36歳の男性A、会社員の事例です。
事例の内容は以下の通りです。
問138 36歳の男性A、会社員。Aは転職を考え、社外の公認心理師Bのカウンセリングを受けた。6か月間BはAの不安を受け止め、二人で慎重に検討した後、転職することができた。初めはやる気を持って取り組めたが、上司が替わり職場の雰囲気が一変した。その後のカウンセリングでAは転職を後悔していると話し、AがBの判断を責めるようになった。次第に、Bは言葉では共感するような受け答えはするが、表情が固くなり視線を避けることが増えていった。その後、面接は行き詰まりに達して、Aのキャンセルが続いた。
AがBの判断を責めるようになってからのBの行動の説明として、最も適切なものを1つ選べ。
① 不当にBを責めて、自分の責任を外在化するAに対して、距離を置いている。
② 不満をこぼすが状況に対処していないAに対して明確な姿勢をもって臨んでいる。
③ それまでのようにAに支持と共感をしないことによって、意図せず反撃してしまっている。
④ 誤った判断をし、Aを傷つけてしまったという不安が強くなり、介入することができなくなっている。
⑤ 職場に対する不満の問題が再燃し、繰り返されていることを気づかせるために中立性を保とうとしている。
上記の、AがBの判断を責めるようになってからのBの行動の説明として、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。
この問題、微妙なニュアンスの読み取りが求められているようにも感じられます。
そういった意味で解説が難しい問題でした。
本解説も不十分だったり、読み違えているところがないか心配なところです。
解答のポイント
「負の相補性」について把握していること。
Aの心理的課題をどのように見立てるか。
選択肢の解説
①不当にBを責めて、自分の責任を外在化するAに対して、距離を置いている。
まず選択肢前半の「不当にBを責めて、自分の責任を外在化するA」についての検証です。
Aは元々転職を考えてBのもとを訪れており、6か月にわたってAの不安を受け止めています。
そして「二人で慎重に検討した後」で転職を決定しています。
上記の記述より、例えば、BがAのペースを超えて転職を促した等の問題はなさそうです。
こういった状況で「思い切って転職します」という表現がなされることもありますが、セラピストの役割は転職後に「切られた思い」がネガティブな形で出現しないように、「切られそうな思い」を大切にしながらやり取りを重ねていくことだと言えます。
「二人で慎重に検討」という表記からは、ある程度適切なやり取りが行われていたと推測することが可能です。
AがBの責任に帰するのは、やや外罰的な姿勢と言わざるを得ない面はあるでしょう。
では選択肢後半の「Aに対して、距離を置いている」はどうでしょうか。
Bの行動としては「次第に、Bは言葉では共感するような受け答えはするが、表情が固くなり視線を避けることが増えていった」というものが見られます。
Bの「言葉上のみの共感」「表情が固くなる」「視線を避ける」という行動は、選択肢にある「距離を置いている」という表現にはそぐわないように思えます。
ロジャーズの言葉を借りれば、明らかにBはセラピストとして不一致の状態にあると言え、表面上は共感していても、固い表情で視線を避けるというAへの「拒否」を示しています。
明確な「拒否」と読み取れるBの行動は、選択肢の「距離を置いている」とは一線を画するものです。
選択肢③の解説にもありますが、Bの行動はAへのやり返しを含んでいると見た方が適切でしょう。
以上より、選択肢①は適切とは言えないと判断できます。
②不満をこぼすが状況に対処していないAに対して明確な姿勢をもって臨んでいる。
まずは、選択肢前半の「不満をこぼすが状況に対処していないA」というAの状態の表現についての検証です。
事例で重要と思われるのはAが「不満」をこぼしていることではなく、Aが事態をBの責任に帰しているところにあります。
と言っても、それ自体を大きな意味で「不満」と表現することもできなくはないので不適切とまでは言えないと考えられます。
「状況に対処していない」というのも、確かにAが現実場面で対処を試みている記述が見られないので、間違ってはいないと思われます。
では選択肢後半の「明確な姿勢をもって臨んでいる」はどうでしょうか。
こちらの表現については、明らかな誤りが認められます。
Bの行動は「言葉では共感するような受け答えはするが、表情が固くなり視線を避けることが増えていった」とあり、明らかに内面と外面の不一致が認められます。
ベイトソンの言う「ダブルバインド」を思い起こさせるような対応です。
こうした内外のちぐはぐを「明確な姿勢をもって臨んでいる」と表現するには無理があると判断できます。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。
③それまでのようにAに支持と共感をしないことによって、意図せず反撃してしまっている。
Aは「二人で慎重に検討」し、転職という人生の選択をしました。
事例の表現からは、Bが方向づけることなくAが自分の判断として転職を決断したということが読み取れます。
しかしながら、Aはその責任をBに帰して、責めるようになっています。
大きく言えば「Aが自分の人生で起こったことを他者(B)のせいにすることで、自分で責任を負おうとしなくなっている」と言えます。
こうしたAの対人関係のパターンは、この場限りのものと捉えないことが大切です。
深読みすれば、こうしたAのパターンが転職を考える契機になっている可能性もあります。
自分がうまくいかない理由を外的環境(=職場)に帰することは、その場から離れようとするという行動と結びつきやすいと言え、その結果、転職を考え始めたとみることが可能です。
そして、Bのもとに訪れたという行為の背景にも、もしも転職が失敗した時にその失敗理由を自分以外の要因(=公認心理師B)に帰するという無自覚の欲求が働いた可能性も考えられます。
こうしたAの心理傾向の当否はともかくとしても、Bに起こったことは公認心理師として気持ちよい話ではありません。
そこでBが取った「言葉では共感するような受け答えはするが、表情が固くなり視線を避けることが増えていった」という行動には、Aに対する反撃の意味もあったと推測できます。
「6か月間…不安を受け止め」ていたBが、それをしなくなったわけですし、視線を避けるというのは明らかな拒否のニュアンスを含んでいると言ってよいでしょう。
岩壁茂(2007)は、心理療法の失敗・中断として「負の相補性」を指摘しました。
これはセラピストとクライエントが互いに怒りと敵意を増幅させてしまうことによるものとされており、クライエントが持つ対人関係パターンに、セラピストが怒りで対応することで、互いの怒りを増幅させてしまうことを指します。
Bの行動は「負の相補性」を想起させますし、「その後、面接は行き詰まりに達して、Aのキャンセルが続いた」という記述は、AとBの互いの陰性感情が高まった結果と見るに矛盾はありません。
以上より、選択肢③は適切と判断できます。
④誤った判断をし、Aを傷つけてしまったという不安が強くなり、介入することができなくなっている。
選択肢前半の「誤った判断をし、Aを傷つけてしまったという不安が強くなり」については、Bが自責的になりすぎており、問題の状況を適切に把握していない捉え方と言えます。
この事例の問題は、「Aが自分に起こったことを、自分の人生の一部として受け容れることができず、Bに責任を帰している」という点にあります。
「二人で慎重に検討した後、転職することができた」とあるように、転職の判断をBのものとするには矛盾があります。
もちろん「Aの転職」という課題に対して、「二人で慎重に検討する」という点に疑問を抱く方もおられるかもしれません。
しかし、ここではこの点は問題の無い対応と捉えて読み進めていこうと思います。
公認心理師という資格では、こうした産業領域の支援も担っていくことが求められると考えられます。
またBの「言葉では共感するような受け答えはするが、表情が固くなり視線を避ける」という行動は、選択肢後半にある「不安が強くなり、介入することができなくなっている」と表現するには無理があります。
Aへの拒否をにじませるBの対応は、強い不安によるというよりも、もっと陰性感情に起因する行動であると見るのが適切です。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。
⑤職場に対する不満の問題が再燃し、繰り返されていることを気づかせるために中立性を保とうとしている。
まず選択肢前半の「職場に対する不満の問題が再燃し、繰り返されている」ですが、Aに起こった出来事が「繰り返し」であるとする内容は、事例の文章では明示されておりません。
そもそも、この事例を「職場に対する不満の問題」と見ることが適切でしょうか?
本事例で重要なのは「AがBの判断を責めるようになった」ことだと思われます。
「二人で慎重に検討」したとは言え、転職を判断したのはあくまでもAであり、Bがそれを強制したり方向づけたという記述は見られません。
こうした外罰的な姿勢の問題については、選択肢③で示した通りです。
すなわち重要なのは、「Aが自分の人生で起こったことについて、自分で責任を負うことができていない」という点にあり、「職場に対する不満の問題が再燃し」たことではありません。
つまり、選択肢前半部分はAの問題の在り処について見誤っていると言えます。
更に選択肢後半の「気づかせるために中立性を保とうとしている」についても適切とは言えません。
Bの「言葉では共感するような受け答えはするが、表情が固くなり視線を避けること」という行動は中立性という表現には該当しません。
中立性は元々「要心理支援者の無意識が投映されやすいように、白紙のスクリーンのようになること」とされており、Bに見られる不穏な状態を示すものではありません。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。
はじめまして。7月に公認心理師をGルートで受ける予定です。遊先生の解説で2回目の勉強に入りました。この問題の最後ですが、負の相補性が起き、カウンセリングが終了した場合、Bの心にAとのわだかまりが残ったままで(私の場合かも知れませんが)次のカウンセリングへのモチベーションが下がってしまうのではないかと。
遊先生なら、Aから責められた時に、どう感じたのか?Bに何を伝えたいか?を知りたくなりました。
コメントありがとうございます。
>負の相補性が起き、カウンセリングが終了した場合、Bの心にAとのわだかまりが残ったままで(私の場合かも知れませんが)次のカウンセリングへのモチベーションが下がってしまうのではないか
文脈から判断するに「Aとのカウンセリングが、他の人とのカウンセリングに影響するのではないか」ということを述べておられるのでしょう。
もしもこういうことが起こるとするなら、それは「Aとの関係性の中でやり取りすべきことをAとの関係で行っていない」ために生じると見なし、カウンセラーにどのような思いが生じ、それをAとの関係の中に落とし込むためにはどうすれば良かったのか、を考えるべきですね。
他のクライエントとの関係の中にAとの体験に基づくものを入れてしまうのは、カウンセラーとしては問題でしょう。
とは言え、何かしら他のクライエントとの関係で生じた思いが目の前のクライエントとの関係で生じるということもあり得るかもしれません。
私はそういう時には、目の前のクライエントに「そういう思いが生じていて、あなたとの関係で不自然なものが出てくるかもしれない。そうならないようにするけどね」と伝えることもあります(滅多にそういうことはないから、ここ十数年こういう対応はしていませんが)。
>遊先生なら、Aから責められた時に、どう感じたのか?Bに何を伝えたいか?を知りたくなりました。
さて、こちらについての返答はシンプルで「私なら、本事例のようなことは起こらない」と思います。
解説でも述べましたが、Aの外罰的な言動はそれまでのカウンセリング過程の中で必ず顔を出しているはずです。
カウンセラーとの関係に直接は出なくても、仕事に関する言及の中で必ず生じているはずです。
私はその時点で「あなたが、自分でする決断によって生じるあらゆることの中に、ポジティブなものもあればネガティブなものも必ず含まれている。自分の人生を生きるとは、そういう自分の決断によって生じたあらゆることを「私の決断の結果である」と自分の人生の一部と認めていくことだし、それがあって自分が自分の人生をコントロールできているという体験にもつながると私は考えている」というようなことを伝えて、どうにかしてクライエントの外罰的な傾向について、事例のようなことが生じる前に話題にしていただろうと思います。
本事例のような「事件」が生じている時点で、その前に何かしら見落としがあると考えた方が良いのです。
ですから、経験と知識を不断に積んでいるカウンセラーであれば、本事例のような「事件」が生じず、大きな波乱の無い、言い換えれば面白みのないカウンセリング過程になっていきます。
余談ですが、その程度のレベルのカウンセラーになると論文が書きにくくなります、事件も波乱もないから。
というわけで「私ならば本事例ようなことは起こりません」というのが回答ですが、それだけでは味気ないので、仮にこうした事態が起こったと仮定して簡単に答えておきましょう。
やることはシンプルで「どうにかして、今の時点からでもAの問題(外罰的なところ、それによって自分の人生を生きることができなくなること)についてやりとりしていこうとする」になるでしょう。
カウンセリングとはそういう作業ですから。
ですが、この時点で上記の目標を達成するのはとても大変です。
向こうからすれば「Bの問題を指摘したら、今度はこっちを攻撃してきた」と思われても仕方ないですからね。
それは「事前にAの問題に気づくことができなかった自らの未熟さの代償」として、努力していくしかないでしょう。
以上が質問に対する回答になります。
お返事になっていれば幸いです。
多忙の中、お返事頂きありがとうございす。
目標となる方(遊先生)がいる事に感謝します。たくさんお話ししたい事がありますが、まずは勉強頑張ります。