不登校事例への対応に関する問題です。
本問では私の不登校臨床における考えを述べ、それを踏まえて各選択肢の解説を行っています。
色々述べていますが、結局は「具体的な対応を取るのであれば、ちゃんと見立てをしてからにしてね」ということです。
問147 12歳の女児 A、小学6年生。Aは、7月初旬から休み始め、10月に入っても登校しなかったが、10月初旬の運動会が終わった翌週から週に一度ほど午前10時頃に一人で登校し、夕方まで保健室で過ごしている。担任教師は、Aと話をしたり、保護者と連絡を取ったりしながら、Aの欠席の原因を考えているが、Aの欠席の原因は分からないという。スクールカウンセラーBがAと保健室で面接した。Aは「教室には絶対に行きたくない」と言っている。
BのAへの対応として、不適切なものを1つ選べ。
① 可能であれば保護者にAの様子を尋ねる。
② Aがいじめ被害に遭っていないかを確認する。
③ 家庭の状況について情報を収集し、虐待のリスクを検討する。
④ 養護教諭と連携し、Aに身体症状がないかどうかを確認する。
⑤ Aが毎日登校することを第一目標と考え、そのための支援方法を考える。
解答のポイント
不登校臨床における見立てのポイントとその理由を説明できる。
支援の順番(見立て→対応)を誤らない。
選択肢の解説
① 可能であれば保護者にAの様子を尋ねる。
まず、本問の解説に入る前に、不登校に関する大まかな理解をしておく必要があります。
なぜなら、本問は不登校の「原因」について探ることが前提となっている内容だからです。
本来、不登校の対応で「原因探し」をすることには、それほど意味はありません。
しかし、本事例では例外的に「原因探し」をすることに積極的になる根拠があります。
本問全体の考え方に係わる事柄ですから、その辺の理路をきちんと理解したうえで、選択肢の解説に入っていきましょう。
先述の通り、不登校臨床では「原因探し」をすることにそれほど大きな支援効果は見られないのが一般的です。
約7~8年位前まで主流だった不登校に「優等生の息切れ型」と言われるようなタイプがありますが、彼らは長い期間の「心の生活習慣」によって不登校の状態に至っていることが多いです。
例えば、自分の気持ちを抑え込み、親をはじめとした周囲に合わせるといった「心の生活習慣」によって、自分の不穏感情に気づき・消化するといった、多くの人にとって無自覚に行っている心の健康法が阻害されている場合などです。
このような「心の生活習慣」によって、自身の心に負担がかかっているにも関わらず、それに気づくことができず、ついには本人にも訳が分からない形で「体が動かない」「頭痛や腹痛」「なぜかわからないけど学校にいけない」といった問題が出てきます。
こうした長い期間の「心の生活習慣」によって不登校が生じている場合、当然の帰結として「当人にも不登校の原因がわからない」という状態になります。
おそらく正直な不登校児であれば、なぜ学校に行けないのか問われても「わからない」と答えるでしょうし、実はそれが一番適切な答えなのです。
しかし、周囲が繰り返し「不登校の原因」を尋ねることで、子どもの「周囲に合わせる」というパターンが活性化し、周囲が納得するような「原因」を述べるようになります(すなわち、それが本当の原因ではない)。
ただ、それは子どもにとって「ちょっとした嫌なこと」程度であることが多く、学校に行けなくなるにはあまりにも軽微な「原因」であったり、その「原因」を解決しても登校できないままであるということがほとんどです。
さらに厄介なことに、周囲が原因を聞きすぎることで、子ども自身が自分の話した「原因」を本当に「原因」であると思い込んでしまう恐れもあるのです(自分で自分に洗脳をかけるようなイメージに近い)。
このような観点から、こうした「心の生活習慣」によって不登校になっている事例に対して、私は「原因を繰り返し聞くことはマイナスになることが多い」と周囲に伝えるようにしています(上記のような理由も添えて)。
そのうえで、普段の子どもの対人関係パターンや保護者の関わり等から「心の生活習慣」に問題がないかを見立てていくようにしていきます。
これらを踏まえると、本事例の「担任教師は、Aと話をしたり、保護者と連絡を取ったりしながら、Aの欠席の原因を考えているが、Aの欠席の原因は分からないという」という状況は、不登校臨床のベースというか一般的な状況と言えます。
つまり、不登校臨床における基本的な構えとして「不登校には明確な原因があり、それを解決すれば登校できる」と考えるのは誤りであるということです。
これは論理的思考が染みついている大人であるほど離れることが難しいようですが、実践で支援をしている多くの人が「子どもの語る原因を一つひとつ解決しても、不登校が改善しない」という事態は経験しているはずです。
これは臨床全般に言えることかもしれませんが「原因論をひっくり返せば、治療論になるのではない」ということですね(中井久夫先生の言葉です)。
ただし、不登校であっても積極的に原因を聞いた方が良い事例もあります。
それは「心の生活習慣」には大きな問題がないにも関わらず、「いじめ」「家庭問題」といった直近の具体的な出来事によって心身のバランスを崩した末の不登校である場合です。
こういう事態の場合は、その「具体的な出来事」を聞き、その出来事の質に応じた「具体的な対応」を取っていくことになります。
さて、これらを踏まえて、事例の内容を見ていきましょう。
実は、本事例は、この「積極的に原因を聞いた方が良い事例」である可能性があるのです。
それはどの箇所かというと「Aは「教室には絶対に行きたくない」と言っている」というところです。
「心の生活習慣」で不登校になっている事例の場合、学校や教室に行くべきであるという認識を強く持っていることが多く、上記のように「教室には絶対に行きたくない」と言うことはあまりないことです。
もちろん、遠慮がちに「行きたくない」と述べる子どもは多いのですが、本事例のように「絶対に行きたくない」という強い意志のもと「拒否」する場合には、その背景には明確な理由が存在している可能性を考える必要があります。
そもそも「拒否」というのは強い意志の現われであり、そこまでの強い意志をもつのであれば、何か明確な理由を有していると捉えるのが自然でしょう。
すなわち、本事例においては「心の生活習慣」を同定するよりも先に、何か具体的にAが教室に行くことを拒む出来事がなかったかを探っていくことが重要になってきます。
もちろん、不登校にも様々なタイプがあり、最近増えてきた新しいタイプの不登校は強い拒否を示す場合もありますが原因探しが役に立たないので一概には言えないのですが。
実は、ここまでは各選択肢の解説に入る「前提」になります。
こうした見立てを踏まえて、各選択肢の適不適の判断をしていくことが重要です。
本選択肢の「保護者にAの様子を尋ねる」という対応については、不登校児がどのような状況や特徴をもっていようが有効であると言えます。
明確な原因があるならば保護者の前で何かを語ってはいないか、「心の生活習慣」に課題があるならば幼いころからどのような子どもであったか、といった様々な視点から情報収集することが可能になります。
また、どのような状況や特徴をもっていようが、不登校児に共通した支援もあります。
例えば、不登校児が学校に行っていないことに罪悪感を持った様子が見えるならば(家族と顔を合わさないようにしている、自室に閉じこもっている、申し訳なさから手伝いをするようになっている等)、保護者が罪悪感を強めるような関わりをせず、家の中で安全感を持てるようになることが当面の目標になります。
学校に行っていない子どもは、必ずと言ってよいほど罪悪感を抱えているものですが、それが子どもの内側から生じている分には仕方ないのですが、保護者の関わりによってそれが高められているのなら、それは避ける必要があります。
年少であるほど、子どもの安全感は「家の安全感」が基準になります(居場所論が語られるような年齢になると変わってきますが、年少であれば間違いなくそうです)。
例えば、家の安全感が10だとすると家の外の安全感は8とか7になり、家の安全感が5しかないと家の外の安全感は3とか2になってしまいます(だから、「家の居心地を良くしたら学校に余計行かなくなるのでは」という理屈は間違いです。家の居心地を良くしないと不登校児は学校に行きません)。
ですから、保護者と話し合い、家の安全感を高めるような関わりは、不登校支援の基本とも言えます。
上記で挙げたのは、不登校支援の理解のほんの一端ですし、示した方針はごく一部にすぎませんが、不登校児の保護者に会うことに支援上重要な価値があることがわかると思います。
これは「不登校の原因が保護者にある」ことを意味しているのではなく、「不登校児を元気にしていくために、いま現在不登校児が過ごしている家の中の関わりを考えていく」ことが重要だからです。
このように、保護者に会うことは「不登校児を見立てる」ためにも、「不登校児を支援していく」ためにも大切なアプローチです。
よって、選択肢①は適切と判断でき、除外することになります。
② Aがいじめ被害に遭っていないかを確認する。
③ 家庭の状況について情報を収集し、虐待のリスクを検討する。
これらの選択肢はAの不登校に「原因」があるのではないかと見なしての対応になります。
特に選択肢②のいじめ被害の可能性を確認することは重要と言えます。
「教室には絶対に行きたくない」と言っていることからも、教室内での対人関係に何らかの問題がないかをチェックすることは当然行われる必要があるからです。
その結果、いじめをはじめとした教室内の対人関係に「普通の学校生活を送っていれば生じるであろう一定の対人関係上のいざこざ」以上の問題があると見立てられれば、そちらの改善を学校・保護者・SC等の関係者で目指していくことになります。
いじめの存在がわかれば、学校側はAの安全を保障し、それを実行するだけの具体的な方法を示すことが重要になります。
また、選択肢③の虐待のリスクですが、本事例では虐待の可能性を示す様子が全く描かれていません。
ですが、先述の通り、子どもの学校での安全感は家の中の安全感が基準となって決定されます(子どもが幼いほど、子どもの世界が狭いほど。言い換えれば、精神的に発達しており世界が広いほど、この定式は当てはまらない)。
その意味で、家庭内で虐待をはじめとした「子どもの安全感を損ねる状況」が存在しないかを見立てることは、不登校支援全般において必要な手続きです。
虐待にも様々なものがあり(単純に法律上の4種だけのことを言っているのではない)、過剰に塾や習い事をさせていたり、躾と称してきょうだい間で差をつけていたり、能力に見合わない要求をしている等もあり得ます(これらは愛情表現として顕在化している場合も多く、また、権利上子どもの養育には保護者が第一義的な責任をもつ以上、あまり外部が口出しできないことも多い)。
こうした関わりは法律上の虐待と言えるか微妙なラインになりますが、いわゆる「マルトリートメント(不適切な養育)」に該当する関わりであると言え、不登校の要因になることも多いです。
担任が保護者と連絡を取れていることを踏まえると、そこまで明確な虐待が存在することを前提にはしないので、「虐待のリスク」を考えながら関わるというよりも、上記のような家の中の安全を損ねるような状況がないかチェックするようなイメージが良いでしょう。
とは言え、「家の中の安全を損ねるような状況」の中に「虐待」も含まれることから、このアプローチを通して「虐待のリスク」を見立てていくのは間違いありませんね。
以上より、ここで挙げた選択肢のようにAが学校に行きたがらない明確な「原因」を考えていくことは、本問の状況(「教室には絶対に行きたくない」と明確な意思を見せている)においては重要であると言えます。
よって、選択肢②および選択肢③は適切と判断でき、除外することになります。
④ 養護教諭と連携し、Aに身体症状がないかどうかを確認する。
こちらについては、不登校の原因というよりも、Aの状況や状態を知るために必要な手続きと言えます。
不登校の身体症状は、それ自体が不登校の原因ではなく、何かしらの不穏感情が存在し、それが身体症状となって現れていると見なすのが一般的です。
実践ではそこまで明確に線引きはできないのですが、一般的な理解として「不穏感情を抑え込んでいるために(抑圧している。つまり自覚がない)、それが身体症状となって顕在化している」と見なします。
身体症状が存在すれば、その背景にある「不穏感情」がどういったものかを見立てて、そこにアプローチをかけていくことになります。
ただし、この場合の「不穏感情」は本人に自覚されていることが少ないため、状況から仮説を立ててアプローチするのが一般的であり、その意味で教職員からの情報や、保護者との面談で得られる情報は貴重になります。
なお、こうした事例においては、「不穏感情」をもたらしている状況よりも、「不穏感情」を自覚して表現・消化するといった多くの人が自然に行っている対処法が機能していない方が問題であることが多いので(つまり、「心の生活習慣」に問題があることが多い)、単純な「原因→結果」という理屈では括れない場合も多いです。
また、本選択肢から「身体症状のために不登校になっている」という理路を思い浮かべ、だから「身体症状の有無を確認するという対応が必要なのだ」と考える人もいるでしょう。
それは正しいですが、この考えを第一にもってくるのは不登校臨床においては適切ではありません。
不登校児の身体症状やそれを招いている疾患で最も多いのは、おそらく「起立性調節障害」であろうと思います。
「起立性調節障害」と診断され、こうした身体疾患のために不登校になっているという見立てが行われている事例を多く見ています。
しかし、不登校児は、学校に行けていないという罪悪感のために睡眠の質の低下、生活リズムの崩壊などが起こるのが一般的であり、この結果生じる状態像は「起立性調節障害」と酷似したものになります。
ですから、「起立性調節障害」の診断が付いたからといって、即座に「身体症状(もしくはその原因となる身体疾患)のために不登校になっている」と理解するのは早計であるということです。
臨床全般に言えることですが、クライエントの心理的問題の在り処を正しく認識しないと(すなわち、見立てが適切でないと)、クライエントの心理的問題の改善は遅々として進まないということになります。
つまり、本事例に即して言えば、本当は不登校状況などによる心理的な負担によって身体症状が生じているのに、身体症状のために不登校になっているという間違った見立てをもつことによって、Aの不登校は改善しにくくなってしまうということです。
「卵が先か鶏が先か」という話ですが、ここを間違うとロクなことがないので、複数の可能性を同時に頭の中に思い浮かべておく、すなわち、一つの可能性に早期から絞ってしまわない程度の複雑性を支援者は抱えておくことが重要になります。
もちろん、不登校状態に至る以前から身体疾患やそのための不調が存在し、そのために苦労していたことが認められれば、身体疾患による不登校である可能性がぐっと高まることは言うまでもありません。
その場合は、その身体疾患の改善を第一にすることが重要であり、その治療方針に反しない程度の心理的支援をスクールカウンセラーとしては考えていくことになります。
以上のように、身体症状の存在を確かめることは、支援や見立ての上で重要なアプローチと言えますね。
よって、選択肢④は適切と判断でき、除外することになります。
⑤ Aが毎日登校することを第一目標と考え、そのための支援方法を考える。
本選択肢の方針は、単純に手順違いです。
Aの不登校の状態にどのような背景があるのか理解する前に「毎日登校することを第一目標と考える」のは、時期尚早といえるでしょう。
特に、教室内での対人関係に一定強度を超えた問題(例えば、いじめなど)がある場合、「毎日登校することを第一目標と考える」のは明らかな誤りであり、この方針によってAの状態をさらに悪化させる可能性もあります。
ですから、本事例の状況は、まずはAの不登校状態の見立てを行う段階であり、具体的な方針を決めるのはその先になりますから「手順違い」ということになるわけです。
おそらく、本選択肢の対応が不適切であると考えた人は多いだろうと思うのですが、その理由として「不登校の支援において、毎日登校することを第一目標と考えるのは不適切」を挙げた人が多いのではないでしょうか。
それは間違いです。
不登校支援で「学校に行かなくてよい」という対応が染みついている支援者が多く、そうした支援者は上記のような理由を挙げてしまうのではないかと思います。
しかし、臨床全般に言えることですが、「ある方針が絶対に採用されない」ということはあり得ず、不登校支援において「毎日登校することを第一目標とする」ということも十分に考えられます。
本事例においては、あくまでも「見立てを行っている段階なので、見立ての前に方針が来るという手順違い」が不適切と判断する理由です。
Aが遅刻とは言え登校を始めている、おそらくはAにとってまだ安全感が保たれている保健室でなら過ごすことができる、といった状況に加え、教室での対人関係に問題がないなどが確認されれば、現在のAの登校がAの意思であるという確認のもと、毎日登校することを第一目標とすることも十分にあり得ます。
毎日登校し保健室で過ごすことで、保健室での安全感が教室やその場の場所にも拡大していくように工夫することが重要になってきます。
事例によっては、Aと仲の良い友人が保健室に会いに来る、担任が教室の様子を伝える、といったアプローチも有効になります(もちろん、このアプローチが有効であるという見立てをした上で実施することになります)。
なお、長く学校臨床をやってきた立場で言わせてもらえば、不登校事例において一律に「学校に行かなくてよいと伝える」という対応を取るのは「時代遅れ」です。
確かに、7~8年前までは、学校に行かせる圧力を減らす対応が功を奏した事例は多かったですが、ここ数年で不登校の状態像は大きく変化しています。
その変化の理由やどういった状態像かを示すのは本問の解説の枠組みを超えるので割愛しますが(それなりの専門家ならわかるだろう言い方をすれば「自己愛」の問題が深い事例が増えてきた)、そういった事例において「学校に行かなくてよい」という対応を取ることで、むしろ悪化してしまうことがあります。
正直、不登校事例を専門で見ていない支援者や機関であるほど、一律に「学校に行かなくてよい」という方針を伝えてしまっていることが多く、かえって不登校が長引く要因になっており、個人的には困ることが多いですね。
「毎日登校することを第一目標とする」にしても「学校に行かなくてよい」とするにしても、まずは不登校児の見立てを行って、その方針が改善につながるという理路をもって対応することが支援者の倫理です。
本選択肢では、こうした見立てを飛び越えて具体的な対応を打ち出している点で不適切と言えますね。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断でき、こちらを選択することになります。