学生相談の事例ですね。
事例内容から最も優先すべきことを選択する必要があります。
問62 22歳の男性A、大学4年生。公認心理師Bが所属する大学の学生相談室に来室した。Aは、6つの企業の就職面接に応募したが、全て不採用となり、就職活動を中断した。その後、就職の内定を得た友人が受講している授業に出席できなくなり、一人暮らしのアパートにひきこもり気味の生活になっている。Aは、「うまく寝付けなくなって、何事にもやる気が出ず、自分でも将来何がしたいのか分からなくなって絶望している」と訴えている。
BのAへの初期対応として、最も適切なものを1つ選べ。
① 就職活動を再開するよう励ます。
② 抑うつ状態のアセスメントを行う。
③ 保護者に連絡して、Aへの支援を求める。
④ 発達障害者のための就労支援施設を紹介する。
⑤ 単位を取得するために、授業に出席することを求める。
解答のポイント
事例の状態を踏まえ、最も優先すべき対応を選択できる。
選択肢の解説
② 抑うつ状態のアセスメントを行う。
本事例においてポイントになるのは「うまく寝付けなくなって、何事にもやる気が出ず、自分でも将来何がしたいのか分からなくなって絶望している」という訴えが出ていることです。
ここではDSM-5で示されている双極性障害の抑うつエピソード(うつ病の診断基準にも含まれている項目ですね)を示しておきましょう。
- その人自身の言葉(例:悲しみ、空虚感、または絶望を感じる)か、他者の観察(例:涙を流しているように見える)によって示される、ほとんど1日中、ほとんど毎日の抑うつ気分。 注:子どもや青年では易怒的な気分もありうる。
- ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味または喜びの著しい減退(その人の説明、または他者の観察によって示される)。
- 食事療法をしていないのに、有意の体重減少、または体重増加(例:1ヵ月で体重の5%以上の変化)。またはほとんど毎日の食欲の減退または増加。 注:子どもの場合、期待される体重増加が見られないことも考慮せよ。
- ほとんど毎日の不眠または過眠。
- ほとんど毎日の精神運動焦燥または制止(他者によって観察可能で、ただ単に落ち着きがないとか、のろくなったという主観的感覚ではないもの)。
- ほとんど毎日の疲労感、または気力の減退。
- ほとんど毎日の無価値感、または過剰であるか不適切な罪責感(妄想的であることもある。単に自分をとがめること、または病気になったことに対する罪悪感ではない)。)
- 思考力や集中力の減退、または決断困難がほとんど毎日認められる(その人自身の言明による、または他者によって観察される)。
- 死についての反復思考(死の恐怖だけではない)。特別な計画はないが反復的な自殺念慮、または自殺企図、または自殺するためのはっきりした計画。
これらを踏まえて、事例の状態を見ていきましょう。
「うまく寝付けなくなって」「何事にもやる気が出ず」「自分でも将来何がしたいのか分からなくなって絶望している」というのはそれぞれ抑うつエピソードに該当するものと見なすことができます。
もちろん、現時点ではAが抑うつ状態であるか否かはわかりませんが、明らかに「抑うつ状態の可能性がある」ということは言えるでしょう。
となると、支援において大切なのは、本選択肢にある「抑うつ状態のアセスメント」をまず行うことです。
抑うつ状態をどういう状態と見なすかはそれぞれ意見があるでしょうが、私は「脳が疲弊した状態」という神田橋條治先生の見解を採用しています。
そして、こうした「脳が疲弊した状態」で、他選択肢で示されているようなアプローチを行ったとしても効果が出ない可能性が高く、ひどい場合は悪化を招く恐れもあります。
つまり、「抑うつ状態であるか否か、または抑うつ状態の程度」を確認しないことには、その他のアプローチの導入の可否、その効果予測が難しくなりますから、まずは支援の基盤となるところ(すなわち抑うつ状態のアセスメント≒脳の疲弊具合)を見ていくことが最も優先される対応になるわけです。
また、抑うつ状態がひどい場合には、自殺の可能性も考慮せねばならず、そういった危機介入の手前の段階として、本選択肢の「抑うつ状態のアセスメント」を位置付けてアプローチしていくという視点も大切ですね。
以上より、本事例の初期対応として最も優先されるべきなのは「抑うつ状態のアセスメント」になります。
よって、選択肢②が適切と判断できます。
① 就職活動を再開するよう励ます。
⑤ 単位を取得するために、授業に出席することを求める。
ここで挙げた選択肢は、どれも「現実的な問題の改善を目指すアプローチ」と言えます。
就職活動も単位取得も、クライエントの人生において大切なことであることは間違いありません。
ですが、上述の選択肢解説で述べた通り、もしもクライエントが「抑うつ状態」であるならば、こうした現実的な方向性のアプローチがうまくいくための基盤自体が揺らいでしまっている状態と言えます。
そうなると、「効果がないことを提案している」というだけならいいのですが、就職活動の失敗等が堪えていると想定できるAに対して、カウンセラーが別の提案を行って「また失敗してしまった」という感覚の上塗りをしてしまう恐れまであります。
先ほども述べた通り、ここで挙げた選択肢は「現実的な問題の改善を目指すアプローチ」になります。
カウンセラーは、Aもそのことは承知であると前提を持つことが大切ですし、Aにとってこれらの提案は「正しいことがわかっている」内容であると言えます。
わかっていても動くことができていないAにとって、こうした提案は「正しい」けど「できない」可能性があり、しかも「正しい」が故に「反論できない」というものです。
現時点でAの状態が明らかではありませんから、「正しいことによってAを追い詰める」ということになりかねません。
ここで挙げた選択肢の対応は、まずAの状態を見極め、A自身に動く意欲の発露が見え始めたら、できればAの口からここで挙げた選択肢の内容が出てくるようになってから、カウンセラーとのやり取りの中で話題にしていけばよいだろうと思います。
個別的に選択肢を見ていくと、①の「就職活動を再開するよう励ます」というのも、就職活動に打ちひしがれて現状に至っているAにはなかなか厳しい提案だと感じますし、⑤の「単位を取得するために、授業に出席することを求める」も劣等感や恥の感覚が影響している可能性も考慮せねばなりませんね。
劣等感や恥の感覚については、それを「正面から感じる場所に行け」というアプローチは功を奏さないことが多いというのが経験上思います。
いずれにせよ、こうした具体的なアプローチは、Aの状態を見極めてから提案していくのが定石と言えるでしょう。
以上より、選択肢①および選択肢⑤は不適切と判断できます。
③ 保護者に連絡して、Aへの支援を求める。
保護者に連絡をするという対応を学生相談の場で採るならばどういう状況かを考えたとき、浮かぶのがAに何らかの精神医学的な問題がある場合が考えられます。
選択肢②の抑うつ状態のアセスメントを行って、その状態がひどい(例えば、希死念慮が強いなど)と判断されれば保護者に連絡することもあり得るでしょうが、現時点では精神医学的問題の軽重を判断できる段階まで行っていませんね。
まずAのアセスメントを行い、その上で検討する方針の一つとは言えますが、現状では真っ先に採るべき対応とは言えません。
ここでは、Aの現状を改めてまとめてみて、保護者を呼ぶ段階かどうかも考えてみましょう。
Aは「6つの企業の就職面接に応募したが、全て不採用となり、就職活動を中断した。その後、就職の内定を得た友人が受講している授業に出席できなくなり、一人暮らしのアパートにひきこもり気味の生活になっている」という状態です。
こうしたAの状況に関しては「文脈として理解できる」ものであると言えますよね(つまり、落ち込んだりすることは心情として理解しやすい)。
もちろん、Aの抑うつ状態のアセスメント次第ではありますが、私の経験上、こうした「現実的な壁」にぶち当たって落ち込んでいるという状態は、即座に保護者を呼ぶようなことをしません。
なぜなら、こうした出来事は当人の「成長のための痛み」という側面も持っており、ここからどのように自ら及び社会と向き合っていくかが、Aの今後においても重要であると考えるからです。
現在の小学校~大学のルートでは、昔に比べて心理的衝撃に出会うことがぐっと少なくなりました。
特に、受験を中心とした「自らの能力を査定されて、それによって取捨選択される側に置かれる」という体験は、少子化や学校数の増加によって形骸化し、そうした心理的負担を経験することなく成長することが多くなっています。
ですが、こうした体験は社会の中で少なからず経験するものですし、Aの体験が飛び抜けて苛烈な苦境であるとは言えないというのも客観的には言えるはずです(だから、抑うつ的になるのはおかしいとか、甘いんだというのは見当違いですが)。
こうした「今後の社会生活の中でも経験することが想定されている心理的衝撃に出会い、それに苦しんでいる」という状態であるならば、支援者に必要なのは、この苦境をAの成長の機会と捉えて、どのように通過していくかを支援者として考えていくことですね。
ですから、こうした見立てができるならば、保護者という「どう作用するかわからない強力な因子(Aの親子関係も不明な状態ですからね)」を入れてしまうことには支援者として抵抗感が出てくるはずです(もちろん、Aの状態によっては躊躇ってはいけませんが)。
余談ではありますが、こうした「成長の痛み」を不要なものとして排除しようとする風潮があるように思います。
人間が社会との関わりで感じる痛みを「成長の痛み」と「不要な痛み」に分類するならば、前者はどう体験するかが大切(例えば、仕事の失敗などですね。仕事で失敗して叱られたり注意されるのは、その人に「責任」があるからです)ですし、後者はどう避けるかが大切(例えば、パワハラなどですね)です。
近年の傾向として「成長の痛み」を「不要な痛み」と見なす、例えば、失敗して注意されているだけなのに「パワハラだ」と怒って辞める、などの傾向が見られます。
こうした背景には、「自分が不快だと思ったら、それはおかしい状況なんだ」「自分がイヤな気持ちになるのは、そうさせる方が悪いんだ」という誤った信念を有している場合が多いです。
こういう人は、次の職場でも同じことが起こり、それを繰り返すうちに「失敗しても注意されない立場」になっていきますが、それは社会的地位が著しく低下するということを指します。
「失敗しても注意されない立場」というのは「失敗しても屁でもないような仕事」「責任がないから失敗しても注意されない」ということですから、おそらく仕事している本人にとっても喜ぶべき状況ではないと考えられます。
我々のような人と関わる仕事では失敗がつきものですから、失敗を「隠さず」「人のせいにせず」自分のものとして受け入れていきたいですね。
このように、保護者に連絡して、Aへの支援を求めるという対応は、いくつかの視点で性急すぎると考えられます。
よって、選択肢③は不適切と判断できます。
④ 発達障害者のための就労支援施設を紹介する。
本選択肢は真っ先に外してよさそうですね。
まず、事例状況では「6つの企業の就職面接に応募したが、全て不採用となり、就職活動を中断した。その後、就職の内定を得た友人が受講している授業に出席できなくなり、一人暮らしのアパートにひきこもり気味の生活になっている」とありますが、Aが不採用になったのもひきこもり気味になったのも発達的な要素が背景にあるという情報は見当たりません。
もちろん、その可能性を考えることは支援者としてあってよいのですが、それが明らかになっていない中で「(Aが)発達障害者のため」という決めつけで動くのは言語道断ですね。
またそうした決めつけに基づいて「就労支援施設を紹介する」というのも現実的な対応とは言えないと考えられます。
まずはAの状態をアセスメントし、その中で発達的な要素が見立てられるならば、Aの状態を踏まえてその点についてやり取りしていくことも考えますが、大学4年生まで成長していることを考えると発達障害を第一選択にするのは無理があるように思います(もちろん、就職を機に明らかになるというケースがあるのは承知しているが)。
いずれにせよ、就職活動の不振もひきこもり気味なのも、端的に発達障害が原因と考えるのは拙速ですね。
まずは他選択肢でも述べた通り、Aの抑うつ状態のアセスメントが優先されるべきであり、そのアセスメントの中で発達上気がかりな点があれば頭に入れておくというくらいが良いだろうと思います。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。