カウンセリングで起こった失錯行為の意味を選択する問題です。
クライエントの言動ではなく、カウンセラーのことを問題にしているのでやや珍しい形式であると言えます。
問140 25歳の男性A、両親と同居中。Aは、高校生のときにうつ状態になり、高校中退後、何も手につかず、目標を失った生活を送っていた。1年前から、公認心理師Bのカウンセリングを受け始めた。面接では、大学に進学できた同級生たちのことを、「恵まれた奴ら」であるとののしり、次第にBに対しても、「恵まれた人間であり、自分のことを見下してる」と非難するようになった。ある日の面接で、Bは自身のスケジュールを勘違いし、次回の面接を、翌週に面接ができるにもかかわらず、翌々週に設定した。
AとBの関係の中で生じているBの勘違いを精神分析の概念を用いて検討するうえで、最も適切なものを1つ選べ。
① 外在化
② 行動化
③ 知性化
④ 直面化
⑤ 同一化
選択肢の解説
① 外在化
② 行動化
③ 知性化
④ 直面化
⑤ 同一化
まず本事例で問われているのは、クライエント側のことではなく、カウンセラー側の「ある日の面接で、Bは自身のスケジュールを勘違いし、次回の面接を、翌週に面接ができるにもかかわらず、翌々週に設定した」という「うっかりミス」が精神分析的にどういう意味をもつかを答えよ、ということですね。
その前の経緯としては、A(クライエント)が「高校生のときにうつ状態、高校中退、その後は何も手につかず目標を失った生活」をしており、同級生を「恵まれた奴ら」と罵り、B(カウンセラー)に対しても「恵まれた人間であり、自分のことを見下してる」と非難するようになった…という流れですね。
こうした状況において、前述のようなカウンセラーの「うっかりミス」を説明する精神分析的概念を選択することが求められています。
以下では、本問で挙げられている選択肢を丁寧に見ていくことにしましょう。
まず防衛機制としての「外在化」「知性化」「同一化」を説明していきます(わざわざ「防衛機制としての」と付けているのは、特に「外在化」についてはナラティブセラピーの文脈で用いられることもあるからです)。
防衛機制とは、精神分析学の用語で、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムです。
自我の負担が大きくなったときの再適応のメカニズムと言えますが、これは固い表現ですので、もう少しわかりやすく述べていきましょう。
人は幼いころから、その状況において試行錯誤と工夫を繰り返しながら対処してきていますが、その中には「心にダイレクトに届くとダメージが大きいので、それを迂回するような工夫」がなされるようになっています。
有名な防衛機制の一つである「合理化」では、高い木に生っているブドウを「取りたいけど取れない」という無力感を軽減するために、「あれは酸っぱいブドウさ」と取らない理由を付けることで無力感をダイレクトに感じないような工夫をするわけです。
防衛機制はその時々の外界において、生体が身につけた対処パターンであると思っておくと良いでしょう。
防衛機制は上記の通り「その状況で生体が身につけた対処パターン」であるのですが、いくつか不都合な点があります。
まず一つは「迂回のパターンである」ということであり、真っすぐに問題を感じないように迂回して「間接的に問題に向き合う」やり方なので、どうしても「現実的な問題に対処したり受けとめたりするのが遅くなる」という問題があります。
ですから、精神分析学においては、クライエントが用いている防衛を理解し、その上で「防衛を使わなくて済むような環境」を構築したり、確かな見立ての上で「防衛を解釈する」ということを行っていきます。
防衛機制という迂回パターンがあると、どうしてもクライエントが問題に向き合うのが難しくなるという点は確かにあり得るだろうと思います。
もう一つの不都合な点は「時代遅れになりやすい」ということであり、その防衛を身につけた当時は「その状況にマッチした方法」であったものが、成長や状況の変化とともに時代遅れとなり、昔ほどの効果が得られない方法になってしまうのです。
特に「特定の防衛機制」だけを心に負担がかかるあらゆる状況で使ってしまうと、現実場面にそぐわない反応を連発してしまうことになってしまうわけです。
上記のような不都合さから、かねてから防衛機制は精神分析学において治療の対象だったり、それを阻害するものとして捉えられてきましたが、やはりその人を「救ってきたパターン」でもありますから、邪魔者として見なすよりは「温故知新」の精神で、その人のより良いパターンの創出のヒントとする方が望ましい姿勢であると思います。
本問で挙げられている防衛機制の意味は以下の通りです。
- 外在化:自分の問題を外の問題にする。自分が叱られたときに、それを外の問題であったと見なす。
- 知性化:感情や欲動を直接に意識化しないで、知的な認識や考えでコントロールしようとする。過度に整然と考えることによって感情から遠ざかり、受け入れ難い衝動から生じる不安から自身を防衛する。意識レベルでは「屁理屈」という感じになる。感情や痛みを難解な専門用語を延々と語るなどして観念化し、情緒から切り離す機制。
- 同一化:相手を取り入れて自分と同一と思う。自分にない名声や権威に自分を近づけることによって自分を高めようとすること。強いヤンキーと付き合った彼女が、自分が地元で偉くなったと感じているなど。
これらの説明からわかる通り、本事例においてはA→BでもB→Aでも、これらの防衛機制は使用されていません。
A→Bでなされていること(「恵まれた人間であり、自分のことを見下してる」と非難する)については、Aが自らについて「何もできていないダメなやつだ」という思いを抱いているが無意識領域に追いやっており、AがAに向けている考えを、Bが自ら(A)に向けているように感じていると見なすと、Aは「投影:自分自身が持っている感情を、自分が持っているのではなく他者が持っていると捉えること」という防衛機制を用いている可能性があります。
いずれにせよ、上記の防衛機制をBが用いているということはありませんね。
続いて「直面化」という概念について述べていきましょう。
類似の概念として、明確化および解釈というのもありますから、これらも併せて述べていくことにしましょう。
- 直面化:
特定の現象に注意を向けさせ、それが今後更に理解を深めなくてはならない問題であることを指摘していく。その態度や表現の背後にある欲求や感情が、今後、症状を見ていく上での重要な問題点であるということに気づかせ、直視させる。
態度を観察していて、目についた事実を指摘する。特に気づかないで反復されているもの、曖昧なもの、不自然なもの、矛盾しているものを指摘する。質問攻め、つるし上げ、批判にならないように注意すること。
「そのことを、もう少し具体的に述べてください」
「いつも自分の感情を抑えているように見えますが」
「悲しいと話されていますが、それが私には伝わってこないのですが」 - 明確化:
クライエントが直面し、今考えようとしている心の現象に鮮明に焦点を合わせていく。無関係なものから、重要な部分を浮き彫りにしていく。
意識的レベルにおいては、問題点の事実関係(いつ、どこで、誰が、何を、どんなふうに、どうした、そのときはどんな感じであったか)を質問によって明確にしていくことも含まれる。焦点をはっきりさせるために、カウンセラーの方からいくつか思い当たる具体的な内容や感情を言語化し、列挙して繰り返してみることもある。二人の間ではっきりしたことを互いに言葉で確認し合うこともある。
「どんなことから、いつもそのように周りを見るようになったのでしょう」
「お母さんのどういうところがそんなに嫌いなんですか」
「なぜ、私のことがそんなに気になるのか、おかしいと思いませんか」 - 解釈:
クライエントのこころを理解し、今、こころの中で起こっていることを伝えて、それに気づかせること。心の視野を拡大させること。
一般には、抵抗が出現した場合に取り上げる。なるべく陽性転移が生じている場合が良いとされている。無意識的なものが、まさに突出しようとしている瞬間に、それに名前を付けることによって、意識的なものになるよう手助けする(フェニヘル)。クライエントが、自力でほとんどわかっていることを告げる。なるべく、今、ここで起こっている過程に関連していることを取り上げる→転移の解釈が中軸、ひいては超自我に影響するような解釈。内容解釈よりも力動の解釈を:解釈する必要があるのは、事柄自体ではなく、それに伴っている情緒的経験である(フロム‐ライヒマン)。早すぎず、また深すぎないように。
「それは〇〇という意味ですか」
「表面的にはそんなことないようにしていますが、本当は〇〇な感じがしますね」
「そうやってお母さんに甘えようとしてきたみたいですね」
このように見ると、直面化‐明確化‐解釈はグラデーションを成しているように見えますね。
本事例において、例えば、カウンセラーがAに対して直面化を行うとしたら「私があなたを見下しているということについてですが、どういうところからそのように感じたのですか?」といった感じでしょうか。
解釈になると「それはあなたが自分に対して向けている考えを、私の考えであるかのように感じたのではないでしょうか?」といった感じかもしれないですね(この事例のこのタイミングで、ここまでの解釈はいきなりしない方が多いでしょうね)。
ただ、こうしたアプローチは本事例では行われていませんし、直面化が、カウンセラーの勘違い(ある日の面接で、Bは自身のスケジュールを勘違いし、次回の面接を、翌週に面接ができるにもかかわらず、翌々週に設定した)を説明する概念であるともいえないことがわかりますね。
さて、最後に「行動化」について述べていきましょう。
クライエントが自らの無意識的なテーマやそれと関連する体験を表出するのに、面接室外(これが「out」の部分の意味)で、行動的(これが「acting」を指す)にそれを表出することを指します。
クライエントの感情体験が言葉に置き換わって表現されたならば重要な発見がもたらされたであろう心理が、言語以外の表出の中に内的なエネルギーが吸収されてしまったために、せっかくの実りある発見を逃した、という意味がフロイトが示したアクティング・アウトなわけです。
例えば、クライエントが心理療法の中で自分の心理的課題に触れた話題になったときにイライラして帰り道でその辺の犬を蹴っ飛ばした、などの行為になります。
なお、ここでの「行動」は単に筋肉運動を伴うものに限らず、非常に広い意味を持ちます。
アクティングアウトについて「予想外の行動が起こって、それがセラピストの気に入らないものならばアクティングアウトとラベリングする」という事態を多く見ますが、困ったものです。
確かに、心理療法という営みには「いろんな行動をいったん止めて、その奥にあるものを話し合う中で見ていこうね」という暗黙の約束事があるわけです。
これは、「本来、言語的に表現されていれば何らかの展開があっただろう事柄を、心理療法の場以外で行動で表現してしまったために、それを心理療法の場で扱うことができなくなった」という現象が起これば、確かに心理療法上は良くないわけです。
ただし、それはあくまでも心理療法という枠組みから見て好ましくないだけであって、現実世界では思いを言葉にして表現するような状況はごく僅かであり、ほとんどの場合は行動で表現するのが当たり前のことであるという常識的な認識もセラピストには必要ですね。
そうした認識を以って関われば、クライエントが生まれて持っている性質(言語化を得意とするか否か、行動主体でやり取りすることの有益さ等)が見立てられ、心理支援の方針に別の観点が生まれることもあるでしょう。
なお、土居先生の有名な言葉に「雨が降ってもアクティングアウト」というのがあります(神田橋先生が述べておられますね)。
これは「自然現象による面接のキャンセルであっても、キャンセルという行動の中にさまざまな思いが吸収されている。こうした「行動」に「思い」が吸収されて、面接の場に出てこなくなることを「アクティングアウト」と呼ぶ」という考えが背景にあります。
よって、引っ越し等の具体的・現実的な理由であったとしても、その中にどのような思いがあるかをやり取りすることが重要ということになります。
アクティング・アウトは「言葉に置き換えたら新しい展開が生まれるようなものが、そこにあるような気がする」というのが本質ですから、クライエントの行動をもたらした外的な出来事の要因が何であれ、アクティング・アウトになる場合があるということですね。
さて、上記はあくまでもクライエントが「自らの無意識的なテーマやそれと関連する体験を表出するのに、面接室外で、行動的にそれを表出すること」を指して「行動化:アクティングアウト」と表現しました。
ただ、こうした行動化は、クライエントがしたときにだけ適用される概念ではなく、カウンセラーが行ったときにも適用されるものになります。
即ち、カウンセラーが「面接室内で感じていた無意識的なテーマを、面接室外で行動的に表出すること」もアクティングアウトに該当するということです。
ここで、本事例を改めてみてみると、カウンセラーはクライエントから「恵まれた人間であり、自分のことを見下してる」と非難されているわけです。
こうした状況の中で、カウンセラーは気に入らない思いが出てくるのは人情と言えますが、カウンセラーとして大切なのは、こうした非難を向けてくるクライエントに対して、心理療法的にどういったアプローチをするのか、です。
一つの例として、上記のように、クライエントが向けてくる非難はクライエントが内的には自身に向けていた思いである可能性があるわけです。
その前提に立てば「どういったところから、見下されていると感じるのか?」「少なくとも意識的には、自分にそういう考えはないと思っているが、あなたがそう感じるところを教えてほしい」「あなた、同級生にもそういうことを言っていたよね。今の自分の状況の満たされなさが、そのように感じてしまう要因になっているとは思えない?」など、いろんな形でのアプローチがあるわけです。
上記は、「面接室内で感じたもの」を「面接室内でクライエントに返す」ということをしており、これ自体がカウンセリングであると言えます。
このことからもわかる通り、カウンセリングには「クライエントの不幸のうち、クライエント自身の責任が占める割合を直視してもらい(もちろん、不幸全体がクライエントの責任ではないのは言うまでもない)、自らそれに対処することを期待し、促す」という側面があり、そうすることでフロイトの言葉を借りれば「ヒステリーの悲惨をありふれた不幸に変える」ということができるわけです。
しかし、本事例のカウンセラーは非常に未熟であり、こうした「カウンセラーとしてなすべきこと」を実践しておらず、それを自らのうちに悶々と抱えていたためなのか、それを「自身のスケジュールを勘違いし、次回の面接を、翌週に面接ができるにもかかわらず、翌々週に設定した」という形で表現してしまいました。
これは端的に「カウンセラーがクライエントに会いたくない」という思いが、こうした「うっかりミス=失錯行為」として現われたと精神分析では見なすのが定石ですね。
ですから、このカウンセラーは「本来、カウンセリングの場で示すべき思いを、カウンセリング外で表現した」と見なすことができ、これは一般的には「行動化:アクティングアウト」と呼ばれる反応になりますね。
以上より、選択肢①、選択肢③、選択肢④および選択肢⑤は不適切と判断でき、選択肢②が適切と判断できます。