公認心理師 2021-75

万引きをした事例に対する理解を問う内容になっています。

こうした「踏み越え的な問題行動」が生じる流れについて、自分なりのストーリーを持っておくことが専門家には求められます。

問75 70歳の女性A。Aは、Aの夫である会社役員のBに付き添われ、開業している公認心理師 Cのもとを訪れた。Bによると、Aは自宅近くのスーパーマーケットで大好きなお菓子を万引きし、店を出てから食べているところを警備員に発見されたとのこと。Aは、「万引きはそのときが最初で最後であり、理由は自分でもよく分からない」と述べるとともに、同居している半身不随のBの母親の介護を一人で行っているため自分の時間を持てないことや、Bが介護はAの仕事であると言っていることへの不満を述べた。AとBは、Cに対してAが二度と万引きしないようになるための助言を求めている。
 CのAへの理解として、不適切なものを1つ選べ。
① Aは、窃盗症の疑いが強い。
② Aは、ストレスへの対処力が弱まっている。
③ AとBの夫婦間コミュニケーションが不十分である。
④ Aにとっては、Bの母親の介護が負担になっている。
⑤ Aに器質的疾患があるかどうかを確認する必要がある。

解答のポイント

事例の状況から考え得る要因を示すことができる。

問題行動の発現を説明するストーリーを自分なりに持っている。

選択肢の解説

② Aは、ストレスへの対処力が弱まっている。
③ AとBの夫婦間コミュニケーションが不十分である。
④ Aにとっては、Bの母親の介護が負担になっている。
⑤ Aに器質的疾患があるかどうかを確認する必要がある。

本事例では「万引き」という問題行動についての見立てが問われています。

この「万引き」を引き起こす要因として様々なものが想定され、各選択肢はそれを指摘するものになっています。

そうした各選択肢の解説の前に、まずは問題行動全般(法律で禁止されている行為などをやってしまう)についての考え方を述べておきます。

なお、ここで挙げる考え方については上記の書籍に詳しいです(高い書籍ですが、十二分に元は取れます。心理支援において「元を取る」という算盤をはじくような考え方はダメですけどね。大切なのは、「これを知らねばならぬ」というのっぴきならない切迫感を実践の中で感じて、こうした書籍を手にすることですね)。

こうした説明を最初に行う理由としては、ここで挙げた選択肢はすべて「適切」と判断されるわけですが、例えば「ストレスへの対処力が弱まっている」「夫婦間コミュニケーションが不十分である」「母親の介護が負担になっている」などの選択肢について、それがあるからと言って「万引きをした」という論理に納得いく人がいるのであろうか、というところに疑問があるからです。

心理的な負担がかかっていることは理解できますが、それがすぐに問題行動として規範を踏み越えるという形になって現れるということに、何かしらの説明が必要だと思うのです。

単なる後付けではなく、「人が境界線を踏み越えて、犯罪等の問題行動をやってしまう」という状況に対する、整合性のある説明が我々のような専門家には求められており、本問のような事例で、単に「ストレスがあった」という説明で片付けるのは雑すぎはしないかと思うのです。

私の知る限り、こうした説明に耐え得る論理を抱えているのは、上記の書籍にある中井先生の説明だけですので、まずはそちらを簡単に述べていきます。

意識化、イメージ化、言語化の間にはそれぞれ断絶があります。

そして、これら内面に明滅する事柄と行動との間にも断絶があります(殺すと思っても、実際に殺す人はごく少数)。

イメージ以前に関しては、以下の書籍から学ぶものが多いです(同時通訳者の言語的体験が詳しく載っている)。

一般に、イメージ→言語化というルートを辿ると多くの人は思っていますが、実際には「イメージよりもう少し前のもの」があります。

「椅子」と言われたときのイメージは百種百様のはずなのに、具体的な「椅子」を思い浮かべる前に、「イメージよりも少し前のもの」がまず意識に上ります。

同時通訳者は、この「イメージより少し前のもの」から言語A→言語Bという変換を行っているとされ、これはプラトンの言う「イデア」のようなものと見なされています(ユングの言う元型もイデアなのか、イデアのイデアなのか、イデアの大物なのか不明)。

この「イデア」から、言語化のコースに入る場合もあれば、イメージ化のコースに入ることもあります。

さて、重要なのは、こうした「イデア(イメージより少し前のもの)」からいきなり行動化のコースに入ることもあるということです(中井先生はこのことを不当に軽視されていると述べておられますね)。

日常生活においても社会的にも、行動の「説明責任」が果たせない場合があるのは、このコースがあるためです(「よかれと思った」という場合には、はっきり言語化やイメージ化がなされてから行動に移ったと見なさない方がよい。これはDVや一部のハラスメントの底にあって、一種の合理化として使われている)。

破壊的な行動だけでなく、エロス的行動化も、この経路がむしろ普通であり、自然なものです。

よく、相手に確認してから、という話を聞きますし、これは「危機管理」としては大切でしょうが、むしろ明確なイメージや言語化を通る「計画的行動」には一種の嘘くささもあります。

「イデア(イメージより少し前のもの)」のレベルでの、すなわち無記名の情調性の高まりの後にくるのは「火花」すなわち「パッと行動する」ということになります。

この種の移行によって生じる行動は「短絡的」「無意識的行為」と言い去られやすいですが、多くの人生決定がこの形で行われるという意味で、さまざまな局面で個人的、社会的な重要性を持ち、理由付け(合理化)がこの後を追います。

このコースが決定する人生と社会の幸不幸は大きく、しかも取り返しがつきにくいのが一般的です(だから一概に悪いというわけではない。このコースが主な人はやはり存在し、社会の中で生きることができている)。

上述のように、多くの人は「イデア→イメージ→言語化→行動」というコースを思い込みやすく、多くの心理療法学派や心理検査も暗黙の前提としてこういうコースを置いています。

ですが、これは一つの理想型にすぎず、現実には、あるコースから別のコースへの移動の順序はありません。

行動化が先行して後に、イメージ、言語化コースに移ることもあります(行動の追想、後悔、合理化)。

審判や裁判は、この過程に社会的に通用する形式を与えるものであり、行為はすべて因果論的・整合的な成人型のナラティブで終わらなければならないという社会的合意が裁判の前提となっているわけです。

こうした「成人言語水準への強制的引っ張り上げ」を受けたナラティブによって裁判は解決し、当事者も、公衆も、このナラティブを得て「納得」します(というよりも、他に終結と納得の形はないと誰もが知っている)。

こうした、裁判などで見られる、語りとして優れた判決文、決定文、あるいは説明がもつ事態を落ち着かせる力は、制度化された言語化の持つ力を表しています。

言語化の力とは、自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、世界に対する個の能動感、世界と自己の唯一無二感を取り戻す力です。

こういう言語化が、例えば裁判における判決文の中でなされれば、被告の中にある混沌に秩序を与え、その説明ならば被告は「納得して」刑を受けるようなストーリーとなります。

こうした判決は事後的ではあるものの、踏み越え(犯罪)に対して言葉を与え、人生の中に位置づけて、人生に意味を与え直すという意味で治療的です。

上記は事後的な言語化の意味と効用になりますが、皮肉なことに、行動化(犯罪を含む)自体もまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力があります。

行動には「一にして全」という性格があり、行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がありません。

さらに、行動化は、それが暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与えてくれるものです(自分はこういう理由で殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など)。

こういう統一感がある状況では、一時とは言え、日常の心配や葛藤は棚上げされるので、その場限りではあるが精神衛生に良いということになります。

さて、上記のように行動化にも一定の価値はあるわけですが、こうした行動化的な犯罪をしやすくなってしまう条件について挙げていきます。

  1. 踏み越えに対する倫理的な障壁が低くなっていること。
  2. 倫理には社会的側面もあり、尊敬する家族、先人、友人などが存在するか否かが大きい。自殺が身近で行われると、行き詰まりの解決法として自殺が選ばれやすくなる。これは犯罪も同様である。
  3. 問題解決への選択肢が少ないこと。イメージ化がうまくできないこと。
  4. 侵犯が見逃され、放置され、処罰されないこと。落書きが放置されると、次の落書きを生む。
  5. 踏み越えを容易にする手段が卑近なところにある。アメリカの殺人率の高さは銃規制の無さによる面が大きい。
  6. 踏み越えを容易にする制度を経験すること。軍隊体験などで人殺しの訓練を受けると、帰還兵が無意味な殺人を行ったり社会不適応になるなど。
  7. 踏み越えを容易にするイデオロギーの存在。
  8. 行動を共にする仲間の存在。集団での窃盗など。
  9. ヴァーチャルリアリティによる踏み越えの見聞と実体験。テレビは家族で見て対象化・客観化が可能であるが、ゲームのようなヴァーチャルリアリティでは、孤独の中で行われ、場の中に入り込み、かつ自分が不利な時にリセットができてしまう。
  10. 抑制され続けた自己破壊衝動が踏み越えをやさしくする場合がある。良い子や努力家には無理がかかっていることが多い。積み木を高々と積み上げて一気にガラガラと壊すのを快とする子どものように。
  11. 「やってしまった」という事実が、次の踏み越えを楽にする。
  12. 自尊心の低さと弱さ。
  13. 被害者がはっきりしない場合。陸軍よりも海軍がスマートに見えるのは、殺戮が見えないから。

これらが「踏み越え」的な行動化(犯罪等の問題行動も含む)を容易にする条件です。

本問に必要そうな情報を抜き出すと、①問題行動には「意識化」や「イメージ化」を飛び越えて、即行動化に移るルートもあり、これが規範や倫理を「踏み越える」という形で顕在化しやすい、②このような行動化ルートには精神衛生を良くする面が認められる、③こうした行動化ルートを容易くする条件が複数示されている、といったところでしょうか。

こういった知見を踏まえて、本問の各選択肢をみていきましょう。

まず「万引きはそのときが最初で最後であり、理由は自分でもよく分からない」という記述から考えられる問題を挙げていきましょう。

こちらから考えられるのは、クライエントに認知的な問題が生じている場合と、上記のようなイデアからの行動化ルートが生じた場合と考えられます。

認知的な問題は後半に述べるとして、今回のAの万引きは「意識化」や「イメージ化」をすっ飛ばして(とは言っても、これらを経るルートが常道というわけでもないけど)、即行動に移ってしまった場合であると考えられます。

そして、Aからは「義母の介護を一人で行っている」「なので自分の時間を持てない」「夫が介護はAの仕事であるとしている」などが語られています。

これらは「母親の介護が負担になっている(選択肢④)」「夫婦間コミュニケーションが不十分である(選択肢③)」を支持するものであり、非常に抑制の強い生活をAが送ってきたことがわかります。

上記の踏み越えをしやすくする条件にも、抑制され続けてきた自己破壊衝動という項目がありますが、Aの状況は怒りを抱え、万引きにはその解放という意味もあったように感じます(もちろん、Aにはそういう「意識」はありませんが)。

歪んだ形ではありますが、夫との関わりを取り戻すという意味もあったかもしれません(夫への攻撃性という面も含めてね)。

これらは「客観的に見たときのナラティブ」に過ぎませんが、こういう状況で問題行動を行ってしまうというルートがあることは既に理解できていると思います。

また「ストレスへの対処力が弱まっている(選択肢②)」についても、「母親の介護が負担になっている(選択肢④)」「夫婦間コミュニケーションが不十分である(選択肢③)」というストレスを万引きという形で表現しているという時点で、支持される内容と言えます。

対処力が失われていなければ、上記のようなストレスに対して現実的な対応(夫に訴える、施設やヘルパーの利用、家出など)を取ることができた可能性もありますね(初犯であるらしいことを踏まえれば)。

この論理の背景には「ストレスの対処力が高まっていれば、意識化やイメージ化が先に来るであろう」という前提がありますね。

その前提の怪しさは既に述べた通りではありますが、まぁ、一般論としては適切と言っておきましょう。

さて、最後にAに認知的な問題がある可能性についても考えてみましょう。

選択肢⑤に「Aに器質的疾患があるかどうかを確認する必要がある」とありますが、こちらは前頭側頭型認知症を想定しているものと考えられます。

前頭側頭型認知症では行動面の変化が際立っており、時には周囲のことを全く無視して自分勝手に行動するというように見えることがあります。

特に衝動のコントロール障害は、欲動の制止欠如とか、人格の情動的なコントロールの欠落などと表現されますし、思考において独特の投げやりな態度は考え不精と呼ばれます。

Aが示している「大好きなお菓子を万引きし、店を出てから食べているところを警備員に発見された」という一見奇妙な行動は、欲動の制止欠如によるものと見なすことが可能です。

「理由は自分でもよくわからない」というのも記憶障害というよりは(前頭側頭型認知症では近時記憶の障害は少ないことがある。時期によってだが)、独特な投げやりな態度(考え不精)という在り様であると見なすこともできます(ニュアンスがわからないので何とも言えませんが)。

ですから、「Aに器質的疾患があるかどうかを確認する必要がある」というのは、重要な視点であると言えますね。

以上より、選択肢②、選択肢③、選択肢④および選択肢⑤は適切と判断でき、除外することになります。

① Aは、窃盗症の疑いが強い。

ここでは、DSM-5の窃盗症の診断基準をまずは見ていきましょう。


A.個人用に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される。

B.窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり。

C.窃盗に及ぶ時の快感、満足、または開放感。

D.その盗みは、怒りまたは報復を表現するためのものではなく、妄想または幻覚への反応でもない。

E.その盗みは、素行症、躁病エピソード、または反社会性パーソナリティ障害ではうまく説明できない。


これとAの状況が一致するか確認していきましょう。

まずは基準Aは「万引きはそのときが最初で最後」とありますから、「物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される」という点と矛盾がありますね。

また、基準Aの「個人用に用いるためでもなく」は、「大好きなお菓子を万引きし、店を出てから食べているところを警備員に発見された」という点とも矛盾すると思われます。

さらに、基準Bの「窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり」についての言及もなく、基準Cの「窃盗に及ぶ時の快感、満足、または開放感」についても確認できず、むしろ平板な感じをAからは受けますね。

以上のように、本事例は窃盗症の事例と見立てるのは難しいと考えられます。

よって、選択肢①が不適切と判断でき、こちらを選択することになります。

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