久々の更新です。
パッと目についた問題を解いていきましょう。
きょう解説するのは、精神分析に関する問題です。
精神力動的な観点に基づく自我機能に関する記述に対し、その正誤判断を問う内容となっています。
防衛機制(defense mechanisms)とは、内的な不安に対して働き、内的安定を保つ自我の機能です。
Freud,S.は、抑圧を基本とする反動形成、やり直し、知性化、退行、同一化、否認、投影などを明らかにしたが、Klein,M.は、スプリッティング、投影同一化、躁的防衛、原始的否認などの原始的防衛機制を明らかにしています。
防衛とは、耐え難い不安、不快、苦痛、罪悪感、恥などの体験をひきおこすような情動や欲動を、意識から追い払い、無意識化してしまう自我の作用の総体を指します。
その目的は、精神内界の主観的意識的安定を保つことであり、そうした自我の意識的、無意識的な働きを防衛と呼ぶのです。
人の情動生活において、突然の変化に対して耐えられるか、あるいは我慢できる範囲内に情動をとどめておくために防衛は呼び起こされます。
また、防衛は、生物学的欲動の突然の増大をそらせたり、延期したりすることで心理的な平衡を回復させたり、さらに、未解決の葛藤を処理するために使われるものです。
非常に単純な言い方をすれば、防衛機制が発動されるということは「自我が耐えられないような内的不穏」があり、それとの正面衝突を避けるために「解決にならないけど、不穏の圧力を下げる対処法」を行ったということです。
大切なのは、多くの防衛機制は「それが生み出された当時は、なかなかイイカンジの対処法」として機能していたということです。
投影(自分の思いを相手が持っていると感じる)などの防衛機制も、幼児が行えばごく普通のものであり、むしろそれがあるからこそ精神発達が促されるという面もあるわけです。
しかし、年齢を重ねてもなお投影を乱発すれば、当然対人関係上に何らかの支障をきたすことになるわけですね。
つまり何が言いたいのか。
クライエントの防衛を前にして、防衛を「良くないもの」と見なして関わるのは、クライエントの歴史に対する無理解の極みになるということです。
防衛が、今のクライエントの社会生活をどれだけ損なっていようが、そのクライエントを支えてきた功労者であるという視点がなければ、クライエントと共に「その防衛機制以外の新たな対処行動」を加えていくための対話をしていくことは不可能です。
さて、精神分析的自我心理学が明らかにした自我機能としては、Beres,D.(1956)が7つの自我機能を示していますね。
- 現実との関係
- 本能的欲動の調整・コントロール
- 対象関係
- 思考過程
- 防衛機能
- 自律過程
- 総合機能
- 自律的機能
- 自我を助ける適応的退行
- 統合-統合機能
- 支配-達成の能力
- 現実検討
- 判断
- 外界と自己に関する現実感
- 各自我機能の関連づけ
- 欲動、情動、衝動の調整とコントロール
- 防衛機能
- 対象関係
- 刺激防壁
A.現実検討(reality testing)は、主観的な観念や、表象や認識が、客観的な現実と一致しているかどうかを検討する機能である。
現実検討(reality-testing)とは、本人の主観の中で描き出している表象、知覚、空想、あるいは妄想などと現実を照合する機能のことです。
現実検討には、外的リアリティに関するものと、過去の記憶、現在の自分の欲動や情緒、心的葛藤などの内的リアリティに関するものがあります。
Freud,S.は「夢理論のメタ心理学的補遺(1917)」で現実検討についてより体系的に論じ、現実検討は、運動により制御できる外からの刺激と、運動では除去できない内からの刺激の識別を可能にする機能であると定義し、この機能は意識系に属すると考えました(意識系が運動をつかさどるから)。
そして、フロイトはこの機能を「自我の重要な機能」に一つに位置付けました。
さらに現実検討は、外的現実についてのみならず、自己の情緒状態をはじめ洞察過程に見られるように、内的現実についても働くとされています。
現実検討には、精神内界および外界現実に関する正確な知覚と得られた諸知覚を経験全体の脈絡の中に位置づける判断が関与し、不安や感情状態にも影響を受けるとともに記憶、思考、防衛機能といった自我機能と相互関連性をもっています。
激しい感情状態にある場合、意識障害、幻覚妄想状態にある場合にはその機能低下がみられることもありますね。
解離性障害で現実検討力が低下するか否かという問いが、臨床心理士資格試験問題では何回か出ていましたね。
以上より、選択肢Aは〇と判断できます。
B.自律性(autonomous)機能は、主要な依存対象から、心理的に分離個体化する機能である。
自律的自我機能(autonomic function)とは、不安や罪悪感、欲動の高まり、内的な葛藤、外的な環境からの圧力などに対して自立的に働く自我機能で、パーソナリティの正常な働きを支えています。
欲動や外界の現実といった内外の圧力のなすがままになる受動的で影響を大きく受けるあり方とは違い、自ら内外の刺激を弁別し情報処理して、防衛的適応的な判断・調節・対処を自力で打ち出しまた必要な防衛を働かせるあり方を実現する心的機能・構造とされていますね。
Hartmann,H.が特に重視した。自律性の理解は、Piaget,J.やKohlberg,L.が道徳判断の発達の道筋とした「無律anomy」(元初の無秩序状態)、「他律heteronomy」(社会的要請、慣習への服従)、そして普遍原理を踏まえつつ個人の基準に即する「自律」という3つの大きな段階推移も参考にすると良いでしょう。
一方、問題文の記述は、Bellakが挙げた対象関係(object-relation)と考えられます。
ここでの対象関係とは、心の中の内的対象との、そして、自分の外の実際の人々、つまり外的対象の関わりの両者に関する自我の機能を指しています。
この点で外的な対人関係だけを取り上げる対人関係機能と区別されますね。
さて、ここでの対象関係とは以下のような特徴を持ちます。
まず第1に、他者との間である程度の敵意や憎しみを伴っても、愛情のある友好的な絆をつくり上げ保つ自我の機能です。
第2に、この情緒的な対象関係を維持する関係の質とその水準は、依存と自立の葛藤、サド・マゾ的な結びつき、対象が自分から離れると起こる強い分離不安、見捨てられ抑うつの起こる程度、情緒的な対象恒常性、内在化、自己と対象との関係における愛と憎しみのアンビバレンスを体験し、かかえる能力が問われます。
境界例水準ではよい対象を過度に理想化し、悪い対象を極端に迫害的とみなして、この2つの対象像を同一の相手に対して情緒的に統一できないまま、スプリットした対象関係を繰り返すとされています。
罪悪感や償いの気持ちを抱くような成熟した対象関係を持った、正常・神経症水準の対象関係の未熟さということですね。
他者を自己と分離した個として情緒的に体験することができず、相手が自分の思うとおりにならないと、怒りや傷つきが起こる。強迫神経症の場合、他者を所有し、支配する強迫的コントロールが顕著で、自己愛パーソナリティの場合には、他者を自己-対象とみなし自分の自己愛満足の手段としてしか認識しないで搾取する、と理論的には見なされます。
以上より、選択肢Bは×と判断できますね。
C.防衛(defensive)機能は、外界の他者からの攻撃や脅威に対して、自己を防御して安全を保つ機能である。
普通、防衛という言葉は外界に対して自分の身を守ることを言いますけど、精神分析では、自分の内面に向かって働いている、内面で自分を安定させておくための機能のことを指します。
ぐっと内面に抑え込んでいる場合もあれば、ちらちら出てこようとする場合もあります。
まずは前意識に出てくれば前意識でも抑える、そして、意識領域に出てくれば意識領域でも抑えるということをやっていくわけです。
いずれにせよ、表に出てくることがあるわけですが、単純にそのまま出るのではなく姿かたちを変えて出てくることも多いとされています。
その他にも超自我(一般的には躾で身に付くものとされていますね)の厳しい要求があった場合、それに従うと自分がつぶれてしまうという時には、超自我を黙らせるために色んな口実や言い訳をするような、不安や罪悪感に対する防衛というのもあります。
こういう仕事全部を「防衛」と呼ぶのです。
とにかく、精神分析で防衛といったら、内に向かって自分で自分に対してやっていることだという認識が重要です。
外に向かってやっているのは「適応機能」というものになります。
以上より、選択肢Cは×と判断できます。
D.判断(judgment)機能は、自分の行動について、社会的評価、危険性の有無、社会的損害を被ることになるかどうかについて、適切に予測し、判断の妥当性をはかる機能である。
気分の高揚や、自己愛の過剰、不安ないし不安に対する恐怖症対抗的な態度などによって、この自我機能の乱れが起こります。
例えば、躁状態で葬式の席で高笑いをしたり、自己愛人格で会議に遅れながらそんなことは全く無視していきなり大きな発言をする、当然見つかるのが分かっているのにカンニングをしてしまうとか、社会的な損害を被ることが常識的に予測されるにも関わらず甘い判断や予測でそれをやってしまう、などです。
また逆に、回避性パーソナリティ障害では、全くそのような現実の危険がないにも関わらず、過度に不安になってその場面に行けなくなってしまうなどもあります。
以上より、選択肢Dは〇と判断できます。