うつ病によって減退するもの・しないものを選択する問題です。
低年齢で見る「うつ状態」への支援についても、少し述べておきました。
問121 うつ病で減退、減少しないものを1つ選べ。
① 気力
② 喜び
③ 罪責感
④ 思考力
⑤ 集中力
解答のポイント
DSM-5の抑うつエピソードを把握している。
選択肢の解説
① 気力
② 喜び
④ 思考力
⑤ 集中力
こちらについては、うつ病(DSM-5)における「抑うつエピソード」を参照にしていきましょう。
A.以下の症状のうち5つ(またはそれ以上)が同じ2週間の間に存在し、病前の機能からの変化を起こしている。これらの症状のうち少なくとも1つは、(1)抑うつ気分、または(2)興味または喜びの喪失である。
注:明らかに他の医学的疾患に起因する症状は含まない。
- その人自身の言葉(例:悲しみ、空虚感、または絶望感を感じる)か、他者の観察(例:涙を流しているようにみる)によって示される、ほとんど1日中、ほとんど毎日の抑うつ気分。 (注:子どもや青年では易怒的な気分もありうる)
- ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味または喜びの著しい減退(その人の説明、または他者の観察によって示される)
- 食事療法をしていないのに、有意の体重減少、または体重増加(例:1ヵ月で体重の5%以上の変化)、またはほとんど毎日の食欲の減退または増加(注:子どもの場合、期待される体重増加がみられないことも考慮せよ)
- ほとんど毎日の不眠または過眠
- ほとんど毎日の精神運動焦燥または制止(他者によって観察可能で、ただ単に落ち着きがないとか、のろくなったという主観的でないもの)
- ほとんど毎日の疲労感、または気力の減退
- ほとんど毎日の無価値感、または過剰であるか不適切な罪責感(妄想的であることもある、単に自分をとがめること、または病気になったことに対する罪悪感ではない)
- 思考力や集中力の減退、または決断困難がほとんど毎日認められる(その人自身の言葉による、または他者によって観察される)
- 死についての反復思考(死の恐怖だけではない)。特別な計画はないが反復的な自殺念慮、または自殺企図、または自殺するためのはっきりとした計画
C.その症状は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
D.そのエピソードは物質の生理学的作用、または他の医学的疾患によるものではない。
上記の通り、気力(6)、喜び(2)、思考力・集中力(8)に関しては減退することが示されていますね。
うつ病になると、さまざまなものが減退していくことになりますが、やはり苦しいのは「自分が最も得意としていることからできなくなる」ということが挙げられるでしょう。
人は知らず知らずのうちに、自分が得意としていることを自身のアイデンティティに組み込んでいるという面があるものです。
うつ病になって、自分を形作る特徴(と思っているもの)が失われたとき、自らの価値を感じられなくなるのも無理ありません。
自分はここについては人に後れを取らないと思っていることが失われるのはつらいものです。
そういう人に対して、どのようなアプローチが良いかはクライエントの年齢や状況によってかなり異なるでしょう。
私が働いているのは就学前~高校卒業くらいまでの領域ですから、まだクライエント自身アイデンティティを作っているところという感じがします(最近の風潮では、アイデンティティという概念も馴染まなくなってきているかもしれませんね)。
そういうクライエントがうつ状態になり、自身の得意なものが失われて自己価値が感じられなくなったときに、私は自分の父親の話をすることが多いです。
私の父は新聞記者でしたが、晩年、病気でいろんなことがわからなくなりました。
そういう父について「あなたは私の父が無価値だと思いますか?」と聞くと、クライエントは「そうは思わない」と答えます。
こうしたやり取りによって、クライエントは自らに向けている無価値観を間接的に否定することになるわけです。
こうしたやり取りの効果があるクライエントもいれば、そうでないクライエントもいますが、読んでいる人の臨床の一助になれば幸いです(もちろん、他にも無数の「名もなき技術」がありますが、それを書いていてもキリがないですからね)。
以上より、気力、喜び、思考力・集中力はうつ病によって減退・減少すると言えます。
よって、選択肢①、選択肢②、選択肢④および選択肢⑤は除外されます。
③ 罪責感
こちらについても、上記の「抑うつエピソード」を見ることが大切です。
抑うつエピソードの7に「ほとんど毎日の無価値感、または過剰であるか不適切な罪責感(妄想的であることもある、単に自分をとがめること、または病気になったことに対する罪悪感ではない)」とありますね。
これは罪責感がうつ病になることで増大することが示されています。
なお、うつ病になることによって、間違いなく増大する能力があります。
それは「好き嫌いを判別する能力」です。
ですから、うつ病になることで、食べ物の好き嫌いが増える、肌感覚が過敏になる、行動の選択がシビアになる、などの判別がくっきりと強くなってきます。
これを「ワガママ」と見なすのは早計で、むしろ「自分にとって気持ちがいい刺激とそうでない刺激の見極めを強くすることによって、回復を目指そうとする心身の反応」と思っておくと良いでしょう。
すなわち、うつ病者の回復に向かおうとする力の一端として「好き嫌いを判別する能力」が高くなるということですね。
ただし、上記に関しては、あるタイプ(しかも、最近すごい勢いで増えている)の「うつ状態」には馴染まない考え方です。
このタイプは「自尊心の周辺で生きてきたが、それが崩れたことによってうつ状態となった人」です。
言い換えれば、自己愛や万能感の特徴がその状態の根っこにあるような「うつ状態」の人に関しては、上記のような「好き嫌いを判別する能力」を肯定的に捉えない方がよい場合が多いです。
特に、小学校低学年~高校生くらいで見られる「うつ状態」と診断され得るクライエントの場合、彼らが傷ついた、もしくは、傷つく前に離れた「とある刺激」があるわけですが、彼らがその刺激から守ろうとしている「自分の内にある何か」は人生全体で見ると「それを晒さずに生きていくことはできない」と思えるものであることが多いのです。
よりわかりやすく述べると、「自分はそこそこ勉強ができると思っている」人がいたとして、しかし小学校3年生くらいになって勉強が徐々に難しくなってきて(このくらいから、目の前にないものも学習で扱うようになる)、勉強がわからなくなったけど「そのことを認めたくない」という感覚が生じて、その場から離れる、その場に行こうとすると抑うつ的になる、ということがあります。
こういうクライエントが、いま本当に増えているのですが、まだ小学生の彼らが「自分がわからないと感じる場」にいられないとなると、これはその先の社会生活全般が脅かされる恐れがあります。
こういう時の対応で、従来の不登校のように「無理しない」というサポーティブな体制で関わると、たいていの場合、遷延化していきます。
小学校~高校生くらいのクライエントへの支援としては…
- 彼らのプライドが傷つくポイントの見立て:低年齢であれば、ほぼ勉強であることが多い。次にマラソンなどの単発的な苦しい行事が出てくる。
- 両親への仕組みの説明と関わり方の助言
- 関わりの方針①:「本人らが嫌がることが、彼らにとって不要とは限らない」という前提を持ってもらう。
- 関わりの方針②:本人らが傷つく体験を不自然に避けさせない、傷ついた彼らを励まさずに支える。励まさないとは、「大丈夫」とか「きっとできるようになる」とかは言わないということ。大切なのは「彼らができないという事実を認めつつ、そんなあなたでも大切である」という構えを示すこと。
…になります。
こうした関わりによって、特に10歳以前の低年齢で起こる不登校などは、かなり改善することができます。
とは言え、こういうアプローチはこれまでの不登校臨床では実践されていないことが多いので、納得できない人はやらない方がいいでしょうね(納得できない人はしないでしょうけど。ですが、これまでの不登校臨床のアプローチで、確実にうまくいっていないと考えられる事例では考えを改めてみると良いかもしれません。それほどに、今の学校現場ではこういう事例が増えました)。
つまり、先述の「好き嫌いを判別する能力」をこういった事例で肯定的に捉えてしまうと、「本人らが嫌がることが、彼らにとって不要とは限らない」というアプローチの前提とかみ合わせが悪くなってしまうのです。
ちなみに、これらの状態の見立てやアプローチについては、2歳半~15歳くらいまでが有効ですが、それ以降は徐々に有効性が薄れていきます(正確には、10歳を過ぎたあたりから有効性が少しずつ失われていく。これは子どもの発達とも関連がある)。
特に、学校に所属していないひきこもり状態にあるクライエントの場合、従来のひきこもり支援や不登校支援で採られるような対応が必要であることがほとんどです。
蛇足ですが、こうした自己愛や万能感を背景にした事例に対して、従来の不登校臨床の対応を行うと先述の通り、遷延化しやすいです。
いずれにせよ、うつ病においては罪責感は増大する傾向があります。
よって、選択肢⑤はうつ病で減退、減少しないものであると判断でき、こちらを選択することになります。