臨床心理士 精神分析学:H17-55

昨日解説を行ったH17-54の続きになります。
下記の事例に対し、その初期においてどのような対応をするのが適切なのか、を答える問題になっています。
精神医学というよりも、精神分析的な理解が重要な問題になっていますね。

【事例B】
 58歳の女性が「不眠・頭痛」「記憶が飛ぶことがある」と訴えて内科を受診した。精密検査の結果、問題がなく、精神科の受診を勧められて来室し、臨床心理面接を開始した事例である。
 記憶が飛んだのは「息子の婚約者との会食の日程を、息子は伝えたというが記憶がない」「娘の振袖をどこかへ仕舞い忘れた」という2点であった。他の日常生活はきちんとしており、むしろ落ち度のない人で、夫と2人の子どもと暮らしている。近所に夫の親も住んでいる。2年前に姑が亡くなり、以来不安定な状態になっていた。この姑には結婚を反対されたこともあり、気を遣って暮らし、最後まで嫁としてつかえ通した。現在も舅に食事を届けるなどの世話をしている。
 夫と息子と娘は同じ大学を出ており、話も合う。本人だけが仲間に入れない感じがしている。息子が勤務先の女性と仲良くなり、両者の両親が会うことになり、日程を息子は言ったというが、その記憶が全くない。そこで息子は自分たちの結婚に母が反対していて意地悪をしているようにとった。本人としては自分たちの結婚のこともあり反対はしていない。娘の振袖の件も、娘は母が意地悪をして隠したととっていた。不眠・頭痛も加わり、病院への受診にいたった。

既にH17-54で答えたとおり、この事例の記憶障害の理解として、ヒステリー性健忘と見なすのが適切だろうとなっています。
ヒステリー性健忘はDSMで言えば解離性障害群に該当します。
乱暴に翻訳すれば「心因性の健忘症」ということです。
本問は上記を踏まえ、具体的な対応に関する問題になっています。

A.自分の正当性が承認される対象を求めて操作的に行動する傾向があるので、操作に乗らないように早めに介入することが必要である。

まずは選択肢前半の「自分の正当性が承認される対象を求めて操作的に行動する傾向がある」という点の検証を行いましょう。
事例を読む限り、クライエントに操作的な言動は見られないように思われます。

この事例において、操作的な言動とはどのようなものになるか考えてみましょう。
そもそも、心理療法において「操作」とはどういう意味なのかを理解しておくことが大切です。
一般的に思われるような「思惑通りに動かすこと」ではありません(それでは意識的すぎる)。
正式な心理学用語というわけではないので明確な定義は難しいのですが、心理療法で用いられる「操作」とは、その人の内的な欲求が成就する方向に動かされること、であると言えると思います。
投影性同一視の機制では、よくその辺の説明がなされますね。

本事例のクライエントが抱えている内的な欲求とは、おそらく「息子の結婚相手が気に入らない」ということが挙げられると思います(他にも、家族のために献身してきた自分にもっと注目せよというのもあるかもしれないですね)。
そして、クライエントが操作したというのであれば、周囲が結婚自体や結婚相手に対してネガティブな思いを抱くようになっていることが重要です。
しかし、本事例ではそういうことは起こっていませんね。

また、選択肢にあるような「正当性が承認される対象を求めて」というような記述は一切見られません。
こういう対象になりやすいのが支援者であるカウンセラーなわけですが、そういうやりとりは見当たりませんね。

これで本選択肢は棄却されるわけですが、一応、選択肢後半部分についても言及しておきましょう。
「操作に乗らないように早めに介入することが必要」とありますが、これはよく読んでみれば意味が分かりません。
まるで「早めに介入すれば操作に乗らずに済む」と言わんばかりですが、介入の早い・遅いという話ではないだろうと思います。
もちろん、操作されてカウンセラーがアクティングアウトしてしまったり、見立てが大きくずれてしまった後では修正が困難な場合も多いのですが。

また、「操作に乗らないようにする」という心構えもいただけません。
それでは水面下で「操作したいクライエントvsされないようにしているカウンセラー」という対決が生じてしまいます。
対決自体はカウンセリングに必要なものですが、水面下で行われるとまずい場合も多いのです。

操作的なクライエントだと感じたならば、その心理機制を踏まえて関わる、というのが基本的な心構えになろうかと思います。
そしてクライエントの操作を把握した上で、そこからクライエントの内的な欲求の理解に努めることが重要になります(操作しようとする背景には、必ずクライエントの無意識の欲求がある)。
その理解を、今度はクライエントとのやり取りに落とし込んでいくことがカウンセリングで採られるだろう基本的な方針になるでしょう。
その具体的なやり取りの中身については、カウンセラー自身のパーソナリティも絡んでくることですね。

というわけで、本選択肢は不適切と判断できます。

B.思い通りにならないことは置き換えられて語られていることがあるとの理解をもって、話を聞くようにする。

本選択肢に答えるには「置き換え」の機制について理解することが大切です。
単純に言えば、欲求の向かう相手や、表現する手段や、表現するルートなどを、元のものからより心的負担が小さい相手・手段・ルートへ置き換えるということです。
いわゆる「八つ当たり」がこれに該当しますね(先生に怒られて、親に反抗的になるなど)。
カウンセリング場面で起こる転移現象も、置き換えと見なすことができますね(本当は親に向ける感情を、カウンセラーに向けるなど)。

ちょっと考えればわかりますが、実は置き換えは広範な概念です。
防衛機制の中でも大きな概念と言って良いでしょう。
例えば、知性化は知性的な面への置き換えですし、反動形成は逆のものに置き換えている、転換は身体症状への置き換えです。
要は、置き換えという広範な概念があって、置き換えられる相手・手段・ルートによって別の防衛機制の名前がついているということです(麺類とそば・うどん・ラーメンのような関係ですね)。

さて、本事例で言えば、クライエントの内的な欲求は「記憶障害」という症状に置き換えられているわけです。
その置き換えの延長として、「本人としては自分たちの結婚のこともあり反対はしていない」のように逆の思いがあることから、反動形成のニュアンスも見て取れますね。

このような置き換えが見られる場合、クライエントの本心が真っ直ぐな形で表現されるのではなく、歪曲して伝えられる可能性があることを予見しておくことが大切です。
置き換えるという方策は、コミュニケーション・パターンとして活用されやすいものの一つですから。

成田先生のご著書に書いてあった体験談ですが、クライエントにある解釈を伝え、その面接の終了時にクライエントから「昔、母親から嫌いな食べ物を食べさせられた」と述べたというエピソードがあります。
これは何を語っているのか?
クライエントは「いま私は嫌なものを押し付けられた」というメッセージを発したのです。
それを「昔、母親から嫌いな食べ物を食べさせられた」というエピソードを話すことで、クライエント自身も気がつかずにカウンセリングで感じた不満を伝えているのです。
重要なのは、これはクライエントも「無意識」に行っているということです。

実はカウンセリングにおいて、こういうことはままあります。
話題が変わったと思っても根底に流れているテーマは同じなど、こうした水脈の部分に対する理解ができるとクライエントの話に対する理解の深さやその後の対応がぐっと変わってきます。
本事例でも、そういうメッセージを送ってくる可能性があると見なすのは不自然ではないでしょう。

以上より、本選択肢は正しいと言えます。

C.反動形成の強い人なので、抵抗のあるところが一番言いたくないことになると考え、本人の語らないことを積極的に尋ねるようにする。

さて、先述の通りこのクライエントは「反動形成」を使う可能性はあります。
ですから「反動形成の強い人なので」までは、まぁ、良いとしましょう(強いと言っていいかどうかまでは判断付きませんが)。

ですが「抵抗のあるところが一番言いたくないことになると考え、本人の語らないことを積極的に尋ねるようにする」という方針はいただけません。
そもそも、クライエントの内的な欲求を「クライエントが認識すれば心理的衝撃が大きくて耐えられない」から、反動形成が生じているわけです。
防衛機制はその名の通り「クライエント(の自我)を防衛している」のです。

本選択肢の方針では、クライエントが防衛機制によって守っているところを丸裸にしようとしているわけです。
フロイトは、こういうやり方に対して「乱暴な分析」と呼んで批判していますし、その批判は現在でも通用するものです。
こうした「乱暴な分析」を行えば、クライエントは逃げ出すかますます防衛を強める結果になる場合がほとんどで、あまり良い結末を迎えることは無いでしょう。

では、いつまでも触れなくて良いのか、と言われればそうではありません。
こうしたクライエントの内的な欲求を見立て、しかし現在のクライエントはそのインパクトには耐え難いだろうという理解の上で「触れない」という態度は、それ自体が「介入」と言えます。
大切なことですからもう一度。「わかってて触れない」というアプローチは、それ自体が治療的な介入なのです。
この実践には「クライエントのつらいところに触れる覚悟・力」「クライエントと対決する力」が背景にあることが必須条件です。
「触れる力や覚悟がない」ということと、「触れることもできるが、触れないということが必要だから触れない」ということは全くの別物です。

また、ロジャーズ的に言えば、支持的なアプローチによって、クライエントは自らの防衛を脱いでいくことができるとも言えます。
ウィルヘラム・ライヒは防衛に対して「性格の鎧」と表現しました。
この「鎧」とは、いわゆる西洋の鎧のイメージです。
日本の鎧と違って、西洋の鎧は自立していますよね。
つまり「性格の鎧」を纏っていても、それを身に付けたまま生きていくことも可能という意味合いがあるのです。
ですが、ロジャーズの方針によって、その鎧を自ら脱いでいこうとする、ということが言えるのです。
この点については、次の選択肢で述べる内容でもありますね。

いずれにせよ、本選択肢は誤りと判断できます。

D.家庭内における家族関係のむなしさを共感しつつ話を聞く。

先述の通り、クライエントの内的な欲求に真正面から踏み込んでいくことは、かなり慎重にやらねばなりません。
特に本問は「その初期においてどのような対応をするのが適切なのか」という条件つきです。
面接の初期のような、あまりカウンセラーとの関係性が育っていない時点での強い心理的介入は控えるのが賢明でしょう。

それよりも、現時点の情報で明らかになっているクライエントの疎外感に対して、共感的な態度で関わっていくことは大切なことと言えそうです。
クライエントが一生懸命築いてきた家族なのに、どこか自分だけが仲間に入れない感じを持っている。
自分は姑に反対された結婚なのに、息子とその相手はそうではない。
自分だけを置いて、みんな自分勝手に自分の人生を生きようとしている。
そんなクライエントの思いをどうくみ取っていくかが大切だろうと思います。

そしてそうした思いを共感的に汲み取られたとクライエントが感じることができれば、徐々にその安心できる環境で「性格の鎧(種々の防衛機制)」を脱いでいくことができるのではないかと思われるのです。

というわけで、本選択肢は適切と言えそうです。

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