られます。
通常、目が覚めることによって悪夢であったことを悟りますが、まれには入眠時幻覚が発展して日中にも侵入し、夢幻様体験から幻覚妄想状態を呈することもあります。
睡眠麻痺とは、通常入眠時幻覚による不安・幻覚体験に一致して、全身の脱力状態が起こることを言います(俗にいう金縛りと同じ状態です)。
患者は恐怖から助けを求めて起き上がろうとしますが、全身が金縛りとなって動けず、声もほとんど出すことができません。
上記の通り、「抑えがたい睡眠欲求が1日に何度も起こる」というのはナルコレプシーの主徴の一つである睡眠発作について述べたものと言えます。
統合失調症でも睡眠の問題は出るのですが、多くは薬の副作用に関する話題であることが多かったり、むしろ「眠れない」という訴えが多い印象を受けます。
少なくとも「抑えがたい睡眠欲求が1日に何度も起こる」という訴えが統合失調症の特徴して語られることはありません。
よって、選択肢①は不適切と判断できます。
② 自分の考えが周囲に伝わって知られていると感じる。
ここではまず、DSM-5で示されている統合失調症の基準を見てみましょう。
A.以下のうち2つ(またはそれ以上)、おのおのが1カ月間(または治療が成功した際はより短い期間)ほとんどいつも存在する。これらのうち少なくともひとつは(1)か(2)か(3)である。
- 妄想
- 幻覚
- まとまりのない発語(例:頻繁な脱線または滅裂)
- ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動
- 陰性症状(すなわち感情の平板化、意欲欠如)
上記の妄想と関連する形で生じるとされるのが「思考体験の異常」です。
以下に、その種類について述べていきましょう。
統合失調症では「私は何々を考える」という感じが変わってくることがあります。
考えが外力で奪われると感じるのは「思考奪取」であって、話の途中で考えが引き抜かれて話せなくなってしまうことがあります。
話の流れの突然の停止は「途絶」と言われるが、この時必ずしも「思考奪取」の感じがあるとは限りません。
外から考えを入れられ、外の力で考えさせられ、外の力で自分の中に考えが作られるという感じは「思考吹入」や「させられ思考」と言われます。
自分は考えるという、自分で行うのであって他から左右されないはずのものが、外から影響を受けると感じられるのは統合失調症特有であり「クセノパティ」と呼ばれます。
あるいは、自分の考えが他人に伝わってしまう「思考伝播」、考えが他人に知られてしまう「思考察知」などもあります。
この場合、考えが他人に伝わるという直接の感じなのか、他人の談話や行動から自分の考えが他人に知られているとわかる妄想知覚なのか、自分の考えに対する声が幻聴として聞こえてくるので自分の考えが他人に伝わるのだと判断するのか、種々の場合があります。
これらの現象はいずれも自分の随意によってしか行えないことに他から影響を受け、他から左右され、他に通じてしまうという点を共通に持つので「自我障害」と呼ばれ、統合失調症特有の自由喪失体験であり、思考化声、言い合いの声の幻聴、自分の行為を描写する声の幻聴、身体的被影響、妄想知覚とともに自我障害は統合失調症の一級症状(クルト・シュナイダー)とされています。
これは自己の心内のものの一部が外へ移され、外からくるものとされるという意味で投射、心の疎外と考えることもできます。
幻覚も心の中のものが外からくると感じられるのでやはり投射と言えます。
さて、統合失調症でよくみられる思考障害をざっと述べました。
本選択肢の「自分の考えが周囲に伝わって知られていると感じる」というのは、思考伝播であることがわかりますね。
こうした自我の境界が曖昧になった症候は、統合失調症の特徴的な症状であると言えます。
よって、選択肢②が適切と判断できます。
③ 毎回同じ道順を辿るなど、習慣への頑ななこだわりがある。
⑤ 不合理であると理解しているにもかかわらず、打ち消すことができない思考が反復的に浮かぶ。
こちらは強迫性障害の「強迫行為」と「強迫観念」になりますね。
DSM-5の該当箇所を抜き出しましょう。
A.強迫観念、強迫行為、またはその両方の存在
強迫観念は以下の1. と2. によって定義される:
- 繰り返される特徴的な思考、衝動、またはイメージで、それは障害中の一時期には侵入的で不適切なものとして体験されており、たいていの人においてそれは強い不安や苦痛の原因となる。
- その人はその思考、衝動、またはイメージを無視したり抑え込もうとしたり、または何か他の思考や行動(例:強迫行為を行うなど)によって中和しようと試みる。
強迫行為は以下の1. と2. によって定義される:
- 繰り返しの行動(例:手を洗う、順番に並べる、確認する)または心の中の行為(例:祈る、数える、声に出さずに言葉を繰り返す)であり、その人は強迫観念に対して、または厳密に適用しなくてはいけないある決まりに従ってそれらの行為を行うよう駆り立てられているように感じている。
- その行動または心の中の行為は、不安または苦痛を避けるかまたは緩和すること、または何か恐ろしい出来事や状況を避けることを目的としている。しかしその行動または心の中の行為は、それによって中和したり予防したりしようとしていることとは現実的な意味ではつながりをもたず、または明らかに過剰である。
注:幼い子どもはこれらの行動や心の中の行為の目的をはっきり述べることができないかもしれない。
これらを踏まえて挙げた選択肢について見ていきましょう。
選択肢③の「毎回同じ道順を辿るなど、習慣への頑ななこだわりがある」というのは、強迫行為の「その人は強迫観念に対して、または厳密に適用しなくてはいけないある決まりに従ってそれらの行為を行うよう駆り立てられているように感じている」という箇所に該当しますね。
また、選択肢⑤の「不合理であると理解しているにもかかわらず、打ち消すことができない思考が反復的に浮かぶ」というのは、強迫観念の「繰り返される特徴的な思考、衝動、またはイメージで、それは障害中の一時期には侵入的で不適切なものとして体験されており、たいていの人においてそれは強い不安や苦痛の原因となる」に該当します。
強迫性障害の用いる防衛の代表が「置き換え」だとされていますし、これは事実だろうと実践上も思います。
置き換えとは、「対処できない不安」を「他の対処しやすい何か」に置き換えてしまうことで、つまりは、本来は不安ではない何かを過剰に不安だと感じることを指します。
これだけだと「置き換え」だけになるんですけど、その「置き換えられた不安」を消そうとする行為を繰り返し、それが生活に支障が出てくるほどになると「強迫性障害」と呼ばれる状態になります。
置き換えられた不安は、クライエントが抱えている本質的な不安とは無関係ですから、置き換えられた不安に対していくら対応しても、本質的な不安は消えず残り続けます。
ですから、本質的な不安から置き換えられている対象への不安も消えずに残りますから、置き換えられた不安を消そうとする行為(これが強迫行為)も残り続けるという結果になるわけです。
なお、この「置き換えられた不安」に関しては、カウンセラー側の主観として「共感出来ない」と感じるのが感知するための指標です。
上記の通り、クライエントの本質的な不安とは離れた対象に置き換えられているわけですから、本質から離れているぶん「共感が生じにくい」のが自然なのです。
余談ですが、現代は「共感の時代」であると感じます。
ちなみにこれは皮肉で、私からすれば「共感すべきではないものにまで共感している」と思うのです。
例えば、小学校1年生の子どもが「授業時間が長いから学校行きたくない」と言ったときに、「そうだね、授業時間長くてイヤだよね」という人が増えたように思うのです。
もちろん、それが100%悪いわけではないのですが、「それだけ」だと子どもは自分の内に生じた不快感を「外によってもたらされたもの」と感じることになります。
ですが、そう語る子どもにも、例えば「自分が不快なものはやらなくていい」「自分の感情で物事を判断していい」という根っこにあるマインドの問題はあるわけで、その辺についてもバランスよく指摘していくことが大切になります。
置き換えの文脈で言えば、子どもは自身の不快の背景にある「自らの要因」に目を向けないために、外的な要因を持ち出しているという面もあるでしょうから、持ち出された外的な要因に過剰な共感は避ける必要があります。
そういう時に「共感している顔」をしていれば、対人関係上は楽ですし、誰に対しても悪くは取られないでしょう(でもクライエントは良くなりにくい)。
ですが、クライエントが置き換えてしまって見えなくなっている、クライエント自身の問題にきちんと焦点を当て、そこにどうアプローチするか(もちろん、このアプローチの中には「あえて触れない」ということも含まれる。重要なのは「あえて」というところ)が専門家としての役割ですから、そういった役割もきちんとこなせることが大切ですね。
いずれにせよ、「強迫行為」や「強迫観念」は統合失調症の特徴的な症状とは言えません。
ただし、昔からよく言われているのが、強迫症状が統合失調症の隠れ蓑になっているという話で、うっかり強迫症状を取ってしまうとその奥にある統合失調症が顔を出すみたいな話があります。
私は上記のような典型的な事例には出会っていませんが、ある症状が別の症状を覆い隠していることや、軽い症状でより重い症状を抑えているということは、確かにあるだろうと感じます。
以上より、選択肢③および選択肢⑤は不適切と判断できます。
④ 暴力の被害に遭った場面が自分の意思に反して思い出される。
こちらはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の侵入症状を指していますね。
DSM-5の侵入症状に関して抜き出しましょう。
B.心的外傷的出来事の後に始まる、その心的外傷的出来事に関連した、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の侵入症状の存在。
- 心的外傷的出来事の反復的、不随意的、および侵入的で苦痛な記憶
注:6歳を超える子どもの場合、心的外傷的出来事の主題または側面が表現された遊びを繰り返すことがある。 - 夢の内容と情動またはそのいずれかが心的外傷的出来事に関連している、反復的で苦痛な夢
注:子どもの場合、内容のはっきりしない恐ろしい夢のことがある。 - 心的外傷的出来事が再び起こっているように感じる、またはそのように行動する解離症状(例:フラッシュバック)(このような反応は1つの連続体として生じ、非常に極端な場合は現実の状況への認識を完全に喪失するという形で現れる)。
注:子どもの場合、心的外傷に特異的な再演が遊びの中で起こることがある。 - 心的外傷的出来事の側面を象徴するまたはそれに類似する、内的または外的なきっかけに曝露された際の強烈なまたは遷延する心理的苦痛。
- 心的外傷的出来事の側面を象徴するまたはそれに類似する、内的または外的なきっかけに対する顕著な生理学的反応。
本選択肢の「暴力の被害に遭った場面が自分の意思に反して思い出される」というのは、上記の侵入症状を指していることがわかると思います。
PTSDにおいてなぜ侵入症状が生じるのか、を考えておきましょう。
PTSDの基本は「一発学習」です。
つまり、DSM-5の出来事基準で示されているような危機的な状態を「何度も経験しないと覚えない」ようでは、その生体は生き延びる可能性が極端に低くなるはずです。
現在の脳機能が出来上がった時代は、今ほど安全な時代ではなかったはずですから、危機的状況に際して「すぐに学び」「次の危機を察知し」「危機に陥らない対応を」「即座に取ることができる」ということができる生体だけが生き残ってきたと考えられます。
ですから、人間の脳には「危機的状況を一発で学習することができる機能」が備わっていると考えられ、おそらくこの危機的状況の記憶は「幼児的記憶」に類似している(断片的、視覚的、経年変化がない、文脈不明、その記憶以外の情報は後から補完)ことから、成人文法成立前の機能を活用していると思われます。
そして、こうして覚えた記憶について、ことあるごとに「復習」しようとするのが、上記の「侵入症状」になります。
苦痛な記憶ではありますが、それを忘れてしまう方が生存率が低かった時代があったということであり、意思とは関係なく記憶が想起されることで、その時の危機感を体験することになります。
僅かな刺激からも危機を察知し、そこから対応できる心身の状態をいち早く作り出すという意味で、侵入症状をはじめPTSDにおいて「症状」とされている反応は役立つ面があるわけですね。
ただ、厄介なのが、現代ではそうそう危機的状況が生じないわけで、人生にごくわずかしかない危機的状況を日常的に警戒する心身反応は、日常では邪魔なものとして扱われ、「症状」と呼ばれるようになるわけです。
上記はPTSDに関するストーリーの一つに過ぎませんが、臨床実践上で特に不都合もないのでクライエントと共有することが多いです。
こういうストーリーは、症状にもクライエントにとっての価値や意味があることを暗に伝え、症状との無為な対決姿勢を緩和させるという目的もあります。
いずれにせよ、「暴力の被害に遭った場面が自分の意思に反して思い出される」というのは統合失調症の特徴的な症状として現れることは少ないです。
むしろ気をつけねばならないのが、「PTSDのフラッシュバックを、統合失調症の幻聴や妄想と間違えないこと」です(神田橋先生はこの点を何度か指摘していますね)。
統合失調症の幻聴や妄想について熱心に聞くという対応は取られにくいのですが(オープンダイアローグなどではするかもしれませんね)、細やかに聞いてみると「それは妄想や幻聴では生じない出方だな」と感じる話が出てくるかもしれませんよ。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。