心理検査がどういった社会的要請のもとに発展してきたかに関しての問題です。
ロールシャッハに関する部分では、ロールシャッハと無意識の理解との関係性を問われています。
ロールシャッハがどのように人格査定をするのか、という基本的な理解が問われていると言えるでしょう。
B.ロールシャッハ・テスト …… 無意識の理解
Rorschachが1921年に著した「精神診断学」の中で、「ほとんどすべての被験者は、この実験を想像力の検査と思ってしまう。このような考え方は、ごく一般的なので、実際には、これを、実験の一つの前提条件とみなすことができよう。それにもかかわらず、偶然できあがった形の判断は、直接想像力に頼るところはわずかであって、想像力を実験の前提条件と考える必要はない。想像力に恵まれた人が、想像力に乏しい人と異なる反応をすることは確かなのだが、被験者に想像の《おもむくがまま》にさせるか、あるいはあまり鼓舞しないかによって、その結果にはそれほど変化は起こってこない。(中略)偶然にできあがった図形の判断は、むしろ知覚や統覚の概念に属するものである」としています。
すなわち、彼は想像力の検査と考えた人々が内容分析に重きをおいたのに対して、彼は形式分析に重点をおいていたということです。
ちなみに「精神診断学」の副題が、『知覚診断的実験の方法と結果』となっており、さらにPiotrowski(1951)が、ロールシャッハテストを「知覚分析法」と呼んでいるのも、この検査が知覚という最も基本的な心的機能に、その手がかりを求めていることを十分に示しているといえるでしょう。
また、片口(1974)はロールシャッハ反応について「これは抑圧や無意識の概念を前提にしなくても生じる現象であろう。なぜなら、この被験者が、このようなロールシャッハ反応を示したのは、彼が現実の課題解決にあたって、一般的に、こうした処理の仕方をするその傾向が、ブロットの把握の仕方に反映されたにすぎないのである。つまり、それは抑圧によるものではなく、ただ単にそのような傾向、すなわち日常的・習慣的な生活における特徴的な行動様式が、ブロットの把握・処理に際して現われたとみることができるのである」としており、ロールシャッハテストについては無意識の存在を前提としていないことが述べられています。
さて、解釈の中身で考えていくと、ロールシャッハでは「どこを見たのか」「いかに見たのか」「何を見たのか」で解釈を進めていきます(基本的には)。
特に「いかに見たのか」は重要であり、ロールシャッハ解釈の基本的骨子と言えるでしょう。
この「いかに見たのか」は、上記の知覚や統覚の概念、ブロットの把握・処理、といった表現であらわされていますね。
以上より、ロールシャッハテストは無意識の理解を目的としたものではなく、あくまでブロットの知覚の仕方から被験者の人格構造を理解しようとする試みと言えますから、本組み合わせは×と言えるでしょう。